2007年7月16日10時13分 M6.8 震度6強
大きな地震は一生の間に1回遭遇するかどうかといわれますが、私は昭和39年の新潟地震を新潟市で、3年前そして今回の地震を柏崎市で体験しました。新潟地震は、幼児だったのでほとんど覚えていませんが、3回も遭遇すると、日本列島は地震が多いところだとあらためて感じます。
平成20年3月30日

写真左は、米山コミュニティセンターから見た聖ヶ鼻です。中越沖地震のために、崩れた斜面の復旧工事中です。青いコンクリートで覆われたブロック塀が切り立っているようです。
写真右は、米山コミュニティセンターのゲートボール場に建てられている仮設住宅です。米山地区の避難勧告が解け、現在はどなたも住んでいません。まもなく撤去されます
平成20年3月
22日は、とても天気がよかったので、笠島〜上輪(上越よりの隣町)まで、海岸線を歩いてみました。でも、この区間の海岸は砂浜ではなく、石や崖からなっているためトンネルばかりです。笠島から2つ目のトンネルを抜けた出口は、地震による崖崩れの跡がまだまだそのままの状態で残っていました。トンネルの上の金網には、まだたくさんの土砂をかかえていて、いつ崩れるか不安な状態です。そういえばトンネルの入り口に交通止めの立て看板が、、、3つ目のトンネルは入り口から数メートルのところに土砂があり、水たまりもできていて通ることはできませんでした。

平成20年2月の笠島海岸
中越沖地震で、段差ができてしまった笠島海岸の堤防。やっと修復工事が始まりました。春の釣りシーズンには平らな堤防に変わることでしょう。

平成19年暮れの青海川駅周辺と笠島海岸道路
左が青海川駅、右は笠島の海岸道路です。柏崎の海岸線で崖になっているところは、土砂崩れの心配があるためでしょうか?斜面をなだらかに削り固める工事が、進められています。

ありがとうございます。お見舞いをいただきました。

高崎市小学校様、片岡小学校様、高崎市小中養護学校PTA様などより、地震お見舞金をいただきました。笠島町内を通じて、町内全戸にいただきました。ありがとうございました。
現在、高崎臨海学校は、建物が建っている岬の補強作業(写真左)が進められています。また、国道8号から高崎臨海学校に通じる道路は、陥没しまだブルーシートに覆われたままで、通行止めの状態(写真右)です。来年夏、また笠島に高崎の子ども達が来てくれるのを楽しみに復旧工事中です。
笠島の下町がかわりました2007年9月9日
柏崎市笠島の弁天館さんと坂屋さんがなくなりました。坂屋こと我が家の物置、私の隠れ部屋だったのですが、残念ながら取り壊され、なくなってしまいました。笠島海岸から米山の方向を見ると、景色が大分変わってしまいました。
今回の地震で、柏崎地域の町並みが変わってきました。古い家は無くなり、新しい家が目立つようになりました。古いものが無くなっていく寂しさを感じますが、町も整備され、未来に向かって時代にあわせて変化しているようです。

地震から1ヶ月がたちました。2007年8月26日

線路の復旧が急ピッチで進められています。土砂崩れの被害があった青海川駅周辺は、写真左のように線路がつながりました。新たな土砂崩れがないようにコンクリートで斜面をかためられ、安全性が確保されています。
我が家は地震の被害が少ない...と楽観視していたのですが、自宅から少し離れた物置、そこは私の隠れ部屋(うぽぽーの部屋 「たおやかな私」のページで昨年紹介)がある建物なのですが、損傷がひどく取り壊すことになってしまいました。昨年がんばって作り上げた部屋なのでちょっとショック...この建物は、信越線の線路脇に建っているため、電車が走り出すと重機が入らず壊しにくいので、急きょ解体が決まりました。この中には笠島に来る前の家財道具や、子ども達が小さかったころよく遊んで捨てられなかったおもちゃや本などたくさんの品々があったので、この2週間は整理かたづけの毎日でした。プラス職場のかたづけも。 今週から工事が始まるので、写真右の風景ががらっと変わることでしょう。
夏は海。震源地は中越沖。変わっていく海岸線

今日は8月の第一日曜日。台風が過ぎ、いつもの猛暑が帰ってきました。笠島海岸は、海岸道路が通行止めになっているにもかかわらず、海水浴のお客さんが来てくれていました。笠島海水浴場から見える風景には、土砂くずれの岬がありませんので、普段の笠島海岸を楽しめるようです。
今回の地震の震源地は柏崎沖です。全壊半壊した家屋や、土砂崩れで寸断された道路の映像はよくテレビに出ますが、海岸線の様子はあまり出ません。実際、海岸線の様子は以前と大分違っています。そして、止まることなく変わり続けています。米山海岸にある聖ヶ鼻岬は表面の地表が崩れ落ち、山肌がそのまま見えるようになってしまいました。海岸線が端から少しずつかけていく感じです。まだまだ地震の被害は増えていくように思います。

地震発生時、震源地に一番近い球場で試合をしていた柏崎市の高校野球部ということで、全国の皆さんから応援していただいた柏崎総合高校野球部。ご声援ありがとうございました。(その分マスコミの追っかけも多かったのですが...)本当にがんばって4回戦まで進むことができました。最後は、写真の通り晴れ晴れしい顔で終えていました。こんな悲惨な地震時だけど、息子がこの野球部に所属していたおかけで、我が家は元気に乗り越えてきています。ありがとうです。3年生引退後、1・2年生部員での活動が始まりました。練習時間も限られ、グランド整備をしながらの練習のようです。母である私は、不通になった電車の代わりに息子のアッシーをやって、応援し続けています。
復旧が進んでいます。(7月29日)

今回の地震は、道路の復旧がとても早いです。赤いポールが置いてあったり、ブルーシートが敷いてあったりするところが多いですが、国道8号線・116号線・主要幹線はどこも通れます。青海川にあるフィッシャーマン鮮魚センターも営業を再開しました。笠島海岸への道路も土砂が取られ、きれいになりました。
一番右の写真は米山町から見た聖が鼻です。土砂崩れで山肌が見えます。地球(地震)のものすごいエネルギーを知らされます。
柏崎総合高校野球部、がんばっています!(7月26日)

震災後、新潟県の高校野球大会が再開されました。地震時、佐藤ヶ池球場で試合をしていた柏崎総合高校。1,2回戦を突破し、26日3回戦に進みました。この写真は、25日の三条市民球場でのものです。オレンジシャツの青年達は、総合高校3年生です。同級生ががんばっているので是非応援を、ということでかけつけてくれています。朝3時4時に出発し、自転車をこいで6時間。山越えしてやってきてくれました。すごく元気です。「僕達のがんばっている姿を見てもらって、柏崎の皆さんを元気づけたい」野球部員に応援団、高校生のパワーが伝わってきます。写真右は、マスコミの取材を受けている監督です。
柏崎が大変です!中越沖地震
7月20日の笠島の様子です。笠島ふれあいセンター前の道は陥没していました。3年前の地震でも落ちたところです。前回は半分だったのですが、今回は道幅いっぱいです。(小中学生のスクールバスが通る道です。スクールバスルートが変わりました。)高崎臨海学校も被害にあっていました。この夏の臨海学校は中止になりました。牛ヶ首の一部にも土砂崩れが見られました。今のところ全壊した家はありませんが、屋根の瓦が飛んでブルーシートがはられた家が何件かありました。笠島は崖が多い地域です。地震当日より、道の状態はよくありませんし、ひび割れ箇所もひろがってきたように思います。雨が降りませんように、余震が来ませんように願うばかりです。

笠島地区の様子です。国道8号から笠島海岸に通じる道は、左のように段差ができ、山がくずれて土砂が埋まっています。笠島駅の隣の青海川駅線路に、土砂が流れてきた映像がTVでうつっていますがその近くです。壁がくずれたり屋根瓦がとんでいる家もあります。我が家は背の高い本棚が倒れて、子ども部屋が写真のように大変な状態でしたが、食器棚は全く倒れなかったので片付けはすぐ終わりました。停電は無かったので、柏崎市内では被害が少ないほうだと思います。笠島地区にも自衛隊の給水車が来ましたので、生活はできる状態です。
