玉川上水、神田上水に関しては、沢山のホームページがありますが、その他の上水は あまり取り上げられていない様です。
又 この付近は新宿に至るまで 玉川上水跡に添って公園が出来ていています。
三田上水は 農業用水にも利用されていた為、享保7年(1722)上水が廃止された後も 昭和まで三田用水として使われ続けました。
背中方向が西郷橋交差点です。西郷山公園を右手に行くと急な下り坂になっていて、下は目黒川が流れています。
どうやって ここを越えたのか知りたいところです。(上の地図では水路になっていますが、樋を地下に埋めていたのかも知れません。)
又、新富士のあった場所は、今は KDDIの研究所になっていて、構内には碑石が残っているとのことです。
ちょっと前まで、目黒川・中里橋から坂を登って行くと、途中に大きなアーチがありましたが、先日 訪れると、道路の拡幅工事が行なわれていて、跡形もなくなっていました。 その上は水路になっていて、昭和50年まで恵比寿のビール工場に洗浄用水を供給していました。
品川・三田まで延びている武蔵野台地の上を、品川迄は堀でつながり、そこから三田迄は地下に樋を埋めてありました。
白金台には三田用水導堤の遺構が残っています。 三田用水の名残りをのこす数少ない遺構で、水路の断面がわかる様に残されています。昔の写真を見ると 左側にもう一つ断面があったようです。 又、すでにコンクリートで埋められていますが、上流側は 水路の跡をたどることが出来ます。
三田用水の名残りをのこす数少ない遺構で、水路の断面がわかる様に残されています。昔の写真を見ると 左側にもう一つ断面があったようです。 又、すでにコンクリートで埋められていますが、上流側は 水路の跡をたどることが出来ます。