江戸の上水
江戸時代には下図の通り玉川上水、神田上水、をメインに亀有上水(本所上水・曳舟上水とも言う)、青山上水、三田上水、千川上水、と六つの上水がありました。
   
玉川上水は多摩川の上流 羽村を起点として 四谷の木戸(今の四谷三丁目付近)まで延々32Kmを流れていました。
   
多摩川の上流・羽村の取水口
 
   
  四谷の大木戸
 
四谷三丁目にある記念碑
 
 

早稲田大学の近くに関口と言う所がありますが、江戸時代 そこには水の流れをコントロールする為の大きな関がありました。これらは神田上水と呼ばれたものの名残りです。

又 水道橋と言う地名が今でも残っていますが、江戸時代 そこには神田上水を渡す橋が実際にありました。

 
  亀有上水は、後に葛西用水・曳舟川と呼ばれ、水路・農業用水として使われ、 引船(人手で船を引っ張っていた)が運行されていました。


地図を見ると、今でも長い直線道路が残っていて 所々は既に埋み立てられていますが、葛飾区「郷土と天文の博物館」・足立区「郷土博物館」の近くは「川のある公園」として整備されています。

 
玉川上水・神田上水は明治時代へ引き継がれましたが、亀有上水・青山上水・三田上水・千川上水は「江戸に火事が多いのは、地中の水気を水道がうばってしまうからだ!」と言う珍説が、幕府に採用され 江戸中期に廃止されてしまいました。
引用した資料

東京都水道歴史館展示資料
羽村市郷土博物館展示資料
比留間 博著 「玉川上水」多摩郷土文庫
堀越正雄著 「水道の文化史」鹿島出版会
内藤 昌著 「江戸の町(下)」 草思社
NHKデータ情報部「江戸事情 第一巻生活編」雄山閣出版

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