江戸の井戸
テレビ等で時代劇を見ていると、長屋のシーンで 井戸が出てきて その囲りで近所のおかみさん達が井戸端会議をしているといった場面が良くありますね!
江戸時代はどこの長屋にもこんな堀井戸があったのでしょうか?
   
しかし 江戸は海辺に開発された都市の為 地下水脈が深く、掘るとすぐ塩水が出てきて 井戸はかなり深く掘らなければいけない! 又 江戸時代後半 関西から「あおり堀り」の技術が入ってくるまでは 井戸を掘る為には 高額なお金が必要であった!と聞かされたらどうでしょう?
 
実は そこにはびっくりするようなしかけがありました。


左の図をみて下さい。これは今の中央区の日本橋付近を表わしたものですが,道路の中に線が引いてあり、そこから各々の家の中に線が延びていますね!そして 線の途中 又は 先に四角形の印がありますね!この印が井戸を表わしているのです。

つまり 上図の線は今で言う水道(上水)を表わしていてそこには木製の樋(竹をくり抜いたものもあった)が引かれていました。この様な上水が江戸中にはりめぐらせてあったのです。
   
木製と聞いて驚く人もいるかと思いますが、木造船があったことを考えれば漏水対策は十分可能であったと思われます。やはり 問題は耐久性であったようです。
この為 幹線部では石造りの樋(万年樋と呼ばれた)もありました。
この木製の樋は 間に升を入れて向きを変えたり 段差をうまく乗り越えたりしていました。
   
では次の疑問です。これらの水はいったい何処から来ていたのでしょうか?
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