江戸の都市作り
この為、江戸幕府も 大火という都市災害への対処が おおきな命題でした。
なかでも明歴大火(所謂 振袖火事)は、江戸の都市作りに 大きな影響を与えました。

その後 幕府は防火都市づくりに 本格的に取り組み、火除地や、防火線としての広小路・防火堤、等を 積極的に造成すると共に、
それまでは 町屋に許されていた瓦葺きや 三階建ての建築を禁止したり、屋根に登りやすくする為、道路に面して 一間のひさしをつけることを義務付けたりしました。

又、防火堤は高さ約7.3mの長土手で その上には 火に強い松が植えられていたと言う 立派なものでした。

しかし、後世になるに従って 補修費の問題、或いは 空閑地利用の要求から これらの防火堤は姿を消していきました。

当事の消火法は、出火地点の周囲の家屋を 素早く撤去して 鎮火を待つ、すなわち 破壊消防がメインであった為、火除地・広小路・防火堤・等は効果的な方法でした。


一方、建物については、明暦の大火以降、萱葺き・藁葺き・板葺き屋根の上に 土を塗ったり、牡蠣殻を並べたりして 火を防ごうとしていましたが、1720年吉宗によって それまで禁止されていた 瓦葺き建築が許可され、それ以降 江戸の町には 土蔵造り・塗屋造り・焼屋造りの 三つのタイプの町屋が見られる様になりました。
土蔵造り 屋根を瓦葺きにし、外側を分厚い土壁塗り・しっくい仕上げにするもの。
ただし 土蔵と違って、完全な閉め切りにはならない。
塗屋造り 屋根を瓦葺きにし、二階正面のみを 土壁塗り・しっくい仕上げにし、
一階正面他の外側を 木造下見板張りとしたもの。
焼屋造り 屋根は板葺き、外壁は 全て下見板張りとしたもの。
所謂 裏長屋(九尺二間の棟割長屋)がこれにあたる。
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