第三章 人類歴史の終末論



今日は終末について考えてみましょう。


終末って、聖書に書かれてるように、天と地が火に焼かれて消滅して、
日と月が光を失って星が空から落ちるのかしら?



(;´Д`)そんなバナナ

聖書の文字どおりに、そうなるのか、あるいは、聖書の多くの重要な部分がそうであるように、これも何かの比喩なのか・・・
それが問題ね。こういうときは、一度基本に戻って考えてみましょう。
人間は本来、神を中心として個性完成して、善の家庭をつくり、善の社会をつくるはずだったわ。
そのようにしてできる世界を、地上天国と言うのよ。
そして、完成した人間が地上天国での生活を終えて、霊界に行けば、そこに天上天国がつくられるの。



でも、人間は堕落して、悪の世界を作ってしまった・・・

そう。その悪の世界のことを、地上地獄と言うのよ。
地上地獄に住んでいる人間が、地上での生活を終えてから行く霊界が天上地獄よ。
この罪悪の世界で、人間は多くの悲しみや苦しみを経験してきたわ。
だけど、それを見ている神はもっとつらいのよ。
人間は苦しい時に神を恨んだりすることもあるけど、神はそんな人間以上に悲しみ、苦しんでおられるということを知るべきよ。



それなら、どうして神は人間を救わないんだ!!

もちろん神は、アダムとエバが堕落して以来、ずっと人間を救おうとされてきたわ。
だけど、人間の救いは、神の力だけでは成就しないのよ。
人間が責任分担を果たさないとだめなのよ(>_<)
人間が責任分担を果たさずに失敗してきたから、救いの摂理は延長に延長を重ねて・・・ (;ノД`)



でも、人間を救うって、結局どういうことなのかしら?

堕落人間を救うということは、その人間を、罪のない創造本然の立場にまで復帰させるということよ。
だから、その神の救いの摂理を復帰摂理と言うのよ。
復帰摂理の目的は、地上天国を復帰することよ。
神は人間の堕落以来、地上天国を復帰するための摂理をしてこられたわ。
人類歴史はすなわち復帰摂理歴史なのよ。



だとすると、人類歴史の終末は、復帰摂理の目的が成就するとき・・・


その通りよ。
終末というのは、地上地獄が地上天国に変わる時のことをいうのよ。



聖書に書かれているように、天と地が焼き尽くされるわけではないのねv



じゃあ、その聖書の言葉は、どういう意味なのかしら?



天と地を滅ぼして、新しい天と新しい地をつくられるって・・・

杜甫(とほ)の詩の中に「国破れて山河あり」という句があるわ。
国が滅んでも、自然は残っているということね。
ある国を滅ぼすということは、その国の王を倒すとか、主権を滅ぼすということであって、決して、その国の山や河まで破壊しつくすということではないわね。
そして、新しい国を建設するということは、新しい主権の国を建てるということを意味するわ。
つまり、天と地を滅ぼすというのは、それを主管しているサタンの主権を滅ぼすということで、
新しい天と新しい地をたてるというのは、神主権の天国を復帰するということなのよ。



そうすると、火の審判っていうのは?


聖書を見ると、終末には「天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう」と記されているわ。
それに、イエスは「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ」と言われたの。



火ぃぃぃ(゚ロ゚ノ)ノ


火の7日間ね(`・ω・´)
巨神兵が世界を焼き尽くすのね(((((((((:;;:;゚:;:Д:;゚:;:;:)))))))))))ガクガク


でも、イエスが実際に火をもって審判した痕跡はないし、
文字通りに天地を焼き尽くしてしまうのは、地上天国を復帰するという目的に反するわ。



(*´ー`).。o○(スルーかよ)



ということは、火の審判ってのは、何かの比喩だってことか・・・

そうね。聖書を見ると「主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか」という言葉があるわ。
火の審判というのは、み言(ことば)の審判を意味するのよ。
イエスが、わたしの言葉を聞いて、神を信じるものは裁かれることがないと言われたのを見ても、火の審判がみ言の審判であることが分かるわ。



じゃあ、「その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう」という聖書の言葉はどういう意味なの?

聖書には、日と月が父と母を、星が子女たちを象徴するものとして書かれているところがあるわ。
イエスと聖霊は人類を新生させる父と母の立場だから、その聖書の言葉の中で、日と月はイエスと聖霊を象徴していて、星は、その子女に該当するキリスト教徒たちを象徴しているのよ。
だから、日と月が光を失うというのは、イエスと聖霊による新約のみ言が光を失うということなのよ。



新約のみ言が光を失うって、どういうことだい?


イエスと聖霊が来られて、新約のみ言を下さったときに、旧約のみ言が光を失ったように、
再臨主が来られて、新しいみ言を下さるときには、新約のみ言が光を失うということよ。



つまり、み言の賞味期限が切れるということねv


ま、まあそういうことね(汗)
つまり、そのみ言の役目が終わるということね。



じゃあ、星が空から落ちるっていうのは・・・

終末において、多くのキリスト教徒たちがつまずき落ちるということね。
ユダヤ教の指導者たちが、イエスがメシヤであることが分からずに、彼を迫害してしまったように、
キリスト教徒たちも、十分気をつけてないと、再臨主を、再臨主とは分からずに迫害してしまうということよ。
実際、再臨主として来られた文先生は、多くのキリスト教徒たちに迫害されたわ。



エッビヽ(・ω・。)ノマヨマヨヽ(・ω・)ノエビヽ(。・ω・)ノ マヨー♪

現代は終末だから、さまざまな面でその徴候が表れているわ。
具体的には、三大祝福が復帰されていく現象ね。
例えば、自由を求めるさまざまな運動や、人権運動などは、堕落によって失った本心の自由や創造本然の価値性を取り戻して、第一祝福を復帰しようとする神の摂理の結果として出てきた現象よ。



わたしみたいに、霊感のある人が増えてきてるのも、第一祝福が復帰されつつあるからね。

ええ、そうよ。そして、国連を通した経済協力や、交通や情報技術の発達などによって、世界中の人々の間で交流がさかんになっているのは、本来、アダムとエバが堕落せずに善の子女を繁殖していれば作られたはずの人類一家族世界を実現して、第二祝福を復帰しようとする摂理によるものね。
人類皆兄弟っていうけど、兄弟というのは共通の親がいるから兄弟なの。
人類皆兄弟というのも、全人類の親である神を抜きにしては成り立たないのよ。
そして、自然保護運動や、科学技術の発達などは第三祝福が復帰されつつあることを示しているわ。



今は歴史の転換期なんだなヽ(゚∀゚*)ノ


そうよ。終末は善と悪の二つの主権が互いに交差する時期で、さまざまな混乱があるわ。
だから、古い考え方や環境に執着しないで、祈りによって今の神の願いを悟ることが大事よ。



だから最近、週末の予定がよく狂うのね(´‐` ;)



おあとがよろしいようで(^^;)