YEP-641 赤ベルモデル 誕生の秘密がついに明らかになった!

my euphonium.

2004年2月15日。私の楽器購入からほぼ2年。ついに、YEP-641 特注品 赤ベルラッカー仕上げ のルーツが明らかになった。 たくさんの友人のつながりが、今回の謎解きの旅に、大きな力になった。楽器・音楽は、人を結び、その結びつきは、新たなる結びつきを呼ぶ。 そして、世界中の人々と友人になれるときが、きっとやってくる。そんなふうに思いも膨らむ、素晴らしい旅となった。
 今回の旅のきっかけを作ってくださった竹内広三さん、初対面の私たちに新設に施設を案内してくださり、2時間もの長い時間お付き合いくださった二瓶日出夫さん、 朝霞まで連れて行ってくれたFdeD、ほんとうにありがとうございます!そしてこれからも、よろしくお願いします!
 ちょっと長いですが、感動の出会いまでのドキュメント?です。

ルーツを求めて〜根を掘り起こせ!

自分の手にした楽器が、ベルが赤くて、「特注」で、他にはない珍しい楽器だったために、私はそのルーツが非常に気になっていた。 もともと、自分自身のルーツを探るために家計図を頼りに沖縄まで行ったこともあるくらいだから、わたしは、なんでも根っこから掘り返さないと 気がすまない、と言う性格の持ち主なのかもしれない。
 ネットのチカラで問題解決を図ろうと、「楽器のルーツ探し」のページや「赤ベルユーフォ友の会」を立ち上げるとともに、自分自身、検索等でルーツを探す日々が続いた。 そんな中、北海道の竹内さんから1通のメールが届いた。「赤ベルユーフォ初号機を使用しているのは、陸上自衛隊東部方面音楽隊のユーフォ奏者二瓶日出夫氏である。 彼がヤマハアトリエの職人に作らせたものである。本人と電話で確認したから間違いない」という内容であった。続けて竹内氏は「東部方面隊は朝霞駐屯地内にあるから、 連絡してみると良い」というメールも下さった。そこで、自衛隊ならこの人に聞け!という友人FdeD(彼のおじが自衛隊の音楽隊でトロンボーンを吹いていたそうだ!) に確認すると、「次の日曜に家族で朝霞に行く予定にしているんだよ」とのこと。これは天の導きか。方面音楽隊に連絡してみると、ちょうどその日の午後、二瓶氏は長野から戻ってくるという。 会えるかどうか、一か八かの賭けだ。わたしは、次の日曜日、FdeD家の家族旅行にむりやり混ぜてもらい、朝霞へと向かった。

いざ、朝霞へ。

FdeD(「夫婦でデリカ」)のハンドルネームの由来であるデリカ・スペースギアは、実に快適だった。あっというまに朝霞に着いた。FdeD家のお目当ては「陸上自衛隊広報センター」。 FdeDは、防弾ジャケットと地下司令室を見たかったそうだ(マニアックだね)。数億円するという戦車が何台も展示してあった。また、「200円でカレー食べ放題」というイベントもやっていた。 (自衛隊専用?の漬物も大量に出ておりFdeD大喜び。おかわりには長蛇の列で、ついに2杯目にはありつけなかった・・・)。昼過ぎに電話したら、二瓶さんが帰ってきていた!! 事情を説明すると、なんと、快く音楽隊へ招いてくださったのです!急いで面会手続きを行い、いざ、駐屯地内へ!FdeD大喜び!!

陸上自衛隊東部方面音楽隊 二瓶日出夫氏と面会。

音楽隊の建物は、とても立派なものだった。入ると、受付の方が二瓶さんを呼んでくださった。2階から降りてきた優しそうな小柄な紳士、それが二瓶さんだった。 二瓶さんはわれわれを快く出迎えてくださり、建物内を案内してくださった。その後、ユーフォニアムの練習室で、いろいろとお話をうかがうことができた。

※写真はFdeDのページ内(「お出かけ写真館」→「2004.02.15」)に。

わたしは楽器のルーツについて、FdeDは自衛隊の音楽隊について、詳しくお話を伺い、なんと約2時間、われわれにお付き合いいただいてしまった。 二瓶さん、その節は、本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

二瓶氏と「ヤマハ赤ベルユーフォ」
Mr.Nihei and his euphonium.

そして、楽器のルーツ。
二瓶さんのお話をまとめました。

さて、本題の、楽器のルーツだ。平成元年暮れ、二瓶さんはヤマハの新しいユーフォニアムの開発に伴い、ヤマハ海外向けユーフォの試奏をしていた。 (ヤマハの製品は、国内仕様と海外仕様があるそうだ)その中で、アトリエの職人さんと検討しながら、製作を進めていった。
 そして、試行錯誤の末、翌年、ベルの材質はゴールドブラス、マウスパイプもゴールドブラス、仕上げはラッカー、という いままでのヤマハユーフォニアムにはない特別なモデル「YEP641 赤ベル仕様」が生まれた。 このとき、同一モデルが4台作られたそうだ。しかし、同一とは言っても、二瓶さんのモデルは、二瓶さんの体格や好みに合わせてハンドレストの位置が 調整されているなど、1本1本細かい部分が異なっており、本来の意味での「カスタム」モデルであった。
 このときの4台は、2本が自衛隊(うち1本が二瓶さん)、もう2本が東京藝術大学(おそらくそのうち1本が芸大大学院生だった山本訓久氏の元へ: むらさんの情報より推測)へと渡った。
 この楽器は、細かいところに二瓶さんのアイディアが生かされている。「ヤマハは重い」と感じた二瓶氏は、少しでも重量を軽くするために、 譜面立ては外し、3番管も短く(1番管とまったく同一のものを使用)した。楽器によっては、譜面たてが付いているなど、個人の要求に合わせてあるらしい。
 その後、市販モデルの「YEP-641」にこの特注モデルのよさを反映させようとしたが、赤ベルでは採算が合わない、また、赤ベルに銀メッキをすると (隠れてしまうので)赤ベルのメリットが前面に出せないなどの理由で、黄ベル・銀メッキのままになってしまった。
 しかし、赤ベルモデルは自衛隊などで広く評判になっていた。二瓶さんのもとに問い合わせも多数あったため、ヤマハアトリエにオーダーし、 さらに十台ほど作られることとなった。
 それらの楽器は、自衛隊をはじめ、各方面で使用されることになる。

二瓶氏の楽器「元祖・ヤマハ赤ベルモデル」です。
Mr.Nihei's yamaha YEP-641 goldbrass bell model serial No.100551.

そして、わたしのもとへ。

ヤマハ赤ベルだけでなく30年前のベッソンやウィルソンTA2900BS/GPも所有する二瓶さんによると、ヤマハは管が太いために息が取られ、一番きついそうだ。 ウィルソンのほうがずっと楽らしい。(二瓶さんの詳しい楽器感はこちら)そのためか、赤ベルモデルを手放す隊員もいた。北海道の高校生中越さんが 手に入れた中古の641赤ベルも、おそらく自衛隊員のものだったのだろう、ということだ。さて、わたしの楽器は、というと、購入時のヤマハ銀座店の店員に よれば「学校の先生が買い替えのために手放した」ということであったが、果たして真相はどうなのだろうか・・・。
 いずれにしろ、後に作られた約十台のうちの1本であることは間違いなさそうだ。

二瓶氏とわたし
Mr.Nihei and Toyo.




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