2002年04月20日
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タイトル
ちょっと前の話になるんですが、今年の「週刊文春」1/31号に『死刑判決 造田博 拘置所からの奇怪な手紙24通』という記事がありました。
造田博というのは一昨年池袋で通り魔殺人(2名死亡)を行って死刑判決を受けた男性で、この記事は彼がジャーナリスト氏に宛てた手紙の一部を公開したものです。
造田氏はかなりユニークな方のようで、色々と面白い事を書かれていたのですが(タイトルに引用した言葉もその一つ)、その中に「造田博教」についての話がありました。
「造田博教」とは氏が作った(つもりになっている)宗教団体で、当然と言うか活動実績は皆無なのですが、造田氏は相当に自信をお持ちなのか、ジャーナリスト氏に熱くその内容を語っています。
曰く、
『造田博教では決まった献金は平均収入の10分の1か、100分の8くらいで、これ以上はいらないです』
……こんな奥ゆかしい人、見たこと無い。
2003年04月14日
少し前の話になりますが、先日、エイプリルフールなるイベントがありました。 実は私はこのイベントについて考える時、深い悲しみを覚えずにはいられないのです。
考えてみて頂きたいのですが、エイプリルフールというのは、言わば遊びで人を騙す行為です。
これを軽く考えておられる方も多いようですが、やはり常識的に考えた場合、「嘘をつく」という行為には問題があると言わざるを得ないのではないでしょうか。
しかも、挙句の果ては嘘に騙された人を笑ったりする。
これが近年よく言われる人々の心の荒廃につながっているのではないか? 私にはそう思えてならないのです。
モラリストの私は、無論エイプリルフールに嘘をついたりはしません。
そう、良識ある人間はみだりに嘘などつかないものなのです。
その証拠に、私が嘘をつくのは大失敗をしでかして、本気でどうしようもなくなった時だけです。
大事な待ち合わせの約束をすっかり忘れていた時とか、借りていたレアものの○○を汚してしまった時とか。
そういう時には私は誠心誠意、魂の底から嘘をつきます。
それこそが、人のあるべき姿なのではないでしょうか。
気取って嘘をつくなんて、そんなのは間違っていると思うのです。
……しかし、しかしです。
そうやって心を込めて嘘をついた時、私はまたもや人々の心の荒廃を感じずにはいられません。
そう、私の嘘を人々はいともたやすく見破ってしまうのです。
最早、人々は他人を信じる心を失ってしまったのでしょうか。私は残念でなりません。 現代の人々は極力嘘をつかないようにし、そしてもっと純粋な心で他人の言葉を受け入れるべきではないのか、と心の底から思う次第です。
あと、皆さんに念のため申し上げておきますが、私はウェブ上で嘘をついたことはこれまでただの一度もありません。
本当です。
2003年05月26日
何となく作ってみたくなったので、作りました。ヒマだからな!

このサイトの壁紙にでも使おうと思っていたのですが、作ってみたらどうにもインパクトがあり過ぎて(当たり前) どんな風に使おうか現在思案中です。
……鬱陶しいことこの上ない。