バーガーSC 2巻まで(※当時)
今回紹介する作品は、冬目景先生の『羊のうた』です。
氏の作品はいずれも独特の情感をもっていますが、この作品はそれが最高の効果を挙げている、
氏の最高傑作を予感させる作品です。
「養父母と暮らす高校生の少年・高城一砂はある日、一人暮らしをしていた姉の千砂と再開し、
自分の家庭が高城家に伝わるある病気によって崩壊したことを知る。
それは時折他人の血が欲しくなるという奇病で、その苦しみから最後は発狂して死んでしまうのだという。
千砂は既に発病しており、一砂に自分に関わらないよう告げるが、彼も突然その奇病を発症する。
発作に苦しむ一砂を見て、千砂は自らの血を飲ませる…」
というストーリーなのですが、この作品に底流するテーマは、我々を圧倒し、共感させずにはおきません。
それは「生きる悲しみ」とでも言うべきものなのです。
この姉弟は、それぞれが悲しみの象徴なのです。
まず、一砂の場合。彼はしばしば発作に襲われ、血を欲する衝動に駆られます。
が、それは身近な人を傷付けることに他なりません。彼はそうなることを恐れ、
親しい友人(特に自分に好意を持っている女の子)をそれゆえに避け、
病気のことを知る姉と暮らすようになります。
彼は、傷付けたくない友人達がいる学校で言います。
「俺は…ここにいるべきじゃなかったんだ。」
そして、千砂の場合。彼女は幼くして発病し、自分の存在に疑問を持ちつづけてきました。
そしてある日、幼い彼女は祖母の話を聞いてしまいます。「あの子は生まれてきてはいけなかったのよ。」
彼女は望まれずに生まれ、必要とされずに生きてきました。
彼女は父親に必要とされていると思うことで自分をこの世界につなぎ止めてきましたが、
父は彼女の中に自殺した妻を見ているだけでした。
「千砂は…生まれてきちゃいけなかったの?」
彼らは、過酷な運命を背負った悲劇の主人公です。
しかし、彼らの苦悩に対して他人事でいられないのは私だけではないはずです。
恐らく、これは我々の姿なのです。人を傷付けることを恐れ、人との接触を避ける自分。
自らが傷つくことを恐れ、人を愛することが出来ない自分。人から愛されない、愛される資格などない自分。
この姉弟はそんな我々の、まさしく象徴なのです。
この作品には世界が自分と共にない悲しみ、人を欲するがゆえに近づけない悲しみが溢れているのです。
ところで、これを読んでいる人の中にはこの姉弟、この悲しみに共感を持たない人もいるかも知れません。
そのような人は、恐らくこの作品を私が述べたような見方で楽しむことはできないでしょう。
しかしこの作品はそれで終わりではありません。
この作品が素晴らしいのは、
これだけのテーマを持ちながらエンターテイメントとしても優れている点にあるのです。
病のために苦しみ、悩む姉弟。彼らは互いに依存するようになり、
徐々に周囲から孤立していきます。そしていよいよ二人暮らしを始める二人。
そこにあるのは果たして安息か、更なる閉塞か― 重苦しく、
それでいて甘美な近親相姦的な妖しさを漂わせた世界は、冬目先生のあまりにも独特な、
しかも圧倒的に美しい絵柄と相まって、まさに圧巻です。
これほどまでに読者を打ちのめす作品は、そうそうあるものではありません。
この人物描写は、私の知る作品の中でも最高級のものだと思うのですが、如何でしょうか。
是非、読んで頂きたい漫画です。
(1998/3筆、2000/12ウェブで公開。2003/2/20最終更新(下に掲載していた追記を削除させて頂きました)。)