新島襄の夢
みなさんは、小さい頃、大きくなったら何になりたいと思っていたでしょうか。どんな夢を描いていたでしょうか。もう、忘れてしまったという人もいるかも知れませんね。そういう人は、お父さん、お母さんに聞いてみてください。きっと覚えておられると思います。わたしの娘はみなさんと同じこの同志社女子中学・高等学校を卒業しましたが、幼稚園に入る前ごろ、大きくなったら、わたしはパパと結婚するんだ、と言っていました。そうかと思うと、おいしいケーキを食べているときには、大きくなったら、ケーキ屋さんになると言い、お友達のバレーを見に行くと、わたしもバレリーナになりたいと言っていました。
わたし自身も、小さいときのことを振り返ってみると、夢がいっぱいありました。電車の運転手からはじまって、飛行機のパイロット、オーケストラの指揮者、時計屋さん、パン屋さん、そのときどきで、ころころ、ころころ変わっていましたが、心のなかはいつもおおきな夢がふくらんでいました。
みなさんも、きっと小さいときには、あれになりたい、これになりたいと思っていたはずです。
でも、中学生から高校生になりますと、夢もだんだんしぼられてきて、はっきりしてくるのではないでしょうか。自分の得意なこと、不得意なことが自分でわかってくるからです。それで、ひょっとしたら、みなさんの中には、もう自分の才能とか、環境などからみて、自分には不可能だと思って、大きな夢をしぼませてしまっている人もいるかもしれません。でも、そんな必要はないのです。そこで、今朝は、そのことについて、みなさんと一緒にしばらく考えてみたいのです。
わたしが中学生になりたての頃のことです。近所のお兄さんから鉱石ラジオの作り方を教えてもらったことがあります。銅線をぐるぐる巻いて、コイルを作り、半田付けをして、レシーバーを接続すると、ラジオ放送が聞こえてくるのです。自分の作ったちいさなラジオから聞こえてくるので、ほんとうに感激しました。それからというもの、中学校も高等学校も放送部に入り、ラジオやオーディオを何台もつくっては壊し、作っては壊し、夢中になって少年時代を過ごしていたのです。それで、高校を卒業したら、工学部へすすみ、卒業後は今のソニーのような会社で、世界をあっと言わせるような製品を開発しようという夢をもっていたのです。
そして高等学校2年のときです。その頃は、まだトランジスターだとか、半導体などはなかったので、真空管ばかりだったのですが、わたしはまだ日本では生産されていなかった、ちいさい小指ぐらいのミニチュア真空管の中古品がアメリカの軍隊から放出されているのを知り、それを買い集めて、お弁当箱ぐらいのラジオを組み立てたのです。そして、ふたを開けるとスイッチが入るようにしておき、友達にラジオの放送を聞かせては自慢していたのです。

ちょうど、その頃のことです。わたしの父は同志社大学神学部を出て、栃木県の宇都宮市でキリスト教会の牧師をしていたのですが、ある日、教会の特別伝道集会に同志社大学神学部の魚木忠一というキリスト教思想の歴史研究をしておられた先生を講師にお招きしたのです。魚木先生は、講演が終わって、わたしの家の茶の間で休んでおられたとき、父におまえの息子は何をしているのかと尋ねられたそうです。そこで、父がじつは息子はラジオ少年で、中学校のときからラジオばかり作っている、英語も勉強しないで、好きなことばかりしていていいもんだろうか。でも、最近、どうやらおもしろいものを作ったりしているようなので、ごらんになりますか、というわけで、わたしが呼ばれ、魚木先生に自慢のポータブルラジオをお見せしたのです。そして、ふたを開けると、音楽が聞こえるでしょう。閉めると聞こえなくなりますよ、とデモンストレーションをしたのです。ふつうでしたら、だれでも、そこで、「すごいね、どうしてこんな小さくつくれたの?」などなどほめてくれるので、わたしは鼻をぴくぴく動かしさえすればよかったのです。ところが、魚木先生は、こう言われたのです。「真也くん、これで神さまの言葉が聞こえますか?」 わたしは、その瞬間、バカにされたと思いました。そして、魚木先生のほうがバカではないかと思ったのです。だって、そんな非科学的な、スピーカーから神さまの言葉なんて聞こえてくるはずはないじゃありませんか。それで、キリスト教を教える同志社大学神学部の先生は、なんと非常識なのだろう、神さまの存在なんて、そんな非科学的なことなんか信じて、人生を送るのはごめんだ、とさえ思ったのです。
そして、それからは、自分の夢を実現するために、英語も勉強しなければ大学へ入れなくなると思い、受験勉強を真剣にはじめたのです。ところが、どうしたことでしょう。「それで、神さまの言葉が聞こえますか」という魚木先生の言葉が、耳元を離れないのです。真剣に勉強していると、その言葉がどこからともなく聞こえてくるのです。それで、考えました。魚木先生は、アメリカでもドイツでも学問を学んでこられた先生なのだから、神さまの言葉がラジオなどから聞こえることはないことをよく知ったうえで、言っておられたのではないか。ひょっとしたら、神さまの言葉を聞くというのは、ラジオのスピーカーから聞こえてくるような声を聞くということとは違う意味なのではないのかな。では、神さまの言葉を人間が聞くというのは、どういうことをいうのだろう、という疑問がわいてきたのです。そして、ついにこの疑問を解くことが人生の根本問題だということに気づき、進路を変更して、魚木先生の教えている同志社へ来る決心をしたのです。

あれから、もう40年以上も過ぎてしまいました。ところで、わたしの夢はどうなってしまったのでしょうか。たしかに、ソニーの技術者にはなれませんでした。でも、不思議なことに、わたしは今、まだあのときの夢を表面的には違ったかたちですが、まだ毎日、毎日見続けています。そしてその夢を見続けていることで、とても充実した気持ちで毎日を過ごしているのです。というのは、今から13年ほどまえ、どうしてもパソコンが欲しくなり、車を買い換えるかわりに、まだ当時はとても高かったパソコンを買ってしまいました。そして、ワープロやデータベースを勉強したのですが、それがわたしの専門の聖書の研究にとても役に立つことになったのです。それで、聖書の研究とコンピュータとを組み合わせながら、学際的な研究をすることができるようになったのです。そして、パソコンがなければ一生の間にできなかったような聖書の研究をしたり、インターネットで共同研究をしたりする夢がどんどん広がっているのです。詳しいことは、インターネットの同志社大学神学部のHPにわたしのHPもリンクしてありますので、興味のある人はみてください。そして電子メールをください。
このように自分自身を振り返ってみますと、若いときから夢を描き、夢を持ち続けることがどんなに大切であるかということに気付かされるのです。また、わたしは神学部で学び、神学部で教えていますと、学生時代に夢を抱き、その夢を見続けることによって、不可能とも思える困難を乗り越え、その夢を遂に実現していく先輩や後輩、卒業生の姿を何人も思い浮かべることができるのです。人間というものは、夢を見続けることを断念した途端、人生の歩みがその段階でとどまってしまうかのようです。神学部は小さな学部ですので、入学してこられる学生さんたちととても親しくなります。そして、どんな夢をもっているか、そして卒業してから、その夢をどんなふうに実現して、人生を歩んでいくのかを、ずっと見守っていくことができるのです。
こうして、いろいろな夢をもった多くの学生さんたちをみてきたのですが、その結果、気がつくことは、大きな夢をしっかりと描き、どうしても実現するのだという強い願いを持って人生を歩んでいく人は、時間はかかりますが、必ずその夢を実現しているということです。途中であきらめた人は、あきらめた段階で、あきらめたときの人間にとどまっているのです。あきらめないで夢を実現しようと努力をしていく人は、年をとってはいきますが、いつかは実現しているのです。これはほんとうに不思議です。人間は、だめだとあきらめた時点で、そこで成長しなくなるようです。
たとえば、アメリカへ留学したい、でも英語が不得意だという学生さんもいます。でも、自分は英語が不得意だからということで、あきらめてしまったら、そこで終わりです。大学を卒業して、何年たっても、アメリカで日本ではできない勉強をしてみたいと思って、大きな夢を描き、こつこつと勉強していくことで、自己実現を遂げることのできた人もいます。親が反対するからとか、お金がないからとか、何か夢を実現しようとするときには、だれでも必ず困難な条件にぶつかるものです。でも、そこであきらめるか、あきらめないか、いつかは実現するために、いろいろ柔軟に工夫したり、時を待ったりして、夢を見続ける人は必ずといっていいほど、実現しているのです。
だれがみても不可能だ、と思えること、それを実現させていくエネルギーのみなもとが、じつは夢なのです。
今日は新島襄の永眠記念日です。わたしは日頃からできるだけ新島襄先生と言わないことを心がけています。決して尊敬していないからではありません。どうか誤解しないでください。その理由は、新島襄自身が自分のことを「先生」と呼ばないでほしいと願っていたからです。どうしてでしょうか。それは聖書のマタイによる福音書23章8節に「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」というキリストの教えがあり、それを大切にされていたからです。わたしも、つい新島襄先生と言ってしまいそうになったり、「先生」と呼ばれて、ハイと返事をしたりしますが、そのたびに、心の中で済みませんと、じつはあやまることにしているのです。
その新島襄ですが、ほんとうに大きな夢をもって人生を歩まれた方でありました。伝記を読んでみますと、少年時代からずっと夢を見ていたし、見続けていたことがわかります。そして家族やまわりの人たちから見ると、なかなか強情なところさえあったようです。しかしそれほどの強さがあったからこそ、少年時代や青年時代だけでなく、生涯にわたって夢を見続けていくことができたのではないかと思うのです。
みなさんは、新島襄の名前は、生まれたときなんという名前だったか、きっと中1のときに習われたことでしょう。シメタですね。4人、女の子が続いて生まれたあとだったので、こんどは男の子だということを聞いたおじいさんが、シメタ、シメタと手をうって喜んだということ、しかも1月14日で、まだしめ縄をはった正月の間だったということで、七五三太と名付けられたというのです。
では、いつから、ジョーになったのでしょうか。それもご存じですね。そうです。国禁を犯して、国を脱出し、アメリカへ向かうワイルド・ローバー号に乗って、テイラー船長のもとでボーイとなったとき、テイラー船長がつけてくれたのです。
このジョーという名前は、英語のジョセフの愛称です。そして、ジョセフというのは、もともと旧約聖書の創世記37章以下に出てくるヨセフのことなのです。テイラー船長は、新島が祖国のためにアメリカにわたって勉強しようという固い決心を知り、またこれから新島を待ち受けているであろう厳しい将来を想い、創世記のヨセフのように、新島の夢が幾多の困難と苦難を越えて実現されることを願って、ジョセフと名付けたのでしょう。またテイラー船長から新島を託された船主のハーディも、ジョセフと名付けられた新島の密航理由書を読んだとき、すぐにヨセフの生涯と重ね合わせて新島の将来のことを想い、生涯にわたって援助しようと決心したのでしょう。

ヨセフ物語は創世記37章から始まるのですが、その初めの部分に、先程読んでいただきましたように、ヨセフが十七歳の時に夢を見たということが書かれています。ヨセフは自分の将来についての夢を見たというのです。でも、これは何とまあ、生意気なと思うような夢ですね。「私はこんな夢を見ました。畑で私たちが束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、私の束にひれ伏しました」(創世記37・6−7)。自分が王さまになって、兄さんたちが皆ひれ伏して自分を拝むようになるというのですから、生意気です。しかもそれを兄さんたちに誇らしげに言っている。これを聞いたヨセフの兄さんたちは、「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか」と言って、ヨセフのことを憎むようになったというのです。
しかし、それだけではありません。ヨセフはそれにつづいて、「私はまた夢を見ました。太陽と月と十一の星が私にひれ伏しているのです」と、今度は兄さんたちばかりでなく、お父さんにも話したのです。兄さんたちにいちど憎まれたら、もう黙っていればいいのに、ヨセフはまた見た夢を兄さんたちに話し、さらにお父さんにも話し、その結果兄さんたちの反感をますます買ってしまいます。
そしてある日のこと、兄さんたちが羊を飼っているところへお父さんの使いで行ったところ、兄さんたちは向こうからやってくるヨセフを見て、「おい、向うから例の夢見るお方がやってくる。さあ、今だ。あれを殺して、穴のなかに投げ込もう。あとは野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう」と言って、ヨセフをつかまえ、ほら穴に投げ込み、結局のところ、ヨセフはエジプトに売り飛ばされ、奴隷となってしまうのです。そして無実の罪で牢屋に入れられたりして苦しむのですが、やがて牢屋の中で人の夢を解いたり、さらにはファラオが見た不思議な夢を解いたりして、エジプトの(総理)大臣になり、エジプトを飢饉から救うのです。そこへ兄さんたちが飢饉のためにカナンからエジプトへ買い出しにやってきて、ヨセフとは気づかずにヨセフの前にひれ伏します。ヨセフは自分を憎んで殺そうとした兄さんたちに自分の身を明かすかどうか苦しむのですが、結局は兄さんたちを赦して仲直りをする、そういう非常にドラマティックな物語が、このあと続くのです。

ところで、この物語はいったい何をわたしたちに言いたいのでしょうか。聖書の物語は、決してひとつのメッセージだけを言おうとしているのではないので、読む人によって、読む時によって、意味の色合いがカラフルになるのです。ですから、皆さんも自分でいろいろ思いめぐらしながら、読んでください。
たとえば、夢というものは、不思議な神のお告げなのだと考える宗教的な人もいるでしょう。夢はその人の生き方を暗示することがあるという意味だと心理学的に受け止める人もいるでしょう。あるいはまた、この夢は物語の上ではヨセフが夜見た夢だけれども、ほんとうはヨセフが人生の未来について描いていた夢のことであると考え、そういう夢をもつとき、その人は周囲の人びとと不適合を起こすものだということを言おうとしているのだと解釈する人もいるでしょう。私たちが実際に夜眠っているときに見る夢だけではなく、人生をどう生きてゆくか、どう生きていきたいのか、というときの夢ですね。そういう人生の未来の夢を強く持つと、そのことによってまわりの人たちと不適合を起こすものです。両親やまわりの大人たちから、「そんな無茶なことはやめときなさい」と言われて、トラブルを経験した人もきっといるでしょう。しかしそのような不適合な状態を、ヨセフのお父さんは「心に留めた」と書いてあります(創世記37・11)。ここには、子供が人生の夢を見て、まわりの人びととの間にトラブルを引き起こすようなことがあっても、親は長い目であたたかく見守っていくことが大切なのだという教えが含まれていると、読む人もいるでしょう。
旧約聖書は、いろんなふうに解釈して読み取ることができるように、長い年月をかけて書かれているものですから、こういう教えが含まれていても不思議ではないのですが、ともかくヨセフは「夢見るお方」とからかわれるほど、夢を見た。しかもだいそれた夢を見たわけです。十七歳と言えば、皆さんの中にもいらっしゃると思いますが、そういう年頃なのかも知れませんね。ですから、みなさんもきっと大きな素晴らしい夢をもっていらっしゃるにちがいないと思いますけれども、親や大人から見ますと、無謀だなと思われるような夢なのかもしれませんね。
そして大人たちは、「そんなのは夢物語だ」、「夢にすぎない」、こういうふうにいいます。大人はこう言って、常にいわゆる「現実」なるものに目覚めていることが大切だと思っています。でも、ほんとうにそれでいいのだろうか。私たちがもし夢を見ることがなくなり、夢を託す事柄がなくなったり、夢を託す人がいなくなったりしたら、いったい人生というものは、そして世界の未来はいったいどうなるでしょうか。
新島襄は、アメリカでアーモスト大学を出たあと、さらにアンドーバー・ニュートン神学校で、聖書を学びました。聖書をとおして、ほんとうの自由について、ほんとうに大切な愛について学びました。人間には神さまから自由に生きてよい人生を与えられていること、そしてその自由を神様のみこころである愛にむけて生かしていくことが大切であることを学んだのです。そして、この大切な教えを日本に広めるために、自分の一生を捧げようという夢をしっかりと見つめることができるようになっていったのです。
神様のみこころにかなった夢は、他の人にもその夢を抱かせ、その夢を共有する輪を広げていくものです。新島襄は、勉学を終えて牧師となり、日本に帰る直前、バーモント州のラットランドにあるグレース教会で開かれたアメリカンボードの大会で、別れのあいさつをしました。そのとき、日本にキリスト教主義の大学を創るという大きな夢について語り、そのための基金を与えられるまでは、ここを動きませんと訴えたのです。その訴えにに感動した人々は、わたしは1000ドル、わたしも100ドルと次々に献金することを申し出てて、その場で5000ドルも集まったのです。そこにいた、一人の農夫は帰りの汽車賃の2ドルを献金として差しだし、歩いて帰ったということも伝えられています。この貧しい農夫は、新島襄の夢を2ドルで共有し、夢の実現のために参加することができたのではないでしょうか。
新島襄は1890年1月5日、亡くなる少し前に、大磯で最後の英文の手紙を書いています。誰に宛てて書いたのか、今では不明なのですが、この手紙はこういう言葉で始まっています。「十五年前に私はキリスト教主義の大学を建てようという白日夢(a day-dream)を心に抱きました」(J・D・デイヴィス著 北垣宗治訳『新島襄の生涯』 同志社校友会 一九七五年 四十五頁)。
今から120年も前の時代の日本です。まだキリスト教に対する迫害や偏見が残っていたときです。そのようなときに、キリスト教主義の大学を設立することは、ほんとうに「夢」以外のなにものでもなかったのです。不可能と思われるほど、困難なことでした。でも、新島は何年先でもいい、とにかく具体的なアクションをとりはじめなければ、と思い立ち、その夢が神様から与えられた自分の使命であると受け止め、たった一人で行動を開始したのです。そしてその夢に感動した人たちが献金を捧げ、同志となり、同志社英学校がスタートしたのです。
もし、新島襄がこの夢を見なかったらどうでしょうか。見続けなかったらどうでしょうか。もちろん、同志社は存在しないし、明治以降の日本の近代化の歴史も、日本の学校や教育の歴史もすっかり変わったものになっていたはずです。同志社で新島によって教育を受けた人々、いや新島の夢によって揺り動かされた人々が、全国各地に散って行き、活躍したわけですが、そのような同志社の卒業生の方々の働きを歴史をとおして知れば知るほど、新島の抱いた夢がどんなに素晴らしいものであったかということを、みなさんもきっと驚くにちがいありません。

ですから、若い皆さんは、どうか自分の人生の夢をしっかりと描いてほしいのです。夢だから、自由に描いてよいのです。夢は自由な自分を育てあげていくためのかけがえのないエネルギーなのです。不可能だ、困難だ、と今あきらめてはいけません。あきらめることは、もっと年をとってから、いつでもできることです。
ただ、どんなに自由だと言っても、悪魔のささやきのような夢に心を占領されてはいけません。エゴ丸だしの夢は、たとえ実現したとしても、自分で悲しくなり、寂しくなるだけだからです。そうではなく、あなたが今、命を与えられて生かされていることの深い意味、それを聖書は神の愛と呼び、新島襄は「見えざるみ手の導き」と呼んだのですが、その深い意味がいつかはわかるようになることを信じて、夢を自由に描いてください。
というのは、ヨセフも最初はわからなかったのですが、創世記の最後のところ、50章16節以下のところで、ヨセフを憎んだ兄たちを赦しながら、こう言っているからです。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださった」のです。
最初は憎しみやねたみが渦巻いていましたが、神はそれを赦しと愛へと変えるために、ヨセフの夢を実現してくださったのです。私たちの見る夢も、もしそれが単なる自分だけの欲望を映し出しただけに終わらないものであれば、たとえ現実で一時は不適合な反応を引き起こすとしても、それを超えて、より大きな次元で夢が現実となって、より大きな結果がもたらされることがあるのです。
自分という存在から生じるエゴの夢を悪魔と結びつけて、エゴを拡大し、憎しみやねたみを拡大していくか、それとも神の愛と結びつけて、エゴを薄めて、とかして、神の愛の世界を実現していくか、2つの人生の道があなたがたの前にはあるのです。
このヨセフは、イエスキリストを前もって象徴的に指し示しているモデルだと言われていますが、聖書は全体として、じつはイエスキリストの夢を語っているのです。福音書を読みますと、イエスは「神の国」の夢を見ておられたことがわかります。そして、現実主義者との間で不適合を起こし、憎まれ、十字架につけられるほど誤解されたのです。でも、神の国の夢は、弟子たちによって語り伝えられ、夢から現実になっていくことが多くの人々に経験されるようになっていったのです。
みなさんは、今いったいどんな夢を見ているでしょうか。あるいはこれからどんな夢を見ていくのでしょうか。日本は現在、国際化の時代を迎えて非常に大きな問題をいくつもかかえておりますけれども、むかし新島襄が見たような夢を見る人が、皆さんの中から、同志社の中からぜひ出てほしいと思います。そのためには、まずいろいろな夢を自由に見ていくことが大切ですが、私は皆さんに何よりもまず「神の国」の夢をイエス・キリストとともに見ていただきたいと思うのです。それは結局のところ、そこに、つまり神の国にこそ、新島襄が描きたかった夢の最後のものであったからです。
今、たとえどんなに不可能である、むずかしいと思える夢であっても、だからこそ、夢を描くことが大切なのです。きっと最後には神さまがあなたの夢を、神さまの目的にかなうようにお用いくださることを信じて、どうかあなたの夢を大切にしてほしいと思います。
