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 豊中市議会議員団の日々の活動を紹介しております。
 (2011.06.08)

宮城県女川町と連帯して−高野博女川町会議員に宣伝カーを寄贈に行ってきました/出口議員の救援レポート

 出口文子議員は5月21日〜23日、宮城県女川町の高野博議員に宣伝カーを寄贈するため、届けに行きました。地元、服部後援会のみなさんらから寄せられたお米120sや野菜、下着、ペーパー類など250s以上の物資も積み、募金や寄せ書きも届けました。被災地の現状をレポートしてもらいました。
◆女川町に入り驚愕の状況
 女川町に入り、あまりの状況に目を疑いました。海岸から山に向かって谷筋になっており、そこに民家や建物がたてられていました。しかし、私たちが目にした光景は、津波で、一部の鉄筋の建物は原形を留めていましたが、その他の建物は一切残っていない状況でした。
 道路を挟んで右側に民家が見えます。この民家は、津波の影響は1階部分で見られるが、2階はそのまま残っており、現在も生活されています。
 その後、標高20bほどの高台へ移動。この高台には女川町立病院が建っていました。
 女川町立病院も標高20bほどの高台にありましたが、津波の影響で1階部分は浸水。今は、2階以上で診療などを行っています。一部分だけでも病院が使えて、本当によかったと思いました。
 この病院も町長の提案で民間委託を計画していたが、この津波後に全国からの反対運動で民間委託を中止することになったそうです。
◆避難所に案内され
 町立病院をさらに上ると第1・2体育館と野球場・サッカーコートなどよく整備された体育施設がありました。高野町議に聞くと東北電力が女川原発の見返りに建設した施設だそうです。いまは、第1体育館は避難所として使われています。震災直近は3000人もの避難者がいたようですが、現在は1800人になっています。それでも、1人1畳のスペースしかなく、今も窮屈な状態が続いています。
◆女川の現状
 高野町議のお宅もこの付近にあったと聞きました。昼過ぎの津波で高野町議のご家族が助かったのは、これを見ると奇跡としか言いようがありません。
 女川町の現状は、見れば見るほど厳しさを感じました。でも、生活再建や復興に向けて、一方では、町議会が再開され、議員も、県や国に住民の要望を届けて奮闘されていた姿にもふれ、希望の光を見た思いもしました。
◆震災・救援(石巻)対策センター
 震災・救援(石巻)対策センター(東部地区委員会)は、この震災で1.2mほどの浸水のため、仮事務所として年内借りています。
 事務所は2階建てで30畳ほどの広さで、2階は物資置き場と東京・神奈川からの支援者の方々の寝泊まりに使われています。
 事務所に張っていた石巻市内の冠水した部分を表している地図で、中心部の一部を除き、市内全域が冠水している状況が一目でわかります。「津波はここまで浸水しました」の張り紙。1.2bほどの浸水があったことが伺えます。
 震災・救援(石巻)対策センター(東部地区委員会)に帰って、何かお手伝いできないかと対策センターに再度伺いました。
 忙しくされていましたが、東京から支援にこられていた日本共産党東京都副委員長や神奈川の支援の方と、昼食をいただきながら、懇談をしました。
 つづいて、石巻の状況も見ることとしました。
◆石巻港付近
 石巻市立門脇小学校は津波の被害を受け、火災も発生したため焼けて黒くなっています。石巻港付近もひどい状態です。
テレビでも映される看板「がんばろう!石巻」。雨も降り出してきたので、車内からの撮影しました。まるでゴーストタウンを走行しているようです。傾いたお宅をみると本当につらい思いでした。
(「こんにちは山本正美 出口文子です」6月7日号)



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