オ ー ケ ス ト ラ に つ い て

東京都交響楽団のご紹介

東京都交響楽団は、東京オリンピックを記念して、その翌年の昭和40年2月に創設され、今年で37年目を迎えました。この間、社会や経済の大きな変動の中で、数々の試練に直面しましたが、常に前を見つめて「都響」という愛称のもと、今や日本のビッグ・メジャーオーケストラとして成長してまいりました。

海外演奏旅行も当時のソ連、東西ドイツ、チェコスロバキア、フランス、イギリス、ポーランド、アメリカ、ユーゴスラビア、ルーマニア、ベルギー、ハンガリー、中国、韓国、フィンランドなど各国45都市をまわり、世界的なオーケストラとしての実績を積み重ねてきた。

世界の著名な指揮者から薫陶を受け、ドイツ音楽、フランス音楽はもちろんのこと、フレキシブルに反応できるオーケストラとして内外から称賛を受けてきている。

過去、マルケヴィッチ、ベルグルンド、コシュラー、ペンデレッキ、フルネ、ペーター・マーク、ケーゲル、フィッシャー、エッシェンバッハ、インバル、フェドセーエフ、ネヴィル・マリナーなど世界第一級の指揮者と共演し、現在は巨匠ガリー・ベルティーニが音楽監督にあたる。CD録音の発売も多様を極め、マーラー全集、武満徹、朝比奈隆とのブルックナー作品やシューベルトのグレイトなど人気を誇っている。 現在、完全4管編成、楽員数105名。

愛する都響の今
ご存知のとおり、ここ何年も東京都は未曾有の財政難でした。都響も当然のように大幅な補助金カットという辛い試練に遭っています。

一時は都響廃止の方向さえ検討されました。しかし、一朝一夕ではつくれない貴重な文化団体を残すということで存続が決まりました。

想像を超えるきびしい年収のカットがあり、コンサート数の増加もともないます。そんな中で質は絶対落とさず、この苦難を乗り越えていこうと楽員たちはがんばっています。

都響ファンの方々のご理解と励ましがなによりも必要な時であります。 私のいのちであった都響をどうぞご支援くださいますようお願いします。




興味ありませんか、指揮者と楽員との関係

まず憲法第1条(?)的に言うなら、指揮者は楽曲の指揮をし、楽員はその指揮のも と演奏をする、ということになるのですが。 折りに振れてこんな質問を受けます。オーケストラの人より、指揮者の方が偉いので すか、と。指揮者は指揮者になるための勉強をし、楽員は演奏者になるための勉強を 続けてきた。

それはヴァイオリンであり、チェロであり、ホルンであり…。指令を出しているのは 指揮者だから、そう見えなくもない。

音楽家たるもの、その職分職分でおのずと仕事上の割り振りを理解しています。 ベテランの楽員が、息子のような若い指揮者から注文を受けても、そこには憲法第1 条があるから「Yes!」と聞く。「Bからテンポをあげていきますので、よろしく お願いします」と言われれば、指定された箇所からテンポアップの対応を試みる。

指揮者がプロの音楽家なら、楽員もプロの演奏家なわけで、会社でいうところの上下 関係は存在しませんし、職務命令もありません。あくまでも、職分上。 ときにこの両者には火花激しい葛藤が発生する。良識の範囲で音楽が進行しているな ら ほとんど起こらない。あきらかに「ノーマルさ」が崩れた時、失われた時に訪れる (!)。

憲法第一条の条項を十分知りつつも、いくらなんでも「おい、こんな音楽あるかよ」 となった場合は黙ってはいられない。入団したての楽員は見守るだけだが、ベテラン の楽員は強くクレームを発する。指揮法そのものについても言及する。

その根っこに、お互いに「いい音楽」をしたいという原点があるから。 オケの力量より指揮者の音楽性がはるかに上回る時、リハは従順に粛々と進む! 指揮者の「指揮力」というのは、棒をおろしてから1分という時間も必要としないで わかるものです。

曲の把握力、楽員の統率力、指揮そのもののちからなど、全部が何 十秒かに凝縮されて表れます。もっている音楽性はすごいのに棒で表現しきれぬひ と、だからリハを止めては言葉での注文の繰り返し。われわれの世界には「しゃべり すぎる指揮者はよくない指揮者」の格言があります。誰が言ったのか知りませんが、 多分ヨーロッパから輸入(!)されたものでしょう。

楽員のいちばん嫌いなもの、そ れは指揮者のしゃべりすぎ。…あー、なんで指揮棒でものを言わないのかなー、とい つも思います。 音楽性もなく、よくしゃべる…これなど論外。

私たちは指揮を見るプロです。オーケストラというなかで演奏活動をするなら、それ と同じ時間指揮を見ているわけですから。 長さ40センチほどの指揮棒が上からおろされます、横に動きます、下からあがりま す.…。

そこには想像を絶する奥の深い世界があります。

CDに合わせて棒振りの練習をしてきて、うん、それでも指揮出来ますよ。 まちがいなく曲は開始され、そこそこ演奏も進むと思う。指揮はしたんだけど、指揮 してない!棒の一振り一振りにぎっしり音楽の栄養が詰まってる、それが指揮。


プロとしての根性を叩きこんでくれた師匠

都響の初代音楽監督は森正先生(森正氏とは私には言えない)でした。それは都響ができて3年目の春で、この方は私にとっての音楽上の師匠でした。

当時音大卒業して数年、まだ世間知らずで甘い考えの私は徹底的にしぼられました。 することなすことプロとしてなってないと言われ続けた。

いつも指揮者室に呼ばれ、なぜミスするのか、どんな私生活を送っているのか、俺の胸中はお前に給料払いたくないよ、などなど。演奏中ミスでもしようものなら、コンサートが終わるまで睨まれていました。

フルーティストとしても余りにも有名な人であり、都響のフルート奏者は大変だったと思いました。耳の鋭い方で、どんな速いパッセージでも全部聞きとっていて、すこしの気の緩みも許されない怖い人でした。先生のおかげでオーケストラの楽員としての厳しさとか、もたなくてはならない心構えのABCが身についた気がする。のちに私の仲人もしていただいた。

晩年、成長した都響を振りにこられた時「ハイ結構、どうもありがとう」って言われて。 そういう言葉など昔は皆無だったし、森先生の口から決して発せられない言葉だと思っていたから、なんだか寂しかった。弟子というものは勝手なものですね。怖い反面、叱咤されることを期待もしている。昭和62年春、65歳の若さで急逝。



高圧電流を流させた人

ステージで演奏中、鳥肌が立つとか全身に電流が流れるほどの感動というのはそうあるものではありません。都響での37年の演奏生活において真っ先に思い出させる曲、それはR,シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」、指揮者は敬愛してやまないズデニェック・コシュラーでした。

それはこの曲のはじまりで低音の長く繋留する音楽のなかで、例の有名な断片が出てくる時すでに、演奏するものにとっても聞くものにとっても全身を鷲づかみされるが如くクライマックスに誘い込み、胸が締め付けられ身震いするような一瞬でした。鳥肌とか電流を超えて、演奏しながら涙がとまらなかったのを今でも鮮明に思い出します。

マエストロ、コシュラーは当時のチェコスロバキアの指揮者で、チェコ・フィルとブラティスラヴァのオペラで指揮をしていました。共産圏のチェコスロバキアはソ連と同様、指揮者の海外での活動を規制していて、稼いだ外貨もほとんど国に持っていかれるという、ある種見るものの涙を誘うきびしい状況の中で、幾度となく都響を指揮するために来日してくれた。

彼が共産圏ではなく西側の指揮者であったなら、活動の場もマスコミの取り上げ方も違って、あのカラヤンをも凌駕していたであろうと言われていました。

全身が音楽をしていて、音符に命を吹き込むすごい指揮者でした。5年前癌に冒され、指揮者としてこれからという67歳で亡くなりました。

1
私のアルバムにたった1枚残っていた
マエストロ,コシュラーとのスナップ写真。




◎ 都響のコンサートスケジュールは都響ホームページをご覧ください。

都響ホームページは http://www.tmso.or.jp です


▲TOP
INDEX