ユニバー2004を終えて
西尾信寛
2度目のユニバーが終わりました。今回は結果を残すことを目標に2年間かけて準備してきました。果たして積み重ねてきた練習の成果は発揮できたのか、振り返りつつ書いてみたいと思います。なお、この文章は京大OLC発行の部誌、ペナルティに寄稿した文章を一部改編したものです。内容が同じ部分がありますが、悪しからず。
2年前、4回生の夏にブルガリアで開催されたユニバーに参加してきました。当時体力が全くなかった自分は目標とする大会に向けて準備するとはどういうことか、というのがわかっていませんでした。セレクションに通過してからただただがむしゃらに練習をし、4ヶ月かけて若干改善できたかな、くらいのものでした。しかしオリエンテーリングのリズム感と体のバランスがちぐはぐで結果は散々なものになりました。このことから、次のユニバーまで2年間できっちり納得のいく準備をしてセレクションに通過し、本戦に備えられるよう努力しようと決意しました。
この2年間は長いようで短かったです。初めてのインカレ後から3回生のインカレ、あるいは2回生のインカレ後から4回生のインカレを想像してみてください。継続して練習を続けるのは難しいかもしれません。僕の場合は溜めに溜めていた単位、院試、卒論との格闘が必要でした。2004年を迎えてからは丸々練習できない月もありました。しかし、何としてもたどり着きたい目標、ユニバーにもう一度出て結果を残して帰ってくる、という目標がありました。それは僕にとってインカレで優勝するのと同等以上の魅力的なもので、誰にも譲りたくない、のどから手が出るほど欲しい代物だったのです。
2年前(4回生)の夏から定期的に合宿に出て外からの刺激を吸収するようにしました。これは自分のモチベーション維持と現状把握が目的でした。合宿の様々なメニューの中で、ミスをしてもトータルの結果が速い、ということは現状では高いレベルにいる、ということの確認になります。反対にミスをしていないのに自分よりトータルで速い人が何人もいる、という場合はその人たちより何かが劣っている、ということですからその部分を考察して改善し、自分のスキルに取り入れていくことができる、ということです。合宿に出るメリットはこういったサンプルデータを集めやすく、自分を客観評価しやすいということにあります。
また、純粋に結果を求めることも大切です。この2年間、ある期間を設定して定量的把握のためのレースを設定してきました。愛知インカレクラシック、2003年サンスーシ大会(世界選手権セレクション)、院試を挟んで2ヵ月後の東日本大会(全日本エリートセレクション)、下山大会(NTメンバーセレクション)、2004年に入って早大OC大会(卒論提出直前、ユニバーセレ2ヶ月前)、全日本大会(ユニバーセレ2週間前)などです。サンスーシと東日本ではエリートクラスでともに8位、7位という成績を残すことができ、オリエンテーリングのリズム感がテンポの良いものになったために良い成績が出たことを意味していました。レース直前の準備も含めてベストの状態であれば日本ではある程度の位置にいけるようになったことが分かり、世界ではどの程度までいけそうなのかを過去のユニバー報告書などを参考に考えてみました。しかし、エリートのトップ選手と比べて巡行速度で数パーセント遅いため、フラットなテレインでスピードのあるナヴィゲーションをするには技術的にも体力的にもう少しレベルアップを図る必要があると常々考えて練習を続けました。オリエンテーリングはオリエンテーリングをたくさんやらないと速くならないので、できるだけナヴィゲーションに意識を向けた練習を山の中で行うようにしました。
以上のような経過を経てユニバーセレクションに臨みました。当日は緊張のあまり足が非常に重く、走ることさえ億劫でしたがそれまでの積み重ねを自信にほぼベストに近い内容のレースで2位通過し、代表権を得ました。
しかし、セレクションは通過点に過ぎません。舞台に上がるのはその先の話です。ここから先はチーム作りが重要になってきます。僕たちは何人もの同志とともにユニバー2004に向けてセレクションの1年以上前からチーム作りをしてきていました。チェコはどんなテレインか、入賞を目指すには自分たちに何が必要か、一人一人ができることとみんなでできることは何があるだろうか、とMLを作って議論し合い、大きな大会のたびに集まって高橋さんや松澤さんにも輪に加わってもらい、ミーティングを開きました。そのすべてがうまくいったかどうかは分かりません。しかし、少なくとも目標を同じくする仲間がたくさんいたというのは目標の存在を常に意識しつづける効果をもたらし、モチベーションの維持になったと同時に、個人競技であるが故のチームプレーの重要さを確認することができました。時には激しく議論したこともあったし、そうかと思えば他愛もないバカ話になったこともありました。今懐かしく思い出します。こういう課程は団体戦を作っていく上で非常に重要であると思います。
セレクションが終わってからは毎週のように強化合宿がありました。夜にはチームメンバーと顔をつき合わせ、団体戦で結果を残すという目標に向けての話をたくさんしました。短期間のうちに何回もメンバーと顔を合わせてレースやら練習やら議論やら歓談やらをして非常に楽しい合宿でした。メンバー間でお互いに相手を尊敬し、信じることができた、つまりチームとして心地よい一体感があったと思います。特に、男子は男子、女子は女子で輪を作るのではなく、リレーの走順の話以外はすべて男女一緒に対策を練ったり地図読みをしたりしたのも大きな効果をもたらしたと思います。こうした合宿を通して日本チームの形が出来上がっていきました。
さて、いよいよユニバー本番の話をします。報告書に書く内容と重複しますので、こっちにはこぼれ話でも。
とにかくチェコは涼しかった。毎日朝は爽やかで寒いくらいの気温でした。宿舎は大学の寮で10階建て。日本チームは最上階に泊まることになりました。窓からは滞在していたピルゼンの街が一望でき、なかなか素晴らしいロケーションでした。空は青く広いし気候は涼しくて爽やか。蒸し暑くてじめじめした日本にいたことなどうそのような感じがしました。
食事は宿から少し離れた建物まで毎回歩いて食べにいきました。日本チームは赤白黒でかなり目立つので、食事に行く途中で通る大きな道路を横切るときにトラムや車の中の人たちの視線が瞬間自分たちのほうに向くのがわかりました。そもそも東洋人自体が彼らにはめずらしいのでしょう。ピルゼンにはプラハのように中国人や韓国人や日本人の集団はおらず、東洋人はほとんど我々のみでした。料理はシンプルで質素なものでした。かなりの薄味でヘルシーなものが多く、バランスが良かったように思います。味つけはまあまあ。しかし、野菜が少なかったので宿の近くのスーパーで野菜ジュースを調達して毎日飲んでいました。
また、僕たちが行った時はちょうどEURO2004の真っ最中で、いろんな国の選手とテレビにかじりついて観戦しました。特にミドルの前夜にあったイングランド対ポルトガル戦はすごかった。延長戦でルイコスタのシュートが決まったときにみんなそれぞれの国の言葉ですげ〜!を連発し、直後にイングランドが追いついたときもものすごいどよめきになりました。PK戦まで食い入るように見てしまいました。
このようにいろんな国の選手が集まると自然に交流もあるわけで、英語でしゃべりました。僕は4年前のJWOCのときに知り合いになったスロベニアのアンドラッシュと4年ぶりの再会を果たし、レースについていろいろ話したり一緒にビールを飲んだりしました。たまたま乗り合わせたエレベータでしゃべったノルウェーのスティグとは、その後一緒に食事をしたりリレーのルート検討をしたりしました。英語でしゃべるというのはなかなか難しく、普段英会話などする場面のない僕は構えてしまっていたのですが、そんな必要は全然なく、片言の英語でも彼らは聞いてくれるし何とか伝えようと努力をすれば案外簡単に意思は伝わるものです。こちらからアプローチするのも重要で、それができれば世界チャンプと友達になることも容易なことなのです。きっと彼らは受け入れてくれます。そして、もっと世界が広がります。
肝心のレースはミドルで75点くらいの走りができた以外はロングもリレーも自分の思い描いていたようなパフォーマンスができずに終わりました。チェコの森は松林で地面がやや固く、平らなところはかなり遠くまで見通すことができます。当然ナヴィゲーションスピードも上がりますし、Rough&Fineの切り替えが大変重要になります。また藪の表記は木の枝の張り出し具合により区別されていて、Cベタ表記でも枝を払わなければならないだけで比較的簡単に突っ切ることができ、まっすぐ行くのが実は速いというルート選択が要求されました。あとは走れ走れ区間をクリアした最後のアタックで背丈以上もある大きな岩がごろごろしている岩石群に突っ込まされて岩の裏とかにコントロールがあるレッグがたくさんあり、やたらと僕のことを気に入ってくれていたスイスオフィシャルのウルさんも選手たちはかなりてこずった、と教えてくれました。日本人に限らずどこの国の選手も細かい部分ではスピードを落とさざるを得ず、苦戦していたようです。僕は岩にはそんなにてこずらなかったのですが、先に書いたまったいらな部分でのナヴィゲーションで細かいミスを連発してタイムロスを大きくしてしまいました。日本では地形を使えるので方向感覚への意識は少なくても良いですが、ヨーロッパののっぺりしたテレインではナヴィゲーションへの意識をより高く持つことが重要であると再認識しました。やはりオリエンテーリングは脱出の連続をつないでいくスポーツです。もっと練習してうまくなればナヴィゲーション能力も上げられるはずだと思います。
JWOCや前回のユニバーではなんでやつらはこんなに自分より速いんか?という思いばかりが先行しましたが、今回はウクライナの選手と併走してみてそれがある程度わかりました。何もついて行けないことはないのです。利用しようと思えば比較的簡単に併走できました。巡行スピードも上がったので、明らかに利用したほうがお得でした。では何が違うのか。まずは根本的なスピードの違い。これは走る速さではなく、オリエンテーリングスピードのことです。脱出から脱出へのリズムに無駄がないのです。次何が出てきて自分はそこをどのように行くべきかというのがより広い視野で見えていて、現地と地図とのコンタクトを100%に近いレベルで行っています。僕たちが止まってしまうのは次に何が出てきてどう行くべきかをわかっていないからです。それがちょっと速いやつらはちょっとだけうまいわけです。これは練習すればきっとうまくなれるはずです。たぶんパークOで鍛えるとうまくなることでしょう。
あと、高さ感覚と距離感も重要です。ひとつだけついていけなかった場面があって、とらえどころが何もない斜面を100メートルほど下って斜面上の倒木の根っこの裏側にアタックするというのがあったのですが、ウクライナ君はアタックポイントである道の分岐から一瞬コンパスを見てまっすぐにすごいスピードで下っていきました。それオーバーランするんちゃうん、と思って眼で追いながらついていったのですが、ぴったり目的地に到達しました。そこだけショックでした。地形を見れば高さや距離がわかる日本だったら別にたいしたことないスピードでしたが、ここはあきらかに負けていました。あとは直進レッグで僕がはずしたり彼がはずしたりしてゴールまでパックだったのですが、別にそんなに差はないように思えました。自分に足りないのはもうちょっとナヴィゲーションがうまくなることだと感じました。それが向上すれば、もっともっと上にいけると思います。
何はともあれレースははあっという間に終わり、バンケット(後夜祭)でビールをたらふく飲んで汗だくになって踊りまくってユニバーは幕を閉じました。2年間の準備は果たして正しかったのか、間違っていたのか、もし間違っている点があったとしたらそれはどのように改善して次のステップで実践していくのか。その辺は報告書に書こうと思います。
ここまで書き進めてきましたが、ほとんどペナルティに載せたそのままの文章なので、もう少し書いてみようと思います。結果はごらんのとおり評価できるものではありませんでした。ミドルの自分の走りはまずまずだったとは言え、全体の3分の2にやっと引っかかる程度のものですし、オリエンテーリングのスピードもやはり段違いに差がありました。体力的にはあまり負けていないと思うのですが、ポスト周りやラインの乗り換え、目の前の景色が変わった瞬間などでナヴィゲーション能力に大きな差があるのです。これは練習して上達するしかありません。オリエンテーリングはナヴィゲーション中の自信の度合いでスピードが変化してきます。100%の現在地把握ができていれば限界のスピードで走ってもいいわけです。ポストがどこにあるかわかっているのですから。限界スピードで走れないのは自分が今いる場所に対しての認識が甘く、自信がないからです。この課題はオリエンテーリングの究極の課題です。誰でもミスをします。世界チャンピオンも100%のナヴィゲーションができずにツボることがある。ルートミスもする。我々日本オリエンティアは足の速さに目が行きがちですが、それは結局みんなナヴィがへたくそでリロケートで爆走できたほうがお得という思い込みをしているだけの違いです。オリエンティアが足速いのはあたりまえの話であるべきなのです。まだまだレベルの低い話ですね。だから、世界で戦って結果を残そうと思えば単純に足が速くなるだけではだめで、さらにその上に考えて実践して失敗して、という積み重ねが必要です。本当に必要なのは「走るトレーニング」ではなく「高速ナヴィの練習」なのです。トレーニングは何も考えなくても走っていればいいだけです。練習は頭を使って考えなくてはなりません。
・・・長々と書いてしまいました。本当は誌面では書ききれないほど今後の自分や日本のオリエンテーリング界や学生のみなさんに伝えるべきことがあるのですが、今回はこのあたりでとどめておこうと思います。
JWOCと2度のユニバーを通して得た経験や教訓は僕の人生の財産となりました。これからも機会のある限り何度でも世界の舞台に挑戦しつづけたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。応援してくださったみなさん、カンパをくださったみなさん、僕に期待をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。自分が成長するにつれ、周りの人々のあたたかい心遣いと励ましの言葉に人と人のつながりの大切さを身にしみて感じるようになりました。僕に何らかの形で関わってくださったすべての人に感謝の意を表すとともに、この文章の結びとさせていただきます。
次は世界選手権での活躍を目指します。継続は力なり。
ありがとうございました。