海外遠征2002

京都4 西尾信寛

*この文章は、ユニバー報告書に載せた文章を一部手直し、加筆したものである。

 

ユニバーが終わった。自分の過去・未来、そして日本代表として世界で戦う未来のJWOC戦士ならびにユニバー戦士のために、私が経験した今回の海外遠征について、ここに記す。

 

ユニバーに向けて

 4月末、ユニバーセレに通過したことからすべては始まった。本来ならばそれ以前からユニバーに向けてのビジョンを考え、長期間の準備期間を必要とすべきではあるが、当時の自分には体力面が未完成であり、4ヶ月でどこまで改善できるかは全く未知であった。しかし、ユニバーという大目標ができたことで精神的に非常に充実した毎日を送ることになり、本番に向けての具体的な目標を見つけることはそれほど難しいことではなかったように思える。過去のユニバー報告書やJWOC99の報告書からユニバーそのものとブルガリアテレインに関する情報を得、自分なりのユニバー本番を見据えたプランを立てることができたと思う。次にその準備の方法を示す。

 

本番への準備

 まず一番の課題は体力であった。他のチームメンバーに比べて自分は明らかに体力、走力面で劣っており、早急にこれを改善する必要があった。4月のセレクションまでは月間200km以上の距離を走ったことがなく、またトレメニューも変則的で適当であったため、長丁場のレースに耐え得るための基本的な体力をつけようと考えた。月間走行距離の目標を200km以上、トレの内容を規則的なもの(OL/jog/L.S.D/トレイルラン/ペース走…etc…)にし、それらを休息も取り入れつつ1週間ごとのプランの中で織り交ぜて行うように心がけた。自室のドアに模造紙を貼り付けて走行距離表にし、毎日欠かさず書き込むように習慣付け、トレのペースを作った。1週間で体が疲れないようにメニューのローテーションを組み、決して無理をせず自分の体の状態を理解した上で週50~60kmの走りこみを行った。本当は週100kmくらい走れればよかったのだが、当時の体では耐えられなかったであろう。自分の体と相談し、無理をしないこと、休むことも重要なトレーニング課題である。だからと言って決して妥協してはいけない。このバランスをうまく保ちながら継続的にトレーニングを続けることで、最高の成果が得られるのである。

 また、技術面に関しては合宿中のメニューで磨きをかけ、特に基本的な動作の修練に取り組むようにし、毎回の合宿ごとに「直進」、「脱出方向の確認」、「アタックポイントからのアプローチ」など課題を持ってメニューに臨むようにした。さらに、地図読みを通して現地の様子、選手権の様子、スタートに立つ瞬間、などのイメージトレーニングを行うことにより、日を追うごとに本番に対する意識を高めていった。合宿は月に2回の割合であり、モチベーションを高いものに保つには大変良い機会が提供されていたと思う。主な内容は、レース、直進練習、チェイシングインターバルなどで、質・量ともに豊富であり、常にハイレベルな意識を持ってメニューを消化することを要求された。これはメンタル強化の目的も含んでおり、毎回くたくたになるまで練習して非常に充実していたと思う。何にせよ同じものを目指す選手が集まっている中で練習できるということは自分にとっても周囲にとっても大変良い刺激になり、大会に向けてのビジョンを構築することが自然にできるようになっていった。

 これらを通して、ユニバー本番を迎えるに至るまで約4ヶ月、精神的に大変充実した毎日を送って来ることができたと私は自負している。その間OL以外のことに時間を取られることもあったが、イメージトレーニングのおかげかどうか、日を追うごとにユニバーが楽しみで仕方なくなっていったので、それを糧になんとか切り抜けることができた。

 

遠征を楽しいものにするために

 せっかくヨーロッパまで行くのにJWOCやユニバーだけで終わるのはもったいない。ヨーロッパの大会情報を海外のサイトから得てエントリーするもよし、観光して周るもよし、選手権とは別の目的を持って遠征するのもまた旅の醍醐味である。今回私はユニバー前にチェコ入りし、プラハの観光(主に建築物探訪)と3日間大会参加というオプションを加えた。これらはもちろんひとりではなく、番場さんや前田さん、宮内さん、東大の加藤さん、東女の田島さん、尾上さんといった面々も一緒であった。私と尾上さん以外のみなさんは7月からすでにヨーロッパ入りし、各地を転戦していた。旅行のプランを立てる段階で、仲間とともにいろいろ話し合って楽しい遠征計画を考えよう。しかし、長期にわたる遠征を本番前に行う場合、体調、モチベーションの維持は簡単なことではなかろう。不慣れな生活を続けている間にストレスを感じてしまっては本番にいい状態では臨めない。この点については長期にわたる遠征をしていた番場さんに話を聞くといいと思う。以下に今回の遠征予定表を載せる。

 

海外遠征2002予定表

8月6日 出発 AF291 KIX-CDG 11:50-17:35AF4902 CDG-PRG 19:10-20:50
8月7日 チェコ(プラハ) プラハ観光
8月8日 チェコ(プラハ) プラハ観光
8月9日 チェコ Grand Prix South Bohemia 2002
8月10日 チェコ Grand Prix South Bohemia 2002
8月11日 チェコ〜ウィーン Grand Prix South Bohemia 2002
8月12日 ウィーン〜ソフィア〜ヴァルナ OS797 VIE-SOF 13:40-16:10 LZ53 SOF-VAR 18:00-19:??
8月13日 ブルガリア(Varna) トレーニングキャンプ
8月14日 ブルガリア(Varna) トレーニングキャンプ
8月15日 ブルガリア(Varna) トレーニングキャンプ
8月16日 ブルガリア(Varna) トレーニングキャンプ
8月17日 ブルガリア(Varna) Begun Cup
8月18日 ブルガリア(Varna) トレーニングキャンプ
8月19日 ブルガリア(Varna) Rest
8月20日 ブルガリア(Varna) WUOC Model Event/Opening Celemony
8月21日 ブルガリア(Varna) WUOC Classic 誕生日!
8月22日 ブルガリア(Varna) WUOC Short Qualification
8月23日 ブルガリア(Varna) WUOC Short Final
8月24日 ブルガリア(Varna) WUOC Relay
8月25日 ヴァルナ〜ソフィア 世界の車窓から
8月26日 ソフィア〜パリ AF2687 SOF-CDG 14:45-16:40
8月27日 パリ AF292 CDG 13:15
8月28日 関空〜村山ジャンボ KIX 08:15 京大OLC夏合宿
8月29日 村山ジャンボ 京大OLC夏合宿
8月30日 村山ジャンボ 京大OLC夏合宿
8月31日 勢子辻 京大杯
9月1日 帰宅  

 

次に、ブルガリア入りしてからの話を書く。

 

トレーニングキャンプ

 トレキャンにはかなり早めに入り、ブルガリアテレインに慣れることを目標にした。第一印象は「日本とそう変わらない」というものだったが、様々なタイプのテレインに入るにつれ、走りすぎて現在地ロスト、という失敗をすることが多くなり、方向維持の感覚をつかむのが鍵であるように思えた。あたりまえのことなのだが基本的な動作の徹底が必要で、それができないと結果的に大きくはずしてしまう、ということがわかった。平らな部分は本当にまっ平らであるが、大きな亀裂の沢の中に入ると変化に富んだ地形が現れる。また見通しのきくエリアからそうでないエリアへ突入する時の方向維持の仕方など見つかった課題は少なからずあった。それらを踏まえた上でモデルイベントに臨み、翌日からの本番に備えることにした。

〜トレキャン中のエピソード〜

ドライバーをやってくれたミシェル君がスピード違反で捕まった(145km)。毎日ビーチに泳ぎに行った。トップレスのお姉さま方がいらっしゃった。黒海の水は最高にきれいで感動した。ハセGが大人気になった。風邪を引いて3日ほど薬を服用した。レンタのタイヤがパンクした。  ...etc, etc.

クラシック

 クラシックは14kmあり、とりあえず前半はペースを上げずに行こうと考えスタートしたら、いきなり1番からわからなくなり、その後もペースの上がらないままつまらないミスを連発し、おまけにラス前で女子ポストをミスパンチしてペナという最悪の形でレースを終えた。終始巡行速度は遅く、紺野さんが100分台で終えたレースを+40分もかけてまわった挙句失格という不甲斐ない内容に情けない思いでいっぱいになった。やはり14kmのレースができるほどの体力は自分に身についていなかったのだと思う。最初から体が動かなかったのも、学生ながら世界選手権であるという雰囲気に気圧されていた部分もあったかもしれない。もったいないことをした。レースに対する準備の仕方を根本から考えねばなるまい。ビーチでアイシングした。

 実はこの日22歳の誕生日で、みんなに祝ってもらった。誕生日にペナという情けない結果に終わったが、みんなはあたたかく祝福してくれた。感謝。

 

ショート予選

 前日のレース内容の悪さに奮起し、ショート予選は思い切り走ることができた。体も良く動いた。しかし、トレキャン中にやっていたような「走りすぎて現在地ロスト」をやってしまった。山の中のスピードが自分の思うベストに近い内容のものが維持できていただけに、基本的な動作のミスによるタイムロスは非常にもったいなく、口惜しいものであった。同時に窮地に追い込まれた場面でのメンタルタフネスの必要性をあらためて感じさせられたレースとなった。しかし、クラシックの時と比べてコンペティションそのものへの緊張はなくなり、いい状態でレースに臨むことができたのは1つの大きな収穫であったと思っている。日本人が男女合わせて3A-Finalへと駒を進めることになった。「オレもいつかあの舞台に立ってやるんだ。」 ビーチで泳いだ。

 

ショート決勝

 予選での失敗があったので、プランニングをしっかりしてから動き出す、という目標を持ってスタートしたが、ヤブの中で方向維持を怠り、2度の大ツボリをした。予選とは打って変わって攻めの気持ちが失せており、レースに対するモチベーションが少し下がっていたように思う。これではいけない、これではいけない、と思うことでますます弱気になり、集中力の持続ができていなかった。海岸がゴールだったのでゴールレーンに駆け込む直前でノルウェーをひとり抜いて見せ場を作ったが、それだけに終わってしまった。「自分はぶっ飛びOLをしており、ラインを発見してそれを辿るという流れるようなオリエンテーリングができていない。明日は止まろう。」という教訓を得た。そして、「攻め」の気持ちを忘れずに。ラスポ観戦していたら番場さんに水をかけられた。紺野さんにあだ名をつけられた。ビーチで泳いだ。スイスの監督とビーチで日光浴しながらいろんなことを話した。やはり2005年の愛知での世界選手権に興味津々で、東京からの距離はどのくらいだ、とか、山の中の感じはどんなだ、とかいかにも聞かれそうなことをいっぱい質問されてなかなか面白かった。そうそう、彼はスイスから25時間かけて電車で来たのだそうだ。

 

リレー

 リレーはメンバーから外れ、急遽ミックスチームで1走を務めることになった。正規で走れないのは不本意だったが、世界のトップレベルと競り合うことができるのは(今の日本チームのレベルでは)1走だけの醍醐味だ、ということでいろいろと観察してやろうと思い、楽しみにしていた。レースの目標は「止まって地図を読む」。1ポはヤブの中にあり、多くのチームが失敗しているのを見学しつつ慎重にパンチし、2ポまでブルガリアのニコライ君にパックした。その後は完全に一人旅。StopGoでコツコツと基本的な動作を繰り返しながら走り、よし、いいぞ!と自分に言い聞かせてビジュアルポストを取り、砂漠地帯をこなし、ゴールに駆け込んだ。新宅にタッチ。

多少失敗したものの、最後にはなんとか納得の行くレース展開ができたと思う。ロシアやハンガリーなども失敗していて、特にハンガリーとは後半数回のレッグで競り、最後は置いていかれたもののしばらく先行したこともあったので、少し自信になった。

 

反省、回想

 今回は2度目の代表であり、準備の面では自分の目標とするものがはっきりと見えていたので満足の行く準備をしたつもりだ。しかし、それは間に合わせの準備にしか過ぎず、やはりクラシックやショートの決勝でメンタル面での弱さを露呈した。まずフィジカルあり、してメンタルを強化すべし。代表たるもの1年以上の長期的なプランで本番に備えるべきだと思う。

以上がユニバーのレースの反省であるが、レース以外でも遠征生活の中で様々なエピソードがある。それらひとつひとつは私にとってかけがえのない宝であり、忘れられない記憶のカケラたちである。ブルガリア入りする前にチェコの大会に参加したこと、トレキャン中毎日ビーチへ泳ぎに行ったこと、トップレスのお姉さんがいてコーフンしたこと、実は風邪を引いてしまったこと、物価が安かったこと、右ハンドルのMT車を運転したこと、某B嬢を代表に日本語のおかしい人が増えてしまったこと、誕生日をみんなが祝ってくれたこと、スイスチームの監督とビーチで話をして名刺をもらったこと、スイスの女の子とトリムを交換したこと、バンケットで踊りまくったこと、ラスポ〜ゴールの鬼のような走りを注目してくれていた奴がいたこと…。2度目にも関わらずはしゃいでいたこと。

それもこれも、自分がしてきた様々な経験は、京大OLCの仲間をはじめ、私を支えてくださったすべての方々のサポートあってこそだと思う。感謝。特に、セレ後からユニバー期間中に至るまで親身になって面倒を見てくださった加賀屋夫妻と尾上さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。また、ユニバー2002のメンバーの皆さん、月2度の合宿でサポートしていただいた皆さん、4ヶ月間高い意識を持った中で皆さんとともに準備をすることができて大変刺激になり、ここまで来ることができました。準備段階から本番まで、すべてを通して満足の行くサポート体制が構築されていたと思います。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしく。

 

今後

 未来がある限り、走りつづけたいと思う。情熱は留まるところを知らず。再び世界の舞台で戦う日を夢見て。