インカレラストラン
京都4 西尾信寛
2002年3月、矢板インカレ団体戦の表彰台のてっぺんで風に吹かれながら、「勝って冑の緒を締めよ」という言葉を胸に新たなスタートを切った。3年目は部長業や大会運営などいろいろと大変なことが多かったが、加賀ショートでの敗北を期にまたがんばろうという気になり、矢板インカレでなんとか復活した感じであった。そして1年が過ぎ、僕にとって最後となるインカレが終わった。4年間やって来たことの総仕上げとして、金メダル2個を目標にこれまで紆余曲折を経て来た。結果は個人戦2位、団体戦3位。
2002年春、夏にブルガリアで開催されるユニバーのセレクションに通過した。当時体力的にどん底であった僕は、これをきっかけに目標に向かってがんばろうとすることができるようになった。それまでは毎年度3月末のインカレを目指して何の気なしに不定期に続けて来たトレーニングに課題と目標を設定し、規則的に行うようにしたのである。例えばオリエンテーリングの結果への年度目標として、京大杯優勝、インカレショート優勝、インカレクラシック優勝、と3つの達成したいと思う目標を立て、それをクリアするためのトレーニング目標(月間走行距離200km以上、トレイル23分台など)を設定し、確実にそれらをこなしていくことで自信を得ようとした。また、これらの具体的目標のクリアを目指すとともに、毎月2度のペースで開催されたユニバー合宿に参加し、チームメンバーとともに切磋琢磨し合うことによって技術と精神力を磨くことも同時にできた。
4月から7月はユニバーのことばかり考えて日々を送っていた。ユニバーをどう戦うか、どのような結果を残したいのか、残すべきなのか、それには何が必要なのか、といった感じで頭の中はオリエンテーリングでいっぱいであった。すべてはオリエンテーリング中心に回っていた。4月に単位不足により留年することが決まり、今年度ものらりくらりと単位だけ集めていけばいいことになってしまったため、授業に出る日以外はトレーニングしに学校へ通っている状態であった。しかし、やはり周りから1歩以上後ろを歩くことになった僕は少し辛かった。自分の怠慢から招いた留年生活であり、それを納得し、むしろ望んでいたかも知れない僕ではあったが、どんどん先へ行ってしまうクラスの友達や研究室の話で盛り上がっている昇平や石川さんを見ていることは、勉学への情熱を失っていた自分には非常に眩しく、羨ましいものとして映った。だから、今まで人生中途半端な生き方しかしてこなかった僕にとって、1年間オリエンテーリングを続け、エリートとして戦い、年度の最後にインカレで優勝することは、目標であることはもちろん使命であり義務であると考えていた。そのようにいささか「居づらさ」を感じつつも目標に向かって邁進することに喜びを感じ始めた僕は、やがて「辛さ」や「苦しさ」を「楽しさ」に変換し、毎日を非常に充実したものにすることができるようになっていったのである。
夏まではこのようにユニバーを目指して主に体力強化、精神力強化に当てた。イメージトレーニングもかなりやった。世界戦では北欧の強豪選手を始め明らかに自分より実力が上の選手と戦うため、それらを意識しつつもいかに自分のできる範囲のことを最大限まっとうできるか、ということが結果につながってくる。また、慣れない気候、生活習慣の違い、言葉の壁、意思疎通の難しさ、チーム内での居心地、いろいろなストレスが溜まることが予想できたため、ユニバー期間中の生活に関してもイメージを膨らませてより楽しいものになるように、と2年前のJWOCやO-Ringen、PWTでの経験を振り返りながら工夫した。とことん楽しめばそれでいい、ではなく、とことん楽しんだ者こそが結果を出すのだ、という信念を持って準備をしていった。しかし、「楽しむ」ためには努力が必要だ。オリエンテーリングはしんどくて苦しくて本当に辛い。できれば早く終わって欲しいと思う。コンタは間隔が狭いほど嫌になる。地図は緑であるほどげんなりする。それを「お、すげーぞ、あれ登り切ったらポストあるぞ!」とか、「おお、なんて濃いヤブなんや。でもこいつガシガシ切ったらアタックポイントが見つかるぞ!」といった「楽しさ」に変換できるような相当高いレベルの身体能力、精神力、技術力が過不足なくかつバランス良く備わっている状態を目指す努力をする必要が自分にはあった。そのための努力をまた「楽しんで」やる工夫をした。自分の部屋の扉に張った模造紙のどでかいトレーニング日誌にその日その日の努力を記録していった。その記録を見れば満足感と次へのやる気が生まれ、楽しんで継続することができるようになった。
そんなこんなでユニバーには今までにないしっかりした準備をして臨んだつもりであったが、やはり短期間の調整だったため体が出来上がっておらず、技術面でも精神面でも弱い部分が見事に露呈して満足な結果が得られなかった。クラシックは暑い中14キロの長丁場のレースで2時間半かかるもラス前隣ポパンチでペナ。ショート予選は体が軽かったものの焦りと巡行速度の上げ過ぎで方向維持を怠りあえなく敗退、決勝はまったく体が動かず集中力を欠き、藪に打ちのめされて惨敗、リレーは何とか最後にまずまずの走りでしめくくったかな、というもので、長期的目標の設定、モチベーションの維持、貪欲な追求姿勢等それまでの自分に足りなかったものが結果にもろに響いた感じであった。世界戦を万全の状態で迎え、なおかつ結果を残すことは難しい。ユニバーは、次への課題がたくさん見つかった遠征となった。JWOCの時も何かに書いたが、世界戦での借りは世界戦で返すしかないのでまた次を目指すつもりである。
ユニバー遠征から帰国してすぐ富士で開催された夏合宿に出た。京大杯を獲るためである。勝たなければだめだと思っていたし実際勝てると思っていたが、レース前はかなり緊張した。ただ、自分は誰よりも京大杯に向けてユニバーをステップに準備をして来た自信があったし、夏の遠征の締めくくりとしてどうしても勝っておきたいという強い思いがあった。勝ったら秋以降モチベーションをうまく維持しながらインカレ優勝を目指すことができると思ったからだ。結果は優勝。目標達成への道を1歩前進することができた。
夏合宿終了時点頃からインカレ団体戦に向けてのイメージをぼんやりながらも作り始めた。この頃は僕と新宅、楠本とあとひとり誰だろうな、という感じで考えていたように思う。優勝できるチーム作りは十分可能であるという自信は最初からあった。特に楠本に関しては天才的なポテンシャルを持っていて、仕込めばモノになる、と当時最も期待していたうちのひとりであった。
とは言え、このままの状態が続くとなると、個人的に前前からひそかに期待していたよしおは矢板インカレ以降ほとんどレースをしていなかったし、インカレに対するモチベーションもあまり感じられなかったため先行き不安。岡野さんも矢板インカレから半年オリエンテーリングとは遠ざかっており、京大杯も周りが期待していたようなパフォーマンスはできなかったようで先行き不安。昇平は成績不安定な上に忙しすぎて先行き不安。新宅も体調不良を訴えつづけていてどうなのかな、という印象だったし、他の有望株であったハセGや小野田やモカに関しても団体戦を任せるのはうーむと言う感じだった。矢板インカレが終わった時点でチームのエースとして団体戦を盛り上げていくのは自分の役目であると心に固く誓った僕は、まずはそれぞれのモチベーションを上げさせることからチーム作りを始めていこうと考えた。9月は京大大会の最終準備でごったがえしていたので、事実上10月からの本格始動となった。
最初は話し合いの場を設けることからスタートした。毎週金曜の昼休みに団体戦話し合いの場を設けた。第1回目の話し合いで決まった団体戦の目標は、「優勝」。京大男子団体戦史上初の連覇を目指すのである。インカレまで残り5ヶ月、やや重い足取りながらもチームの歯車は回り始めたのだった。
10月、11月の秋のシーズンを通してオリエンテーリングの成績が伸び出した。特にO-Cup2日目やインカレショート予選、定例戦など体も良く動いて手続きも地図読みもうまくいくことが多くなった。トレーニングそのものもようやく軌道に乗ってきた感じで、決して無理はせず、休むべき時は必ず休むがそれ以外では絶対に妥協はしない、という自分に最適な量とペースがわかってきた。しかし一方で筑波大大会やインカレショート決勝など方向維持への集中力の欠如からつまらないミスをする場面があり、技術面での課題が見つかってきていたので、インカレショートで7位に終わってから後、御所や吉田山でのオリエンテーリングの練習をより多く取り入れるようにした。内容はひたすらアタックと脱出を繰り返すコントロールピッキングで、1セットに20回前後のアタック脱出練習を行う、というものである。それに加えてインカレのイメージトレーニングも継続して行うよう心がけた。
11月中旬、風邪を引いて1週間を棒に振った。フィジカルもメンタルも好調になってきただけに、歯がゆい思いで何とかがんばって治癒に努めた。迎えた西日本大会では病み上がりながらM21Eで無欲のレースをして14位。全日本E権を保持することに成功した。このレースでさらなる自信と勝ちへのモチベーションを得た。12月最初のトレキャンのレースでも許田さんや土屋さんに勝ったし、まさに4年間で最も絶好調な時期を迎え、インカレへの準備が着々と進んだ。
12月、新宅がイマイチ盛り上がりに欠ける団体戦へのチーム作りに不満を漏らし始めた。団体戦は1×4の勝負である。しかし、そこに至るまでには立候補者12人全員によるチームとしての過程が重要であることは、2回団体戦を走った僕はよくわかっていたつもりである。きっと岡野さんも同じ気持ちであったことだろう。新宅の喝はインカレに向けて平行線を保ったままのチームの雰囲気へのもどかしさから発せられたものだった。ここで自分がしっかり引っ張っていかねばチームは崩壊してしまう、優勝も危うい、と思った。エースの仕事はチームの雰囲気を良い方向へもっていき、その士気を高めることである。まず一緒に何かすることから始めよう、ということで朝トレを提案した。さらに、みんなの奮起を促すためにウエスタンカップやインカレセレの反省会を開いたり、地図読みをやったり、メーリングリストでいろいろ呼びかけたり褒めたりアドバイスしたりされたり、ということを自分が積極的にやるよう心がけた。
チームの雰囲気作りにはこの頃から本当によく気を使うようになった。今思えば、新宅には「お前は大丈夫だから、きっとやれると信じているから、何よりお前は本番に強い!」と鼓舞し、よしおにはそのモチベーションのなさにイライラやもどかしさを抱きつつも抑えて抑えて本人のやる気を削がないよう少しずつでもいいからインカレモードに切り替えていけるように仕向けようとがんばったし、岡野さんは少し自信がない様子だったので、去年からのチームメンバーとして「また一緒に優勝しましょうよ!」と励ました。昇平と楠本にはウエスタンカップから互いに意識させることで競争させ、インカレ団体戦の1走を自然にイメージできるように仕向けていったつもりである。ハセGはインカレセレまではやたら元気だったにもかかわらずその後はヒュ〜っと鎮火したような様子を見せたので叱咤激励した。小野田やモカ、宮内さん、原健、直についてもそれぞれがそれぞれの方法でモチベーションをインカレに持っていけるようにケアしていこうと考えた。
そんなこんなで団体戦のチーム作りはなんとか軌道に乗り始めた。インカレセレでは新宅が勝ち、1月の部内セレでは昇平と岡野さんがいいレースをした。自分に関しても絶好調モードを継続することができ、インカレセレでは敗れたもののその後の東北大冬合宿で大いに名を売ったあと、部内セレでは圧勝することができた。今だから明かしてしまうが、この時僕の頭の中では昇平−新宅−岡野−西尾という走順の構想がある程度現実味を帯びて固まってきていた。何より昇平は安定した走りを見せるようになったし、新宅は僕の最も信頼を寄せていた選手であり、経験豊富でインカレへの情熱が人一倍強かったし、岡野さんはチームのことを本当によく考え、それを表に出して良い雰囲気を作ろうと努力している姿が頼もしく、ようやく復活の兆しも見え始めていたからである。逆に最も期待していた楠本はぱっとせず、よしおもポテンシャルの高さを見せつつもこの時はまだ団体戦に向けての情熱が伝わってこず、という状態で、信頼するに足りない部分が多かれ少なかれあった。関東インカレ団体戦も、話し合いの結果、僕の構想どおりのメンバーで1軍チームを組むことが決まった。
年が明け、シード選手に選ばれた。目標が優勝であることに変わりはなく、その自信も得てきていたので別にどうということはなかったが、いよいよインカレが迫ってきた、という実感が湧いてきた。そんな折に許田さんからランニングクリニック合宿の誘いを受けた。もしこれに参加していなかったら、僕はインカレで思うようなパフォーマンスが望めなかっただろう。それほど行って良かったと思える合宿だった。何が良かったかというと、陸上選手が普段やるようなトレーニングの一部を実際に体験し、オリエンテーリングのための走力、体力強化のためのトレーニング方法の考察ができたこと、NT選手とともに過ごすことでさらに先を見据えたオリエンテーリングへのモチベーションが生まれたこと。また、東京学芸大の有吉先生によるトレーニングやレースそのものに関するアドバイスが聞けたことである。この合宿で、トレーニングにしろレースにしろすべてを「楽しんでやれる」ということはやはり大事なことなのだ、と再認識できたことは、非常に大きな収穫であった。本当に行って良かった。「インカレチャンプになりたくないのか!」と尻をたたいてくれた許田さんに感謝である。
1月29日にはトレイルの自己ベストを53秒更新し、23分47秒にまで縮めた。追い込める体に仕上がってきたことが実感できた。
そして2月になり、愛知インカレが手の届くところまで迫ってきた。迎えた関東インカレ団体戦、昇平の快走もかなわず新宅、岡野さんで崩れて4走の自分も計5分ほどタイムロスをし、東北に惨敗。楠本は例によってものすごいぶっ飛びレースで全くダメ。続くぞんび〜ずリレーではよしおが3走で見事な走りを見せてくれ、新宅、岡野さんもまずまずのでき。昇平が今度はパッとしなかった。楠本は周りの信頼や期待を裏切る1走遅刻という大失態を犯した。インカレを1ヵ月後に控え、誰が団体戦を走るのかわからない状況になってきた。
しかし、僕自身はかなり楽観的に現状をとらえていたように思う。新宅や岡野さんは去年一緒に団体戦を築き上げていったメンバーだから自分のすべきことはしっかりわかってくれているという信頼があった。昇平には最後だから一緒に走ろうぜ、と常に言っており、もちろん昇平もそのつもりでがんばっているのがわかったから頼もしかった。みんなには「大丈夫、遅れても最後俺が何とかして優勝を勝ち取って来てやる!」と豪語することで、「西尾に任せればいいのだ」という安心感をチームに与えようとした。実際自分には最後勝ちにいける自信とやる気と実績があった。構える気持ちではなく、「やってやろうじゃん!」という余裕かつアグレッシブな気持ちを持って、4走の仕事とは何か、を日々考えていた。この頃からエースとしての自覚が生まれ始めたように思う。
関東インカレ団体戦とぞんび〜ずリレーを終えた2月13日、以下のようなメールを団体戦MLに流した。
「東北にはこの前4人が4人とも敗れてしまいました。しかし、そんな中で昇平は1走の役割を十分に果たし、いい感じでまとめてきていたので好感触を得られたのではないでしょうか。新宅は体をいたわってインカレに照準を絞り、残り1ヶ月精進して欲しいと思います。ま、僕が言わなくても新宅はやってくれると信頼しているので大丈夫でしょう。岡野さんも巡行速度があがれば他のやつらにそうそう引けはとらないレースができるはずだから、初心に戻って残り1ヶ月で基礎をみっちり叩き込んでください。それが自信になるはずです。
楠本はまずオリエンテーリングに関しても行動にしてもチームの信頼を得る振る舞いが必要です。吉田山に入ってもっと練習を重ね、地図読みをし、うまくなってください。俺は、いや、みんなは大いにお前に期待しているのだぞ!
よしおはぞんびーずリレーであらためてポテンシャルの高さを示してくれました。他チームにとって大きな脅威となり得ると思います。期待大です!
いよいよ選考レースも直前合宿のモデルレースを残すのみとなりました。今度のレースでもう本当にメンバーと走順を決めなければなりません。優勝を勝ち取るために自分が果たすべき役割を各自もう一度考え、モデルレースに臨みましょう。残された時間はみんな一緒です。それをいかに濃度の濃いものにするかで差が出ます。団体戦を走る自信と誇りを持てるよう、最後の準備をみんなでしていきましょう。」
直前合宿の前、よしおにこう言った。
「お前、モデルレースもしっかり準備して走れよ。団体戦の最後の選考レースやぞ。お前もメンバーになる可能性あるんやから。」
するとこんな答えが返ってきた。
「いや、レースはもちろんしっかり走りますよ。僕負けず嫌いですし。」
よしおの熱意がようやく伝わってきた。同時に、これまでの戦績も含めて、こいつにだったら任せても大丈夫だ、という確信を得た。
早大OC大会を経て、直前合宿へ。OC大会ではエリートクラスでまたも14位となり、学生トップになった。インカレ本番に向けて周りの様子がだいたいわかったので、まずまずの感触を得た。ただ、レースを通して集中力を欠いてミスを連発し、しかも後半でガス欠になる事態を招いたので、レース直前の準備に課題ができた。それを教訓に臨んだモデルレースでは逆に食い過ぎて胃が重いまま出走し、おなかに常に違和感を覚えながらレースを続けてしまった。おかげでまたまた集中力を欠いたレースをし、新宅に秒差まで詰め寄られる接戦を演じてしまった。不安要素を持ったままではいいレースは望めない。直前合宿の2日目メニューは集中してこなし、自信を取り戻そうと努め、最後のファシュタでは笹谷を相手に競り勝ち、理想的な形で締め括ることができた。よし。あとはしっかり調整して本番を迎えるのみだ!と気を引き締めた。
直前合宿1日目のモデルレースが終わった日の夜、団体戦のメンバーが決まった。その後の話し合いで、岡野−新宅−吉田−西尾という走順で行くことになり、いよいよあとはインカレ本番を残すのみとなった。ここから先は4人のチームとしてのまとまりが最重要になってくる。よしお邸でのミーティング、インカレ直前の小野田邸泊、モデルイベント、開会式、宿、風呂、そして団体戦本番。4人で一緒に共有した時間が本当に長かった。濃い、貴重な時間を過ごした。
インカレ2週間前から7時起床11時半就寝の規則的な生活を継続するよう心がけた。地図読みもかなりやった。ショートレッグ、ロングレッグ、尾根切り、ヤブ切り、ルートチョイス、様々な角度からクローズ範囲の地図を検証し、イメージを膨らませていった。スタート、微地形へのアタック、尾根たどり、道走り、給水、第一中間、最後の山塊、ラス前〜ラスポ、歩道橋、ゴール。・・・ドキドキ。
インカレ1週間前の2月28日、トレイルの自己ベストを更新した。23分24秒。速くなった。体力的な不安はもうない。4年間で最も良い状態でインカレを迎えることができそうだ。風邪も秋以降は一度も引かなかった。優勝に向けてすべては順調に進んでいる。1週間前の京都カップでぶっ飛んだが気にせずによく反省し、インカレに照準を絞った。いよいよ最後のインカレ、4年間の集大成。そのままの勢いを保ち、僕は愛知に乗り込んだ。
クラシック当日、今までにないくらい緊張していたと思う。勝ちへのこだわりと執念、貪欲な気持ち、自信。それらが入り混じってレースへのおそれを生み出していた。が、バスでの移動中はキッ!と目を見開いたままでいるぜ、と思っていたのにあっけなくうつらうつらしてしまうことがあり、緊張といってもまあこんな程度か、と開き直った。
スタート待機所はやはり下山村トレーニングセンターで、クラシックの回しも予想とそう違わないことがバスの中から見たテープ誘導でわかった。いつも通りの準備をし、いつものトリムとタイツを引っ張り出し、いつものスケジュールでアップをし、トイレに行ってスタートに向かった。スタートには奥村さんや柿並さん、金谷さん、市橋さんなどおなじみの顔ぶれがあり、普段のレースと何ら変わりはなかった。
佐々木がスタートしていった。水を口に含み、体をほぐし、枠に入る。いよいよスタート。苦しい戦いが始まった。1,2は難なく取るも3で大失敗。早々に逃した感じだった。しかしあきらめずにがんばる。予想以上に暑い。しんどい。苦しい。体が動かない。でも気合いで斜面を登り、4へ。5,6,7,8とつまらないミスをしつつも中盤にさしかかり集中しろ!と言い聞かせてがんばる。9への途中で佐々木に追いついた。おいおいテメー何やってんねん!と心の中で叫びつつパック。10のアタックで一緒につぼり、その後の給水前でも一緒に民家に突っ込みそうになる。
佐々木「ここいっていいかな?」
西尾「これはダメだろ。」
その後11への登りで引き離す。12は尾根たどり。多分みんなミスをする。自分にもまだ可能性は残されている、と言い聞かせてしっかり方向維持。アタックでミス。1分ほどロスした。13−14で太ももの裏側が痙攣をおこし始めた。つる1歩手前の状態で我慢しながら後半をこなす。またミスを連発。本当にしんどい。でも集中力だけはこのまま切らすんじゃないぞ!15の脱出で木の根っこにひっかかって転がる。一瞬足が完全につってしまったかのような感触を得たが、何とか動いたので16へ最後の尾根たどりをする。もう必死だった。東北1年の鉾立に追いついた。17を取って、歩道橋へ。ああ、これで終わりか。あっけなかったな、と思いつつ最後の力を振り絞って走る。ラスポパンチ。Eカードがすっぽ抜けてヒヤッとするもユニットの上にちょこんと乗っていたのでぶん取ってゴールへ向かった。ガッツポーズはできなかった。そんな余裕もなかった。しんどかった。結果、笹谷の衝撃的なラスポペナにより一時的にインカレチャンプの夢を見るも、禅洲のタイム更新により敗北が決まった。
正直なところ、あのような内容で2位(事実上3位だが)というのは考えさせられてしまう部分が多い。今年度の学生のレベルはやはり低いものであったと言わざるを得ないであろう。僕らはまだまだ上を目指す必要があるのである。インカレのその先に本当の勝負があるのだ。継続は力なり、なのだ。
よしお3位おめでとう。宮内さん優勝おめでとう&僕優勝できなくてごめんなさい。石川さん2位おめでとう。
クラシックが終わった。照りつける強い日差しの中、バスに揺られてまた宿に戻ったらいつの間にか夕暮れ時になっており、前日と同様岡野さん、新宅、よしおとともに連れだって風呂に入りに行く。いよいよ明日は団体戦。岡野さんがやたらとハイテンションである。多分緊張しているのだろう。適当にツッコミや相槌を入れて緊張をほぐしてやろうとする。新宅とよしおはマイペース。僕はクラシックが終わってある意味気が抜けていた(そんな素振りは周りに見せなかったが)。これは俺やばいんじゃないか、と思った。緊張感もないしほげ〜としているし、まるで大事なレース前とは思えないほどフツーの状態であった。ただ、明日が楽しみでしかたなかったのだけは確かである。
晩飯が大量に出たので大量に食らう。伊東さんと三宅さんにマジマジと観察されてしまった。不思議と全部胃に収まり、ニンマリしてごちそうさま。心からインカレ宿の雰囲気を楽しんでいた。宿自体しょぼかったが楽しかったのでよし。
その夜のミーティング後、同じ部屋の団体戦メンバーとともにわいわい言い合いながらトリムにゼッケンを付ける。2度も付け直した。内1回はクラシックのゼッケンをつけるミスをした。エースがこれではイカン!と気を引き締め、田代城の地図を眺めてイメージトレーニングをする。その後もマッサージをしてもらったり、メンバーで最終確認をしたりしつつ11時半に就寝した。今年も本当にいいチームに仕上がった。何よりインカレ本番直前から行動を共にしていたことがよかった。お互いの実力を認め合い、尊敬し、リレーをつなぐ喜びを感じることができるようになったと思う。残された仕事はそれぞれがしっかり自分のレースをして勝利を手にすること。明日がその日だ。そして、自分自身のインカレラストラン。必ずやってやる!
ついに愛知インカレ団体戦の朝がやって来た。会場の花山小学校は真っ青な青空の下痛いほどの日差しを浴び、インカレ独特の熱気に包まれていた。みんなで輪になり、新生の息吹を歌い、掛け声とともに気合い一発。いよいよこの時が来た。準備をしつつ時計をにらむ。1走スタートまでに許田さん、岡野さん、よしおとともにラスポゴール、チェンジオーバー、地図置き場を確認。最初は予想通り南への道走り。そうこうしているうちにデモンストレーションが終わり、1走スタート時刻10分前になった。みんなで岡野さんを応援しに行く。「アーレーアレアレアレー、おかのー、おかのー!」と岡野さん特別応援歌で盛り上げる。全身がふるえて涙が出てきた。ああ、岡野さんがんばってくれ!という思いが溢れて膝ががくがくする。1分前。静寂。
やがてピストルの音が校庭にこだまし、団体戦の火蓋が切って落とされた。続いて女子、一般、と出て行く。みんながんばれ!
自分は4走だったので、1走が走っている時点では軽く体を動かす程度のウォーミングアップをしていた。スタートから30分過ぎ、京都大学の中間通過情報が入ってきた。どうやらトップで競っているらしい。いい調子だ。ジョグを続け、体を徐々にヒートアップさせて行く。1走トップが帰ってきた。櫻本が来て、知念も来た。小熊も来た。岡野さんが来ない。やや遅れて櫻田と一緒に帰ってきた。トップとは少し離れた。話を聞きに向かう。岡野さん泣いていた。とても口惜しそうだ。まあ仕方がない。そんな中彼はしっかりした口調でよしおと僕に情報伝達してくれた。しっかり役目を果たしてくれた。最初道走りで簡単、中間からあと難しいので注意、回しは予想通りでループなし、ポストは10個ちょい、などの情報をもらった。再び準備に戻る。
新宅の中間通過情報がなかなか来ない。どうやらぶっ飛んでいるようだ。気にせずアップを続ける。ようやく通った。よしおの様子をうかがう。大丈夫そうだ。また黙々と体を動かす。トップから10分ほど遅れて2走新宅から3走よしおにタッチ。よしお落ち着いて!
新宅からさらに情報を得る。なんとマップアウトしていたらしい。地図の端を通らせる箇所があるので要注意、という指示を受ける。岡野さんと新宅と3人でしゃべる。ポストは岩の向こう側、穴の中にあり、見えにくいという情報も得た。よしおが中間を通った。順位をいくつか上げていた。アップを仕上げ、ゼッケン、Eカードを最終確認し、水分を補給してレース展開をイメージする。先行しているのは東京、東北、早稲田の3校。それぞれアンカーは宇田川、禅洲、寺垣内。それぞれとの差が5分、2分、6分以内であれば抜ける。抜いてやる、と考える。
東京3走青木が帰ってきた。続いて早稲田3走立花が快走を見せて2位に浮上、東北3走濱田も1分差くらいで帰還。宇田川、ガウチ、禅洲が次々に出て行くのを見守る。そして数分後、よしおの最終コントロール通過情報が入る。出番だ!許田さんとともにチェンジオーバーエリアに入り、Eカードをアクティベートした。さあこれからインカレラストランだ。順位は現在のところ4位。前を行くのは3校。「どんなに遅れても4位にはなれる。差は9分ぐらいだから爆走して来い。」と許田さんに言われたので、「ワクワクしますね。」と答えた。空は雲ひとつない快晴。岡野さんと新宅がレーンの外からこっちを心配そうに見ている。大丈夫さ!俺が全部取り返して来てやるぜ!と思ってよしおを待つ。ついによしおは現われた。すばらしい走りでしっかり帰ってきた。さすがよしおだ。手を振って合図する。
「まかせましたよ!」
「おう!」
みんなの声援を背に受け、地図を取り、スタートフラッグに向かう。クラシックの時と打って変わって非常に体が軽かった。1のアタック。ヤブに跳ね返されて回り込み、難なくパンチ。2は長い道走り。全速力で飛ばす。これも難なくパンチ。3は出戻って鞍部から沢に入り、コンタを読みながら正確にアタック。よし。調子いいぞ。4はぐるっと道周りルートが正解であることを落ち着いて読み取り、これも難なくパンチ。次4‐5。ああ、新宅の言っていたのはこれか、といかにもマップアウトしそうなレッグである。方向維持を怠らぬよう現地と地図のコンタクトを多めに取り、無事ポストにたどり着き、6へ。アタックでつぼり、1分半ほどロス。まあええわい、とミスを続けてしないように7へ向けてしっかり直進。がけが見え、降りていくとポストが隠れていた。救護所を兼ねた中間を通過する。東京も東北も早稲田も全然見えない。
ここから難しいと聞いていたので集中する。なるほど、やぶい尾根たどりの連続である。慎重に慎重に、とコンパスをチェックしながら地形的特徴を捉えつつ進む。8はすこしオーバーランした。植生界の角だったので、空を見上げ、木の高さの違いを見てリロケート。9へ。また尾根たどり。ピークの数を数えてアタック。少し左にずれたが足跡をたよりにリロケートに成功。タイムロスを最小限に抑えて10へ。最後の尾根たどり。一瞬左の道へ降りて登り返そうかと思ったがコンタを損するのでコンパスをしっかり見ながら正しい尾根に乗り換え乗り換えしつつ小ピークを目指した。藪の向こうにポストを発見し、駆け寄る。番号確認。よし!パンチして脱出。落ち着いて薮を避けるルートチョイスをし、早めに道に降り、ラスポに向かって一目散に駆け出した。道の分岐を右へ。役員の人が「014!」と本部へ情報を送っているのが聞こえた。ああ、ラストだ。あの向こうにみんな待っているんだ。最後までしっかり走るぞ!
会場の歓声が聞こえ始めた。ついに、ついにラストだ。道を右に折れ、ラスポを目で確認する。と、「サ・ト・ス!サ・ト・ス!」という応援が聞こえた。何!抜いたのか?やった!抜いた!とうれしくなり、ラスポをパンチして番号を確認し、テープ誘導に従って会場に入った瞬間思わず右腕を高々と挙げてガッツポーズをした。京大のみんながうわーっという歓声で迎えてくれた。みんなありがとう!誘導を折り返し、どよめく歓声の中を駆け抜けながら再びガッツポーズをした。カーブを曲り、ゴールに駆け込んだ。役員の人にEカードを提出する。羽鳥さんがパソコンの画面を見て「はいオッケー!」と言った。終わった。僕のインカレラストランは、終わった。
みんなが拠って来た。メンバーの肩を組んで褒め称えあった。3位らしい。よくやった。2位の早稲田には50秒及ばなかった。でも、ホントよくやったし、今までよくがんばった。僕は京都大学オリエンテーリングクラブという最高のクラブで最高の4年間を最高の形で締め括ることができた。胸を張ってそう言える。本当にすばらしいチームメイトと戦うことができた。たとえ優勝ではなくても、チームでやってきたことは決して間違っていなかったし、その過程を誇りに思っていいだろう。
インカレはやっぱり団体戦。みんなで作り上げてこそのものだ。僕は今年度1年間チームのエースとしてみんなを引っ張ってきたが、うまくいったこと以上に至らない部分もたくさんあったことと思う。特に今年は個人戦の優勝も目指していたため、自分中心に物事を考えがちであった。岡野さんの不安や新宅の不安を最後まで完全に解消しきってやれなかったのは僕の責任でもある。昇平と結局一緒に走れなかったことも心残りのひとつであるし、楠本を愛知インカレまでにモノにしてやれなかったのもそうだ。
本人たちは口にこそ出さないが、やはり苦渋を嘗めて来たに違いなかったのだ。それに気づいてやれる心の広さ、ケアしてやれるおおらかさが僕には少々欠けていた。いや、他人のことにまで気を配るだけの余裕がなかったということも認めざるを得ない。また、同じエースとして石川さんともっといろいろ話をして一緒に取り組みができれば、彼女にとって最後のインカレをよりすばらしいインカレにするきっかけが少なからずできたかも知れないと思うと口惜しさがこみ上げてくる。この教訓は来年度自分が後輩達のサポートをする機会にぜひぜひ還元していきたいと思う。次は7年ぶりの地元開催。関西勢が大いに活躍できるよう、できる限りの応援をして行くつもりだ。
このようにして僕は4度目のインカレに終止符を打った。しかし、まだまだ目指せる目標がある。自分にはさらなる飛躍への可能性が存分に望めるのだ。また次を目指そう。
最後に、4年間僕を支えてくださったすべての人たちと、一緒に同じ夢を目指して戦ってきたすべてのライバルたちへ。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
継続は力なり。
どこまでもゆこう みちはきびしくとも
くちぶえをふきながら はしってゆこう
どこまでもゆこう みちはけわしくとも
なかまたちがまっている あのそらのむこうに
どこまでもゆこう みちはくるしくとも
きみのおもかげむねに かぜをうけてゆこう
どこまでもゆこう みちはきびしくとも
くちぶえをふきながら はしってゆこう
小林亜星作詞作曲「どこまでも行こう」より
一部改編