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メンバースピーチ
 

  
第45回ペナンOSEALフォーラム




 11月2日〜6日、マレーシア・ペナン島で開催されたフォーラムへ参加しました。
 私は妻と同伴で参加し、暑い所と覚悟していたのですが蒸し暑さは感じましたが気温28度Cくらいで1日1時間くらいのスコールがあり割合快適な旅でした(ホテルはホリデーインリゾートペナン)。
 11月4日午前中は330−B地区メンバーは2台のバスに分乗エクスカーションでジョージタウン市を中心の島内観光で、コーンウオリス要塞33mの巨大涅槃像の仏教寺院、熱帯植物園などを見たりバテック(ろうけつ染)工場、宝石店などのショッピングをして3時ころ開会式場へ向かいました。会場は空港近くのPISAという10,000人収容のアリーナで出席者5,700人とアナウンスされました。台湾韓国のメンバーは大変威勢がよく、自国の国際役員やガバナーが登壇するたびに旗を振り歓声を上げ大騒ぎ。日本勢はというと国民性というのか静かなものでせいぜい拍手が聞こえるくらい。会場の写真から想像していただきたいと思います。私はアリーナのフロアへ降りて写真を撮ったり周囲の雰囲気を味わったりしました。たまたまジミーMロス国際会長がトライショー(車椅子の大型のような観光用の車)で入ってきて私のすぐそばを通りましたので握手ができるチャンスに恵まれ「グッドラック」「サンキュー」の会話をすることができました。アショク・メータ前会長も出席していましたが、先日CSF-Uの会合が横浜であった時握手をすることができたので今まで経験したことのないライオンズトップとの親近感を味わいました。
 夜はホテルの波打ち際のオープンガーデンで古郡ガンバーの晩餐会に出席しました。ガバナーの謝辞の後、伏見国際理事より今フォーラムのテーマ 3Ps(Purpose Passion Pride)の解説をまじえて挨拶があり、ゾーン毎の席で顔見知りのメンバーと同席して民俗音楽や舞踊のステージを見ながら乾杯、会食をいたしました(出席者200名弱)。最後に山下元GVの歳を感じさせない応援団長のリードでガバナーへ「フレーフレー」のエールで中締めとなりました。

P.S.
 ペナンはリゾート観光地で治安もよく、日本人のリタイヤーした人達が大勢長期のステイを楽しんでいるようで、物価が安く、夫婦で1ヶ月17〜18万円もあればかなりのゆとりで暮らせる場所のようです。ちなみに私が滞在中の領収書を拾ってみたら日本円換算で1日貸切タクシーの島内めぐり(9:00〜16:00)4,500円、きつねうどん400円、ビール150円、マンゴージュース270円、カシューナッツのつまみ(40g入)85円、バテックのシルクハンカチ1,170円、バテックのアロハシャツ(子供用)1,650円 等等でした。また、1昨年末のスマトラ沖地震の津波による被害者の為の仮設住宅がたくさん高台に並んでいるのが見えました(マレーシア全体で死者は70人位であったとのこと)。
==会長L.桝田 記==

 
   
甲府ライオンズ、テニス同好会
   甲府ライオンズクラブには『テニス同好会』があります。もちろんテニスで汗流し、交流を深めるためのものです(テニス以外で深めることもありますが)。毎月第二・四の火曜日、Pm7:30くらいから、当クラブメンバーでもある 富岡L. の「エストテニスクラブ」で練習会を行っております。
 そこで、この当クラブホームページを見ていただいた他のクラブの皆様、
テニスを一緒にしませんか! 貴クラブにもテニスの会があるのでしたら尚更ぜひ対戦しましょう。いざ勝負! 連絡お待ちしております。メールでも結構です。よろしくお願い申し上げます。


トレッキングをしませんか! 
                      部会長 矢崎助二L.
   トレッキングとは健康やレクレーションの為、山麓をのんびりと散策することです。老化は足から。歩く健康法と思います。クラブ行事として石原幹事の指示で実施したいと思いますがその節は協力をお願いします。
 愛宕山ラジオ体操会は「健康を求めて」2005年2月で30年、歴史ある会です。会員は70人程、毎朝6時半山頂のライオンの池の所のふれあい広場で行っています。私も入会して18年、現在会長をさせていただいていますが「健康は自己に与えることの出来る最大のプレゼント」、「継続は力なり」をモットーにしています。四季折々に変わる景色や富士は絶景です。きれいな空気、小鳥や虫の声を聞きながら朝の挨拶。入会希望者はぜひ私まで声をかけて下さい。
 
若月幸男L.例会888回(昭和37年)
    純皆出席の偉業に思う
 
                            桝田嘉宗L.


自宅看板前のL.若月(2004.8.27)
悩み事相談に今も応じている。隠れた市井の善行は多くの人の命までも救った。甲府城No.9(1974)で詳しく紹介されている。
 飯島会長は 「人中が薬」、とにかく例会へ出席してお互いを知り合おうーそこからすべてが始まるー出席しなければすべてが無意味であり何も始まらない。 と呼びかけている。このことは皆百も承知だろうに。そんな事を考えていた矢先に私のスポンサーL.若月が高齢で歩行困難の為、退会届を出し慰留されて休会会員となったと聞きました。L.若月は1913年(大正2年)生まれ、故飯島茂秀L.とのエピソードにもなっている心の出会いでスポンサーされ1967年7月入会、本年6月の最終例会を以って92歳で休会されました。37年間の出席回数はなんと888回(37*24)。すべて純出席です。この間にはご自身の入院やご家族の不幸などもあったことを知っていますが例会場へ来てサインは絶対にするという執念を持っておられたようです。
 L.若月は「人間やれば出来る。出来ないものはやらないからだ」とよく言っておられ、又「人間じくうこかす気じゃなんぼでもこかせるもんだぞ」とも言っておられました。最近の日本人に欠けている物を教えているように思えます。【今まさにアテネオリンピックの真っ最中、日本のメダルラッシュの報に沸いています。ウーマンパワーでしょうか。どう考えたらよいでしょう】
 私は、ライオンズは幅広い年齢層の人々が所属し綱領に言う「事業を成功に導いた人々」の集まりであり各々がその先輩の背中から自分の将来を見ることが出来るかけがえのない場所であると考えています。子供達、社員達に背中を見せられる様にとの思い、それはまさしくL.若月から学んだことでした。私も入会時を振り返ってみると当初何かと理由をつけて例会を休んだものでした。やはり例会が楽しくなかったのだと思いますが人間誰でも新しい環境に適応するまでは何らかのストレスがあるものだと思います。若月L.は隣席でそんな私を励まし他のメンバーに紹介してくれたものです。
 そんなわけで、おこがましいと思いますが出席率はかなり良いほうだと思っています。多分L.若月の記録はギネスもの、「千日回峰」なみの快挙と思います。
 良きライオンズマン、良きスポンサーとしてその姿を背中でみせてくれました。世の中がお座成り主義に変わってと嘆きの声しきりですが当クラブにもこの様な明治の「気骨漢」がいた事を身近にご指導いただいた者の証言として聞いていただきたく思います。若月L.、気が向いたらぜひ例会へ出席してください。私が責任を持って送迎いたします。

感謝を込めて  鮎川きみ子L.
    主人鮎川良夫が他界して満二年になろうとしておりますが、この事実は現在でもまだ信じられない気持ちです。その悲しみは年月が解決してくれるものでもありません。人には体験した者でなくては本当の意味で理解出来ないことがあるということをはじめて知りました。
 このような時にライオンズクラブの方々や親しかった大勢の方々よりはげましのお言葉やご協力をたくさんいただき本当に感謝しております。
 先日読みました瀬戸内寂聴さんの書いた本の中に「人間は自分のみにおきた不幸は世界一のように思い込み、不幸は十倍くらいに考えがちですが、幸福の時はあたりまえのように思って、十分の一くらいにしか感じないものです」という言葉をみつけ、私はこの言葉に勇気づけられました。そしてこれからは、幸せを十羽にして考えられるような人になるよう努力していくつもりです。
 私にライオンズクラブへの入会をおすすめ下さいまして、何のためらいもなく入会させていただきましたのは、クラブの方々の深い友情のあることを主人を通して知っておりましたことや、今まで主人と共に参加した行事で沢山の楽しい有意義な思い出を忘れない為でもあります。
 異業種の方々の集まりでいろいろな考え方があり、会社を主人に代わって引き継いでいく私にとっては非常に勉強になります。
 女性一人で(後より入会する方を信じていますが)皆様にご迷惑かなとも思いますが、これからもよろしくご指導くださいますようお願い申し上げますと共に、暖かいクラブの方々の友情に心より感謝しております。
 
日本刀は日本人の誇り   甲府LC 田中 要L.
田中L日本刀

世界に比類なき文化遺産であり、特に鉄の芸術美術品として日本刀ほど、その歴史や伝来の明らかなるものは、他に類がないと言われている。もちろん外国においても逐年研究と興味深く探究されております。

 まず第1に日本刀の真価は過去はもちろん、現代人間社会に適確に通じるものがあります。日本刀の3原則として、折れず、曲がらず、よく斬れる、であります。

 私は、この心を日常生活の基本として、美愛無永儘の言葉通り、社会勉強と趣味の貴重さに感謝を満喫いたしております。

 ただいま日本美術刀剣保存協会山梨県支部長と併せて、県銃砲刀剣登録審査委員を委嘱され、眼を輝かせて研究に精進中であります。
 

 
スルーネットピンポンの歴史と意義
スルーネットピンポン

「スルーネットピンポン」は、山梨県において誕生したニュー・スポーツであり、甲府ライオンズクラブも誕生以来メインアクティビティーの一つとして、バックアップしている。
 盲人卓球クラブが、山梨県ボランティアセンターで練習会を行う中、平成元年に高校生ボランティアサークル「SKY」と出会い、マイナーなイメージの盲人卓球は、対象者をオープン化し、年齢や障害の有無を問わず、誰もが参加でき、かつ同一ルールのもとにプレイできる「ニュースポーツ」として明るく一新された。
 ネーミングは、ネットの下を球を通すという大きな特徴を意味付けた「スルーネットピンポン」が採用され、盲人卓球クラブとSKYは共同して、平成2年、「山梨県スルーネットピンポン協会」の設立を達成。平成7年に「全日本スルーネットピンポン協会」を設立した。
 この卓球は、ボールを台上で転がし、ネットの下を通して打ち合い、ボールがあまり弾まぬよう、ピンポン球の中に小さな鉛球を入れ、ラケットはラバーを付けず、木部分を打球面とする。卓球台の両サイドにフレームを付け、落球を一定度制限し、ネットのサポートは、台上に出ないよう工夫され、テーブルは球がイレギュラーするのを防ぐため、継ぎ目のない、一枚状の板で作られている。
 「スルーネットピンポン」の目的は、軽スポーツとしての競技性の向上に留まるのでなく、健常者、障害者、年少者、高齢者を問わず、同じ土俵で戦える意義ある規則を堅持し、このニュースポーツ同様、社会においてもさまざまなフェンスを除去し、いつ、どこでも、誰もが明るく生き甲斐の持てる社会の実現を目指すことにある。
 なお、オーストラリアに「SWISH」と呼ばれるよく似た競技があるらしく、世界各地に形は異なっても、本質的に類似したものが行われているのではないかと思われる。

 

平成8年12月

AJSP会長 中嶋 司郎