クリック
 相模の養蚕
 江戸時代から昭和初期にかけて相模原地方の農家にとって養蚕は現金収入となる一大産業であった。
とりわけ1859年に横浜港の開港によって、生糸は輸出の花形となり、相模原地方の農家も競って養蚕、製糸に力を入れていった。
桑の木の栽培も盛んになり、相模原、座間、秦野、半原などでは、どこにでも見られるようになり、ほとんどの農家が何らかの形で養蚕や製糸の生産に関わるほどであったという。
特に、細かな管理が必要とされる養蚕は、農家の女性の重要な仕事となり、生活を支えたのである。

中でも相模田名は特に養蚕が盛んな地域であり当時農家の90%が養蚕にたずさわり、製糸工場を運営した田名の産業組合は神奈川県の貯蓄番付表では抜きん出ていたほどの盛業であった。

また、半原地方は山間部が多いために早くから養蚕が盛んで、生糸、絹、布などの生産が行われていた。江戸時代天明年間に津久井方面で織られた紬縞が織物の起源といわれる。明治、大正時代は絹製品を中心としたとした織物であったが、昭和に入ると人絹織物が中心となった。
養蚕は農家の女性たちの努力によって支えられていた。
繭を煮て、糸口を見つけ数本あわせて座繰機にかけ、撚りをかけながら1本の糸にしていく。
「オカイコサマ」と呼んだことからも、農家の人たちにとって養蚕がいかに重要であったかがわかる。
当時の絹織物
着物一揃いは約2,5kgあります。これを作るには約1万匹の蚕からとった生糸3,3kgが必要となり。長さにすると東京、大阪間を11往復に相当する。
建物は当時の代表的な養蚕農家を移築再現しており、二階の展示室には当時の暮らしぶりや養蚕の様子がわかる写真やパネル、模型などが展示されてる。一階は生涯学習の場として広く開放している。
相模田名民家資料館
開館日:木、金、土、日曜日の4日間
開館時間:4月〜10月10時から5時
       11月〜3月10時から4時
住所:相模原市田名4853
電話:0427-61-7118
養蚕は江戸時代から、昭和初期にかけて、農家にとって唯一の現金収入の源泉であった。特に、横浜開港に伴い輸出品として、市内の多くの農家で盛んに養蚕を営むようになった。そのため、市東部の相模台地上には桑畑が多く見られた。
写真は稚蚕用の桑取りをする座間下宿の養蚕組合の人々。昭和27年。
座間市歴史資料館
昔使用された蚕の製糸の道具が展示されている。
場所:座間市公民館内、座間JA裏
問合せ:046-255-1111

参考文献:絹の道資料館・及び座間市立図書館市史編さん「目で見る座間」より

マイタウン目次に戻る