| 大山道 | |||
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「大小の岐路、いやしくもその一端が大山に達するものは、大山道と名付く。その岐路に至って、人の迷うところには必ず、大山道の石標を設立せり。」と大山史がのべているように、十人、二十人の講中が先達に導かれて通った道は、すべて大山道である。
現在、畑の中の細い道となったり、廃道となったり、現在の245号のような交通頻繁な自動車道となったりで、残っているのは40道程である。 主なものは、次のとおりである。 1.矢倉沢往還道(相模川、厚木の渡しを利用) 2.柏尾通大山道(相模川、戸田の渡しを利用)⇒戸田の渡し居合坂付近はかながわ古道50選 ![]() 3.熊谷から松山道大山道(相模川、久所の渡し、または磯部の渡しを利用) 熊谷から松山道大山道は、境川領国橋から相模原市橋本公民館までの旧国道16号線沿い約500mの町並みが、昔交通の要所として栄えた橋本宿である。橋本宿は大火で焼失したため詳しいことは不明であるが、江戸初期、幕府の命によって宿場として誕生したらしい。徳川家光が静岡東照宮から日光東照宮へ宝物を運ぶにあたって混雑の激しい東海道を避けて小田原から橋本を通って熊谷に行く裏街道を利用したので日光往還八王子道ともいった。 |
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| 棒杭 | |||
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現東電橋本変電所の南側に、昔大山道が田名、久所の渡し経由と上溝、当麻の渡し経由に分岐するため、木の棒の道標がたてられていた。それでこの辺りを棒杭といった。
この付近の民家内に大山ゆかりの不動明王像が祀られている。七沢石造りの不動明王が浮き彫りにされ、その下に大きく「右大山見ち」、右側面に「北八王子道」、左側面には「南厚木道」とある。この像は、田名の人々が大山詣での人々をなんとか上溝ではなく、田名に立ち寄らせたく、「右大山見ち」と大きく彫ったものという話が伝わっている。 |
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