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 無量光寺
当麻山縁起
1261年、一遍上人23歳の諸国遊行のおり、妙見菩薩のお告げにより亀形の丘にのぼり、小さな祠を金光院と名づけて、ここに留り修行をつづけた。これが当麻山無量寺の起こりである。

無量光寺の建立
二世真教は一遍上人が九州遊行の祭、その説教を聞いて強く帰依信仰し、終始遊行に随行した。上人の臨終に際してはこれに殉じようとしたが、周囲のものにとどめられ、推されて二世を継いだ。1303年老衰のために、修行も思うにまかせなくなったので、宗祖にもっともゆかりの深い当麻山金光院の跡に、無量光寺という伽藍を建立し、上人の遺骨を分骨して葬った。
伽藍の位置は、明治26年に焼失山するまで、山門から真直ぐに参道がつきあたる正面にあったが、その後、仮本堂が現在の位置に建てられている。

当麻山の歴史
伽藍は北条上杉の兵乱のときや、失火などで数度焼失しているが、徳川時代までは、境内は今より広く、僧院尼院の塔頭寺院は棟を並べて建っていた。
また、小田原北条氏時代には歴代城主から相当の庇護を受けていた模様である。寺には北条早雲の制札など貴重な文化財が多く保存されている。このように時宗史上特筆すべき存在であった当麻山も、明治5年に1宗1管長の制が布かれるようになり、総本山清浄光寺の配下に立つようになって大本山となった。

場所:神奈川県相模原市当麻578番地 交通:相模線当麻駅から徒歩10分  駐車場:あり

山門
正面入り口から杉の木立に挟まれた坂をまっすぐに上って行くと山門がある。相模原市の文化財に指定。
なぎの木
山門の右横に一遍上人が立てた杖からそのまま根ずいた「逆さ木」といわれる「なぎ」の大木がある。保存樹木に指定。
金光院跡
なぎの大木のうしろにあたる草叢が、最初に一遍上人が庵を結んだ金光院の跡といわれる。
丈水句碑
芭蕉句碑と参道を隔てた反対側の左手に五柏園丈水の句碑がある。
「花よ花よ念仏よ念仏よ当麻山」九十一翁丈水と記されている。
芭蕉句碑が建立された後、その意味を内包し、それを迎えて作られたものと思われる。
芭蕉句碑
参道の右手に芭蕉句碑があり、「世にさかる花にも ね仏まうし鳧」芭蕉翁とある。
この句碑には年代も建立者も刻まれていないが、左の丈水句碑から推察すると、当時の住職52代他阿霊随和尚らが主となって建てたものと思われるという。住職は俳諧にも長じ丈水とも親交があった。
一遍上人の石像
焼失した本堂跡には昭和55年に寄贈された一遍上人の佛像が安置されている。
木造のご本尊は仮本堂に安置されているが、その由来は、別れを惜しむ弟子真教らの求めに応じ、水鏡に映した絵姿によって自身は頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木造をつくりあげた。昭和33年に相模原重要文化財にしてされ、毎年10月22日・23日開山忌に開帳される。
庭園の池
本堂の裏には「笈退り」から引かれた池がある。
熊野権現社
右手の鐘楼の奥に熊野権現社がある。
名号石
山門をくぐり、石畳の参道を進むと、左側に開祖・二世徳本らの六文字を刻んだ名号石がある。
弁財天の小祠
周りの池は、本堂を建立するときに土盛りのために、取った跡であろうといわれている。
お髪五輪塔
本堂後の墓地入り口に二基の五輪の塔がある。寺伝によると、徳川家康より10代ばかり前の先祖世良田左京亮有親・松平太郎左衛門尉親氏父子が、難を避けて8代住職良光上人につき剃髪し、その髪を埋めたところといわれている。
鐘楼
境内右手奥に「南無阿弥陀仏」と書かれた鐘楼がある。鐘銘には開祖一遍上人の名が記されている。
一遍上人
時宗開祖一遍上人は、1239年伊予の名門河野通弘の次男として生まれ、幼くして父のすすめにより、仏門に入った。成人ののち兄の死去にともない、遺産を横領しようとするもののために危害を受けた。このため上人は人間の利欲の情のおそろしさと醜さを感じ、捨家棄欲の念に徹して修行をつづけた。
とくに熊野権現より神託をうけ衆生済度の確信をもって、北は奥羽から南は九州にいたるまで生涯を通じて遊行をつづけた。そして一念称名するものには、すべて「南無阿弥陀仏・決定往生・六十万人」と記した小さな札を与え名帳に登録した。その数は16年間に25万余人に達したという。1286年に神戸観音堂で51歳で示寂された。

笈退り(おいしゃり)とは
1282年初夏の頃、日照りがつづき田畑はみな枯れてしまった。一遍上人は庶民救済のため、岩の上で3日3晩の間念仏を称えた。そして錫杖で地下三寸を付くと、水がたちまちこんこんと湧き出し、あたり一面にあふれたため石の上においた笈を後に退らせたという。ために笈退りの水の名を残し、近年まで部落の簡易水道の水源地として利用されてきた。


笈退りの石碑
当麻山北方の出入り口から、上溝の方向へ300メートルほど進む国道沿いに、笈退りの入り口を示す石碑がある。筆者が訪れたときには近所の人だろうか花が手向けられていた。碑には僅かに「竜神勧請井」と読める。
こから林の中に入るとほとんど人が通らないような小道があり、さらさらと小川が流れている。以前はこの環境を利用したわさび田の跡が見える。鳥の声を聞きながらこの小川を遡ると、突き当たりの一番奥に清水の湧き出す井戸がある。
もっと奥のまるで獣道のような道を行くと池があって、かつてそこから湧き出ていたであろうコンクリート製の穴がそばにあり、ほとりに古い石碑と新しい石碑の二つがある。古い方は注意しないとデカい石に見えるが、「一遍上人笈退の泉」と読める。
参考文献:さがみはらの文化財第3集

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