クリック
 秋葉山古墳
今からおよそ1700年前の昔、神奈川県海老名市に壮大な古墳が作られていた。統一国家成立の兆しがやっと現われた弥生時代後期に、畿内古墳に似た古墳がどのようにして海老名の地に伝わってきたのだろうか。
神奈川県には相模川を挟んで10余の古墳群および古墳の存在が知られているが、その中の秋葉山古墳は明治末期の文献によって確認されている。

海老名市上今泉4丁目の標高80メートルほどの丘陵地に位置する秋葉山古墳群には、3世紀後半の弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて築造されたとみられる、東日本最古級の前方後円墳がふくまれていている。これは古墳の形態など、古墳構造の変遷を調べる上でも、貴重な古墳である。

相模地方の前期古墳は、相模川水系の中〜下流域の低地を望む台地、丘陵の先端に点在するという特徴がある。
地形的には、相模川中流域の東岸、座間丘陵の頂部標高80mの尾根上に位置しており、古墳群の規模は前方後円墳3基、方墳1基、墳形未確定2基の6基からなっている。
また、これらの6基が接近した位置に計画的に配置されていることも、相模地域の前期古墳の中では極めて珍しいとされている。

秋葉山古墳の大きさはまちまちだが、2号墳を例にとれば、全長57m以上、後円部の直径は33m程度であり、初期の古墳群であるため、全体的にやゝ小ぶりである。


海老名市で調査の結果、卑弥呼の墓といわれる奈良県箸墓(はしはか)古墳に匹敵する全国的にも非常に古い、当時の姿をとどめた貴重な古墳群であることがわかったという。

晴れて国史跡に指定へ
海老名市では「貴重な文化財は将来にわたって保護されるべきで、積極的に国史跡への申請を進めたい」との働きかけが実り2005年秋に指定されることが決まったという。
秋葉山古墳群
海老名市の北側市街地に位置し、6個の古墳群がそのままの形で保存されている貴重な遺跡である。
発見順に1号墳から6号墳と呼ばれているが、4号墳の後、これも古墳ではないかと調査の結果、5号墳が確認されたので、順序が逆になっている。

6号墳は上今泉配水場を挟んで座間市よりに位置し、発掘調査はほとんど手がついていない。
海老名市では、この一帯の秋葉山古墳群を中心に、古墳公園として保存・整備をする計画で、近く国の遺跡に指定されることが予定されている。

いろはかるたになぞられた、石柱があり、「今泉 古墳群のある秋葉山」と記されている。

1号墳 2号墳 3号墳
墳丘は関東ローム層とその上に堆積する黒土を削りだして成形されている。出土遺物の量は少なく、くびれ部の付近から小型丸底坩などが出ている。
土製品が意図的に非常に細かく破砕された状態で出土された。また、くびれ部では、祭祀には火を使用されていたことが濃厚である。
墳頂部での土器祭祀を行い、墳丘を壷形土器で囲繞した可能性がある。秋葉山古墳群のなかで最も古く、重要な古墳である。
4号墳 5号墳 6号墳
上今泉自然公園に整備されている。年代的に群のなかでは後期の建造とされる。
規模は小さく年代などはほとんど4号墳と同じ。
4号墳の北側にあたる上今泉配水場の向こう側。出土品はほとんど出ていない。
第2号墳で確認されたくびれの部分 第3号墳からの出土品

高塚古墳
秋葉山6号墳の僅か数十メートル北側に小さな古墳らしきものがある。位置関係から秋葉山古墳群の一部とも見られるが、小さな道を挟んで座間市に位置するため、秋葉山古墳群を管理する海老名市では、関与していない。
またこれが古墳なのかどうかについて、昭和29年に行われた樋口清之博士による調査記録が、座間市教育委員会発行の文献「蟹が沢・鈴鹿遺跡」に記述が残っている。
『座間市の南端、海老名町との境界座間市入谷2036番地所在、通称野際の塚は高さ約2m、径約14mで従来高塚古墳と称されてきたが、調査の結果古墳とは認め難かった』とある。
すなわち、座間市は高塚古墳の一部かもしれないとしながらも、古墳としての保存対象にはなっておらず、両側面から住宅開発が迫ってきていて、消滅する日は遠くないかもしれない。


相模川水系の古墳、古墳群
 相模川両岸にある10余の古墳群は、この地域の首長達を核とした相模国と呼ばれる連合体が形成され、大和政権の一翼を担った人たちの墓であろう。

東岸側 : 秋葉山古墳群、上浜田古墳群、大神塚古墳
西岸側 : 吾妻坂古墳、ホウダイヤマ1号墳、地頭山古墳、愛甲大塚古墳、小金塚古墳、御所塚古墳、塚越古墳、真土大塚山古墳



海老名市教育委員会より一部資料の提供をいただいています

マイタウン目次に戻る