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第七章 新しい日本の設計図は私たちが描く
問題山積の日本を変えて行くには私たちが大きな声をあげなければなりません。これからの日本は官僚支配から脱却し、少子高齢化の人口構成に適した小さな政府を創りあげることが急務です。新しい日本の設計図を一緒に描こうではありませんか。
071 国の根幹である教育に大きな関心を
最近の目を覆うばかりの事件の続発に「この国はおかしくなっている」と感じている人は少なからずいると思います。国にとって一番大切なのは教育です。最近の乱れの全てが戦後教育に原因があるとは思いませんが、私は常々「戦後日教組教育がバカな親を作ることに成功し、バカな親からは必然的にバカな子供が育つ」と言っています。当然のことながら猛烈な非難が私に寄せられます。このような極端な語りかけから出てきた非難をもとに教育問題の議論を開始することにしています。
戦後教育は「自由と平和と平等」を強調しすぎたきらいがあります。もちろん戦前の強烈な反省の上に立ってのことではありましたが、日教組を中心とする左翼勢力が教育現場で力を持ったことが不幸の始まりです。
まず自由について言えば、
「自由にともなう権利と義務」について、ともすれば権利ばかり主張し義務についてキチンと教育してきたか真剣に反省すべきだと思います。「法律を犯さなければ何をしても自由」との風潮が日本国中に蔓延している実情が戦後教育と無縁であったとはとても思えません。「権利と等しく重い義務があること」「場合によっては義務が奔放な自由を拘束することもあること」を遺伝子に叩き込まれなければ、共同生活を営む上で大切な倫理観を失わせ公衆道徳の欠如に結びつくのは自明の理ではありませんか。
次に平和です。
平和の概念が「世の中に無頼漢は存在しない」との誠に非現実的な「世の中に存在しない空想の世界」を設定したことです。その結果国際的に多発する弱肉強食の世界が自分たちとは無縁であるという幻想を育てて来ました。そして「自分のことは自分で守る」「自分の国は自分たちで守る」との気持ちが見事に欠落した国民を大量生産して来ました。国旗、国家を学校でないがしろにする国が一体どこに存在するでしょうか。
最後に平等です。
占領軍により押しつけられた教育基本法ですから、当然アメリカ思想が入っているはずです。アメリカ思想であるならば「法律のもといかなる国民も平等な条件で競争する権利を持つ」すなわち公明正大な競争をする権利が確保されることではなかったでしょうか。そのような難しいことを教えるより、いっそ学校から競争を排除した方が良いと安易に解釈して、運動会で順位をつけないなど結果としての平等に力を入れたのではないでしょうか。そのため自分自身は努力することなく、自分が望むレベルにつけないのは国が悪い、社会が悪いという人間を育成してきたように思えます。
そろそろ教育基本法も改正しなければなりません。しかしインターネットで検索すれば「教育基本法の改正反対」のページばかりが目立ちます。このような勢力に負けることなく日本を普通の国にしなければなりません。教育こそ国の根幹を司る大切な事柄であるからです。
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