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関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪

藤原雄一郎の時事通信 2006年1月号

 ライブドア事件 もっと前向きな方向で! 1/30

国会でのライブドア論議での「ライブドア三兄弟」などきわめてレベルの低い議論にあきれてしまいます。またマスコミの過度な報道には「とにかくほりえもんを叩けば良い」との無定見さが目立ち、ウンザリします。そしてこれほどまでに騒いでおきながら、そのうち肝心な事柄は静かに忘れ去られ「すべて世はこともなし」状態に落ち着くのでしょうか。

ライブドアの行動は許されるモノではなく、厳罰に処するべきです。そして世の中にはライブドア的なヤカラが数え切れないほど存在するという前提をまず頭にたたき込まなければなりません。マスコミが競争してライブドアの悪質な手口を報道していますが、この手口を真似ようと虎視眈々と狙っているもっと悪質な勢力は「今や遅し」と出番を待っていることでしょう。

その一方でライブドア事件があったからと言って、世の中の流れはもはや後戻りできないところにまできています。株式分割にしろ時間外取引にしろ、廃止の方向に逆戻りしないのは自明の理です。また規制緩和を昔のような「お役所の顔色を伺う裁量行政の護送船団方式」に逆戻りさせることも許されません。

ここは欧米流に「自由競争とひきかえに厳しいルールの監視」を磨きあげる必要があります。そして「ルール違反には厳罰」がなければいくら厳しい監視をしても有名無実です。「一般犯罪に対する警察」くらいの厳しさと監視力の強化が必要です。「ルールに違反して儲ける額が、処罰される損失よりも多い」状態であるならば、違反を承知で行動を起こす多くの人々が存在することも事実です。(ヤミ金融のような・・・)

また粉飾決算はライブドアの専売特許ではありません。カネボウのような歴史のある一流企業と目されていた企業ですら粉飾決算に走りました。会計監査は一体何をしていたのかと誰しも思う実情です。 高度成長時代は、一時的な停滞も時間とともに回復しましたので、会計監査もなれあいですみました。しかし時代はこのような安易な経営を許さなくなっています。粉飾決算は高度成長期の制度疲労の証だと心得て、会計監査自体の新しい時代への対応が必要です。

以上述べたことは欧米を中心とする弱肉強食の世界では常識として制度も確立しています。一人日本だけが遅れていては欧米ハゲタカの餌食になってしまいます。ライブドア事件を契機になさねばならないことは山ほどあります。「ライブドア三兄弟」などと浮かれている暇はないことを私たちは認識しなければならないと思います。

 ライブドア国会 小泉首相に集中砲火 1/27

国会が始まり、ライブドア事件を例にとって「小泉政権が生み出した陰の部分」を浮きだたせようと、与野党ともに必死になって小泉首相に集中砲火を浴びせています。小泉構造改革のおかげで「弱肉強食」「格差社会」が出現し、ライブドアのような「拝金主義」を蔓延させたと猛攻撃を加えています。

そこには長い間の小泉政権で冷や飯を食った人々が、ここぞとばかり倒閣運動に結びつけようとの魂胆が見え透いています。またマスコミも、今までほりえもんや小泉首相を持ち上げてきたのを手のひらをかえしたようにこの論調に同調し国民の関心を引こうと躍起です。理念の欠如したこのような行動をとる人々に「恥を知れ」と言いたい気持ちです。

ライブドア事件と小泉改革は全くの別物です。日本は長い間「競争の機会平等(努力したものが報われる権利)」を社会から奪いさり、「結果としての平等」ばかり強調してきました。(小学校の運動会で徒競走の順位をつかない悪平等、公共事業バラマキでの弱者救済など)

その結果、旧ソ連も驚く「世界一の社会主義国家」を築きあげて「一億総中流」を実現したものの1000兆円もの借金の山を生み出したのです。「誰もが豊かな夢の社会主義国家」など存在出来るはずもないのです。

小泉改革は「もはや無い袖は振れない」と小さな政府を目指し、資本主義社会にとって必須の「競争の機会平等」を推進しただけの話です。その一方で橋本政権時代からの「金融ビッグバン」で始まった規制緩和が奔流のように進みながら、それに対する監視体制の法整備がきわめて未熟でありました。

アメリカ流の自由競争では「必ず悪いことをする人間は存在する」との前提で「厳しい監視体制」を同時に設定するのが絶対原則です。「ルールのもとに自由競争」の社会では「ルール違反を厳しく取り締まる」ことが絶対的に必要であることは誰にでも理解できます。

しかしながら「ライブドラ流錬金術」の分野で厳しい監視体制が確立されているかどうかは素人には全く理解できません。そこをほりえもんたちはうまく突いたつもりだったのでしょう。本来監視すべき「証券取引監視委員会」や、あれほどメガバンクをいじめた所轄の金融庁が検察に出し抜かれたのは、それこそ「恥を知れ」と言わねばならない醜態です。

ライブドアを必死になって叩く暇があったなら、マスコミは「自由競争」と「ルールの厳しい監視」の両輪が揃っていない愚かな現状を国民の目の前に示すべきではないのでしょうか。欧米に比較して日本はまだまだ甘い状況です。ほりえもんや村上ファンドは目立っていますが、ハゲタカは静かに潜行して暴利をむさぼっているのではないでしょうか。ここは監視体制の法整備を急ぐべきです。

 ライブドアよ公共マナーを「江戸しぐさ」に学べ 1/25

産経新聞の社説に面白いことが書いてありました。

その昔、狭い路地ですれ違うとき、ぶつからないように互いに肩を引き合った。雨の日には、人様に滴がかからぬように傘を反対側にかしげた。舟に新しく人が乗り込んできたら、こぶし一つ分詰め合って席を空けてやる気遣いを示した。

 これらは「肩引き」「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」と呼ばれる「江戸しぐさ」である。・・・中略・・・戦後、自由と民主主義を履き違えた自分勝手な生き方がはびこっている。現代人の行儀の悪さを省みるよすがとして、「江戸しぐさ」という先人の知恵を大いに活用したい。

思わずハッとしました。たしかにその通りです。ライブドア事件が次第にあきらかになってくるにつれて、ライブドアの行動は電車の中で他人の迷惑を考えず座り込む「ジベタリアン」や化粧に夢中になる女性などと同じ線上にあるように思えてなりません。また小中学生が罪の意識を全く持たずに自転車を盗み、自宅に帰る前に捨てる行動とも良く似ています。要するに「人の迷惑おかまいなし、自分さえよければいい」という思想が根底にあるのだと思いました。

国会が始まり、民主党の前原代表は「安全国会」と名付けて、耐震設計偽造問題にライブドア、米国牛肉のBSE問題などで、政府を徹底的に追求する姿勢です。その姿勢は大いに歓迎ではありますが、産経新聞が述べているように、「江戸しぐさ」という先人の知恵を大いに活用して、「他人に対する思いやり」の精神を取り戻し、荒廃している日本の社会の立て直しにまで踏み込むことが出来れば民主党の天下も近いのにと思います。

最近のライブドア事件で過去の堀江語録が繰り返しテレビに流れます。「倫理観は時代によって変わるでしょう。だから守るべきはルールなのです」と語っていました。結局ライブドアはそのルールさえ守らずに逮捕にいたりました。

ルールとは人間が社会生活を営む上に守るべき最低限の規範です。倫理観はそれより上にあります。倫理観を喪失すればルール違反は時間の問題であることをライブドア事件は示しています。

倫理観の基本は「他人に対する思いやり」ですから、時代と共に変わるものでもありません。ほりえもんとその同類の仲間たち(いわゆるヒルズ族)がこの単純な真理に一日も早く気がついて欲しいと思います。そして私たちもここで襟を正さなくてはと思います。

 脱皮出来るか民主党 1/23

民主党は前原代表になってから、混迷の度を深めています。それは前原代表が衆院選の大敗北を受けて、民主党の持つ病根に鋭くメスを入れようとしているからです。前原代表の改革への意欲が混迷度を深めています。とても良い傾向だと思います。

従来の民主党は、その顔が常に内部を向いていました。それは旧自民出身者と旧社会党、民社党という、いわゆる「55年体制で対立していた陣営」を党内に抱え込むことになったからです。

従って憲法改正などはまさに「地雷原」であり、旧社会党の流れをひく護憲派から旧自民党改憲派との意見の合意は不可能に等しく、憲法、安全保障は民主党のアキレス腱だと言われています。また組合、特に「親方日の丸」の官公労は民主党内における抵抗勢力の筆頭です。このような状況では外に対して小泉流の「歯切れの良い」政策を打ち出せるはずもなく、この前の選挙では「民主党は抵抗勢力」の烙印を押され惨敗しました。

朝日新聞によれば外交・安全問題で歯切れの良い発言をする前原代表に対して、ある幹部が「『左』のすき間を空けて、社民党や共産党が息を吹き返す余地を与えているのではないか」と苦言を呈したと言います。それに対して前原代表は「自民党から民主党にどう取り込んでいくかを考えた時には、仮に『左』のすき間が空いたとはいえ、政権交代を現実的にするには私は現実路線を突っ走りたい」

これを聞いた党内の幹部は「やっと社民党を整理したのに、広大なさら地を生み出して社民党に家を建てさせるのか」と憤ったといいます。ここに民主党の混迷が顕著にあらわれています。私は政権与党を民主党が目指すならば、前原代表の考え方が正しいと思います。

この際旧社会党や官公労陣営は民主党と袂を分かち、社民党と合併して世の中の不満を吸収する万年野党に徹すれば良いと思います。そうすれば、念願の政界再編が実現し、「小さな政府を目指す小泉的政党」と「弱者救済を目的に大きな政府を目指す亀井静香的政党」の二大政党で政策を競い合えば良いと思います。

ここは前原代表にがんばってもらって、よりよい日本を目指す、真の二大政党時代をもたらせて欲しいものです。

 これみよがしのライブドア・バッシング 1/20 

ライブドアへの強制捜査が入り大騒ぎとなっています。恐らくライブドアの行動を快く思っていなかった人々は心の中で快哉を叫んでいることでしょう。特にライブドアに狙われたテレビ局を始めとするマスコミは、ここぞとばかりライブドアへの攻撃を強め、少しばかり「はしゃぎすぎ」とさえ見えます。

何となく胡散臭いライブドアを批判することは「時代に対して乗り遅れている」といわんばかりの論評を腹立たしく思っていた人々は相当な数に上っているはずです。事実藤原通信でもライブドアを新しい時代の台頭との説明をして来ました。ところがその実態が法律違反であったと知れば、心の底から快哉を叫びたくなるのも当然だと思います。

しかし待ってください。ライブドアの攻撃を受けたプロ野球業界にしろ、日本一の高給を享受するテレビ業界にしろ、既得権益に守られた日本で一番遅れている業界であることは紛れもない事実です。さらに敵対的買収など新しい経済環境に対して全く無防備であった日本の古い経営者に鋭く警鐘を鳴らしたライブドアの功績を忘れてはなりません。

確かに時代は大きく変わっています。ライブドアに強制捜査が入ったからと言って、時代の変化が止まるわけでもありません。ここを間違わないで欲しいと思います。

それはそれとして、私はライブドアに対して胡散臭さを感じて藤原通信で批判的なことを書いた時に、読者から「些細なことに目を向けて、ライブドアの革新性から目を背けてはいけない」とおしかりを受けました。しかし「灰色であっても合法であれば良い」とか「会社は株主のものでしょう」との言葉が最低の倫理観さえも欠く違法性のあるものであってはならないことは自明の理です。

この際、徹底的にライブドアの実態を解明し、「総会屋との違いがさっぱりわからない村上ファンド」など、マネーゲームの虚業に違法性はないのかを白日の下に明らかにして欲しいと思います。いかに古くさいと批判されようとも、「理念を持たない企業は社会に存在を許されない」ことを多くの経営者は肝に銘じて欲しいと思います。

今回の事件が耐震設計偽造問題と同根であり、日本社会に次第にはびこりつつある「倫理観の欠如」にストップをかけるとすれば、ライブドアは歴史に残る偉業を達成したことになります。是非そうなって欲しいものです。

 産業再生機構に学べ 公務員改革 1/10

カネボウやダイエーの再建で中心的役割を演じた産業再生機構は「今年中に実質的な業務を終了させ、平成二十年三月末までとしていた五年間の存続期間を一年短縮する」方針を明らかにしました。

産業再生機構の果たした役割には賛否両論あり、評価を下すにはまだ早いかもわかりません。しかし産業再生機構の「引き際」はとてもお役所とは思えないほど鮮やかなものだと感服しています。

お役人の世界では、時限立法で組織を作り、その設立目的がとっくに終了しても延々と組織を存続させて税金をムダ使いする傾向があります。ところが産業再生機構はその期限を一年前倒しにして解散すると言うのです。

事実、不良債権処理はその峠をこし、景気も回復基調にある昨今、産業再生機構はその役割を見事に終えたと思うのが、庶民感情です。ところが従来のお役所であるならば、なんだかんだと理屈をつけて、期限の延長をはかったことでしょう。

ところが産業再生機構は「官であって官でない」のです。その理由は機構で働いている中心的な人たちは民で占められているからです。「産業再生機構で名をあげて、民で成功したい」という野心を持った民の人たちが産業再生機構に結集しました。このような人たちは、仕事が実質的に終了しているのに働き口がなくなるからと官にしがみつく理由は全くありません。

一日も早く、産業再生機構で得た貴重な経験を民の世界で生かしたいのです。ですからこれほどまでもスムースに産業再生機構が解散できるのです。ここに官の世界における効率化の大きなヒントがあります。要するに「特定の目的を達成するための組織」は産業再生機構のように、民の人材を活用すれば良いのです。

特殊法人、公益法人など政府系の組織は全て廃止して、真に必要なものに限定して産業再生機構方式を採用すれば、どれだけ税金の無駄使いが減少することでしょう。とにかく「費用対効果と時間の観念」を官の世界の遺伝子にまで染みこまさなければ税金の無駄使いは絶えません。産業再生機構は良い見本を示してくれました。

さて藤原通信は2週間ほどお休みさせていただきます。

 改革推進に官僚の抵抗 1/9 前回

昨年末、政府は「行革推進法案」を閣議決定し、今年の通常国会で法案化することになりました。その内容は「国家公務員の人員削減」「政府系金融機関の統廃合」「(母屋ではお粥をすすっているのに、離れでは豪華にすき焼きを食っていると言われた)特別会計の統合・縮小」などきわめて重要な内容が含まれています。

政府系金融機関の統廃合などは官僚にとって命の次に大切な「天下り」の縮減につながるだけに、激しい抵抗が水面下で行われています。

また「国家公務員の削減」では早くもその抵抗ぶりが新聞に登場し始めました。文部科学省は事務局のヒアリングに大物幹部を派遣して徹底抗戦を開始しただけでは飽きたらず、大臣までが乗り出して「定年退職などに伴う自然減はやるが、それを上回る純減はできない」と一歩も引かず、物別れになる始末です。

官僚だけでなく、自民党内の族議員による抵抗も活発化しはじめています。行革事務局の重要方針原案には、国土交通省の北海道開発局が一元的に管理、実施している直轄公共事業について「縮減・分権化、民間委託の推進」と明記していました。これに町村信孝前外相ら北海道選出議員が「譲れない一線」と猛反発しています。

やはり地元への利益誘導は選挙の票に直接結びつくだけに、抵抗も激しいものとなるでしょう。このように大きな抵抗と反発があるのは、同時に改革の必要性も大きいことを意味しています。

自民党の歴史の中で、かってないほど総理・総裁の権限が高まった現時点でもこれだけの抵抗があるのですから、小泉退陣後の改革推進には、大きな不安が残ります。何度も同じことを言っていますが、国民の監視の目が大切です。安易に消費税増税を許さないことだと思います。

 景気の回復は良いことだが、金利上昇の足音が聞こえる 1/6

今年はどの企業に聞いても景気が回復するとの明るい声が聞こえてきます。景気とはまさに「気」の問題、すなわち私たちの気持ちの問題ですから、「景気が回復にむかう」と思うだけで、財布のひもがゆるみます。

もっとも小泉政権下の「小さな政府」思考で貧富の差が拡大し、財布のひもをゆるめようとしてもその余地のない多くの人々が存在することも事実です。

しかし、手元に余裕がありながら、底の見えないデフレの恐怖で財布のひもをしっかりと締めていた人たちは、経済の将来に明るさを見れば、今まで相当長い間我慢をしてきただけに、気持ちが浮かれて当然です。しっかりとタンスにしまっていたお金が、株式や高額商品に流れ始めました。

今までは政府が超金融緩和政策をとり、市中にお金をだぶつかせても、そのお金は流れませんでした。その結果、銀行など金融機関は国債購入をせざるを得ないで、国と地方は野放図な借金を積み重ねることが出来たのです。

しかし世の中にお金が流れ出すと、より金利の高い借り手にむかってお金が流れ、金利は上昇に向かいます。長い間のゼロ金利から解放されるわけです。そうすると一番困るのは借金の多い人たちです。その最高峰にいるのが国と地方自治体の1000兆円ちかい借金です。

今、日銀の超金融緩和政策解除をめぐって、政府が激しいけん制をかけています。ただでさえ破綻している財政に、金利上昇という厳しいパンチが襲うからです。

何も国に限ったことではありません。個人の住宅ローンもその影響を受けます。少しでも手元に余裕が出てきたら、薄型テレビは我慢して、ローンの繰り上げ返済へとお金を回すべきでしょう。今年は昨年までと異なった方面での注意が必要です。時々刻々変化する世の中にうまく対応しなければ痛い目にあいます。「転ばぬ先の杖」が必要でしょう。

 「公共の精神を取り戻せ」 安心と安全が保てる日本に 1/4

本日から多くの企業では2006年の新しいスタートを切ることになると思います。今年は民間企業にとっては飛躍のチャンスが満ちた年となると思います。その一方で激しい競争に勝てないで淘汰される企業も出てくることでしょう。「進化して生き延びる」進化種になるか「恐竜のように変化に対応出来ない」絶滅種になるかの分岐点となる年だと覚悟しなければならないと思います。

また永田町と霞ヶ関、すなわち政治と官僚の世界では、小泉退陣をめぐり、小さな政府を目指す小泉路線の継承か、反小泉路線を選択するか、大げさな言葉を使えば、日本の将来を決定する大切な年になりそうです。

このように政治・経済に大きな分岐点をかかえた日本が、再び世界に輝く存在として復帰するには「日本社会に安全と安心」を取り戻すことです。

昨年は大きな事故で数多くの人命が失われました。そして姉歯事件に象徴されるように、社会として守るべき基本ルールを逸脱する事例が、大きな社会的反応を呼びました。このように「安全と安心の欠落した日本社会」の根底に何があるのか、今一度考え直す必要があると思います。

それは「官は官ならず」「民は民ならず」です。もっとはっきり言えば、官からも民からも「公共の精神」が失われていることに他なりません。

民は、姉歯事件や福知山線脱線事故を代表として「利益追求優先」で本来守るべき社会規範を逸脱した例が多く見られました。一方官は大阪市職員優遇問題や社会保険庁問題に働かない労働組合・自治労など、全く「公共の精神」が失われています。

ホリエモンにしろ村上ファンドにしろ「合法のスレスレ」を狙って「合法だから問題ない」と開き直る。一方攻められる企業は経営陣の保身を第一に考えて対策する。政官業それぞれが「まず公共の精神に立ち返る」ことです。

社会に要求される倫理観を取り戻さなくては「安全と安心」の確保される日本には戻りません。昔の日本のように「安全と水は無料」「世界に冠たる高品質」のような常識が世界中に日本製品を溢れさせた原因であったことを思い出しましょう。そして新年にあたり、官も民も「公共の精神」を取り戻すことを誓いましょう。

 激変の2005年、今度はコンビニが百貨店を呑み込む? 1/1

新年あけましておめでとうございます。藤原通信は今年も研鑽につとめますので、よろしくご指導のほどお願い申し上げます。

さて昨年2005年は経済界ではホリエモン騒動で敵対的企業買収で大きな時代の変化を感じました。そして政界では歴史に残る9.11郵政解散で政治の世界も確実に変わりました。

2006年は日本全体が長い間の低迷から抜け出し、生き残りへの確かな「あゆみ」を踏み出す年になると思います。ここで読者の皆さんには、今一度ダーウインの進化論を思い出して欲しいのです。

「この世に生き残る物は、最も強い者か。そうでもない。最も頭のいい者か。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ」

昨年2005年は日本国全体が変化対応に自信を持った一年でした。しかし詳細に見ますと、従来の呪縛が解けず、恐竜のような絶滅種に向け、まっしぐらに突き進んでいる企業や個人や政治家に官僚たちが存在しています。「変化に対応できる進化種になる」か「変化に対応出来ずに絶滅種になる」か?まさにその分かれ道が2006年だと思います。

進化種が生き延びている社会は「多種多様な価値観」がそれぞれに際だった個性を発揮して輝いている社会です。少しの油断で「今日の勝者」は「明日の敗者」となる厳しい世界ではありますが、「敗者」となっても価値観が多様ですので「敗者復活」が可能な社会となることでしょう。絵に描いたような「弱肉強食」の世界です。

長い間、弱者保護が行き届いた「世界一の社会主義国家であった日本」が、その膨大な借金で首が回らなくなり、弱者切り捨ての時代に入ろうとしています。しかし長い歴史を見れば「弱者であるが故に、絶えず脅かされて変化に対応出来た」その典型が人間であったとダーウインの進化論は結論づけています。

2006年は「弱者にこそ変化対応への適応力あり」と信じて、毎日毎日を緊張感を持って、充実した生活を送ろうではありませんか。

ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2006年1月号