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関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪

藤原雄一郎の時事通信 2004年12月号

今年一年のご愛顧に感謝  12/31 前回 12/29

早いもので藤原通信を始めて一年四ヶ月経過しその間に200回近い藤原通信を発行することが出来ました。週に三回の発行には正直言って苦しいものがありました。しかし皆様の暖かい励ましや、時には厳しいお叱りを頂いて、ここまで続いてきましたことを心から感謝致します。

もともと企業経営が専門の私が、全く素人である政治関係の記事を藤原通信に書くことで、物事を見る目がずいぶんと変わりました。最初は政治関係の記事を経営的観点から突っ込む姿勢であったのですが、回を重ねるに従って、報道される記事を異なった角度から眺める習慣がつき、報道内容にひと味違った感想をもつようになりました。そうすると特にテレビを中心とするマスコミの視聴率至上主義に義憤を感じえず、感情移入の激しい藤原通信となり、読者の皆様からお叱りを頂いたこともたびたびです。

また、いままでさほど関心のなかった官の世界にも目を向けると、あまりの放漫経営に、思わず声を上げたくなることもしばしばでした。民間の世界ではやっと不良債権処理も解決のめどがつき、自立反転に向かおうとしています。今後は情報公開がほとんど進んでいない官の世界における不良債権問題が隠しきれずに噴出してくると思っています。今まで以上に私たち国民の厳しい監視の目が必要であることを痛感しています。

一人一人は微力ですが決して諦めず、小さな声をインターネットの世界で大きくしてゆくことにより、日本を破綻から救うことが出来ないかとドンキホーテのような気分でいます。

また今回多くの生命を奪ったスマトラ沖地震による津波の問題では、リスクにたいする管理体制が太平洋を囲む国々とかくも違うことを思い知らされました。この地震が太平洋域で発生していれば事前に津波警報が出され、多くの人命が救われたはずです。天変地異に対して恐ろしく無防備な世界があることを痛感させられると同時に、(本来は避けられるはずであった)想像を絶する多くの尊い生命が奪われたことに対し深い悲しみをおぼえるとともに、心からご冥福をお祈りする次第です。

世の中の動きには一時も目がはなせません。微力ではありますが努力して行きたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

そして皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。

郵貯がだめなら国債があるさ  12/29

日本は世界でも有数の預貯金が多い国でした。それが最近では異変が起こっています。預貯金が減少しはじめているのです。特に高金利で魅力があった郵貯の定額貯金が、最近ではほとんど利子が付かなくなったためか、郵貯の減少ぶりが顕著です。

今まで何度も言ってきましたように、郵貯・簡保資金は放漫経営で非難されている特殊法人に流れて来ました。最近では郵貯・簡保資金が国の借金である国債に向けられています。

2008年度には小渕内閣時代の歴史に残る国の大借金の返済がせまっています。当然返済できるはずもありませんから、また借り換えのための借金が必要です。2008年度には180兆円もの借金(国債発行)が必要となります。はたしてこれだけの巨額の国債を買ってくれる人がいるのかと誰もが不安を感じます。

官僚は自分たちが自由に使う金を集める才能にかけては天才です。素晴らしい知恵を出しています。それが個人国債です。ようやく不況から脱却の兆しが見えて、将来的に金利が高くなる可能性が見えて来ました。しかし銀行預金では定期預金でもほとんど金利がつかない上に満期が来るまで現在の低金利に固定されます。

ところが個人国債は解約さえしなければ元本保証の上に、将来金利が上昇すれば、国債の金利も上昇するという商品です。現在のように低金利で将来金利上昇が見込める時期には、かつての定額貯金のようなとても魅力ある商品です。そのためか個人国債発売以来、個人保有の国債が一挙に8兆円から18兆円へ増加し、素晴らしい売れ行きです。金利の有利さもありますが、来年完全実施されるペイオフ対策の一面もあるでしょう。国民の不安を巧みに利用した素晴らしい商品ではありませんか。

頭の良い官僚はこのようにして2008年度対策を着々と進めています。民間の銀行ではこのような魅力的な商品を出すことが出来ません。「うまい話には裏がある」のたとえ通り、個人国債の有利な利子は結局税金など公金が投入されるからこそ可能なのです。経済合理性を全く考えることができない官僚に民間を上回る有利な運用や資産のリスク管理などできるはずもありません。

赤字補填や不良債権など不都合が発生すれば、国民に税金等何らかの形で犠牲を強いれば良いわけで、郵貯・簡保資金同様、官僚の腹は少しも痛みませんし、全く責任も取らないのです。

郵便貯金も個人国債も「国の保証」という錦の御旗がありますから、元本も利息も安全そのものですが、回り回って税金などで、結局損失の尻ぬぐいを国民がする仕組みになっています。このようなことに優秀な頭を使うより、借金を減らすことに頭を使って欲しいものです。

どうする北朝鮮への対応 12/27 

政府は十一月の日朝実務者協議で、北朝鮮が示した安否不明の被害者十人に関する資料について、「『八人死亡、二人未入国』との説明 を裏付けるものは皆無だった。全く受け入れられない」と異例とも言える「歯切れの良い」強い姿勢の談話を発表しました。

北朝鮮の誠意のないでたらめな態度は今に始まったことではありませんが、その北朝鮮と対応してきた政府が、これほどまでにはっきりと北朝鮮を非難する態度に出たことに新鮮な驚きを感じました。これまでの政府すなわち外務省の態度は、マスコミにリークされる情報以上に北朝鮮に厳しい発言をしてきませんでした。

前線でやり合う人たちは北朝鮮が本気で拉致被害者の調査をしようとしていないことは百も承知のはずです。しかしながら官僚の世界には失敗はありません。何とか現実を湖塗しても問題の幕引きをはかりたいと思ったことでしょう。事実ジェンキンスさんの帰国で一旦は「拉致問題に一区切り」の雰囲気さえ流れました。

恐らく十一月の日朝実務者協議でもって、何らかの証拠を北朝鮮に出させることで、幕引きに近づくとの予想が日朝双方にあったのではないかと思います。その切り札が横田めぐみさんの遺骨です。今度こそ判定不能との結果を出して「遺骨は焼いてしまって判定不能。これ以上の証拠は無い」との設定で迷宮入りの時間稼ぎを狙ったのではないでしょうか。

ところが日本の科学技術は見事に遺骨を「にせ物」と断定しました。この時点で日本の世論は一挙に沸騰してしまいました。生半可なことでは通用しないことを政府、外務省は完全に悟って、情報の公開に踏み切ったのではと推測しています。

しかし問題はこれからです。北朝鮮の内部事情をよほど正確に把握しないと、単なる感情論で次のステップに突入すると思いもかけない展開になるかも知れません。政府と外務省は戦後初めて外交らしい外交をしなければならない正念場に追い込まれました。北朝鮮はマフィアのような存在です。マフィアには強力な警察力があって初めて対応できます。丸腰の市民がかなう相手ではありません。

まして現代は情報戦の時代です。特にマスコミによる煽動は両刃の剣です。力強い味方であるかと思えば一転牙をむいて襲いかかることもあります。政府ならびに外務省は振り上げた拳を次はどこへ持ってゆくのか苦慮しているのではないでしょうか。私たち国民も安全保障にかかわる大切な事柄ですから、冷静に真実を見抜く洞察力を持たねばと思います。

掟やぶりの整備新幹線着工  12/24

前回の藤原通信で国と地方の借金の総額は1000兆円にも達し、財政破綻状態であることを説明しました。このように国家存亡の危機にあるときには、少しでも節約しようとするのが自然です。ところがそのような危機感が全くない決定が来年度予算でなされました。それが整備新幹線の着工認可です。

整備新幹線の新規3区間の建設には合計で1兆円をこす資金が必要です。ところが財源がありません。そこで将来の収入を担保に銀行から借金をするという暴挙に出ました。

もともと整備新幹線の建設資金は国と地方とJRが三分の一ずつ負担することになっています。しかし地方が負担出来るわけでもありませんから、地方債という借金をします。この地方の借金はやがて地方交付税のかたちで国が負担することになります。そして整備新幹線が完成した暁にJRへ三分の一の価格で売り渡すわけです。

従って建設が完成するまではJR負担分のお金が手に入りません。そこで将来JRに売り渡すときに入ってくるであろうお金を担保に銀行からお金を借りるという苦肉の策を考え出しました。完全なる掟やぶりです。

実は旧国鉄の借金約23兆円を現在も国が返済中です。すでに完成した整備新幹線をJRに売り渡した代金は本来旧国鉄の借金返済に充当すべきです。それを充当しないで、整備新幹線の建設資金に注入していました。それを今度は財源が無いからと前借りしたわけです。あきれて物が言えません。

また整備新幹線を建設費用の三分の一の価格でJRに売り渡すこと自体、私たちは納得できません。それは三分の一で売り渡さないと採算がとれない路線であることを明快に物語っています。これほどまでの犠牲を払ってどうして新幹線を建設しなければならないのでしょうか。

日本国は借金地獄にあえいでいるのです。将来の大増税のかげでこのような呑気なことをされていたのでは私たちは浮かばれません。高速道路と新幹線のためにどうして税金を巻きあげられなければならないのでしょうか。枯渇する年金資金に活用して欲しいものです。

来年度予算が決まる  12/22

来年度予算が決まりました。総額82兆円です。そのうち税収は44兆円で今年も国債を34兆円も発行することになりました。国の借金である国債の発行残高はついに国内総生産(GDP)を超えて538兆円にも達し、国民一人あたり422万円の借金になったと新聞は報道しています。

この数字は真実です。しかし大きな誤解を生む報道です。この数値に地方の借金を加えると700兆円を超し、さらに特殊法人などが借金をしている郵貯・簡保・年金資金などを加えると、合計ではなんと1000兆円近い天文学的数字になります。国民一人あたりにすれば優に800万円を超す借金です。

それでもこの予算は緊縮財政だと報道されています。収入が44兆円しかないのに、34兆円もの借金をかさねる予算が緊縮財政とは一般家庭に比較して何とも感覚がずれています。

どうして緊縮財政かと言いますと、予算82兆円はそのまま全部使うことが出来るわけではありません。従来の借金返済と利払い(新聞では家庭におけるローン返済にたとえています)に約18兆円、何かと批判の多い地方交付税(地方への支払い)が約17兆円ですから正味47兆円とほぼ半減してしまいます。

しかも正味47兆円のうち福祉関係の費用である社会保障費に20兆円が割り当てられますから、残り27兆円となり、緊縮財政であると騒ぐ理由がわからないでもありません。しかしこのまま借金を続けて行って日本はどうなるのでしょうか。恐ろしい借金地獄の未来が待っています。

定率減税の廃止や年金関係負担の増大に加えて介護を受けている人たちの負担増など国民の負担が増加する一方で、旧態依然の族議員の跋扈による税金の無駄使いも後を絶ちません。その代表例が整備新幹線です。詳細は次回の藤原通信で述べますが、これほどの借金地獄にあえぎながらさらに借金を重ね不採算路線を生み出す神経がわかりません。

借金地獄の行きつく果ては「大増税」か「大インフレ」しかありません。小渕内閣で景気対策と称して借金を大幅に増やしたツケがこれから加速度的に私たちを苦しめます。「借金に何とか歯止めを」という声をもっと大きくしなければならないと痛感する予算でした。

郵貯・簡保資金の七十五%は不良債権に  12/17

民間銀行の不良債権はマスコミも大騒ぎして、やっと峠を越しました。しかし誰もが予測し、いっこうに明らかにならないのは政府系金融機関の不良債権の実態です。郵貯・簡保に年金資金といった私たちの大切なお金が政府系金融機関に流れていますから心配でなりません。そんな不安に答える文献を見つけました。

文藝春秋2003年五月号「特殊法人不良債権の実態」では郵貯・簡保が特殊法人や地方自治体へ融資して三百五十七兆円のうち二百六十七兆円が不良債権化していると指摘しています。なんと私たちの預けたお金の七十五%という恐ろしい数字ですが特殊法人の放漫経営ぶりを見ていると納得出来る数字です。

この本の中で慶應義塾大学の土居助教授はさらに具体的に指摘しています。 デフレの時代に「ゆとり返済ローン」という甘い罠をしかけ、多くの国民を自己破産に追いやったと批判の強い住宅金融公庫は毎年四千億円の税金投入がありながら、二千億円近い債務超過(資産をすべて売り払って返済してもこれだけ不足するという額を債務超過といいます)であると言っています。他にも土居助教授は中小企業金融公庫や国民生活金融公庫も債務超過であると指摘しています。

道路公団民営化推進委員会で有名になったマッキンゼーの川本祐子氏は中小企業金融公庫の貸出額の八%、国民生活金融公庫の十%は不良債権化していると指摘しています。この数値を見れば債務超過状態にあるとの土居氏の指摘もうなずけます。(東洋経済2004年三月六日号)

特に国民金融公庫は無担保の貸し付けが八十二%と飛び抜けて高い水準にありますから焦げ付くのも無理はありません。銀行の貸し渋り対策として百五十兆円(国家予算の二倍近い数字ですよ)も貸し出した政府系金融機関の不良債権を金融庁はUFJ銀行並の厳しさで明確にしようとはしません。

当然債務超過になれば貸したお金は返ってきません。私たちが預けた郵貯・簡保のお金の七十五%もが焦げ付いてしまいます。しかし国民の皆さんには全く心配はありません。郵貯・簡保のお金は政府が保証していますから焦げ付くことは絶対にありません。元金も利子も無事に皆さんの手元に返ってきます。

そうするとこの後始末は一体誰がするのでしょうか?お金が天から降って来るわけでもありませんから、当然これも国民の皆さんです。回り回って増税で尻ぬぐいするしか方法はありません。国やお役人のすることは全く金銭感覚がありませんからこのようなことになります。

増税を続けながら、損失を小出しにする政府のやりかたをやめさせて、ここらで政治家と官僚による不始末の総額を国民の前に情報開示させなければならないと痛切に感じています。

支持率急落 小泉内閣  12/15 

毎日新聞社の世論調査ではとうとう内閣支持率が40%を割り込みました。支持率だけがたよりの小泉内閣にとってはとても苦しい事態になって来ました。もうとっくに賞味期限が切れた小泉内閣が40%台の支持率をかくも長く集めていたのは「小泉に変わる後継者が与党にも野党にもいない」の一言であったと思います。

しかし自民党には「小泉内閣支持率の低下は自民党が政権の座から追放される日が近づいてきている」ことだとの認識が希薄です。というより、従来の既得権益を死守する政・官・業癒着方式から新しい時代へ向けての突破口が見つからない閉塞状態にあると言えるでしょう。

たとえば年金問題です。日本の人口構成が完全に変わっている以上、現役世代が年金受給者を支える方式はどんなに考えても成り立つ図式ではありません。「国民の最低限度の生活を保障する国民年金相当分は消費税で、そして厚生年金部分は積み立て方式で加算」の方式など、自民党内で誰か明快な指針を小泉さんに与えることが出来ないのでしょうか。

イラクの自衛隊問題でも同じです。小泉さんは困り果てているはずです。自民党内で明快に理屈のつく名誉ある撤退を必死になって考える人はいないのでしょうか。(亀井・加藤・古賀連盟では政権を取りたいばかりの動機不純が透けて見えますし、反対の意思表示だけではとうていアメリカを説得できません。反対だけなら誰でも出来ます。欲しいのはアメリカを説得出来るだけの知恵なのです)

拉致問題では安部さんがきわめて歯切れ良く方向性を示しています。これを自民党の声として、小泉さんが受け入れやすいようにお膳立てする人はいないのでしょうか。

国と地方の借金は千兆円近くにもなっています。これ以上国債を発行しても破綻への道をまっしぐらです。民間の不良債権は大きな問題として対応に必死ですが、千兆円の借金の中に潜む、国と地方の不良債権は民間の比ではないほど巨額なものだと噂されています。与党も野党も真剣になって財政再建を考えていません。

このような状態では、今後小泉内閣支持率は低下の一途をたどり、自民党は政権の座を追われ、民主党が政権を獲得しても上に述べた構図は変わりませんから、かってのように混乱に混乱を重ね、日本の国力が急速に衰える不安を感じています。小泉内閣の終わりは日本の「終わりの始まり」のような予感さえします。だからこそ今日まで小泉政権は高い支持率を得てきたのではないでしょうか。 一

日も早く旧来の政官業の癒着による既得権益死守の公金垂れ流し放漫行政にピリオドを打たなければなりません。

IBMがパソコン事業を中国へ売却  12/13 

IBMがパソコン事業を中国の聯想集団有限公司 (レノボ) に売却するとのニュースを聞いた時には正直言ってかなりの衝撃でした。私たち古い世代はコンピュータのことをIBMと言って育ちました。昭和40年前半にIBM1620というコンピュータにフォートランという言語で技術系のプログラムを組んだ経験がコンピュータとの初めての出会いでした。

それからしばらくしてパソコンが出現しました。日本ではNECがいち早く飛び出して独占的地位を築きましたが、パソコンのメーカが異なると互換性が無いという、利用者不在の独自規格を競う時代が長く続きました。私はNECのPC6001(ザイログのZ80などという言葉をご存じですか?)からのパソコン愛好者で、知識は深くありませんがパソコン時代の「生き証人」とも言えるほど長いパソコンとのおつきあいです。

そこへ風穴をあけたのがIBMでした。IBMは自社ですべてを取り込むことをやめて、IBM規格を公開し、誰もがパソコン事業に参画出来るようにしました。その結果「IBM互換パソコン」が登場して世の中は一変しました。メーカが独自に顧客をみずからの世界に囲い込む閉鎖社会から誰もが参加出来るオープンな世界への飛躍です。IBMのこの戦略がなければマイクロソフトも現在のような隆盛はなかったと思います。

そしてパソコンの頭脳はインテル、基本ソフトはマイクロソフトが独占(だからマイクロソフトの商品はとても高い)に成功しましたが、パソコン本体は世界中でネジ一本に至るまで規格が統一され、激しい競争の結果私たちはとても安くパソコンを購入することが出来るようになり爆発的に普及しました。その結果皮肉にもIBMのパソコン事業は赤字続きで今回中国のメーカに事業売却する事態にまで追い込まれました。

これからの産業界の動向を象徴する出来事です。インテルやマイクロソフトのようにいち早く業界の標準に踊りでる卓越した技術や商品力を持った企業は利益を独り占めし、誰もが参加出来るコスト勝負の技術や商品は中国には勝てないということを今回のIBMの行動は明確に示したといえます。

日本の製造業が生き残る道は、商品力にせよ生産技術にせよ、松下の中村社長が唱える「ブラックボックス」化した「誰も真似が出来ないもの」を持つことであると否応なく認識させられた事件でした。この金曜日に、もとの私の職場の人たちと懇談しましたが、私の後輩たちがのたうち回っているのもまさに「だれもが真似出来ない商品力や技術力の不足」でした。

このように明確に今後の生きる道をIBMが教えてくれたのですから、私たちは迷うことなく「世界一の商品力や技術力」を獲得するために一心不乱に邁進しなければならないと思います。にっぽんカンバレ!

脳死状態の北朝鮮  12/10 

横田めぐみさんの遺骨と称される物がにせ物であると政府は公表しました。今回の実務者会談での北朝鮮の対応は従来より一歩進んだものだと、政府は発言していましたが、これで全く誠意の無い北朝鮮の対応であることを全国民が知るところとなりました。

本当に北朝鮮の対応はあまりにも杜撰で誠意が無いものですが、この誠意のなさが果たして北朝鮮の国家としての意思であるかどうかも疑問になってきました。現実的には北朝鮮の管理システムが機能しないようになっているのではないでしょうか?

例えはきわめて悪いのですが、私は外国で建設所長をした経験があります。下請けにその国の現地の建設業者を起用しました。規模は3000人程度です。ところが安全に関する意識が極端に薄く、人身事故が多発します。そこで下請けの現地所長と何度も真剣に安全対策を話し合いました。

その所長は本当に心の底から安全対策をしっかりしなければと思うようになって、その気持ちが顔に表れています。そこで私も大いに期待しました。ところが全く改善されませんでした。所長は心底そのように思っても、管理体制が全くその心に追随出来ないのです。

北朝鮮もおそらく管理不全の脳死状態になっているのではないでしょうか。不誠実と言うよりはトップの考えに下がついて行くことが出来ないのではないかとも思います。あまりにも子供だましの対応に不安を感じます。北朝鮮もいよいよ体制崩壊に近づいてきたのではないかとの恐怖を持っています。

北朝鮮と日本との距離はあまりにも近すぎます。博多から下関にかけてはまさに目と鼻の先です。そこへ崩壊した北朝鮮から多数の難民が押し寄せてきた時、日本はどのようにすべきかをそろそろ考える時になったのではないでしょうか。経済制裁もいいでしょうが、目の前のことばかり考えず、もっと先のことを想定して、手を打たないと恐ろしいことになるのではと危惧しています。

陸地続きの国々は二千年以上も昔から領土争いや相互侵犯や押し寄せる難民の経験があり、それなりに対応するすべを心得ています。しかし日本は古来、外国を侵略した経験はあっても、このような事態に直面した経験がありません。

島国として海は大きな防護壁になっていました。しかしそれは中世や近世のことで、現代のように文明が進化した状態ではもはや海も防護壁にはなりえません。北朝鮮との関係を拉致問題に限定して対応を考えると大変なことになるのではないでしょうか。「北朝鮮が崩壊する恐怖と真っ正面から対面して、その中で拉致問題を考える。腹は立つけれど冷静にもっと先を見据えて腹を据えた覚悟が必要。」そんな気持ちが今回の北挑戦のでたらめ対応でふと頭に思い浮かびました。

一体どう考えてよいものやら  12/08

こんな話を聞きました。

スーパの駐車場でのことです。車が発進しようとしています。ところがその車の前で小さな女の子がママと叫んでいますがママは携帯のメールに夢中で(これは後で分かったことですが)そのまま発進していしまいました。女の子は車の下です。だのにまだゆっくりと車は動きを止めません。

びっくりしたその36歳の男の人はあわてて車にかけより、母親に「娘をひいたぞ」と伝えたところ母親はパニックになって対応できません。そこでその男の人は救急車を呼び対応しました。幸いも車の下の娘は額に傷をおっただけで命に別状ありませんでした。

事態が正常に戻り母親からお礼とお詫びの言葉でもあるかと思っていたその男の人は、いきなりその母親から「あんたはそばで見ていたんやろ。どうして止めてくれんやったのか。娘はおかげで危険な目にあったではないか」と怒りだしたそうです。

その男の人はあきれてそのまま別れたそうですが、その夜、その女の旦那さんが奥さんと一緒にやってきて「そばで見ていて止めなかったお前は・・」と怒鳴り込んだそうです。そこで怒り心頭のその人は「馬鹿な女房に馬鹿な旦那か」というと旦那は激高して「外へ出ろ」「おお出てやる」とのやりとりで外へ出ると、今にも殴りかからんばかりで怒鳴り散らします。

あまりの大声に近所の人が出てきましたので、その男性は近所の人にいきさつを話しました。近所のひとは口々にその夫婦が悪いと言い始めると、形勢不利とばかり捨てぜりふを残して立ち去ったということです。

さてこの夫婦は携帯のメールを見て娘をひいた奥さんは悪くなくて、その危険を予知できたはずの近くにいた男性が悪いと心の底から思っているからこそ、このような愚行にでたことは間違いありません。近所の人がいなければその男性は殴り倒されていたかも分かりません。

私は心配になりました。この愚かな夫婦の見解が正しいと信じる人が、いまの日本にどのくらい存在するのだろうかということです。私たちの世代なら「このような馬鹿者にはあいた口がふさがらない」と一刀両断ですが、「この夫婦の主張には正当性がある」と考える人が存在するのではと恐れています。

世の中には変な人は一割や二割は存在します。しかしこのような考えが二割を超えると世の中が変化していることを意味します。最近の中学、高校生の行動を見るとき、あまりに自己中心的であって社会生活の基本を知らない状態に放置されている(当然私たちにも彼らをこのように放置した責任はあります)ことを痛感しています。ひょっとしてこのような思考はかなり広まっているのではと危惧しています。

藤原通信でライブドアのビジネスマナーの悪さを指摘して「ライブドアーは胡散臭い」と発言したところ「今日本に必要なことはマナーをあれこれ言う前に時代を変えようとする新しい試みに挑戦する姿勢だ」と大変なお叱りを受けました。「ライブドアーと馬鹿夫婦の話とは違うよ。比較することすら支離滅裂」との言葉が飛んでくれば、時代を読むことに自信喪失に陥った私の心の慰めになるのですが。

ともあれこのような人たちが存在する現実に私たちはどのように対処すれば良いのでしょうか?

何を揉めている 三位一体  12/06 

毎日のように新聞紙上をにぎわしていた三位一体改革が静かになりました。毎年十二月は予算の大枠が決定する時期です。口で約束していたことが本当に実行されるかの試金石が予算なのです。

小泉総理が約束した「三兆円の税源を地方に移譲し、そのかわり補助金を削減する」との約束がどのように実行されるかを決める期限が来ていたために連日大騒ぎしたわけですが、結局三位一体改革も数字あわせで肝心な問題は得意の先送りで決着したために静かになりました。静かになったということは「無駄使いの根元が断たれていない」ということです。

税金などによる収入は一般的に国が六割で地方が四割です。ところが実際に仕事をするのは逆に国が四割、地方が六割という逆転現象が起こります。そこでその差を埋めるために国から地方に対して「補助金」とか「地方交付税」の名目でお金を渡すことになります。このような不自然なことをせずとも、収入と支出を同じにするような税源の移譲をすれば簡単に問題は解決しますし、お金の配分を巡る業務効率は飛躍的に向上します。なぜこのような簡単なことが実現しないのでしょう。

それは「お金を持つことが権力の源泉である」という実にわかりやすく単純な理由によるのです。中央官僚は補助金の分配で地方に対して絶大なる権力を持つことが出来ます。一般的に官僚は政治家に弱く、政治家は有権者に弱いといわれています。

そこで選挙で票をかせぐために、地元に有利な補助金を獲得するように国会議員は官僚に力を行使して予算の分捕りを働きかけるわけです。厚生分野、農林分野、道路分野など分野は色々ありますが、何の予算を地元に持ってくれば票になるかは議員さんが熟知しています。それが仮に農林部門であれば議員さんは血眼になってこの分野を攻めますから、必然的に農林部門が強くなります。これが俗にいう「族議員」です。

もし国と地方の収入と支出が同じで補助金による分配作業がなくなれば、国会議員は自分の役割がなくなると思っています。地元の皆さんは仕事を貰うために地方自治体に陳情しますので、県会議員や市会議員が力を持つことになり、国会議員は県会や市会議員より下に見られると信じて国会議員は補助金の削減に大反対です。

たとえ三兆円といえども自分に関係する補助金を廃止されたのでは国会議員の死活問題となりますから、小泉総理が号令をかけても簡単には実行できないわけがおわかりでしょう。

また族議員には強力な応援団が存在します。それが官僚なのです。お役人から補助金配布の権限を奪ってしまうと、官僚の権力がなくなると信じていますから必死になって族議員を支援します。結局「世の中すべて金次第」の理屈で三位一体改革が難航するのです。

このような構図が続く限り、いつまでたっても税金の無駄使いはなくなりません。本来国会議員は国全体のことを考えないといけないのに、このような補助金の存在は国会議員の質の低下を招いています。補助金制度は是非やめなければなりません。

橋本元総理の言葉に絶句  12/03 

橋本元総理が衆院政治倫理審査会で日本歯科医師連盟(日歯連)から自民党旧橋本派への1億円献金隠し事件について弁明ししました。

一億円の授受については「客観的事実から考えると、私が受け取って滝川さんに渡したのだろう」との言葉。 臼田被告との会談については、「当時の日程表と自動車運転日報の記録から会食したのは事実だろう」との言葉。

この二つの言葉を聞いて思わず絶句しました。一国の総理を務めた人間の言う言葉でしょうか?これほど無責任な言葉はありません。日本国を代表する人のこのような無責任な態度に、社会の荒廃をあれこれと憂慮する勇気も無くなるくらいのインパクトのある言葉です。

さらにUFJ銀行の検査忌避容疑で元頭取他旧三和銀行の超エリートであった人々が逮捕されました。日本をリードすべき本来なら政財界の一流であるはずの人材がここまで堕落していては救いようがありません。

また西武鉄道による有価証券報告書の虚偽記載や新興勢力のメディアリンクス事件でもライブドアやソフトバンクとの間で架空取引があったのではと疑いがかけられています。どうして「最低限の倫理感」まで社会の超エリートから消えてしまったのでしょうか。

「世の中腐っている。だから中学生がたばこを吸ったり、万引きをしても仕方がない」と社会の荒廃を人のせいにしたくなります。しかしここで踏みとどまらなければならないと自らを引き締めています。このような状態であるからこそ、「向こう三軒両隣」お互いに声かけあって、私たちのまわりから小さな努力を積み重ねてゆこうと思います。今こそ「井戸端会議」が必要な時ではないでしょうか。

また最近ではインターネット上で仲間同士「井戸端会議」が盛んだと聞きます。これが児童による殺人事件や集団自殺の原因となったり悪い面が目立っていますが、取り締まることにばかり目が向いて、根本的な対策がなされていません。

この件に関してはSOHO仲間が「小学生の頃から大人がキッチリとインターネットでの最低限のきまりを教え込まなければいけない。だのに現実は児童にパソコンを与えるだけで放任し、悲惨な事件が発生すると今回は児童からパソコンを取り上げる。漢字やひらがなを教え込むように親も先生もインターネットでの最低限のエチケットやマナーを教えるのが先決だろうに」と憤慨していました。

幼い子供の場合、まず安全な仲間の間でのみメールや掲示板を使える環境にするのが大人の大切な役割です。(無法地帯から隔離しなければなりません)その上でメールや掲示板では必ず名前を明らかにする。そして相手を非難、中傷しない。過激な言葉を使わない。思いやりのあるメールを書く。などの基本を教え、幼い子供のメールのやりとりの実際を親や先生が一緒になってのぞき込みながら、「エチケットやマナーとはこのようなものですよ」と実地訓練で教え込むことが必要でしょう。皆さんのまわりで幼い子供にこのように対応している親や先生にお目にかかったことがありますか?

インターネットの恐ろしさは、お互いの顔が見えないことによって言葉が次第に過激になり、大人でさえ「虚構の世界と現実の世界の区別がつかなくなってしまう」ことです。幼い子供にとって「ゲームの世界のように人を殺してもリセットすれば生き返る」と本気で思っているのに、このような基本的な誤りを正す人があまりに少ないとそのSOHO仲間は嘆いていました。

世の中だんだん複雑になって私たちの手におえないようになる前に何らかの手を打たなければと思います。

読者の声 「日本人の性格でしょうか」 12/01 

先日の藤原通信で「日本全国カラオケ化現象」と題して「カラオケを歌う時のように自分のことは一生懸命だが、ひとのことには無関心であることが昨今の社会の荒廃の原因に関係があるのでは」と言った意味合いのことを「イギリス式カラオケ」との対比で述べました。早速年配のご婦人からメールを頂きました。よくメールを頂戴しているご婦人で、私より少し古い時代のことを体験されています。毎回背中に一本筋の通った素晴らしいご意見を頂戴し、勉強させて貰っています。

戦後教育では日本の国とか愛国心と言ったものを戦前の帝国主義と同一視して忌避し、真っ正面から取り組んできませんでした。今回のご指摘のように「個人主義の原点はあくまで自分を厳しく律する事」とか「社会の根底にあるべきものは礼儀と思いやりと民族の持つ誇り」と言ったことを徹底して日本社会に浸透させる義務が「戦後教育にあまり染まっていない」私たち中高年にあると思います。

今回の「ヨンサマ」騒動もその中心は分別のあるべき中高年女性ではありませんか。どうしてこのようなことになるのでしょうか。「最もヨンさまにあこがれているのは、中高年が多いとか。やはり優しさと愛に飢えているのでしょうか」との指摘にはとても新鮮なものを感じました。

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タイトル「日本人の性格でしょうか」

今回の先生のご指摘面白いと思いました。実は私はカラオケは全く興味もありませんし行った事もありませんので批判は出来ませんが日本人は連帯意識が薄れたのは、何となく日本が高度成長期に入り、個人の所得も増え、全体的に裕福になってきてからではないでしょうか。

いやな言葉ですが貧乏人はスクラムを組むとは聞いたことがあります。貧しいとどうしても、お互いに協力しないと何をするにも困難です。実は私もとてもお恥ずかしいとは思いますが、もしカラオケに行って、とてもお上手でない方の歌を聞きともに歌う事など到底出来そうにありません。

これは確かに個人主義の悪い面を表しているとは思いますが、個人主義の原点はあくまで自分を厳しく律する事にあると思います。他人にはなるべく迷惑はかけない、でも自分で出来る事は人のために尽くしたい、何か矛盾しているようですが、本音です。

イギリス人の良い面をかってイギリスへ行った時に随分見せられました。その根底にあるのは、礼儀と思いやりと民族の持つ誇りだと感じました。

日本はまだまだその点幼稚で優しさが足りないような気がします。これから育つ若い人達に期待はしていますが今回のヨンさまブームを見ても半分あきれています。最もヨンさまにあこがれているのは、中高年が多いとかやはり優しさと愛に飢えているのでしょうか。

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ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2004年12月号