関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪藤原雄一郎の時事通信 2004年9月号 |
軽量イエスマン体制で小泉政権は終局を迎える? 9/29注目の小泉改造人事が決定しました。幹事長には誰もが驚く武部勤氏の就任です。就任挨拶で「浅学非才の身ではありますが」と言った時には「まさにその通り」と心の中で呟いた人が多かったのではないでしょうか。マスコミでは、おおむね「郵政民営化シフト体制」との評価が定着しています。小泉首相が郵政民営化に対して不退転の覚悟で臨むことを明確にした布陣であると私も思います。 しかし郵政民営化は役人達の間ですでに規定の方針として走り出しています。問題はその中味です。既に藤原通信で述べましたように「民間企業にもかかわらず数々の特権を持ち、放漫経営が可能で、まさかの時には税金で尻ぬぐい出来る役人天国の焼け太り民営化」の総仕上げがこれから行われることになると思います。 何と言っても「全国あまねく国民がサービスを受けることが出来る(ユニバーサル サービス)」ことが絶対条件でしょうから、民間企業と全く同じ土俵での真剣勝負など望むべくもありません。これでは何のための民営化かわからないことになります。小泉純一郎はすでに敗北していると言っても過言ではありません。 それより、今回の人事は「打倒小泉」を目論む自民党の反主流派と戦うために、小泉首相が身内で回りを固めて強行突破を図る布陣を敷いたと見ることが出来ます。自民党をぶっ壊し新しい時代に適合したニュー自民党を創り上げるための戦いであれば拍手喝采ですが、単に小泉政権延命のための布陣にしか見えません。 「三年にわたる小泉政治の結果、選挙で勝利できない自民党になったのは選挙民の声を素直に聞くことが不足しているからである」との認識。すなわち「従来型の利益誘導政治」に立ち返るべきであるとの見解に立ち戻った人々が、「国民の支持という神通力」の薄れた小泉首相に刃向かおうとしている構図が見えて来ます。 要するに自民党が先祖帰りをしようとしているように見えます。これは小泉政治の全否定ですから小泉首相としても戦わざるを得ません。そこで自分の威令が十分に行き届く軽量イエスマン体制で、あと二年の任期を守り通そうとしているように見えます。 これは民主党も同じです。今まで浸透出来なかった地方での勢力獲得が可能になり、藤原通信で述べた自治労のような「既得権益死守、合理化絶対反対」の勢力と、地方への利益誘導勢力の台頭で新しい時代への対応が難しくなっています。 今回小泉総理総裁がこのような軽量イエスマン体制で自らが先頭に立って中央突破を図らなければならない状況に追い込まれたのも、日本全国に「既得権益死守勢力」が力を盛り返して来た証拠ではないでしょうか?彼らは自民党から民主党への乗換を武器に自らの影響力の行使を虎視眈々と狙っています。 多くの人々が小泉首相の顔から、就任当初の「輝く元気さ」が失われたことに気づいていると思います。政治の世界の魑魅魍魎(ちみもうりょう)に身動きが取れなくなっていることが「改革者小泉純一郎」の輝きを奪っています。これから小泉政権が終局へ向かって坂道を転げ落ちなければ良いのですが。 結局のところ自民党も、民主党も従来の既得権益構造を破壊することが出来ないようであれば、日本の財政破綻は決定的になり、最も大切な年金等の福祉の面で大きく立ち後れることになるでしょう。与党であれ野党であれ、真の改革者の出現を首を長くして待ちわびます。 プロ野球とライブドアー 9/27「たかが選手ごとき」発言で世論の袋だたきにあった経営者側と古田選手会長の誠心誠意の努力でプロ野球ストは回避されました。しかも球団数を削減したい球団側が来シーズン12球団に戻す「大幅譲歩」でのスト解決です。今回の騒動は古い体質と新しい波のせめぎ合いであったと思います。そして古い体質の経営側は世論の大きな壁に阻まれて、はじめて挫折の苦汁を味わったようです。 そして新規参入にライブドアーと楽天が名乗りを上げました。恐らく二球団が認められるはずもないでしょうから、これから新しい波同士の激しい戦いが始まると思います。 そこでライブドアーのつい最近の騒動について参考までに説明します。このライブドアーの行動こそが正しいと思うか、うさん臭いと思うかで、私たちが古い時代に属するのか、新しい時代に属するのかの踏み絵のような気持ちがします。皆さんはどうですか? 昨年10月ライブドアー(当時はエッジの名前)はネット銀行であるイーバンクの筆頭株主となりました。そしてライブドアーは12人の経営陣をイーバンクに送り込み改革に着手したのです。 そこから争いが始まりました。ライブドアー側の見解では「イーバンクには不透明な投資があること。そして高コスト体質を改めるためにコスト半減を目指す必要があること。営業体制が弱いこと」の弱点があり、これらの問題点を解消するために逐一厳しく改善を要求しました。その結果両者の関係が悪化して行ったと言います。 一方イーバンクの主張では、「ライブドアから出向してきた社員は、われわれ役員を誹謗中傷し、暴言を吐いた」といいます。ライブドアの出向社員は、ある時は“ヒアリング”と称してイーバンクの従業員を呼び出し「バカだのアホだのと吊るし上げを行った」。またある時は、役員に対して「お前らなんかいつでも解任してやる」との台詞を吐き進駐軍のごとき態度だったというのです。 両者が話し合いの場を持ってもお互いの企業文化の差は広がるばかりで、結局溝は埋まらず挙げ句の果てにイーバンク側はライブドアーからの出向者受け入れを解除し、出資契約は無効であるとの書面を出します。一方のライブドアーはイーバンク社長を特別背任罪で告訴するとの通知書を出す騒動にまで発展しました。 さらにライブドアーはイーバンクの松尾社長から脅迫電話がかかって来たとその音声をネット上で公開し、この音声が捏造、偽物であるとするイーバンクとの間で極めてレベルの低い非難合戦にまで発展しました。 古い体質と新しい波のせめぎ合いという局面はもちろんありますが、一方で銀行という公共財の立場を重んじるイーバンク側と資本の論理を極限化し、自社利益のみを追い求め遮二無二に短期間で利益体質に持って行こうとするライブドアー側の対立という面もあります。 今回のプロ野球への参画は公共財という面で、また赤字体質で資本増強を必要としていた面で、イーバンク騒動と二重写しに見えてしかたがありません。「たかが選手ごとき」の迷言を吐いた渡辺元オーナがここまで知っていたかどうかはわかりませんが、公式な席におけるTシャツ姿のライブドアー社長の姿を見て本能的に忌避したのではないでしょうか。 さて皆さん、この騒動をどのように判断されますか?銀行業界のような古い、遅れた体質を打破するためにはライブドアーの主張は正しいと判断し、同じく遅れたプロ野球の体質を改革するにはライブドアーこそ救世主だと思われますか? 楽天はこの点を巧妙に突いています。奥田経団連会長をはじめ、錚々たる財界の大物をアドバイザーにつけることに成功しました。知る人ぞ知る、このようなライブドアーの行動に眉をひそめる古い体質の人々の心をくすぐる行為です。 また今回大きくその名声を失墜させたのはオリックスの宮内氏です。宮内氏は国の規制緩和を取り仕切る重要な立場にありながら今回は規制緩和断固反対の元凶の一人となりました。 私にはいまだにライブドアーが胡散臭く思えてなりません。結局、私も宮内氏のように口先改革人間なのかと悩んでいます。 絶妙の小泉節 9/24小泉首相が帰国して、政界注目の小泉改造人事もまもなくその全貌をあらわすのではと、当事者は勿論、永田町は固唾を飲んで見守っているように見受けられます。小泉首相はその緊張感を楽しむかのように絶妙の言葉を吐きました。「改革を進めようという態度が見えないところが、『中二階』といわれる、後継者と目される壮年の人たちに『小泉の後をやれ』という声が出てこない原因じゃないか?」 本当に拍手喝采したい気持ちになりました。 ここで「中二階」といわれていますのは、「士志の会」を作る麻生太郎総務相(六四)、高村正彦元外相(六二)、古賀誠元幹事長(六四)、平沼赳夫前経済産業相(六五)の四名と、額賀福志郎政調会長(六〇)、谷垣禎一財務相(五九)など、いずれも党内各派の実力者で「ポスト小泉」の候補と目されている人々です。 皆さんはどのように思われますか? 小泉首相の「割り切れないものまで単純化して割り切ってしまう」独特の言い回しは、聞く側にとってはとてもわかりやすいものです。しかし本来単純に割り切れないものまで割り切ってしまいますので、誤解と反発を招きます。それをまた「戦う首相」としてのイメージをばらまき人気上昇につなぐ方法で小泉政権は逞しく生き延びてきました。 従来の自民党政治家と比較して頑固なまでに自説を通そうとする小泉首相の姿勢(たとえ「実」を捨て内容の無い「名」をとったとしても)に「軸足がぶれない信念の人」との印象を人々に与えます。 これに反して「中二階」特に「士志の会」を形成する四人は「志(こころざし)が何か?」がさっぱりわかりません。志があってこその「士志の会」ではないでしょうか。四人組の筆頭である麻生太郎総務相などは郵政民営化に賛成するでもなく、さりとて徹底抗戦するでもありません。三位一体改革でも片山前総務省のほうが存在感を発揮していました。 私の嫌いな亀井静香氏などは、これだけ景気回復が鮮明になっても「景気の良いのは大企業で、中小企業は大企業の犠牲になって四苦八苦しているので財政出動で救わなければならない」と頑固に「弱者救済」を主張しています。時代の流れに取り残されて気の毒なくらいですが、頑固にわかりやすく主張を続けています。 人気急上昇の安倍幹事長は北朝鮮問題に見るような安全保障にたいする強い姿勢というわかりやすさがあります。小泉政権が長く続いた結果、旧来の自民党政治家のように「密室の中で、派閥間の力関係を見ながら様々なことを決める」調整を得意とするタイプの政治家を閉め出すことに小泉首相は成功したのではないでしょうか。 「自分の政策を明確に訴え、そしてその政策を愚直に実行する」このような政治家でないと小泉首相の後継者になりえない。この流れは大切に育てて行きたいと思います。これこそが自民党延命の唯一の方法であると信じています。 太陽が地球の周りを回る 9/22お彼岸を間近に控えた連休を皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?本日は柔らかい話題にしたいと思います。昨日の新聞に国立天文台の先生方が行った小学校四〜六年生の理科教育の調査で、小学生の約四割が「太陽が地球の周りを回っている」と思っているとの報道がありとても新鮮な気持ちがしました。 真実を学ばなければ誰しも日常のの経験で「太陽が地球の周りを回っている」と考えるのはあたりまえです。事実1600年代には「地球が太陽の周りを回っている(地動説)」と主張したガリレオは宗教裁判にかけられ有罪判決を受けました。そして地動説を放棄する宣誓ををさせられました。 一節にはその時「それでも地球は動く」とガリレオが叫んだと言われていますが、もしそれが真実ならば火あぶりの刑に処せられていたはずです。彼は「地球が太陽の周りを回っている」と言ったばかりに一生当局の監視下におかれ、自由と名誉を剥奪されました。 そしてガリレオの死後359年も経過した1992年になってやっとローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪し、名誉が回復されたのです。本当についこの間のことに大きな驚きを感じています。同時に宗教が力を持つことの恐ろしさも実感しました。 さて「何が真実か」ということはとても難しいことです。人間だれしも目の前で見せられた現象を容易に信じてしまいます。特にテレビの映像は恐ろしい程の影響力を持っています。テレビを中心とするメディアの戦略は「自分の話をまず組み立てて、それに合う情報を集中的に選択して洪水のように垂れ流す」ことにあります。 このような操作によって「民意と称する虚像」をうまく組み立てた報道関係者は英雄になります。皆さん覚えていますか?森前首相がゴルフをしている写真が、全く関係の無い場面で何度と無く流されたことを。そして深刻な局面で小泉首相が沖縄の行事で踊っている場面を流されたことを。 テレビの画面はその時に起こりつつある映像を流すべきです。それを何の断りもなく過去の映像を流すことは本来許されないことでは無いでしょうか?挙げ句の果てに「やらせ報道」をでっちあげて批判されることまで現実に存在しています。(テレビ朝日は「たけしのテレビタックル」でその場面と全く関係のない他の映像を組合せた虚偽の映像を流し当局から厳重注意を受けました。) 『小学生の約四割が「太陽が地球の周りを回っている」と思っている』との報道に接し、今更ながらに「何が真実か」を見抜く力の重要性を痛感しています。現在の私たちがまさに小学生と同じ状態になっているのでは無いかと恐怖すら感じています。 日頃から関心のあるテーマについて情報を心して蓄積して行けば、不勉強なメディアの不完全な報道に気が付くことが良くあります。まづメディアの垂れ流す情報は初めから疑ってかかり、何かしら「おかしい」と心に引っかかった点について、しつこく情報を追求してゆくことが原点かも知れません。 これだけ誰もが安易に情報を得ることが出来る時代です。このような状況を巧みに利用する頭の良い人々に騙されていつの間にか恐ろしい道に引き込まれることの無いように私たち自身の感性を磨きたいと思いました。 プロ野球経営陣はもっと真剣に 9/20「たかが選手ごときに」で始まったプロ野球騒動はついにプロ野球の歴史始まって以来初めてのストに突入しました。テレビで涙ながらにファンに謝罪する古田選手会長の姿に、国民はおおむね同情的で、ストを支持する方向です。しかしこのストが長引けば風向きがどのように変化するか予断を許しません。「たかが選手ごときに」と選手ならびにファンを冒涜するプロ野球経営陣がとにかく長時間にわたって選手会と話し合いを持つようになったのは、国民の経営陣への大きな反発を背景にした「ストという伝家の宝刀」の賜であることは間違いありません。「伝家の宝刀」は抜かないことに価値があります。一旦抜いてしまえばその価値は大きく下がります。今後の展開は難しくなりました。 さて合意寸前までいきながら、新規参入について「来季に向け最大限の努力をする」という文言をいれるかどうかの詰めが最終的な決裂を招いたとの事ですが、一件些細な違いのように見えて、実際は天と地ほどの差があります。 選手会側の希望は「12球団に戻す」ことに尽きますが、経営陣は「来年度はやむなく11球団にするが、将来は10もしくは8球団にして1リーグを目指す」ことにあると私は見ています。 私は経営者としての経験から球団側の発想が痛いほどよく分かります。一般企業で経営不振から立ち直る第一歩は徹底したリストラです。現在の12球団では野球のレベルが低くなり観客動員がじり貧になるので、球団数を減らすことにより、少数精鋭にして各球団のレベルを上げ「内容の濃い試合という質の向上」と「人件費の大幅削減」で放漫経営から立ち直ろうというものです。 私は五十年近く近鉄のファンですが「近鉄と阪急(現オリックス)の熾烈な最下位争い」をあの広い西宮球場で観客わずか200人で観戦した経験を持っています。昔の広島カープも万年最下位で近鉄と共に球界のお荷物と言われました。また新規参入と言っても今回のように奇数を偶数にするために急遽参入した高橋ユニオンズが惨めに失敗したり、一年で経営放棄をした日拓ホームズなど新規参入失敗の例も数多く経験しています。 私の推測にすぎませんが、経営側は12球団に戻すことは全く考えていなくて、ライブドアーや楽天を厳格に審査し、高橋ユニオンズや日拓ホームズのような怪しげな会社であることを実証して、球界から締め出すことしか考えていないように思えてなりません。 このような策ではプロ野球再生にはほど遠いと思います。古色蒼然とした経営陣に新風を吹き込んで抜本的改革を目指さないとプロ野球はやがて消えてしまいます。ここは思い切って例えば、近鉄とオリックスの合併を一年間凍結し、ライブドアーと楽天に経営を委託するくらいの発想があっても良いのではありませんか。 もちろん彼らに採算を約束させ、約束が守られなかったら、損害補償をさせればよろしい。そのかわりオリックス楽天、ライブドアーバファローズに一年間名前を代えればいいではありませんか。あるいはコミッショナーにはオーナー会議に対して絶大な権限を持たせ、楽天社長やライブドアー社長のような素人を就任させるとか、打ち手は色々考えられます。要するに「リスクを犯さない新しい血の導入」です。 これだけ国民的関心を盛り上げたのですから、経営陣は逃げることなく自らの信念を堂々と国民の前に示し、プロ野球の再建について選手に負けず熱い言葉で国民に語りかける義務があると思います。読売新聞に経営者の見解を代弁させるのは誠に卑怯で不謹慎です。また天下の公器である読売新聞が経営陣の手先になっているのも見識を疑います。 またここまで事態が切迫しているにもかかわらず、実質的に決定権を持つ緊急オーナ会議を招集するわけでもなく、金曜日が決裂したからと、貴重な土曜日を空費して安易に日曜ストを許してしまったりと、経営陣に真剣味が足りないと思います。もっと真剣にこの事態をとらえてプロ野球の危機を救って貰いたいと思います。 プロ野球新規参入がにぎやかに 9/17一週間の検討期間がすぎて、今度こそプロ野球がストに入るかどうか再び大きな関心が集まっています。先週末の大騒ぎから一週間が経過して、インターネット業界で活躍している楽天がプロ野球進出を打ち上げました。これで奇しくもインターネットで活躍しているライブドアーと楽天が名乗りをあげたことになります。この他にも実業団で活躍し、野村監督が指揮するシダックスも参入するのではないかと噂されています。シダックス、ライブドアー、楽天などの企業は若い人たちにとっては常識かも知れませんが50歳台以上の人々にとっては馴染みが薄いのではないでしょうか。 ライブドアーや楽天はITバブルが弾ける寸前に株式上場に成功し、マネーゲームで巨万の富を勝ち得た成功者です。楽天は既にJ1サッカーでビッセル神戸を手に入れてスポーツ業界に乗り出しています。当初はトルコの人気選手イルハンを獲得して「さすが楽天」と思わせましたが、神戸の成績はサッパリでイルハンは勝手に戦線離脱をしてしまい、楽天がサッカービジネスに新風を吹き込んだとも思えません。 一部では同業者のライブドアーが今回の一件で一躍有名になり、今更ながらにプロ野球の知名度とサッカーの知名度の差を感じて今回名乗りを上げたと囁かれています。事実サッカーへの参入で楽天の知名度が上がったことも事実です。しかし楽天もライブドアーもプロ野球に参入する事業構想があまりにも脆弱でお粗末なので「しょせん売名行為か」と思ってしまいます。 ライブドアーは雲をつかむような球団構想から宮城本拠地を打ち出すと反響がさらに広がって、何だか球団が出来上がるような気がするから不思議です。このような話題の広がりを見ていると斜陽と言われたプロ野球にも案外人気があるのだなと思ったりします。 先日インターネットの専門家の集まりに参加して「ライブドアーは胡散臭い」と私が発言しますと、皆さんの総スカンを食いました。インターネットの専門家だけあって「ライブドアーは別段怪しげではない」「古色蒼然としたプロ野球に新風を吹き込むことこそ大切」「新しい試みを実施する前から駄目だと決めつけることはない」などと散々な批判を受けました。 日頃から「時代は変化している」「既成観念にとらわれて時代の変化を見逃してはいけない」などと散々偉そうなことを言っている私がまさに「古い時代の代表」のように批判の矢面に立たされました。それでもまだ胡散臭さを拭いきれない私はさしずめ「UFJやカネボウの経営者と同じ」時代遅れの思考を引きずっているのかと反省しています。 このような私が何を言っても説得力に極めて欠けますが、熱烈な近鉄ファンの私としては、これほどプロ野球に名乗りをあげる会社があるのなら、新規参入障壁をもっと早く撤廃して、球団合併より近鉄球団売却の選択がとれなかったのかと残念でなりません。渡辺前オーナを中心に一握りの球団オーナの間で「10球団、1リーグ」のシナリオが書かれ、強引に実行しようとして失敗したのが今回の騒動だと思います。 政治の世界で一部の実力者による談合で総理を決めた森前総理は厳しく批判され、小泉首相誕生の大きな原動力になりました。プロ野球の経営者のように「経営努力を全くせずに、破綻すれば実力者の談合で強引に物事を進める」プロセスも許されなくなって来ているように思われます。 矛盾をはらみながらも特段の対策をせず問題先送りをしていた分野は例えば金融部門や不良債権となっている融資先に今回のプロ野球、それにトドメは千兆円を超える国と地方自治体の借金など、もはや来るところまで来て、これ以上先送りが許されないことを今回のプロ野球騒動で痛感しました。 そしてそれは人ごとではなく私も含めた自分自身の問題でもあることをしみじみと感じた一週間でした。 労働貴族にもメスを 9/15何かと世間を騒がせる「年金を扱うお役所」の社会保険庁で、一時期、職員が興味本位で有名人の年金加入状況を調べて、外部にその情報が漏れることが話題になりました。犯人を見つけようと思ってもパソコン端末を扱うための磁気カードが職員ごとに固定されていないので誰が操作したのかわかりません。なぜこのような杜撰な情報管理体制になっていたかと言えば、「磁気カードを個人に固定すると個人の働き具合が一目瞭然となり、労働者の管理強化になる」と組合が強硬に反対していたために実施されなかったのだそうです。この組合は公務員組合である自治労の関係機関である「国費評議会」と言い、合理化反対でコンピュータ導入に徹底して反対闘争を繰り広げました。 その理由がふるっています。「コンピュータの導入で組合員の仕事が無くなると困る」「便利になると相談者が押しかけて労働強化になる」というものです。このような実例は氷山の一角でその詳細が「知られざる抵抗勢力 自治労」のタイトルで日経ビジネス8月30日号で紹介されています。 自治労は100万人の組合員を持つ大きな勢力で民主党の強力な支持団体です。日経ビジネスのタイトルを見ても『年金改革「反合理化」の砦』とか『トヨタの効率経営が日本をダメにする』『効率化の波を止めろ』と言った過激な言葉が自治労の理念として踊っています。民主党が彼らに牛耳られているかぎり改革など出来るはずもありません。 日経ビジネスによれば最近、自治労は公務員組合の枠から飛び出し、低賃金にあえぐ中小企業を精力的に取り込んで激しい賃上げ闘争をを展開してます。 「経費節減で自治体の仕事を外部に発注する例が増加している。外注先である「低賃金が武器」の中小企業の賃金を上げて彼らの競争力を削がないと、仕事は取られ、公務員の賃金も下がってしまう」と必死になっているそうです。そこには国民の血税という認識はカケラもありません。 自治労について私は詳しいことは知りません。しかし放漫経営の官僚のもと、組合幹部もまた自分たちの権益ばかり主張して「親方日の丸」で税金の食い散らしに大きく加担していることもまた事実です。誤解のないように言っておきますが一般の公務員がそのように考えているのではなく、彼らに君臨する労働貴族の指導理念がそうであると言っているのです。 民間企業でも私の経験では四十年以上も前の組合は共産党や社会党に支配された「経営者は労働者を搾取する敵」として企業の存立を危うくするぐらい合理化に反対して来ました。私が入社した頃などは春はストライキが定例行事として定着しており、重要な仕事を担当していない私たち新入社員はストライキを心待ちにしていました。 彼らの基本理念には「企業の存続」はありません。あくまで資本家の搾取から労働者を守る視点で、過激な組合は徹底的にストを打ちました。当然のことながらこのような状態では経営が成り立たなくなりますので、組合内部で革命が起こり「企業の存続」を前提とする組合に変身して労使一体で日本の高度成長を支えました。 何度も申し上げていますように官の世界にも民間と同様に「放漫経営をしていては組織が壊滅する」「官僚も経営責任を取る」ようにシステムを改革させなければなりません。「合理化や効率化に反対していては財政が破綻して自分たちの組織が崩壊する」と思えば自治労の姿勢も変わって来ます。 かって勢力を誇った旧国鉄の労働組合を思い起こせばすぐに理解出来ます。小泉改革の原点である「民で出来ることは民で」「地方で出来ることは地方で」を実現しないかぎり日本の再生は無いと思います。 プロ野球スト回避 9/13大変な注目を浴びたプロ野球のストはとりあえず回避されました。私の個人的な印象としては、テレビに登場する古田選手会長の顔がりりしく、また頼もしく見え、古田会長はなかなかの人物ではないかと感心しました。握手を求められてそれを拒否したのも好ましく見え、球団経営者側がまだ事態を甘く見ているとの印象さえ多くの人々に与えたのではないでしょうか。プロ野球のスト問題がこれだけ大きな関心を呼んだ一つの原因に巨人渡辺前オーナの「たかが選手」発言があると思います。このような傲慢な経営者側の態度がプロ野球になじみの薄い人々の関心まで引き寄せ、経営の常識からかけ離れた極めて古い球団経営の実態を白日のもとにさらけ出す結果となりました。 各種メディアの調査では現状の所(ストが実施されない状況下で)圧倒的に選手に支持が集まっています。球団経営者は多くの国民から支持を受けた選手会を相手に、大げさに言えば全国民注視のもとでこの問題の解決への道を探らなければならず苦しい展開です。 今回のプロ野球スト問題で、大新聞の社説で面白いバトルが展開されています。『』内はそのまま社説から引用している部分です。 まず毎日新聞が社説で『ストを背景に粘り強く交渉を続けた古田会長はじめ選手会の姿勢を評価したい。また、これまで選手会を「労組」と認定せず、交渉の席に着くことすら拒んできた野球組織側が、真摯(しんし)に選手会の声に耳を傾けたことも、今回のスト回避に大きな力となった。』と好意的な論評を加えています。 そして『皮肉な言い方になるが、球団経営者側が選手会と真剣に話し合うきっかけを作ったのは渡辺前オーナーの功績でもある。』と皮肉たっぷりな表現で読売新聞を批判しています。 朝日新聞はもっと過激です。『「たかが選手が」と言った前オーナーの発言に象徴されるように、経営側が選手をないがしろにしすぎたことが問題をこじれさせた。相手を尊重し、きちんと話し合う。経営側の態度を変えることができたとしたら、ストを設定した意味があったというものだ。この流れを大事にしてもらいたい。』とまずバッサリ。 そして返す刀で読売新聞(巨人渡辺前オーナの会社)の社説を引き合いに出して『資金力にものをいわせて有力選手を集め、そのような事態(年俸の高騰:筆者注)に拍車をかけたのはほかならぬ巨人ではないか。』と非難を加え『選手たちは今回、賃上げを要求しているわけではない。むしろ、痛みを伴う改革を提案している。年俸の高い選手は減額制限がある制度を変えて、大幅な年俸減も受け入れる。チームの年俸総額に上限を設ける。経営難の球団を助け、何とか共存の道を探ろうとしているのだ。』と選手側を誉めあげています。 読売新聞は、「この問題では球団側が真っ先に選手の雇用の確保を決定した」「賃上げも要求されていないし、選手の高給ぶりから賃上げなど要求出来る筋合いのものでもない」「従って今回の団体交渉は通常の労使による団体交渉として取り上げるべき問題は何もなく、選手の要求は(団体交渉の対象でない)経営側の専権事項に踏み込むもので極めて奇妙である」と選手側をこきおろしています。 その上で『球団の経営事項まで労使双方で協議することが当然だと、ファンや国民一般を“扇動”するマスコミも少なくない。今後の協議を意図的に混乱へ導こうとするかのような、極めて無責任な言説である。』 とても面白い展開です。読売新聞は自分たちがマスコミの被害者になった率直な感想と怒りを述べています。確かに団体交渉の常識から言えば読売新聞の主張は正しいと思います。 そして他の新聞はこのような根本問題に触れることなく、世間の関心を背景に「経営側の傲慢不遜」「誠意のない経営側の態度」など感情的な面で主張を展開しています。しかし読売新聞も自分たちが当事者でなければ、間違いなく他の新聞と同じ論調で球団経営側を攻撃していたはずです。 絶大な権力をもつマスコミの一方的な報道を批判できる存在が無くて悔しい思いを私はしてきました。ところが今回の問題ではプロ野球巨人軍を保有する読売新聞がマスコミに激しく非難される当事者として躍起になって他の新聞と戦っています。 「一方的に偏ることなく様々なメディアが論戦を戦わして、結果として報道の公正さが保たれる」このようなことが日常的に行われていれば日本ももっと良くなっているのにと思います。 新聞社同士で利害関係が異なるのはプロ野球くらいのものですから、これが終わればまた傲慢不遜なマスコミに戻ってしまうのかと思うととても残念です。 さっぱりわからない郵政民営化 9/10小泉改革の本丸と名前ばかりは勇ましい郵政民営化ですが、ここへ来て小泉首相はその実現に執念を見せています。7日の経済財政諮問委員会で骨子を固め、何が何でも10日には閣議決定に持ち込む姿勢を強烈に示しています。道路公団民営化で散々な評価であったことに懲りてか、郵便・簡保・郵貯一体の民営化ではなく、持株会社の下に分社する案を強引に盛り込みました。凄まじい反対を押しのけて首相の指導力で真の改革を目指す姿勢を訴えたかったようです。 しかし多くの国民は一体何を揉めているのか良く理解出来ませんし、既に小泉首相に対する期待ははげ落ちて、このような芝居に国民は反応しないのではないかと危惧しています。 道路公団民営化の場合は「無駄な高速道路を作らない」という極めて単純明快な目的がありました。目的が単純なだけに、結局無駄な高速道路を公団が作らないかわりに税金で作ることが明確になって改革の旗印は色あせたものになりました。 今回の郵政民営化に対して、頭の良い官僚は虎視眈々と「焼け太り」を狙っています。「民営化の旗印」は小泉首相に与え、自らの権益の拡大を考えていることは極めて明確です。 その目的とは「現在の組織と既得権益はバッチリと守り、民営化の美名で国有企業であるための色々な縛りから解放してもらう」というまさに官僚天国の実現を考えています。そのための方策としては次のようなことが考えられます。 1.郵便事業では独占権益を死守し絶対に競合に持ち込まない(儲けの多い封書、葉書の独占) 2.名目はともかく「実質的には三事業一体」で「大きいなどんぶり」を確保する(官僚の得意技) 3.現在の雇用と公務員の特権は守り、従来禁止されていた民業をどん欲に取り込み勢力の拡大をはかる 4.民営化の美名で、従来の負の遺産をこのさい税金で綺麗サッパリする(郵便事業の債務超過等) 5.放漫経営を許すために民営化後も国民に見えない形で税金投入の道を確保する(これが一番大切) 6.官が口を挟む権限を確保し、規制を拡大する この他にも多くの巧妙なやりかたがありますが、数が多くなると焦点がボケてきますのでこの辺でやめます。官僚は本質的にはこのような旨味のある郵政民営化に反対していません。特殊法人が独立行政法人と名前をかえ焼け太りした甘い経験を拡大して徹底的に民営化に盛り込み、焼け太りを芸術的にまで高めることでしょう。 要するに「官から民へ」ではなくて「民の仮面をかぶった、より勝手気ままの出来る官」を目指しています。特殊法人が目の敵にされたので、今後このような動きは各方面で活発化すると思います。そして官僚は着々と経験と智恵をつけ第二の特殊法人(役人天国)を築くことでしょう。道路公団民営化はその貴重な試金石となり官僚の輝かしい成功の第一歩となるかも知れません。 このような官僚の野望を断ち切るには「徹底的に規制を撤廃し、完全な競争原理に持ち込む民営化」以外に方法はありません。そのためには郵便・簡保・郵貯は完全に分離分割して生保・銀行・宅急便業界と全く同じ土俵で仕事をするような民営化でなければなりません。 特に郵便は完全な競争となると「全国あまねくサービス」が出来なくなるのなら、郵便事業だけ分離して公社のまま存続させるべきです。もともと「全国あまねくサービス」と「厳しい競争原理の働く完全な民営化」とは相容れないものですから、この辺の思想を明確にしなければ民営化の基本方針すら立てることが出来ません。 早くも「全国あまねくサービスを実現するためには税金投入をしなければ」の声があがっています。上に述べた六項目のうち一番大切な「放漫経営を許す税金投入」の甘い罠がすでに仕掛けられているのです。「民営会社に税金投入」の道だけは断固遮断しなければなりません。 官の放漫経営を巧みに民の世界にまぎれこませて、非効率の悪弊を民に拡大するよりは、郵政事業は公社のままにして、肥大化した郵貯・簡保を縮小するのが正解だと思います。「郵政民営化の勝者は結局官僚だった」ことにならないように監視の目を強めないといけないと思います。 ズバリ申し上げます。「郵政公社は(中途半端に)民営化させてはいけない!」 閾値(いきち、しきいち) 9/08今日はいきなり難しい言葉を出して恐縮です。みなさんこのような言葉をご存じでしょうか?いままで散々言葉を間違えてきた私としては言語学的、国語としての見識については全く自信がありません。大辞林によると閾値とは「一般に反応その他の現象を起こさせるために加えなければならない最小のエネルギーの値」とあります。これから私が述べようとしていることは、この意味にそったものでないことを最初からおことわり致しておきます。 私は「技術屋の端くれ」ですので、良く閾値という言葉を使っていました。たとえば実験で「不安定な状況にある機械に工夫をこらし」ある一定のレベルに達すると見事に安定の状態になることがあります。その点を閾値(「いきち」とも「しきいち」とも呼びます)と定義して、実用化のためにその閾値を出来るだけ下げる努力をしました。 かなり前に新聞のコラムで次のような文章を見つけました。「最近三菱自動車のトラックが良く火を噴くように見えるが、統計によれば三菱に限らずある一定の割合でこのようなトラブルは発生していた。しかし今回のクレーム隠し事件で世間の事故に対する閾値が下がったために、やたら目立つようになった」 こんなことに閾値を使うのか!と懐かしいやら意外な表現にとても新鮮な驚きを感じました。この流儀で行くと「温泉偽装問題」などはその典型でしょう。今まで温泉を疑って見たこともなかったのに、白骨温泉を契機に私たちの関心は多いに高まりました。温泉に対する閾値が下がったのです。 「いままで気づかなかったことが、ある日突然、明確に見えてくる」すなわち私たちの身の回りに起こる森羅万象に対して、私たちは独自の閾値を持っていることに気が付いたのです。そして生活の知恵として無意識に閾値を上げて、本来気になることを感じないようにしてストレスを避けてきたのではないでしょうか。(さわらぬ神にたたりなし) 藤原通信で何度と無く申し上げて来た「時代の変化」。この時代の変化にいち早く気が付いて素早く対応するためには「多少の軋轢を覚悟しても現実に直面する」ことではないでしょうか。 そこで提案です。私たちの回りの現象に対して「どのような閾値があるか」を探して見ませんか。閾値という今まで馴染みのない言葉で頭に刺激を与えて時代の変化に対応する最少のエネルギーを脳細胞に与え活性化させるのです。 日本の経済成長の原点は品質重視にあります。食品偽装表示問題などは一般消費者が値段表示に惑わされることなく、品質と価格にこだわりと関心を持てば業者もいいかげんなことは出来なかったはずです。消費者が品質に対する閾値を下げることが(関心の度合いをを上げる)業者の品質向上に役立ちます。日本人の異常とも言える品質に対するこだわりが日本をここまで成長させて来ました。 品質に限らず、官僚の無駄使いや政治の腐敗など、「一人一閾値」運動を展開すれば閉塞している現状を打開するアイデアが浮かんでくるかも知れません。 テロの時代にどう対処する? 9/06ロシアのテロ集団による学校占拠事件で300人を超す犠牲者が出ました。あまりに痛ましく、テレビ報道を正視出来ずに、つい消してしまうほど衝撃の強い事件でした。アメリカの9・11事件以来、二十一世紀はテロの時代と言われ、各地で悲惨な事件が続発しています。戦争にも悲惨な虐殺事件はつきものでした。日本に投下された原爆も一種の虐殺でしょう。しかし戦争には一応のルールがあり、民間人に対する無差別攻撃は恥ずべきこととして国際的に指弾されています。 もしアメリカが第二次世界大戦での敗戦国であったならば、原爆投下に対してドイツのナチに匹敵する国際的制裁を受けていたかもしれません。また地下組織である非合法な暴力組織でも、一応は「素人には手を出さない(素人は殺さない)」掟が世界的に存在しています。 ところがテロは罪のない一般人が最初から標的です。実に憎むべき存在であるために「テロの脅迫には絶対的に屈しない」というのが白人社会の鉄則のようです。しかしテロに屈しないという原則を貫くために多数の子供を含む300人を超す犠牲者が出たことは、あまりにも大きな代償と言わざるをえません。 「テロは力でねじ伏せる」という考え方は前回の藤原通信で述べたドーピング問題の背景にある「動物の世界における弱肉強食の精神構造」と根は同じように思えてなりません。「テロにはいかなる犠牲を払っても断固屈しない」のか「人命は地球より重いから超法規的にテロ集団の要求を受け入れる」のかと問われれば、日本人は人命を、白人はテロとの戦いを選択するのが過去の実績です。 「テロを力で押しつけることは憎悪の連鎖を生み新しいテロを発生させる」と日本では良く囁かれます。「戦争放棄こそ平和への最短の道」を信奉する日本人らしい発想です。是非そうあって欲しいものです。 しかし人命を尊重して相手の要求を呑んだヨド号ハイジャック犯人は北朝鮮による拉致事件へとテロの連鎖を広げましたし、あの有名な故福田首相の「人命は地球より重い」のダッカ事件で超法規的に逃れた日本人テロリストは外国でのテロ事件に荷担し、諸外国から日本はテロを輸出すると非難ごうごうでした。 問題は今後の対応です。もし日本国内でロシアのようなテロが発生した時に、日本人すなわち私たちはどのように対応するのでしょうか?世の中がこれほどまでに情報で溢れる時代です。今年に入っても数多くの尊い人命が「テロに屈しない」ために失われています。今回の事件も知らず知らずの間に私たちにテロに対する覚悟を迫っているように思えてなりません。 イラク関連で多発するテロ事件で「人命は地球より重い」決断をしたのはスペインとフィリピンの二つの事例しかありません。今後は「人命は地球より重い」思想より「テロには断固屈しない」方向を選択せざるを得ない時代になるのでしょうか? 政府の決定は国民の心情と密接なかかわりがあります。その時に私たち一人一人はどのように事実と対処するか究極の選択を迫られる覚悟をしなければならないでしょう。テロが身近になって来た現在のとても重い課題です。 ドーピング疑惑 9/03日本人大活躍で楽しい思いをしたオリンピックに汚点を残したのは男子マラソンの妨害事件とドーピング疑惑問題でした。室伏選手は結局金メダルの栄誉に輝き、その結果日本は過去最高の金メダルを獲得した東京オリンピックの16に並び、金メダル獲得数とメダル獲得数の両方で史上最高記録を打ち立てました。しかし何とも後味の悪い思いは残ります。ことの発端はアヌシュと同じコーチに指導されている男子円盤投げ金メダリスト、ローベルト・ファゼカシュ(ハンガリー)が薬物検査のための尿の提出に際し規定の三分の一の量しか提出しなかったので、規定量の提出を求めたところ「気分が悪い」との理由で退席し提出を拒否したことに始まります。 アヌシュ選手自体はドーピング検査で合格が出ていましたが、ファゼ カシュが失敗したと見るや、直ちにファゼカシュと共に帰国してしまいました。IOCはアヌシュに対し再検査を要求しましたが要求に応じなかったため、規定により金メダル剥奪に至りました。 しかしながらアヌシュは自分こそが真のチャンピオンであると豪語し金メダルの返還をしないばかりか、IOCに対して口を極めて非難し自身の正当性を強調しています。IOCの言われ無き誹謗中傷によって自分の人生は滅茶苦茶になったと主張しています。 日本人なら誰もが奇異に感じるのは「それほどまでに身の潔白を主張するなら、どうしてルールに従って再検査に応じないのか」ということでしょう。しかしこのような思考こそ「日本人がお人好し」の証拠なのです。 アヌシュに限らず欧米人の特徴は決して自分の非を認めず徹底的に抗戦することです。アメリカでも名前は忘れましたが殺人犯が有能な弁護士を雇い、とうとう無罪を勝ち得た例があるではありませんか。彼らにとって日常の全てが弱肉強食の戦いであり、弱みを見せたら自分の生命が終わりという動物の世界の論理そのままの精神構造を持っていると考えて差し支えありません。 だからこそ世界を相手に仕事をする時には、何よりも契約が大切であり、企業活動でも必ず弁護士が介入し、裁判沙汰も日常茶飯事です。私も現役時代、数多くの商談にかかわって来ましたが、かならず裁判を前提に綿密に契約書を作成しました。そして交渉の場では弁護士を交えて丁々発止と戦った記憶が蘇ってきます。 戦後日本教育の最大の美点であり致命的な欠陥である「平和の幻想(平和ボケ)」が日本人の心の奥深く浸透してしまいました。永らく続いた米ソ冷戦の時代は米国とソ連という大きな力を持った陣営のどちらかに属しておれば安全は保証されていましたので、いつしか「平和の幻想」は幻想では無く、真実と思いこむようになってきたのです。 しかし冷戦が終了した現在、世界的な規模での弱肉強食の争いが多発しています。北朝鮮というならず者国家からの脅威もあります。文明の衝突とも言えるテロ行為も多発する昨今です。中国や韓国も竹島や尖閣諸島でジワジワと日本の領土を侵食しています。 それにもかかわらず日本を敵国と見なす国連に対して(明確に日本は敵国と明示されてます)世界第二の国連費用負担をし、国連のやることは正しいと信じる「国連至上主義」の幻想を持ち、「日本が武力を持たず世界に平和を率先して訴えて行けば誰も日本を攻めることはない」と信じているお人好し日本国民は激動する二十一世紀に生存出来るのでしょうか。 アヌシュが示した行動が世界の常識であり、このような輩(やから)がウヨウヨしている世界で日本人はどのようにして自分自身を守るのか、私たち一人一人が考える良い機会をこの事件は与えてくれたと思います。 やはり安全保障は民主党のアキレス腱 9/01オリンピックの陰に隠れて目立たなかった政治の世界が、オリンピックの終了と共に皆さんの注目をあびるようになって来ました。民主党の代表が何やらゴタゴタした末に、結局岡田代表の無投票再選に決まったようです。しかし参院選で民主党を勝利に導いた小沢氏がまたまた風波を立て横を向き出しました。報道によると小沢氏は岡田代表に対して「政治感覚を疑う」とまで不信感を露わにしているそうです。 今回の両者の対立は国にとって一番大切な安全保障を巡るものです。岡田代表はもともと「国連の集団安全保障には武力行使を含めて積極的に参加すべきだが、憲法改正が必要だ」と極めてもっともな意見を持っています。 但し旧社会党の護憲派を抱えた民主党の内部では「武力行使」には根強い反対があって簡単に岡田代表に同意するとも思えません。それを米国で政権与党に対して民主党党首としてこのような見解を発表したものですからゴタゴタが始まりました。 一方現実派の小沢氏はかねがね「国連待機部隊」を自衛隊とは別に新設すれば現行憲法でも国連決議に基づく多国籍軍への参加は可能であるとの見解を持っていて一歩も譲ろうとしません。そこへ米国での岡田発言ですから、恐らく怒り心頭に発したことは容易に想像出来ます。 このような国の基本にかかわる大切なことは、多いに党内で論議してその過程を公開し、国民に民主党として明確な意志を示せば、国民的議論を民主党主導で展開することが可能です。本来なら絶好のチャンスのはずです。 ところが小沢氏の悪い癖で「自分の言うことを聞かないならばお手並み拝見」と横を向いて、党内論議の主導権を取るどころか、岡田代表の政治家としての資質まで否定しようとしています。これではいつまでたっても民主党が政権を担う政党に成長しません。残念なことです。 民主党は国家にとって一番大切とも言える安全保障に対していつも真っ正面からの議論をしません。しないと言うより党内は核兵器保有も辞さない「超強硬タカ派」から「護憲派」まで主義主張が異なりすぎるので出来ないのでしょう。小沢氏の国連待機部隊についても、もっと突っ込んだ論議を党内ですべきです。 どうして自衛隊と別組織にすれば多国籍軍に参加しても憲法違反にならず、小泉政権下での自衛隊イラク派遣がいけないのか、国民に対して明確に説明すべきです。この点を避けるから「国連決議さえあれば日本は参加する」と前に言っていた民主党が国連決議が実現しているのにイラク自衛隊派遣に対して強硬に反対しているのか良く理解出来ません。 憲法改正や安全保障と言った国の最重要事項に関しては党利党略を離れ国益を第一とした、真に日本国を考えた方針を民主党は明確に示すべきです。 |