ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2004年五月号

関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪

藤原雄一郎の時事通信 2004年五月号

 

年金未納騒動でほくそ笑むのは誰? 5/31

先週は小泉訪朝で国中がわきたつような議論があった一週間でした。小泉内閣の支持率も軒並み上昇し、巷間言われているような「参院選目当て」「年金隠し」等々の効果があったと思って批判的な人や、「やはり国民は正常な判断を下した」と評価している人たちなど様々だと思います。

おかげで、あれほど盛り上がっていた年金問題、なかでも年金未納騒動が、先週一週間目立たなかったことも事実です。そしてその間に年金法案は着々と前進しています。年金問題についても色々意見があってどれが正しいかは良く分からないことが多いと思います。そこでポイントを絞り、単純化して考えてみましょう。

年金問題はそもそも人口構成がピラミッド型であった時代には特段の問題はありませんでした。老人をささえる若年人口が多いと立派に年金財政は成り立ちます。それが少子高齢化で人口構成のピラミッド型が崩れだして、年金財政が危うくなったものですから、頭の良い官僚が「世代間の相互扶助」などという精神論を全面に押し出して「国民年金への加入は国民の義務」などと言い出したのです。

国民は「自分の払った金が将来有利な条件で還元される」と考えるからこそ年金を支払うわけです。何も損を覚悟で「世代間の相互扶助」に両手をあげて賛成し喜んで年金を払うほど日本人は立派な精神を持っているとは思えません。しかしながら老後の不安をかかえるからこそ、不利な条件でも年金を支払うのです。

そこで財政的に年金資金が問題となった場合に、不足分を埋める方法は次の三つしかありません。

1.給付を減らす(年金受け取り額を減らす) 2.負担を増やす(保険料を上げる) 3.税金を投入する

現在提出されている法案は負担を増やし、給付を減らす方法です。与党の案が良いとか民主党の案が良いとか言っても、所詮は上に述べた3つの条件の組み合わせでしかありません。その組み合わせを巡って論議するのは良いのですが、誰もが満足する魔法の解決策などありません。結局は不満はあってもどこかで折り合いをつけるしかないのです。

それよりも一番大切なのは、折角の年金資金を官僚が無駄使いせずに「大切なお金を減少させないこと」ではありませんか。民主党の下妻議員の地道な調査で年金官僚の年金無駄使いが明らかになり、メディアも一斉にこの問題を取り上げ国民の関心が高まりました。ところが時を同じくして政治家の年金未加入、未納問題が噴出したのです。

当然情報源は社会保険庁以外はありえません。おかげで世の中の関心は年金無駄使いから未納騒動へと完全にとって変わりました。社会保険庁が意図的に未納情報をリークしたとまでは申しませんが、あまりにもタイミングが良すぎます。私たちは未納騒動のかげに本来追求されるべき役人の年金無駄使いを逃してしまっています。これからも年金の無駄使いは程度の差はあっても続くでしょう。

年金未納騒動で一番喜んでいるのは年金の無駄使いをあばかれ、社会保険庁に改革の手が伸びることを最も恐れている年金官僚ではないでしょうか?この際社会保険庁は解体し、年金は一種の税金と考えて、国税庁で徴収すれば未納問題も解決します。そして年金無駄使い官僚を厚労省から一掃することが、年金無駄使いを防止する最大の策ではないでしょうか。

参院選もあとわずかと迫ってきました。私たちは声をあわせて「社会保険庁解体」を叫ぼうではありませんか。
 

小泉訪朝 読者の声2 5/29 前回 5/28

昨日に引き続き「名古屋在住の小島様」からのお便りをご紹介させて頂きます。この他にも多数頂いており、いずれも昨日と本日ご紹介させて頂いてますように、大変な力作で私が独り占めするのは勿体ないような内容です。多くの素晴らしい皆様にお読み頂いてメルマガを書いていて良かったとしみじみ思っています。ご紹介させて頂くのは二名様だけですが、紙上を借りましてメールを頂戴した全ての皆様に心から御礼申し上げます。

「国民の生命財産を守る」という国家の重い責務と「罪もないのに北朝鮮というならず者国家に壊滅的に破壊された拉致被害者とその家族」という事実に直面して物事を考えなければならないことを小島様から教えられました。

また小島様に対するご意見があれば是非転送するように頼まれています。通常は頂いたメールは私かぎりと致しておりますが、小島様のご意見に関するメールにつきましてはご了承お願いします。(藤原通信への掲載はご本人の了承を頂くことを鉄則としております)

−−−−−−−−−−−引用開始

藤原通信112号「言って良いこと、悪いこと」を拝読して、どうしても自分のような意見を持つ者もいることをお伝えしたいと思い、メールさせていただきました。

私は首相の訪朝を消極的ながら評価しており、政権も支持いたします。この支持は、小泉首相以上に期待できる政治家がいないための消去法でもありますが支持していることには変わりありません。

ただし、今回の拉致被害者のご家族と小泉首相のやりとりにおいては、ご家族を支持すべきだと思います。(ご家族以外の個人・団体は別です)

理由はいくつかありますが、自分なりに整理いたしました。

■原則論

1.国は拉致の被害者及び家族に対して責めを負う立場にある(国家責任)。

2.原状回復に努力することは国家としての負債を返済しているに過ぎない。(子供の帰国は、負債の利息分としてもまだ足りないと思います・・)

■政治家としての「道」

古くさい考え方かもしれませんが、為政者は常に自分を律し周囲からも高次元の成果と律己を求められ続けてこそ健全な状態を保つと思います。トヨタも自らに向け続ける厳しい眼差しと、やっかみも含めた周囲の批判的な眼があるお陰で、いまの姿があるはずです。

小泉首相を支持すればこそ、尊敬と信頼を込めて厳しい眼差しを注ぎ、より高いレベルの執政を求めるべきだと考えます。政治家にとり荊棘の道こそ千年後に名を残す王道ではないでしょうか。

一方ご家族は、周囲の支援があるとは言え、国民の気まぐれな感情の置きどころが変われば、更なる極限状態に追い込まれて、取り返しのつかないことになりかねません。すでに何十年も追い込まれ限界状態にあるのです。

その結果責任の一端は日本国政府にあります。拉致を許した政府と現在の政府には国民にとっての一貫性があります。他の首相では為しえなかったかどうかは問題でないと愚考いたします。

三菱自動車で例えるならば「問題を起こしたのは過去の経営者だ。責任を認めて謝罪し、被害者への対応を行おうとする現経営陣を非難するとは不見識だ」ということになりはしないでしょうか。

先生の意図とは異なって、イラク人質事件の被害者やその家族と、拉致の被害者とそのご家族に対する読者の論評軸が同一になることを恐れます。看過すると国家として国民として千年の恥を残すことになりかねません。

誤解なきように申し上げますが、マスコミに対する先生の視点、論評内容にはこの件に限らず諸手を挙げて賛成しております。また支援団体・組織に対するご批判も同意見です。上記は被害者ご家族に限ってのことです。

小泉首相を支持する者として、今後も厳しい眼を向け続けたいと思います。また、自分自身もリーダーとして責務を果たすべきときには、自らに同じ刃を向け、同じ覚悟で務めたいと考えております。

拙文・稚文ご容赦ください。また失礼な表現などございましたらご寛恕のほどよろしくお願い申し上げます。

                      2004年5月26日 小島 拝

♯蛇足ながら申し添えます。読者像の一つとしてお役に立てばと思います。私は30歳、男性、会社員(近々会社を辞して中国に渡る予定)です。

−−−−−−−−−−−引用終わり
 

小泉訪朝 読者の声1 5/28

今週は小泉訪朝の話題ばかりになってしまいました。しかしながら読者の皆様から多数のメールを頂戴し、今更ながらにこの問題に対する関心の大きさを痛感しています。特に前回の「言って良いこと、悪いこと」に対しては今までにないほど多数のメールを頂戴致しました。とてもありがたいことだと思っています。

その中で今回の小泉訪朝における「身代金としての人道援助」「交渉の詰めの甘さ」「外交を政権維持のために利用した」等の世間の批判に一切言及することなく、一方的に小泉首相を持ち上げ、拉致被害者家族に対して厳しすぎるとのお叱りも多数頂戴致しました。

私は私なりに小泉外交の(言葉は悪いのですが)「杜撰さ」に対して意見を持っていますが、このことについて述べると肝心の言いたいことが言えなくなると思い省略したのがいけなかったと反省しています。

特にある読者の「イラク問題にしろ拉致事件にせよ悪いのは拉致した側であるのに、最近の日本は被害者を非難する風潮にある」との言葉には正直言ってハッとしました。本当に悪いのは北朝鮮なのにどうして被害者や小泉首相にばかり非難が集中するのかという、忘れていた原点を思い起こさせる貴重なご意見でした。

前置きはこのくらいにして内堀啓助様のご意見を紹介して今週の締めくくりとしたいと思います。内堀様のご意見は月曜日の「批判するのは誰でも出来る」に対するものです。また明日は「名古屋在住の小島様」のメールをそのままご紹介させて頂きます。

−−−−−−−−−−−− 引用開始

今回の小泉訪朝ですが、色々なことが絡んで複雑ですが、小生はあえて評価します。

夫々の立場で、評価が異なるでしょう。今回日本に戻ってこれた拉致被害者の方々の関係者、不明といわれる十名の家族の方々の関係者、それとは関係ない一般の我々、三者で意見がことなるでしょう。感情的なことが絡むので、小生の意見はあくまで一般人としてということを冒頭に申し上げます。仮に小生が不明の方の関係者であれば、最低評価を与えることは、間違いないでしょう。能書きはそのくらいにして。

外交的な道理を考えると、そもそも拉致をした北朝鮮に、米25万トン、医薬品関連、1,000万ドルの援助と引き換えに家族を日本へ返すという(表向きには別物としているが、誰が見ても実質的意味は交換)ことになり、多分、欧米人は内心、日本外交は「お人よし」と評価するでしょう。泥棒に金をあげて、盗んだものを返してもらうようなもの。しかし、極論を言えば、絶対に軍事で他国を責めない国と、ミサイルを持って何をするかわからない国との関係を考えれば、ある程度納得できます。これが外交の現実でしょう。物事の本質はつながっています。

小生は少々飛躍的ですが、本件について別の見方をしたいと思います。

今回の訪朝は準備が不十分であった、年金未納や夏の参院選とのからみなど、色々と憶測が流れていますが、ここで、小泉さん以外の人が首相だったら(例えば代表選に立候補した亀井氏や藤井氏)、何が起こったかと考えると、多分リスクのない範囲で確実にうまくいくという確証がなければ、多分行かなかったであろうと想像します。おそらく何も進展はないまま、先送りとなるでしょう。いつ解決するのか不明です。

もっと言えば、小泉さんが首相にならなかったら、拉致被害者の帰国など思いもよらなったかも知れません。冒頭に申し上げましたとおり、色々な絡みがあるかもしれませんが、小泉首相の心中を察するに、ここまでやったのに、家族から罵声まで浴びて、ショックだったと思います。会議の当日の夜に家族への報告など、これまでの首相、政治家では考えられないことです。

不明の十名のことは、北朝鮮(金正日)にもプライドがるので、仮に生きていてもそう簡単に、「間違っていました。実は生きていました」とは言えないでしょう。強く出ても金正日の性格から見て、それがいい結果につながるか。自らを正当化する為にむしろ、生きている人を何らかの形で殺されてしまわないかと心配するのは、考え過ぎでしょうか?それなりのきっかけが必要ではないでしょうか。

リスクのない、そして100%成功するという確証ないと動かない。出世にはプラスよりもマイナスが気になる。わざわざ火中の栗を拾うこともない。まさに今の日本社会ではないでしょうか。この旧弊を見直すいい機会だと思います。

成功するのが当然ベストだが、成功しなくても、勇気をもって行動する姿勢こそ、まさに今の日本に必要なことではないでしょうか。そういう勇気ある行動を評価する土壌が必要です。マスコミは例のごとく感情的です。少しは大人になれやといいたいところです。

閉塞感があった江戸末期も、色々な動きの中から明治維新へと進みました。試行錯誤は避けられません。朝日新聞によると、国民の67%が評価しているようです。これも直接拉致家族と関係ないからといえば、それまでですが、ようやく日本も試行錯誤しながら、動き始めたといえるのではないでしょうか?日本社会の内部エネルギーの胎動のようなものを感じます。

−−−−−−−−−−−− 引用終了
 

言って良いこと、悪いこと 5/26 

月曜日の藤原通信「小泉訪朝 批判するのは誰でも出来る」に対して多数のお便りを頂きました。今までメールを頂戴したことのない読者からも多数頂いて、皆さんの関心の深さを今更ながらに痛感しています。

ご意見の多くは、土曜日、日曜日のテレビ報道に関しての感想でした。「あれほど努力している小泉首相に対してねぎらいの言葉一つもなく、あまりにひどい報道に気持ちが悪くなった」という意見が大半を占めていました。私も全く同じ感想です。

取り残された十名の拉致被害家族は、今回の家族帰還によって拉致問題に幕が引かれ、世間の関心が薄れることを非常に心配して悲痛な心の叫びを上げています。その気持ちは痛いほどわかります。しかし言って良いことと悪いことの見境もなく叫ぶ姿とそれを垂れ流す報道姿勢には大きな問題を感じます。

自分たちの思いが達成されないからと言って、一国の首相に対して「やる気のない首相にはやめてもらう」「まるで子供の使い」「次期政権にやってもらうしかない」などの無礼極まる発言は決してあってはならない発言です。国民は従来の慣習にとらわれない変人宰相小泉純一郎だからこそ、歴代の内閣が無視し続けた拉致問題の重い扉を開けたことを知っています。

拉致被害者家族にはこれほどまでに拉致問題に国民的感心が高まったのは誰のおかげか良く考えてみて欲しいと思います。小泉首相以外の誰が首相になっても(安全志向の強い人たちですから)これ以上の前進をはたして勝ち得ることが出来たでしょうか?歴代の総理の行動を見れば理解出来るはずではありませんか。

拉致被害者家族の心の叫びを否定するつもりは全くありませんが、このような常軌を逸した発言が拉致被害家族に対してせっかく盛り上がってきた同情や支援に対して水を差す行動であることは明確です。だれか知恵者が「言って良い発言」と「言ってはならない発言」を仕分けして欲しかったと思います。(この意味で拉致議連や救う会の責任は重い。原理原則ばかり振りかざして彼らは一体何をしたのか!)

メディアは興味をかき立て、視聴率をあげるために拉致被害者家族を誘導し「言ってはならない発言」を中心に取り上げ、より視聴率を上げる方向に動こうと必死です。そこには「正確で公正な報道」の役割を担った報道人としての良心のカケラもありません。23日の日曜日には各社とも世論調査を一斉に実施しましたが、メディアの予想に反して訪朝に対する支持が多かったものですからあてがはずれて、テレビ朝日は「世論調査が拉致被害者の怒りの声をきく前の22日に行われたのでこのようなことになった(本当はもっと支持率が低いはず)」との主旨の誤った発言を24日の朝にする始末です。

世論調査は23日に実施されていましたので、この報道は誤りであり、25日には訂正するそうですが、これほどまでに真実を曲げてでも興味本位の小泉訪朝失敗の雰囲気を醸し出したいのでしょうか。テレビ朝日は23日夜の特別番組で鳥越キャスタが「平沼さんは現役閣僚で閣内不一致」などと不勉強ぶりを暴露してゲストに訂正されているのに、司会者は慌てて「至急調査します・・・いやまちがいでした」などこれで報道番組を担当する資格があるのかと思う無知文盲ぶりです。またテレビ朝日は22日に「死亡とされている十名のうち二名は生存していた」との誤報を流しています。完全に狂っているとしかいいようがありません。

視聴率至上主義のテレビはこのように余りにもずさんな編集から成り立っています。NHKは国営放送であり面白くないとの評判ですが、肝心の視聴率では報道番組の分野でつねに民間放送より高い視聴率を勝ち得ています。今回の世論調査がメディアの予想を裏切ったことと合わせて国民を馬鹿にした態度をとり続けるメディアは反省すべきです。

メディアに散々叩かれながら、朝早くから夜遅くまで疲れが蓄積しているであろう小泉首相が帰国直後に公開の席で拉致被害者家族の罵詈雑言に辛抱強く長時間つきあった姿勢に私は感動を覚えます。(公衆の面前で罵詈雑言を受ける辛さは経験した人でないとわかりません)何度も繰り返しますが彼らが罵詈雑言を浴びせている小泉首相の敢然とリスクを取る姿勢が無ければ拉致された五名とその家族五名の帰還はありませんでした。常識を常に破る変人宰相小泉純一郎ならではの成果に心から「お疲れ様でした」の言葉を捧げます。
 

小泉訪朝 批判するのは誰でも出来る 5/24 

前回の藤原通信「金融庁に負けたUFJ」でUFJグループに対して「負の遺産の精算をもっと早くすべきだった」と言った意味合いの記事を書きましたところ、読者から「小泉さんの行動の結果を非難するのは拉致被害者を一人も救出していない民主党でも共産党でも出来る。アナタ(藤原)は批判したいのなら行方不明者の一人でも連れて帰るくらいのことをしてからにして下さい」との(私のUFJ批判を小泉批判になぞらえた)短いコメントを頂きました。よほど私の文章にカチンと来たのでしょう。

私自身は三千人、売上二千億円規模ではありますが、ある事業所の最高責任者として経営に携わり、負の遺産の精算に地獄の苦しみを経験したものですから、思わずUFJグループに対して批判をしてしまいました。私が経験した苦しさから「負の遺産の精算」には時間軸が大切であることを痛感し、一人でも多くの人々にこの事実を呼びかけたかったのです。

しかしこの文章を冷静に読み返して見ると、本当に誰でも出来る結果論の批判でしかなく、読者の反応ももっともと思った次第です。そのようなメールを頂いてまだ記憶が新鮮なうちに、本物の小泉訪朝が実現しました。結果としては拉致被害者家族八名のうち五名を連れて帰ることしか出来ないで、家族会からは総理の資質を疑う言葉も交えたあまりにもひどい非難の大合唱です。平沼議連会長は「こんな結果なら私でも出来る」と非難しています。

しかし私は小泉首相の22日朝からの険しい顔と飛行機の中で一人閉じこもって思索にふけっていた様子に痛いほど小泉首相の気持ちが理解できました。本来首相たるべき重責にある人間がこのような成果が明確でない段階で自ら出馬することはありえないことです。因習にとらわれた外交儀礼から言えば屈辱的土下座外交に相当する中で、活路を求めて行動する孤立無援の首相の姿にリーダとしての重圧を感じないわけには行きませんでした。

首相の出馬で「高まりすぎた期待」に応えられる「大きな成果」が無ければ散々叩かれることは目に見えています。参院選挙を控えて人気取りと批判されることも百も承知の行動でしょう。その上で小泉首相は期待レベルの最低限である「拉致家族8名の帰還」に的を絞った確信犯のような気がします。死亡と報告された十名や百名を超える行方不明者に対して進展がないことを事前に察知していたと思います。ジェンキンスさんの説得に異例の長時間を費やしたことからもその執念をうかがい知ることが出来ます。

家族会の言うように「死亡と報告された十名の解決無くして拉致家族八名が帰還すれば拉致問題に幕を引くことになる」との主張は正論です。しかしいつまでも正論を続けている限り拉致家族の帰還は永遠に実現しません。まずは拉致家族を取り返すことで「着実に一歩前進するのだ」との固い決意で、しかもそのようにした場合の反発を十分予想して、敢えてこのような行動に出た首相の苦悩は察して余りあると思います。

第一回訪朝でも今回と同様に激しい非難がありました。しかし誰が何と言おうと二度にわたる小泉首相の訪朝があったからこそ拉致被害者五名とその家族五名の帰還が実現したのです。批判を恐れて行動しなければ決して実現していないことです。「成果が100%でなければゼロであるとの風潮の中で一国の首相が重い決断をする」その時の重圧は経験した人間にしかわからないものがあると思います。読者が私にメールしたように批判するだけなら誰にでも出来ます。ともあれ「小泉首相ご苦労様」と声をかけたいと思います。

今回取り残された拉致家族の怒りは今後の日朝交渉にとって大変有利なことです。家族を含めて私たち国民がいつまでこの怒りを持続できるかが今後の交渉の成否を担う大きな要素です。日曜日のテレビ番組で、見ていて不愉快になるくらい「小泉弾劾の大合唱」のような報道番組がありました。小泉首相も大変だと思いますが、これら見識のないマスコミを北朝鮮に対する大きな牽制力として利用するくらいの気持ちでいて欲しいと思います。
 

金融庁に負けたUFJ 5/21

かねて噂されていた金融庁とUFJグループのバトルは遂にUFJグループの敗戦に終わったようです。

金融庁による特別検査がメガバンクに対して実施されていましたが、UFJグループに金融庁は辣腕検査官を投入して不良債権の解釈について激しいやりとりがあったと伝えられています。そして遂に19日に2004年3月期の最終損益が3期連続で赤字となる見通しになったことを受け、UFJホールディングスの杉原武社長、UFJ銀行の寺西正司頭取、UFJ信託銀行の土居安邦社長の3人が引責辞任することを決めました。

竹中金融担当大臣の強い意向を受けて、金融庁は公的資金を注入した銀行に対して経営健全化計画を提出させ、計画の利益目標を二年連続3割以上下回った場合は経営陣の退陣を含む経営責任を問う方針を通告していました。この事態だけは避けたいと、4月29日にUFJグループはかろうじて3割減とならない決算予想を出し危機を切り抜けたかと思われましたが、結局不良債権コストが当初の5000億円から1兆2000億円まで膨らむ予想となりその結果損益は3000億円を越す赤字予想で万事窮したわけです。

不良債権問題が原因で昨年の決算においてメガバンクは地獄の苦しみを味わい、遂にりそなグループは実質国有化まで追い込まれました。その後株価の急上昇もあって、UFJグループを除くメガバンクは業績の著しい回復を見せています。昨年の地獄の決算で思い切った対策を打ったからです。

ところがUFJグループはみずほグループや三井住友グループのような世間が驚くような手を打ちませんでした。その結果今年の決算では他のメガバンクが竹中大臣の約束した不良債権比率の半減(4%)を達成するか達成が可能なレベルまで処理出来たのに、UFJグループは8%台と低迷しています。不良債権比率を半減するには2兆円もの処理をしなければなりません。結局経営陣の保身のために一年遅れの抜本改革になったと非難されてもしかたがありません。

大体金融庁と争うこと自体が、過去の「箸の上げ下ろし」まで指導された金融行政の二の舞になる要素をはらんでいます。金融庁からあれこれ言われない世間常識のレベルでの意志決定をしていれば金融庁の入り込む隙間もありません。実質国有化されたりそなグループは金融庁の反対を押し切って昨年9月に全ての負の遺産を一掃する大幅赤字決算を強行しました。

不良債権問題も三菱ふそうのリコール隠し問題も、負の遺産はいつかは一掃しなければならない性格のものです。一掃するのは早ければ早いほど良いことは伊藤忠の丹羽会長の決断が雄弁に物語っています。辛い選択は先送りしないで一刻も早く闘うことだという教訓をUFJグループは示してくれました。
 

混乱に拍車 小沢氏代表辞退 5/19  

小沢氏が民主党代表に選出され、これから小沢流豪腕で政治が面白くなると思われた矢先に、突然国民年金未加入を理由に代表の座を降りてしまいました。国民年金「未加入」と「未納」の差が明快に理解できていない人も多いと思います。小沢氏はただでさえわかりにくい国民年金問題の混乱に拍車をかけました。もういいかげんにして欲しいというのが正直な気持ちです。

小沢氏の未加入期間は小泉首相と全く同じで、議員年金と国民年金の両方に加入することが禁止されていた時代から、その禁止が解かれ任意加入が認められ、そして国民の義務としての強制加入へと制度が移り変わる途中の任意加入時期の問題です。小沢氏も言っているように「国民の義務」に違反しているわけではありません。

今までの未納・未加入問題は強制加入期間であるにもかかわらず、法律を作る国会議員が「国民の義務」を果たさなかったとして厳しく批判されていました。それでも良く事情を聞いてみると義務違反の中にも大臣や政務次官など政府の要員になった場合、健康保険は国家公務員と同じ扱いで変更になるのに年金は変更にならないことによる勘違いで未納であった議員が少なからず存在します。管代表がその典型例でした。

もし私たちがこのような立場におかれたならば同じ勘違いをすると思います。管代表の場合は閣僚の未納問題に対して、このような情状酌量を一切せずに激しく攻撃を加え、一転自分がその立場におかれたならば「行政ミスと開き直る」その誠意の無さに国民は呆れたのです。ここは「気づかなかったとは言え、未納閣僚の中に自分と同じ立場のかたがおられたのに、激しい攻撃をしてしまって誠に申し訳ない。自分自身がその立場におかれ制度の欠陥を初めて痛感した。これからは与野党一緒になって制度の改善に努めましょう」と発言し、ここで未納問題に一応の区切りをつければ良かったのです。

辻元(元)議員と同じく「人には厳しく自分には極めて甘い」態度が国民の反発を呼び辞任にまで追い込まれたと思っています。このような状況なのに、小沢氏は法律的に問題のない任意加入に対する未加入問題にまで論議を拡大し事態を一層混乱させています。しかも「あわよくば小泉首相との差し違え」の意図が見え見えです。

私たち国民はもうウンザリです。この辺で未納、未加入問題には一応のけじめをつけて、もっと前向きの問題解決に進まなければなりません。にもかかわらずこのように混乱に拍車をかけるのは他に隠された意図があるのではと勘ぐりたくもなります。福田官房長官の辞任の時のような「潔さ」は今回の小沢氏の場合には感じられません。

一日も早く混乱を収拾し、せっかくここまで関心が盛り上がった大切な年金問題について建設的な国民的論議に入るべきです。そのためには

1.任意加入時代の未加入と管代表のような身分変更に伴う未納についてはその責任を不問にする。
2.その他の未納議員については厳しく責任を問う。与野党を問わず未納議員は閣僚の場合は辞任、党の役職も辞任する。
3.その上で年金法案を一時保留するか、法案を通すにしても三党合意に基づく問題点の解決に与野党ともに真剣に取り組むと宣言する。

以上のようなけじめを一日も早くつけて欲しいと思います。
 

政治の世界が賑やかに 5/17 前回 

先週末の三日間、留守をしている間に政治的に大きな影響力を持つ事態が続けて発生しました。最大は小泉首相の訪朝です。賛否両論がうずまく中で大変に重い決断を首相はされたと思います。政治の世界は結果論ですから、歴代の首相ならば成果が明確でなければ動かないのに、小泉首相はある種のリスクを犯しての訪朝だと固唾を飲む思いで見ています。

結果が芳しくない場合は参議院選挙での敗北が待っています。だからと言って変な妥協をして欲しくありません。国民は首相が「毅然として国益を守るブレない姿勢を鮮明にする」ことで納得します。小泉的頑固さを貫いて欲しいと思います。ともあれ動かなければ事態の進展はありませんので、首相訪朝を応援したいと思います。

次は混迷の民主党党首に小沢一郎氏の就任が内定したことです。豪腕で鳴る小沢氏のことですから、これからの党首討論など国会が注目を浴びるのではないかと期待しています。自民党の権力中枢に長くいた上に、「原理主義者」と呼ばれるくらい原理原則が明確な人ですので、小泉首相も今までのようにノラリクラリと論点をずらす答弁を重ねることは出来ないのではと楽しみにしています。

小沢党首からみれば「政治家としては子供」集団である民主党若手や主義主張が全く異なる旧社会党系の党員をどのように統率して行くのか興味のある所です。民主党が参議院選挙に勝利出来なかった時、「壊し屋小沢」の本領があらわれ大混乱の結果「民主党が空中分解して今度こそ政界再編が実現する」との一般の予想をどのように覆してくれるのか楽しみはつきません。

最後は小泉首相の国民年金未加入問題です。この場合は加入が義務でなかった時代のことであり、一国の首相としての見識を問われることは仕方ないとしても、マスコミ(田原聡一郎他多くのキャスターも未納、未加入なのに平気で人を責める鉄面皮ぶりには辟易ですが)が鬼の首でも取ったように騒ぐのはいかがなものかと思います。

魔女捜しのような年金未納の個人責任追及にこのような莫大な時間を割いている現状は、そろそろ終了する時期に来ていると思います。小沢党首は年金問題にかかわる三党合意を無視せず、今回の未納問題でクローズアップされた制度上の諸問題や、年金の一本化など、より良い年金制度改革のために汗をかくことを強く希望したいと思います。

何度も申し上げていますように、今回の参議院選挙が終了すると、当分私たちの意見を政治の場に反映する機会はありません。恐らくこれから7月までの間、小泉訪朝や小沢党首の与党との鮮烈な対決姿勢などが世間を騒がせると思います。そしてその陰に隠れて、官僚の天下が続くかと思うと憂鬱になります。

「国滅びて官僚あり」とならないように私たちが声をあげ続けなければならないと思います。
 

菅代表辞任劇に学ぶ 5/12 

菅代表は週末精力的にテレビ番組に登場し、ご自身の釈明に奔走しましたが「やめろコール」は一向に鳴りやまず、遂に10日代表の座を辞任するに至りました。菅代表辞任劇には多くの学ぶべき点があります。私の思うままを書いて見たいと思います。

1.決断もタイミングでその効果に天と地の差

藤原雄一郎の経営最前線シリーズ「目指せ経営トップ」(http://park5.wakwak.com/~inox/smelma/melma0002JR.htm)の中で私は次のように述べています。

「同じ『コスト低減50%の努力』をするにしても市場価格が下がる前に実行すればその努力は利益の蓄積として大きな成果となります。しかし価格が下がってしまってから市場価格に追いつくために『コスト低減50%の努力』をしても、達成される頃にはさらに価格が下がっていて、いつまでたっても赤字から脱却出来ません。同じ苦しい努力でも、実行するタイミングでその結果には天と地の差があるのです」

今回の菅代表辞任劇はまさにその典型です。「追い込まれる前に手を打つことがいかに重要か」が良く理解出来たと思います。

2.組織を守るにはどうすれば良いかが遺伝子にまで浸透している

一方福田官房長官の辞任劇は誠に見事だったと思います。ここに長年政権を担当してきた自民党のしぶとさを感じます。十年前に一度政権の座を追われ悲哀をかこった結果、「どうしても権力の座を維持したい」という執念が自民党の隅々にまで染みわたっているのではないかと空恐ろしく思います。福田官房長官の行動は誰に指示されたわけでなく、危機管理が各人の遺伝子レベルまで浸透していて、「自民党という権力集団の命を長らえる」ために本能的に反応したとしか思えません。恐ろしい直感です。

「時代の声を聞いて自らの組織を生きながらえるにはどうすれば良いか」の思想が組織の全員の遺伝子に浸透すれば組織は必ず存続出来ることが立証されました。(自民党が今後もこのような判断が出来るかどうかは疑問ではありますが、今回は見事でした)

3.大きく先を見る先見性

民主党の小沢氏はこのことを良く知り尽くしていましたので、菅代表が真っ先に辞任すれば自民党はガタガタになると進言していました。しかし菅代表は自分の身を守りたいばかりに、眼前の枝葉末節にこだわり「政権を取る」という大きな目標を完全に見失ってしまっていました。「政権を取る」ことが自己保身に優先していたら、そして小沢氏の進言を聞いていたならば、事態は全く逆転していましたのに残念です。

現場・現物主義に立ちながらも絶えず全体を考えて行動することの大切さを今回の事例から学びました。

さて教訓はこのくらいにして、私たちは今更ながらに力を持っていることを認識出来ました。参議院選挙が間近でなければこのような大騒動には恐らくならなかったはずです。しかしその方向が変なところに行ってしまいました。今回のことで官僚はほくそ笑んでいます。本来非難の矛先は社会保険庁の職務怠慢と、年金の食い散らしに対する怒りに向かわなければならないのに残念でなりません。

選挙を間近に控えた現在、私たちは今、最高の力を持っています。この力を是非官僚の公金無駄使いへの非難に矛先を向けなければ日本は良くなりません。地方議会の議員、秘書、国会議員の秘書や議員本人など少しでも政治に関係する人を見つけたら、特殊法人や天下りなど官僚の公金無駄使いは我慢がならないと大きな声を上げて下さい。今回を逃すと当分チャンスは巡ってきません。
 

嗚呼 三菱ふそうリコール隠し事件 5/09 

多分三菱グループに激震が走ったと思います。誇り高い三菱グループにとって前代未聞の経営トップの逮捕劇ですから無理もありません。これから事実関係が明らかになって行くので現時点で軽々なことを言うわけには行きませんが、逮捕された理由は金属部品「ハブ」についてリコール(無償回収・修理)などの改善措置に関する報告を求めた国交省に対し、02年2月1日、根拠もなく「摩耗が0.8ミリ以上のハブを交換すれば事故を防止でき、十分な耐久寿命を確保できる」と嘘の報告をしたことにあります。(関係者は否認しているそうですが)

三菱グループ各社の実情を十分調査しているわけではありませんが、少なくとも三菱自動車を生み出した親である三菱重工を調査するかぎり、「技術を守るためには損益のことは全く忘れて全力を投入する」という「三菱技術の掟」みたいなものがあり、品質に欠陥が発見された場合には普通の会社なら「会社が傾く」ほどの多額なお金を投入して技術を守り抜いた具体的な事実も知っています。このような姿勢が無ければ日本を代表する製造業の地位を長く続けることは出来なかったはずです。

同じ遺伝子を持ったはずの三菱自動車が平成十二年度に発覚した三菱自動車によるリコール隠し事件の反省が全く生かされず今回の逮捕劇に至ったことは、この会社に何か体質的な問題があるとしか思えません。逮捕された前会長は、報道によれば「会社に対する忠誠心が誰よりも強い」そうです。

恐らく三菱自動車の経営陣は歴代、時代の変化に全く対応することの出来ない人たちであったのでしょう。過去三菱自動車は総会屋への利益供与で経営トップの退陣を経験しています。この時点ですでに世の中の変化に大きく遅れをとっていたことを否応なく明白に認識させられたはずでした。すなわち「会社のためなら灰色の部分にでも目をつぶって」という思考方法が完全否定されたのです。

当時仮に負の遺産が存在していたとしても、前会長が本当に「会社に対する忠誠心が誰よりも強い」のなら、この時点で過去の負の遺産を全て精算して、三菱グループの社訓である「処事光明」(公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する)に一刻も早く戻さなくてはならなかったのです。

それにもかかわらず経営陣が上に述べたような手段を取らなかったことに今日の不幸の原因があるのではと推測しています。いや経営陣はその時点で明確に事態の変化を認識ししつつも、負の遺産のあまりの大きさに総ざらえ出来なかったのかもわかりません。そしてその恐ろしさを明確に認識したばかりに今度は「時代に逆行して懸命に隠匿する方向へひた走ったのでは?」と邪推すらしたくなります。そうでなければ引き続き十二年度のリコール隠し問題や今回の事件まで三回も世間を騒がせるはずがありません。

結局「愛社精神の人一倍強い」三菱ふそうの前会長は過去の自分自身が関与した負の遺産の余りに大きな負担に耐えかねて、自爆してしまったのが真相ではないでしょうか。

金属部品「ハブ」のリコールについては外人社長がすでに決断して届け出を済ましていますが、この時は逮捕された前会長の許可を得ず決断しています。もしあの時、前会長が実権を握っていたならばリコールの決断はしなかったでしょう。そして今回の逮捕劇でリコールに追い込まれたとしたならば、さらに目も当てられない惨状となっていたことでしょう。火は小さいうちに消さないとこのように悲惨な目にあう典型例です。

もし読者の皆さんの中で、過去の負の遺産の総ざらえが済んでいない会社や部門があるとすれば、一刻も早く精算しないと会社の運命が尽きてしまいます。問題の火は小さな内に消火しないとあたり一面を焼き尽くす惨状が待っていることを肝に銘じて欲しいと思います。

以前の藤原通信で4000名近い読者に対して「もし三菱自動車とその関係者がいれば」と呼びかけましたが未だに反応は全くありません。三菱自動車とその関係者にこそ、藤原雄一郎の経営最前線シリーズ「重役は裸の王様」を熟読して欲しいのですが。

三菱自動車関係でなくとも是非一度「重役は裸の王様」を読んで頂けないものかと念じています。
http://park5.wakwak.com/~inox/smelma/melma0003JK.htm
なぜならこのような場面の到来を恐れて一生懸命書いたのが「重役は裸の王様」ですから・・・
 

閑話休題 5/07 

連休明けかまだ連休を楽しんでおられる皆様が多いと思いますので、本日は肩のこらない話題といたします。

私はテレビをほとんど見ませんが、どういうわけかNHKの大河ドラマだけは楽しみに毎週見ています。今年の新撰組も日曜日が来るのを待ちわびている状態です。この大河ドラマは地域振興に多いに役立っていることを、昨年、身近な例で知ることが出来ました。

昨年の大河ドラマは宮本武蔵でした。私は平成五年から五年間下関に住んでおりました。昨年11月にひさしぶりに下関を訪問したところ、下関は宮本武蔵のおかげで大変な活況でした。私が住んでいた頃は下関は観光名所に恵まれているのですが、宣伝が下手なせいかなかなか観光客を呼び込むことが出来ずに苦労していました。

当時の下関では宮本武蔵の存在感は全くなく、佐々木小次郎が人気者でした。その証拠に武蔵・小次郎の決闘は佐々木巌流の巌流島ですし、名物の巌流焼のお菓子や、小次郎の弟子が決闘の間待っていた所は現在も「弟子待(でしまつ)」という地名にまでなっています。

巌流島はもともと舟島と呼ばれていました。また皆さんは多分ご承知ではないと思いますが、この舟島は5千平方メートルの小島であったのを市が埋め立てて1万平方メートルにしてその部分は今でも市の所有物です。ところが舟島の下関側2万平方メートルは対岸の三菱重工がドックを掘った時に残土を埋めたてたもので、2万平方メートルは三菱重工が所有しています。従って舟島改め巌流島の三分の二は三菱重工の所有物です。このことをご存じの皆様は余程の下関通です。

三菱重工下関造船所は日本の大型フェリーの建造をほぼ独占する存在です。下関造船所は今では珍しい船台での進水式を行っています。船台から巌流島まで400メートルしかありませんが、200メートルの長さの船が船台を滑り降り巌流島めがけて突進します。あわや衝突の瞬間に見事に横を向いて船腹を見せるその瞬間は、思わず鳥肌がたつくらい感激します。

また下関には平家滅亡の地、壇ノ浦があります。そして赤間神宮には安徳天皇が祀られています。このことについてはかなり多くの皆様はご承知でしょう。夏にはお祭りが行われ、平家踊りを市民は盛大に踊ります。しかし源氏の存在感は、五月の源平船合戦の再現くらいで宮本武蔵同様余り市民に語られることはありませんでした。

当時私たちは「下関市民は敗者の美学を持っている。佐々木小次郎と平家いう敗者を愛するのがその証拠である」などと負け惜しみを言っていました。しかしながら下関の衰退はどうしようもなく、門司港と下関のあいだ、約1キロメートルを結ぶ関門海峡渡船もいつ閉鎖されるかと噂されておりました。ところが昨年の宮本武蔵のおかげで、下関は息を吹き返し、関門渡船などはハイ・シーズンには行列が出来ると言います。そして今では宮本武蔵を売り込んでまさに様変わりです。

下関の人は、少なくとも昨年の宮本武蔵、今年の新撰組(高杉晋作や長州が必ず出てくるはず:下関には高杉晋作通りまであります)、来年の源義経(壇ノ浦の合戦)のNHK大河ドラマで当分は安泰だと威勢がとても良い状態です。まさに大河ドラマが衰退の都市下関を生き返らせています。

五年間ではありますが下関に住み、下関の地盤沈下を嘆く声を聞かされた私としてはとても嬉しいかぎりです。下関は関門海峡の景観を始め歴史と文化それに「ふぐ」に恵まれた素晴らしいところです。読者の皆様も一度訪問されて下関の振興に一役かって下さい。
 

なぜすれ違う自己責任論 5/05 

最近イラク人質で解放された人々がマスコミに登場するようになり、再び自己責任論が話題になっています。本件について人質被害者に対する論評は一切しないつもりです。ここでは視点をかえて、どうして自己責任論がすれ違うのかを論じて見たいと思います。

すっきりしない自己責任論の理由の一つに「国民の生命財産を守るのは、いかなる理由にせよ政府の重大な役割であるにもかかわらず、なぜことさらに政府高官が自己責任を強調するのか」という点にあります。事実同じ政府高官でも米国のパウエル長官は人質の皆さんの使命感に溢れた行動を賞賛しています。

またフランスのマスコミは「日本の社会が自己責任論を振りかざし人質被害者を非難する」ことを奇妙な現象であると論評していると報道されていました。ここに西欧諸国と日本との文化の差というか常識の差を感じます。

前にも触れましたが西欧諸国では自己責任という観念はなく、「リスクを取る」ことが日本で言う自己責任に該当します。リスクを取るわけですから、成功には大きな報酬があるかわりに、失敗には場合によっては死が待っています。従って死をも恐れぬ今回のような行動は高く評価されるわけです。

そして本人がリスクを取ったか取らないかには関係なく、国民の生命財産を守るのは政府の役割であると、人命救助に全力を尽くします。しかしその場合ある原則があります。

原則の第一は「国益や正義を人命よりも尊重する」ことが場合によってはあるということです。たとえばハイジャック事件が発生した場合、人質の救出には最善を尽くすものの犯人の要求に屈することなく、最終段階では人質の命を危険にさらしても強行突入します。この場合、多くの人質は全く自己責任の範囲外でも、尊い命を失うことがあります。しかしこのことで政権が転覆することはありません。(スペインの場合は選挙直前にテロ事件が起こり、選挙で与党が大敗し、結果として政権が転覆しました。テロ勢力の大勝利です。)

原則の第二は最善を尽くしても人質の命を守りきれなかった時に政権が崩壊することはないということです。

しかし日本の場合、もし不幸にして人質が最初の宣告通り、次々と殺害されていたならば、小泉政権は崩壊していたことでしょう。また自衛隊を撤退しなかったからこのように尊い人命が失われたと大きな非難が巻き起こったことでしょう。

日本も他の西欧諸国のように「人質に万一のことがあっても政権が崩壊しない」という原則が確立されていたら、政府高官もことさらに自己責任を強調することも無かったと思います。今回の事件が発生した時に、被害者家族をとりまく特定勢力は瞬く間に数多くの署名を集め(組織の力がなければこのようなことは出来ません)、この事件を自衛隊撤退=小泉内閣倒閣運動に利用しようとしたことは明確です。

このような火の粉を振り払うために、にわかに自己責任論が浮上し形勢は一挙に逆転しました。政府側の反撃が成功したと言って良いでしょう。大切な人命を倒閣運動に利用する特定勢力も特定勢力なら、自己責任を振りかざす政府も政府です。やはり我が日本国は未熟であるということでしょうか。
 

ご近所の底力 5/03

NHKの番組に「ご近所の底力」があります。ゴミ捨てマナーとか防犯など身近な問題を取り上げて住民の力で問題を解決する課程を放送しています。藤原通信でも日本人のモラルの低下などについて取り上げていますが、このような番組が存在出来ること自体、多くの人々が「現状を嘆くより、自分たちの力で何とかしなくては」と思っている証拠だと思います。

私は閑静な新興住宅地に住んでいます。環境も良く気に入っていますが、近所つきあいが全くありません。最近、近くのお宅に泥棒が入り多額の現金を盗まれたそうです。近所つきあいがないとは言うものの少しずつではありますが知り合いも増え、道であえば挨拶出来るようになりました。話し合って見てわかったことですが皆さんの心配の一番は治安問題となっています。

治安問題で一番効果的なのは、住民がお互いに挨拶することだと、多くの治安に造詣の深いプロは言っています。下見に来た泥棒が、住民から声をかけられると、恐ろしくなって泥棒に入ることを断念するそうです。また住民同士がお互いに仲良くなり、子供達が道を外れそうになるとやさしく注意するような雰囲気になれば、やがて地域が活性化して素晴らしい街となることでしょう。

藤原通信で私は良く戦後教育の三つの大罪として
1.権利と義務のバランスを教えず、権利ばかり主張する教育をしてきた。
2.世の中に存在しない平和を教え込んだばかりに平和ボケ日本人を大量生産してしまった。
3.競争を学校から排除して、公正な制約のもとでの正々堂々たる競争を出来なくしてしまった。
と主張して来ました。

その一方で経営のプロ養成講座「目指せ乱世のリーダ」の中では
「自分には権力が無いから改革は出来ない」と思うのでなく、身の回りの小さなことに目をつけて改革に励めばそれがやがて大きな力になり気がつくと立派に改革に成功している。上司を批判するばかりで自らは何もしないのではなく、自らが出来ることから立ち上がれ!
という主旨を説いています。

気がつくと私自身が「あれが悪い、これが悪い」と主張だけする不良社員のような言辞を藤原通信で発進していたのではないかと反省しています。

「日本の世直しはまず隣近所と親しくなること」と心得、道で出会うと「こんにちは」と挨拶したり、町内のお祭りには積極的に参加したり、ボランティアの清掃作業に従事したりの行動を取り始めました。いつまで続くかわかりませんが、このようにすることによって、世の中には素晴らしい人たちが大勢いることを発見して新鮮な喜びを感じています。

お年寄りにとって、ゴミの収集やちょっとしたお買い物の助けなど、ほんの少しのご近所の助けがあれば、自宅で生活できる期間を長くすることが出来ます。私も60歳半ばですのでこのような小さな活動がやがて我が身にも及ぶのではと考える機会を与えられました。

今日はいつもと調子が違いますが心に浮かぶままを書きました。このような調子とは全く逆行するような藤原通信も出てくると思いますが、どうか広い「こころ」で藤原通信の矛盾をお楽しみ下さい。
 

ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2004年5月号