ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2004年三月号

関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪

藤原雄一郎の時事通信 2004年3月号

 

自動回転ドアと事故  3/31 

東京・六本木ヒルズの自動回転ドアでの痛ましい事故であらためて回転ドアの危険性がクローズアップされました。今回の死亡事故という痛ましい結果を招かないことにはこのような重大な事にメーカも施主も関心が及ばないのは日本の技術の衰えを感じます。新聞等の報道によれば六本木ヒルズだけでも森ビルの発表では32件、メーカの認識としては3件もの事故が過去発生しています。にもかかわらず今回の事故では「回転ドアの安全性より回転ドアのセンサによる停止防止」の方にメーカ、施主共に対策の関心が向かっていたことが明らかになりつつあります。

警報装置というモノはセンサを敏感にすれば異常が無くても感知して警報が頻繁に鳴ったり、装置がたびたび停止して煩雑でかないません。そして多くの場合は煩雑さに音を上げてセンサの感度を下げる方向に向かうことは過去の多くの事実が物語っています。しかし盗難防止のセンサのように被害が生じても「お金で解決がつく」性格のものであればそれも良いでしょう。しかし人命にかかわるモノに対しては煩雑さより安全性を絶対的に優先させなければなりません。過去に類似の重大人身事故がありながら有効な対策が打たれていなかったのは、メーカならびに施主の双方に安全性に対する視点が欠落していたという重大な事実を指摘しなければなりません。

事故というものは「タマタマがタマタマにタマタマが重なって」発生するものです。要するにタマタマが同時に三回以上重なる偶然があって初めて発生する性格のものです。そこに人命がかかわるならばタマタマ三回に耐えることが出来る確実性が確保されなければなりません。原子力や航空機の設計思想とその他の機械の設計思想には天と地ほどの差があることを私自身経験しています。原子力や航空機とまでは行かないまでもせめて乗用車並の技術的な検証が必要ではなかったでしょうか。

技術というものは作る側と使う側の長年の努力によって次第に完成の域に到達するものです。重大な人身事故を経験しながら(死亡事故でなかったから)安全性に目が向かなかったということは作る側には作る資格が無く、使う側にも使う資格が無いことになります。その証拠に森ビルの社長は「こんなものなら今後二度と使いたくない」と言っていましたし、三菱地所の社長も「このようなことなら使えない」との率直な感想を漏らしていました。死亡事故に遭遇して初めて使う側に使う資格が出てきたのです。

使う側にこのような使う資格が出てきたら当然、設計条件も厳しくなります。そうすれば費用の面で採算が合わなくなるでしょう。それならそれで「何故回転ドアが必要か」の観点まで攻め込まなければなりません。

欧米のホテルへ行けば良く玄関の中央に回転ドアがあります。なかなか風情があります。しかしこのような回転ドアは小型で、人力で動かすものです。人力で動かせるモノは人力で停止出来ます。しかもたいていの場合屈強なドアマンが玄関には常駐しています。何か問題があればすぐドアマンが駆けつけてくれます。このようなことから欧米のホテルでの回転ドアは定着したのでしょう。

六本木ヒルズやその他の建物に設置された大型回転ドアは自動式です。人力では制御出来ない大型のモノに果たして回転ドアを適用して良いものであるかから考える必要があるのではないでしょうか。仮にセンサが有効であったとしても今回の事故を防止できたかの検証も必要でしょう。最近スローライフが流行しています。技術的に困難なものを未完成の状態で採用するよりもノンビリとしたスローライフに戻る選択をすることも必要だと思います。

最後に、最近の日本は危険が満ちあふれています。親がほんの少し子供から目を離した間に殺害されたり、今回のような技術的に未完成の状態におかれた設備が蔓延しているという前提に立って、親は子供の安全を必ず確認して行動し、ひとときも子供から目を離さないことを自衛策として考えなければならない日本になりました。(今回の場合は子供が母親の手を振り払って回転ドアに突進したとのことですから、目を離さなくてもこのような悲惨な事態になります。)

また最近の車は機密性が向上していますから、子供を車の中に残し、親が買い物をしている間に子供が熱射病で死んでしまうこともあるのです。技術の進歩による便利さや目新しさが一転牙を剥く両刃の剣であることをこの事件は思い起こさせてくれました。

古き良き日本も今や世界における普通の国になってきたようです。安全と水はタダの思想から脱却しなければなりません。困った時代になったものだと思います。
 

さようなら久米宏  3/29

人気番組久米宏のニュースステーションが先週金曜日に終了しました。ガッカリなさっている人も多いと思います。なぜ久米宏の番組に人気があったのでしょう。番組最後の場面で久米宏は色々な方面へ心からの感謝の言葉を述べた後で、皮肉たっぷりに次のようなお礼を言っていました。

記憶に頼っているので正確な言葉ではないかも知れませんが「多くの視聴者の皆さんから数多くの苦情も頂きました。大部分はこちらに問題があったのですが、中にはどうしてこのように言われなければならないのかと言う苦情もありました。しかしながら考えて見ればこのような厳しい視聴者のおかげで番組が長く続いたのかもわかりません。厳しい視聴者の皆様ありがとう」

まさにこの番組の本質を鋭く突いていると思います。ハラハラとする程の毒がなければ番組がこの様に長く続くことはなかったでしょう。先週は過去の番組の一場面を数多く放映していましたが、まことに「無礼で高圧的で一方的に相手を非難し、勉強不足な突っ込みに反撃を受けると感情的にいきり立ってがなりたて、相手の反論を封じ込める」そのような場面が数多く放映されていました。

勉強不足の例としては所沢ダイオキシン問題などはその最たるものです。マスコミの傾向として「あらかじめストーリーを決めておき、その場面に合致する映像や言葉をその前後との関連性を無視して都合の良い一場面だけ取り上げる」傾向があります。所沢ダイオキシンのデータの取り上げ方は技術者の私から見れば信じられないデタラメぶりです。これほど大切なことに対して、データの信憑性に対する確認のイロハすらなされていません。それでも「ダイオキシン報道は大変迷惑をかけたが、その後この事件のおかげでダイオキシン規制は大幅に進歩した」などと厚顔無恥な言葉さえ吐いています。

また昨年の衆議院選挙の選挙ステーションでは「入り口調査の結果が正しいと」の前提で自民党敗北を繰り返しました。放送の途中でその前提がおかしくなってもお構いなしに最後まで勝手な仮説のもとでの放送を続行した時には報道番組として常軌を逸していると思いました。久米宏の魅力はこのような常軌を逸した危ない魅力であったと総括出来ると思います。

久米宏の番組が超えてはならない一線を少し踏み外したところに視聴者の絶大な支持があったのだと思います。報道人として一線を踏み外したところで、もはや報道番組ではなくなりました。ワイドショウに報道番組という少し高級な仮面をつけたために圧倒的な支持を得たのだと思います。

この一線を大きく外しているのが週刊誌です。竹中大臣の信頼あつい木村剛さんが田中真紀子氏の長女に関する週刊文春事件と浅田会長自殺に関して述べているくだりを紹介します。原文そのものです。

★木村剛の一言!

田中真紀子氏の長女に関する記事の出版差止が話題になっている。記事の中身を読んでみたら、離婚したという事実を書いているだけ、これが「検閲につながる」と大声を張り上げて、「表現の自由を守れ」というべき内容なのかどうなのか・・・。公共の利益を守るために、是が非でも報道しなければならないような内容とは思えないと考えるのは私だけだろうか。マスコミ学を専攻している大学教授によると、政治家の子弟にはプライバシーがないそうな。それであればせめて、新聞社や出版社の役員の子弟にはプライバシーがないことにぐらいしないとフェアじゃないかも・・・。

言論の自由を重要視することについて私も人後に落ちるものではないが、1年半前に竹中チームに参加した際、勝手に自宅の写真をグラビアに出されて、変な男どもが周囲をうろつき始めたので引越しを余儀なくされた身としては、「表現の自由を守れ!」という紋切り型の金切り声には、野卑な除き趣味ばかりが鼻について、どうもシンパシーを感じられない。

−−−  

3月8日、浅田農産の浅田肇会長が妻とともに自らの命を絶った。報告すべき義務を怠り、被害を広げたことについては弁解のしようがないし、私も浅田氏の行為を弁護するつもりはない。国民が怒りを禁じえないのもわかる。しかし、敢えて一言疑問を呈しておきたい そ

れは、浅田農産の不祥事が連日連夜吊るし上げて袋叩きすべき大事件だったのかという点についてだ。テレビをひねると国民の一大事とばかりに鳥インフルエンザの報道一色となっていて、いつの間にか人に感染する可能性があるのは生きた鶏と濃密な接触をした場合に限られるということとか、鶏肉や鶏卵を食べたことによって感染した例はない、などという「常識」は遠い彼方に消え去ってしまった。  

浅田農産の不祥事について、マスコミは「常識」を超えた規模と迫力で土砂降りのように非難をしなかっただろうか。都会の人ならまず罹らない病気を、あたかも多くの人々に襲い掛かる病魔のように報道してこなかっただろうか。   

無論、人々に感染する可能性は否定できないが、冷静に考えれば、鳥インフルエンザの脅威よりも、われわれの周囲で走り回っている自動車のほうが脅威は大きいのだ。鳥インフルエンザの報道振りには大いに考えさせられる。

皆さんどう思いますか?浅田農産社長自殺に関しては先日の藤原通信と同じトーンでもっと踏み込んだ発言です。私のマスコミ嫌いはつのる一方です。
 

日本にテロが起これば?  3/26

郵貯・簡保の政府保証枠は民営化後撤廃! この記事を読んでピンとくる人は余程の経済通です。藤原通信の読者なら「その程度のことは常識」かもわかりませんが・・・

私たちの郵貯・簡保のお金は昔は郵政省、いまは郵政公社で運用していますが、その実態は一般の銀行とは大いに異なります。昔の郵政省は貯金を集める機能はあっても集めたお金を運用する機能を持たず、旧大蔵省資金運用部に丸投げして安定した利息を稼いでいました。そしてこのお金は特殊法人に流れて、放漫経営のあげく、本四公団のように大きな赤字を出しています。一般の銀行なら当然不良債権として扱い、債権放棄をしなければならない状態です。

ところが誰も郵貯・簡保のお金が戻らないと騒いでいる人はいません。それは郵貯・簡保のお金には政府保証がついているから安心なのです。政府保証とはズバリ「郵貯・簡保のお金が不良債権化したら税金を投入するか、政府が借金をしてでも利息は確保します」と宣言していることになります。だから私たちは安心して郵便局にお金を預けるのです。事実本四公団の莫大な借金は税金投入で不良債権を処理しました。

このような大切な政府保証を郵政民営化の後には撤廃しようとの提案が経済財政諮問会議でなされています。これは大きなことです。なぜなら政府保証が撤廃されると、郵貯・簡保の資金で不良債権が発生したら、郵便局が自分自身のお金で対応しなければならないからです。一瞬、今までのような野放図な特殊法人への貸し付けがこれから行われなくなるのではと思いました。そうであれば画期的なことです。しかしこのような大胆な改革は官僚や政治家の大反対があるのになぜか静かです。

そこで思い出したのは道路公団民営化です。民営化された後で新しい道路を建設するためにお金を借りなければなりませんが、その借入金には当面の間、政府保証をつけると言うのです。つまり民営化された道路公団が順調に借金を返却出来なくても国が税金を投入して救済しましょうという訳です。それなら不良債権化する心配はありませんから金融機関は喜んでお金を貸します。

民営化された郵便局の政府保証をはずせば、いままで自分で集めたお金の運用をした経験のない郵便局はとても恐ろしくて民間の銀行のような貸し出しは出来ません。結局安全な貸し付け先に運用せざるえを得なくなります。現実に現在の郵政公社は特殊法人に貸し出しているお金の他の余剰資金はその殆どを絶対安全な国債で運用しています。

従って民営化された郵便局から政府保証をはずして一件改革が進んだように見えても、政府保障のついた特殊法人など政府系の放漫経営先に郵貯・簡保の資金が流れるルートは健在ですから、今までと何も変わりません。名を捨てて実を取る官僚の考えそうなことです。

小泉首相は特殊法人改革の入り口である郵政民営化と出口の大物である道路公団民営化に取り組めば他の特殊法人は全て右へならへで、特殊法人改革は一挙に進むと豪語しました。しかし出口の道路公団民営化は官僚の手で見事に骨抜きになっていますし、特殊法人の数は大幅に減りましたが、その代わり独立行政法人と名前を変えてしぶとく生き残っています。そして入り口の郵政民営化を骨抜きにすれば官僚の完全勝利が完成します。

やはりここは小泉改革の原点に戻って、特殊法人は原則廃止か民営化にしなければならなかったのです。この改革は既に棺桶に入ってしまい大失敗に終わっています。小泉改革の出口である特殊法人が今までと変わらなければ、入り口の郵政民営化が変わる必要はありません。看板を付け替えて生き延びることが出来ます。そして放漫経営による税金の投入も続きます。誠に嘆かわしいことです。
 

日本にテロが起これば?  3/24 

イラク戦争開始一周年を迎え、世界が激動しています。お隣の韓国では大統領の弾劾、台湾では総統選挙による混乱。またイスラエルがイスラム原理主義グループ・ハマスの精神的指導者ヤシン師を殺害してパレスチナの平和が一段と遠のくことになりました。中でも一番の大きな事件はスペインでの列車爆破事件です。

スペインでの列車爆破事件にアルカイダが加担しているのではとの情報が世界をかけめぐり、遂にスペインの総選挙においてイラク戦争でアメリカを支えたアスナール政権が敗北する結果まで引き起こしました。新しい首相はイラクから軍隊を撤退させることを公約にして当選しましたのでスペイン国民は明確にイラク戦争でのアメリカ追随に拒否を示した形になりました。現実に撤退するかどうかは不明ですが、アメリカにとっては大きな痛手です。

スペイン国民はもともとイラク派兵に反対する人が大多数であったのですが、総選挙における政権交代で結果としてテロに屈服する判断を国民がしたように見えます。その結果テロ勢力は勢いを増して、日本がテロの標的になる可能性が高まってきつつある印象を強めることに成功しています。

イラクを巡りアメリカが不利な情勢に追い込まれている時、フランスやドイツは表だった動きを見せていませんが、世界的に国連主導の雰囲気が増してくることをじっと待っています。私たちに見えない世界で凄まじい覇権争いが展開されていると考えて差し支えありません。アメリカと中国と仏・独・露(欧州連合)の三極による激しい覇権争いです。(不謹慎な言い方をすれば、サル山のボス争いのようなものです)この争いが激しくなればなるほどテロ勢力の思うツボです。

このような三者の覇権争いがなければ世界は一致してテロとの戦争に打ち勝つことが出来るのですが、三者がお互いに譲らないものですから、昔の冷戦時代のようにテロの一撃で一夜にして勢力範囲がひっくり返って情勢を一変させる力を持つことが出来ます。現実に欧州ではアメリカ追随であったスペインとポーランドがアメリカ批判にひっくり返って、アメリカの孤立化が目立って来ています。本当に複雑な状況で嘆かわしいことです。 こ

の辺で私たち日本人は本当に真剣にテロが日本を襲った時の対応についてそろそろ覚悟を決めなければなりません。この場合心の底まで浸透させなければならないのは「出来もしない平和の幻想を捨てる」「大義や正義は世界に無い」ということです。その上で「どうしたら日本の安全保障が確保されるか?」を中心に日本の国益を見極めた上でしっかりと心を決める必要があります。要するに「弱肉強食の世界の中でどのようにして自分の身を守るか」につきるのです。

そのためには韓国や台湾、スペインなどの動きと、その動きによる関係国の反応を良く見極め参考にすることです。「日本が対米追随をやめた」時に日本の安全保障にどの程度の危険が迫るかが大きなポイントになります。「テロの脅威に屈服して自衛隊を引き上げる」場合の日本の安全保障と、その結果「アメリカが怒って日本の安全保障の手を抜く(北朝鮮が行動に出てもアメリカが動かない)」場合の安全保障とどちらがより日本の安全を守ることが出来るかと単純化して考えれば容易に判断出来ます。

一般的に言えば、無頼の輩(ヤカラ)は弱いと見れば徹底的に攻めて来るのが洋の東西を問わず真理です。イタリアを攻めたが撤退どころか軍を増強して来ました。次はスペインを狙ったら国民の反応はテロ勢力の思い通りとなりました。(しかしスペインが撤退を決めたわけではありません)次は日本へとの流れは自然であると思います。そこで日本の国民はどのような反応をするかアラブのテロ勢力だけでなく北朝鮮も見つめていると思います。

憲法問題はともかく、仮に日本が独自に日本を守る戦力を保持しようと思えば、現在の防衛費約五兆円は恐らく三倍増くらいの必要があるでしょう。ただでさえ年金問題で財源に苦しんでいるのに、これ以上の軍事費負担は破綻している国家財政には耐えられないものです。ここは軍事小国が智恵を絞って軍事大国とテロの荒波に揉まれながら生き残る方法を模索するしかありません。

間違っても「平和や正義や大義」などという理想論を振り回して足下(あしもと)の現実を見誤ることだけは避けなければなりません。平和や正義は私たちの身を守ってはくれません。所詮は弱肉強食なのです。
 

高橋尚子落選と企業の人事  3/22

人気者高橋尚子のオリンピック落選に関して、色々な方面で大きな話題となっていますが、意外なことにビジネス関係で評判になっています。中でも話題の中心は高橋選手の落選を企業人事にからめたものが多いようです。確かに他の運動競技と異なり、マラソンはコースとか気象条件などによってタイムはかなり影響を受けます。また極めて過酷な競技ですので、今日の勝者が明日の勝者になりえないことも事実です。従って一回の良い記録が必ずしも実力と直接結びつかないところに面白みがあるわけです。

例えば100メートルなら記録は絶対で世界記録は何と言っても世界記録ですので誰もが記録に向かって挑戦します。またサッカーや野球のような団体競技も勝ち負けが極めてはっきりしていて、一つの試合に勝つか負けるかで評価は絶対的なものになります。従って現在闘っている試合に勝つことに徹底的にこだわります。ところがマラソンの場合、例えば世界陸上で2時間26分の二位と名古屋国際での2時間24分で優勝のどちらが強いのかと問われれば答えようのない競技です。

このような複雑な要素を持ったマラソンにおける選手の評価と企業の人事とが非常に似ていることは間違いありません。身近な例で語って見ましょう。

誰もが実力を認め将来の社長候補と言われた高橋尚子部長が、たった一度の失敗で六月の役員人事で取締役になれなかった。これで高橋部長の企業生命も終わるようだ。一方新進気鋭で最近メキメキ実績を上げている野口みずき部長は年が若いのに異例の抜擢人事で取締役になった。また誰もが部長どまりで関連会社へ転出かと思っていた土佐礼子部長が土壇場で起死回生の成果をあげて念願の取締役昇格を果たした。

しかし土佐部長は既にエネルギーを使い果たしていて、激しい取締役の激務には耐えられないだろう。高橋部長なら圧倒的な実力と実績で、取締役の重責を立派に果たすことが出来るのに社長は何を考えて人事をしているのだろう。まあざっとこのようなことになるのでしょうか?取締役としての激務をオリンピックでの金メダルと置き換えればピッタリです。

このような話題沸騰の中でハッとするような意見を発見しました。それは「オリンピックでの金メダル獲得が国民の大きな願いであるが、それを可能にする人選は極めて難しい。そこで透明性と説明責任を持ち出すことにより、最も大切な金メダルを取ることの出来る人選への挑戦を放棄して、金メダルがとれなかった時に透明性と説明責任を持ちだして責任回避をするつもりだ」との言葉です。

本当に面白い!!日本の企業で信賞必罰の成果主義人事が受け入れられないはずです。まだまだ日本の社会には「高橋尚子が出場して金メダルが取れなかったのなら仕方がない」との雰囲気が蔓延しています。今回選ばれた三人がオリンピックで不幸にして惨敗したなら「やっぱり透明性や説明責任より高橋尚子だよね」となるのでしょうか?

ゴーン改革の成果もあり、最近急速に企業に浸透しつつある若手抜擢、成果主義人事については時代の趨勢としてこの流れを止めることは出来ないと思います。しかしこのような成果主義人事は選抜のプロセスを明確にして透明性を持って実行することが大切です。行き過ぎた成果主義は、本場アメリカでもエンロンのような詐欺的行為をしてでも成果を出す実例を作っています。

さて日本で成果主義人事が成功するかどうかの評価のひとつに、アテネオリンピックの女子マラソンにおける選抜の課程とアテネでの結果に対する国民の反応を絡めて見るのも興味が一層増すのではないでしょうか。アテネが待たれます。
 

高橋尚子落選に見る時代の変化  3/19

高橋尚子がアテネオリンピックに出場出来ないことになりました。人材豊富な女子マラソンにとって嬉しい悲鳴です。同時に多くの高橋ファンにとっては高橋のアテネでの活躍を楽しみにしていただけに残念至極だと思います。

オリンピックが来るたびにマラソンでの代表選考は何かしら揉めることが過去に多くありました。それは代表選考レースを指定しておきながら、いざ選考の段になると代表選考レースでの実績よりも「オリンピックで勝てる選手」と言う誠にわかりにくい理由で過去に実績のある選手が選ばれることが原因でした。人種が雑多なアメリカなら必ず訴訟沙汰になると言われたものです。

マラソンではありませんが水泳では千葉すず選手が「標準記録を突破した上位二名」の資格を持ちながらオリンピック代表に選出されず、千葉すず選手はスポーツ仲裁裁判所に訴える手段に出ました。日本もここまで来たかとこの時、私は思いました。

今回の女子マラソン選定結果は代表選考レースの成績重視で格段にわかりやすいものでした。いままでの「専門家が熟考に熟考を重ねた結果だから素人は文句を言うな」と言わんばかりの決定は通じない世の中になってきたことをしみじみと感じます。世の中がそれだけ変化したということでしょう。

今回の高橋尚子落選から私たちは二つのことを学びました。

一つは「迷った時にはより困難な道を選べ」ということです。高橋選手くらいの実力があれば最後のチャンスである名古屋国際に堂々と出場し文句のない成績でオリンピック代表に選ばれる道を選択することも出来ました。しかしより安易な道を彼女は選択し落選してしまいました。高橋選手ほどの万人が認める実力者でも過去の実績は通用しない時代になったという教訓です。

二つ目は高橋選手の落選は物事を決定するときの「透明性」と「説明責任」が要求される時代となってきた証(あかし)だという事です。

小泉首相が誕生したのも、従来の密室談合での総理総裁の決定に、国民が明確「ノー」を突きつけた結果の産物ですし、産業界における多くの不祥に対しても「説明責任」を果たさないと企業の生存が許されない時代にもなっています。何かにつけ「透明性」「説明責任」が要求されることを肝に銘じなければならない国に日本もなって来ました。

政治の世界、官僚の世界、企業の世界、商売の世界、その全てにおいて「不透明」な「後ろ暗い」ことがあれば些細なことをきっかけに大きく噴火することになります。責任ある立場にある人は常に「公明正大」に振る舞わなければなりません。このような傾向は誠に結構なことだと思います。

なぜこのような時代になったかというと、マスコミの力が大きいと思います。一般国民が知る権利を正当に勝ち得て、不正だとか倫理に反する事柄に対して声を大きくして社会的制裁を加えることが出来るのは悪いことではありません。

しかしマスコミの報道に本当に清廉潔白な正義の心があれば良いのですが、「視聴率至上主義」や「興味本位をあてにする安易な金儲け主義」を「報道の公正さ」という隠れ蓑に忍ばせる行為は断じて許されないとの信念をマスコミは持って欲しいものです。マスコミだけを除いて「透明性」や「説明責任」を求められるのは公平ではありません。

週刊文春の田中騒動はその中味を見ていないので何とも言えませんが、このような時に限って視聴率至上主義にまみれたマスコミが「報道管制」だとか「検閲の恐れ」などを必ず持ち出すのは不愉快でなりません。日本テレビの視聴率操作事件ではあれだけ明白な「マスコミの視聴率至上主義」に遂にメスが入れられることはありませんでした。一人の例外もなく「透明性」と「説明責任」が要求される社会に早くして行きたいものです。

それはそれとして高橋選手の勇姿をアテネで見ることが出来ないのはとても残念です。今回の決定が間違いであったことを証明する今後の立派な活躍を高橋選手に期待します。
 

民主党ガンバレ 年金無駄使い官僚に裁きの場を  3/15

少子高齢化社会を迎え、年金や医療など福祉関係費用が恐ろしい勢いで増加しています。特に年金に関しては「負担は多く、給付は少なく」の政府与党案に対して議論が大いに盛り上がり、私たち国民の関心が高まってきました。私はかねてから藤原通信でも申し上げているように、国民に痛みを強いる前に「税金や、失業保険、年金に対する官僚の無駄使いの中止」と「天下り天国にメスを入れて国としての出費を抑えること」がまず第一と強く主張してきました。

ここに来て年金官僚による無駄使いにやっとマスコミの関心が向いて来ました。つい先日民主党の長妻議員の質問で本来国が面倒を見るべき年金官僚の経費を年間1000億円以上も私たちが納める年金から流用しているその内容の一部が明らかになって来ました。

金額はわずかですが社会保険庁長官の交際費や県人会参加費、職員の退官記念品代など「事務費の拡大解釈といわれても仕方がない(すなわち公私混同ということ)」と厚労省の役人も認める公金の用途や公用車を五年間で二百四十七台、予算ベースの十五、十六年度分を加えると四百五十七台、八億一千万円も購入することなどが明らかになりました。これらは1000億円以上の経費の中の氷山の一角でまだまだ用途の解明にまで至っていません。

もともと職員の宿舎や建物の費用は国の予算でまかなわれるべきものを平成八年十二月、当時の橋本内閣は赤字国債発行をゼロにするため、一般会計予算から削りました。ところがこの費用は国民の目が全く届かない特別会計のもとで年金から捻出されるようになりました。監視の目が緩くなると瞬く間に金額も600億円から1000億円まで跳ね上がっています。しかもその内容は公開されていません。国民の目からは税金である国の予算が600億円節約されたように見えても、同じ公金である年金から1000億円をしっかりもぎ取るカラクリに官僚は巧みに導いて来ました。「政治には改革のイメージを与え、その裏では予算の増額をしっかりと勝ち取る」官僚の典型的な手口です。

この他の年金官僚の無駄使いを纏めて見ましょう。
1.皆さんご承知のグリーンピアで3800億円の損失
2.住宅融資で9300億円の損失(なぜ年金官僚が住宅融資などしなければならないのか?)
3.平成十四年度には年金資金の株式運用で二兆六千億円もの損失を出し、その時点での累計損失は六兆円に達した。
4.一兆六千億円も投入した厚生年金会館などの福祉施設265カ所のうち256カ所は赤字経営
など気の遠くなるような無駄使いぶりです。

今までに社会保険庁の事務費に1兆7000億円、厚生会館など福祉施設に1兆6000億円、グリーンピアなどの年金資金運用基金へ1兆8000億円、合計約5兆3000億円もの巨額の費用が年金以外の用途に使用されています。どうして年金以外のこのような事業に私たちが支払う年金を使わなければならないのでしょう。また年金官僚には公金を預かるという意識が欠落し、赤字であっても事業を続行しようとするのでしょうか。

これは官僚の天下り先確保のために出来るだけ多く本業以外の事業に手を出そうとしているとしか思えません。福祉施設を例に取りますと、150名以上の役員と600名以上の職員が天下っています。そして理事長の給料は約2300万円、退職金もたっぷり出ます。年金を増やしてくれるならともかく、損失を重ねるこのような事業で高給を受け取る気が知れません。民間の会社なら多額の損失を出せば経営責任を問われますし、当然退職金は辞退しなければなりませんが、官僚は誰も責任を取らないで良い仕組みになっています。責任を取らない以上、このような事業には一切手を出して欲しくありませんし、現行の組織は即刻廃止すべきです。

民主党は参院選をひかえ不祥事続出でイメージダウンしていますが、名誉回復のため、このような官僚による年金の無駄使いを国会審議でクローズアップする方針だと聞いています。いささか動機が不純ではありますが、官僚の無駄使いの実態を徹底的に暴き出して国民の目の前に示す努力をして欲しいと思います。それが野党第一党の責務ではありませんか。

今年の参院選は私たち国民にとっても大きなチャンスです。特に力を持っている自民党の候補者に「年金問題で国民に痛みを強いる前に官僚の無駄使いと天下り問題を解決して欲しい」と大きな声を上げて下さい。道路や郵政問題とは異なり、官僚による年金の無駄使いに対しては政治家はあまり利権を持っていませんので、この問題で手柄を上げれば票に結びつくとなれば一生懸命に有権者の声を聞いて行動に移してくれます。まず年金官僚の無駄使いを改革の突破口にしましょう。

官僚による税金の無駄使いは年金問題だけではありません。特殊法人には毎年四兆円もの赤字補填金が注入されています。すでに小泉首相が完全敗北した「特殊法人は原則廃止か民営化」を再び議論の俎上に挙げるように大きな声をあげたいものです。官僚の無駄使いにメスを入れず国民に痛みを強いるのは止めて欲しいと訴える千載一遇のチャンスが参院選です。福祉に対する私たちの負担を少しでも少なくするために、官僚の無駄使い追放のために心を合わせて頑張りましょう。
 

産業再生機構がカネボウへの支援を正式決定  3/12

迷走に迷走を重ねたカネボウの経営再建に対して産業再生機構が化粧品と本体部分の双方に対して支援することが正式に決定しました。今までの経緯をおさらいして見ましょう。

1.カネボウは本年三月の決算で二年連続債務超過(持っている資産を全部売り払っても借金を返却することが出来ないこと)に陥ることが明確になり、上場廃止の瀬戸際まで追い込まれていました。銀行側としても債務超過のままで三月決算を迎えると、カネボウへの多額の融資が不良債権と見なされることになり銀行経営に痛手を与えるため、早急な解決をカネボウに要求していました。

2.この苦境を打破するために健全経営である化粧品部門を売却し、売却した金額で債務超過を解消すべく花王などと売却交渉を続けていました。一説には4400億円での売却が合意されていたと言われています。

3.花王への化粧品部門売却は発表寸前になって組合の反対を理由にカネボウが交渉を打ち切り、一転、国の機関である産業再生機構への支援を求めました。経営陣はそのまま居座り、産業再生機構から花王の売却価格を上回る5000億円での営業譲渡を期待していた様子です。

4.産業再生機構の支援発表の席上でカネボウの幹部が「今までは業績の悪い企業が産業再生機構へ支援を求めたが、今回のカネボウ案件は強い事業をより強くするためのもの」と胸を張りました。(強い事業なら産業再生機構へ持ち込まないのが世間の常識です)しかも支援の中味は「国に花王より高い金で化粧品部門を買い上げて貰い、その資金で借金を返済すれば銀行は債権放棄をしなくて済み、カネボウの経営陣も責任を取ることなく安泰でいることが可能」との筋書きで余りにも虫の良すぎる再建策です。このようなことが許されれば我も我もと産業再生機構に駆け込むことでしょう。

5.このような経緯に対して「国民の税金を使う産業再生機構がどうして花王より高い金額で買収しなければならないのか?」「化粧品部門のような優良事業にどうして国の支援が必要なのか?」「どうして経営陣は責任を取らないのか?」「優良事業である化粧品部門を切り離して残った不採算部門はどうするのか?」など批判や疑問が噴出しました。当然のことです。

6。このような世間の批判に耐えかねて、まず経営陣は総退陣、化粧品部門は花王より低い3800億円で営業譲渡、化粧品事業以外の本体部門も産業再生機構が支援し債権放棄や厳しいリストラを含めた抜本的な再建策を実施することになりました。ごく常識的な決定です。

そもそもカネボウがこのような苦境に陥ったのは16年にもわたって君臨した伊藤淳二社長(当時)の長期政権の弊害が原因であると言われています。伊藤社長が展開した事業多角化のペンタゴン経営を高度成長時代が終了しても軌道修正せずに、化粧品部門の稼ぎで延命策に終始し、借金の山を築いた結果の経営悪化であることは明瞭です。にもかかわらずカネボウの社長は記者会見の席上、経営悪化の原因を「環境の激変」の一言で経営陣の責任に直面することを避けています。

さらに債務超過にまで追い込まれながら経営陣の考えた再建策は、ことここに至っても抜本的再建策を取ろうとせず、虎の子の化粧品部門を売却し、そのお金でさらに小手先の延命をしようとする極めて貧弱なものでした。このような甘い考えが通用するはずもなく、追い込まれた経営陣が総退陣して初めて抜本的再建を産業再生機構の力を借りて行うことになりました。カネボウには自力で痛みの伴う再建策を行う能力を持った経営陣が不在であったようです。

新しい経営陣が決定しましたがカネボウ内部の人たちです。早くも新経営陣では抜本的再建は出来ないだろうから、外部から経営陣を投入するだろうとの観測がもっぱらです。ゴーン社長が再建した日産もそうですが、いまだに自前の経営陣で会社再建が出来ないのは嘆かわしいことです。日本の産業界には経営能力を持った人材が枯渇していることをカネボウの事例は見せつけました。

松下の中村改革のように従来の成功体験を徹底的に捨て去って時代の変革に追随する能力が経営陣だけでなく全ての社員に要求されています。今一度藤原雄一郎の経営最前線シリーズで腕に磨きをかけて下さい。豊富なヒントが満載です。
http://inox-m2.com/fujiwara/portal.htm
 

あまりに痛ましい浅田会長の自殺  3/10

鳥インフルエンザが発生した時点での通報遅れが、遂に当事者の両親である浅田会長夫妻を自殺に追いやりました。息子である浅田社長が鳥インフルエンザの発生に気づいた時の一瞬の判断ミスがこのような事態を招くとは当の本人は夢にも思っていなかったことでしょう。今回に先立って発生した山口県の場合と比較して、発見した時の行動の差でかくも大きな被害が広まることが認識され、経営者の責任の重さを改めて認識された方が多いと思います。

藤原通信の読者の中に中小企業経営者がおられるとしたら、今回の事例を肝に銘じ、今後もし何か事件が発生した時の対処方法について相当真剣に考えておく必要があります。今回の浅田社長の行動は言語道断であると思いますが、中小企業では大企業のように事件発生時点でその対応について良い智恵を出してくれる人材が少ない点を頭に入れておかなければなりません。結局社長一人に全ての作業と決断が襲いかかり物理的に対応が出来なくなることをあらかじめ覚悟しておかなければなりません。

浅田社長はともかく、自殺された会長は一代で会社を大きくしたなかなかのやり手であったと新聞は報道しています。そして今回の出来事に相当強い責任を感じて、その対応に疲れ切っていたとも報じられています。今回の件について会長を自殺にまで追い込んだ原因は何か私には報道される事実以外に全く何も知りません。

しかしながら中小企業経営者の皆さんは新聞記者の中でもこのような事件を追う社会部の記者の横柄さ、傲慢さは良く頭に入れておく必要があります。実例を説明します。

ある時自然災害で複数の死亡者が出ました。当然マスコミが嵐のように押し寄せてきます。そして一番忙しい時期に大勢の記者が現場を見せろとか原因は何かなど次から次へと要求を突きつけてきます。たまたま死亡者の顔写真を出せとの要求に対して、手はずが悪く準備していませんでした。(写真を準備するより対策の方が優先するのはあたりまえではありませんか)押し問答をしているうちに、ある記者が「今回はしかたがないが次に死ぬ人間については写真をあらかじめ用意しておけ」と叫びました。死亡者の他に重傷者がいることを知っての発言です。

総務課長はそのような理不尽な発言を聞いて思わず涙が溢れたと言います。この記者は果たして血の通う人間なんでしょうか?これは本当の話です。社会部の記者にはこのような人間性を疑うヤカラが現実に存在していたのです。恐らく今回も浅田社長、会長に対して激しい罵詈雑言が飛んで来たことでしょう。(この中に人間性を疑うヤカラがいたと言っているわけでは全くありませんので誤解しないで下さい)

浅田会長にしてみれば、一代で築いた汗と努力の結晶が目前で音を立てて崩壊しています。大企業の経営者ならば辞任すれば、せいぜい退職金が貰えない程度ですみますが、中小企業の経営者には「個人保証」という身ぐるみ剥がれる試練が待っています。また大企業であれば、相応の専門家が適切な助言をしてくれることでしょう。しかし中小企業はそうは行きません。これほどの重大事件を引き起こし、頼みの綱の息子である社長は、不用意な発言で事態を益々悪くさせています。恐らく浅田会長は何をして良いかわからず、疲れも重なって茫然自失、進退極まったのだと思います。

ここで中小企業の経営者ならびに従業員の皆様に申し上げます。このような事態に至ったら、従業員の皆様は経営者の苦衷を察し、全員で事態を切り抜けるために立ち上がりましょう。そして経営者はただひたすら正直に、後のことを考えないで誠心誠意対応することです。当然色々と行き違いがあって不手際の上に不手際を重ねることもあるでしょう。その場合も正直に不手際をわびて、自分自身の頭の中と世間の人々の頭の中が同じようになるくらい情報公開を徹底的に進め、まわりの人々を巻き込んで事態の収拾にあたることです。 当

然全てが終わった後に個人破産が待っているかも分かりません。しかし少しでも自分自身を守ろうとする意志が滲み出た瞬間に全ては一方的に悪い方へ回転して行きます。あとさきを考えず、心の底から誠心誠意対応することに徹するならば意外な活路が開けます。歌の文句ではありませんが、最悪の事態を覚悟して「山より大きい獅子はでない」と心を決めて誠心誠意対応することを決心すれば、どんなに苦しく耐えきれないような重圧が押し寄せてこようと進む道が絶対的に正しいのですから迷いもなければ死ぬことはありません。

小泉首相のコメント「国民の厳しい反応、自らの責任を考え、ご苦労は大変なものだったと思う。痛ましく残念なことだ」はとても配慮に満ちた良いコメントだと思います。社会部の記者も少しは噛みしめて貰いたいものです。
 

日本経済確かな足取り  3/08

大企業を中心に業績が回復しつつあることは、今や定説となって来ています。日経新聞がまとめた来るべき2004年三月期の上場企業の利益は前の年に比較して21%増加の見通しで過去最高であると発表しています。その中味もリストラ効果だけでなく、デジタル家電で沸く電機や自動車などのように「売上が鮮明に伸びた正真正銘の回復」の事例を見ることが出来るのは頼もしいかぎりです。

昨年の三月には地獄の決算を迎えた金融業界も、今年は株価の七千円台から一万千円をこえる上昇により息を吹き返し、散々叩かれたみずほも公的資金五千億円を返却する予定で、まさに様変わりの状況です。しかし景気循環の回復局面で「努力しなくても業績が回復する」ほど世の中甘くありません。苦しい中で着実に努力を重ね、大胆な施策を決断し、手を打った企業にのみ訪れる業績回復です。

先日カネボウの件を取り上げました。花王に対する化粧品部門の売却を約4400億円で決定しかけていたのを、土壇場で破談にして産業再生機構(国の機関で再生可能な企業に公的資金を注入し再建させる目的で設立されています)に持ち込み、花王を上回る5000億円の国民の税金を引き出す作戦に出ました。しかも経営責任を取るどころか居座りを宣言し「産業再生機構に優良物件を持ち込んだ」との態度を示しました。

果たして世の中の大きな反発を呼び、経営陣は退陣に追い込まれ、産業再生機構による支援は3800億円程度に縮小される見込みです。その上、化粧品事業と切り離される本体部分も産業再生機構の支援を仰がざるを得ず、債権放棄を含む抜本的再建に追い込まれました。この一連の過程を見ると、経営陣の判断の甘さが一番大切な局面で企業価値を加速度的に破壊しているように見えます。

現在業績を回復させつつある企業のようにカネボウには地道なリストラを含む、抜本的な経営改革が必要であったのですが、それを怠った企業には景気循環が訪れても春が巡ってこない典型例だと思います。経済の原則として景気循環の波はかならず訪れます。しかし上昇局面でうまく波に乗ることが出来るのは「あたりまえのことをあたりまえに額に汗して実施する」習慣が経営トップから従業員の隅々まで浸透している企業に限られています。新年度ももうすぐやって来ます。この辺で今一度皆さんの仕事に対する心構えを見直して下さい。

藤原雄一郎の経営最前線シリーズはこのほどヤフーに登録出来ました。かならずお役に立つと思います。この機会に是非ご活用下さい。

http://inox-m2.com/fujiwara/portal.htm
 

年金官僚5.6兆円を年金以外に浪費  3/05

三月三日坂口厚労大臣は予算委員会で年金として集められたお金のうち今までの累計で五・六兆円がグリーンピアのように年金以外に消費されたことを明らかにしました。しかし大臣の発言からは年金官僚による年金の無駄使いの実態が明らかになっていません。

坂口大臣の発言の二日前に、毎日新聞は1997年から2002年度までの間に、年金のために集めたお金を年金以外の用途に四・五兆円を使用し、その無駄使いの実態を明らかにしています。

四・五兆円の内訳はグリーンピアなどを担当する年金資金運用基金に対して一兆八千億円、年金福祉施設に一兆六千億円、年金事業費として一兆千億円の合計四兆五千億円です。

年金資金運用基金では既に廃止の決定しているグリーンピア関係で三千八百億円の損失、住宅融資で九千三百億円の損失です。なぜ年金官僚が住宅融資などでこのような巨額の損失を出すのでしょう。余計なことはしないで欲しいと痛切に思います。

そして今まで公開されていない費用が毎日新聞の調査では五千三百億円もあります。これらの費用は年間二千万円以上の理事長の給与やその他経費となっていますが内容は明確にされていません。これとは別に社会保険庁のお役人の宿舎などに一兆一千億円も使われているのにこのような五千億円を超える経費は余りにも多すぎます。経費の内容を公開して私たちの目に見えるようにすべきです。

次に年金福祉施設です。グリーンピア以外にも有名な厚生年金会館や厚生病院の他に全国に二百六十五もの施設を保有しています。これら施設を民間の会計基準で査定しますと何と二百五十六カ所の施設が赤字であることが判明しました。驚くべき事実です。さすがにこのような年金の無駄使いに対して与党自民・公明両党では今後五年間で廃止の方針を打ち出しました。

官僚たちは天下り先が減少するのを恐れて、赤字幅の大きい数カ所の廃止でお茶を濁そうとしましたが、自民党議員に対する有権者の「無駄な施設にお金をつぎ込んでも我々の年金は削るのか」との声が与党の重い腰を上げさせています。このように私たちが根気よく声をあげなければ年金は官僚たちに食いつぶされてしまいます。

官僚には大切な年金のために集めたお金を年金以外には一切使わせないことが大切です。参議院選挙も近いことですから、皆さんが声をあげて、政治家に会うたびに「官僚に年金以外にお金を使わせるな!!」「官僚の天下り先は全廃させよ」と迫る必要があります。この分野は道路公団のように政治にあまりかかわりがありませんので、政治家も有権者の声を聞きます。参院選挙までに是非皆さんの大きな声を政治家の耳に届けて下さい。
 

冷戦終了と北朝鮮の立場の変化  3/03

第二回六カ国会議もアメリカ、北朝鮮の双方が譲らないで結局さしたる前進もなく閉幕しました。米国は全く急ぐ必要が無いので、あくまで基本原則を貫き通すことでしょう。今回の会議で米国の強い意志を感じ取った北朝鮮は、さりとて米国の要求を受け入れることも出来ません。そこで「交渉を継続している間は米国の北朝鮮への攻撃は無い」との観測から恐らく今後も「のらりくらり」と交渉を長引かせることでしょう。

北朝鮮は本当に追い込まれていると思います。その大きな理由は冷戦の終了です。米国とソ連の二大強国が対峙してお互いに覇権を競い合っていた時代は、米ソ二大強国以外の国は米ソいづれかの陣営に入ることを余儀なくされました。また米ソ両陣営は自分の勢力の拡大に必死でしたから、北朝鮮独裁国家が経済的に窮乏すれば、自分の陣営に引き留めるために、経済援助をしてくれました。

ところが冷戦の終了でソ連が崩壊し、米国一極支配が実現すると、北朝鮮のような「(石油などの資源も持たない)何の役にも立たない弱小独裁国家」はロシアや中国にとって重荷になって来ました。そこで北朝鮮はミサイルなどの武器をパキスタンやイラクなど第三国へ輸出することや、麻薬・偽札など非合法な分野に国を挙げてのめり込み外貨を稼ぐ道を選択したのです。本来は中国のように改革開放路線を採用することが正解なのですが国家元首を世襲させるような北朝鮮独裁国家にはそれを実現する卓越した指導者がいませんでした。

このような状態で北朝鮮に目を向けさせるのは「乱暴者で何をするか分からないから、多少のお金を与えておとなしくさせよう」とする以外に方法はありません。その究極の手段が「大量破壊兵器を所有すること」なのです。北朝鮮にこのような「ならずもの」としての脅威が無ければ誰も相手にしません。身近な例に例えれば「暴力団」と「ホームレス」の差になってしまいます。脅威と得ることの出来るお金の額は格段に違います。

国際社会では国内のように「無法者に対する制裁」が厳しくありませんから、世界の警察官を気取る米国もつい甘くなり、クリントン政権のように北朝鮮にまんまと手玉にとられることになったのです。そのうま味を知っている北朝鮮にとって核兵器の保有は生命線です。本当に世界が「北朝鮮に核兵器は全く無くなった」と信じられるようになった時、誰も北朝鮮に優しい救いの手をさしのべてくれず、経済的に行きずまり体制崩壊が待っていると北朝鮮首脳部は心の底から信じていると思います。

北朝鮮は今、思考停止の脳死状態でどのようにして良いのか全く分かっていません。その時に取る手段は、現状持っているカードは解決の方法が見えるまで絶対に手放なさいことです。北朝鮮は今、米国大統領選挙でブッシュが敗北することを必至になって神に祈っていることでしょう。冷戦の終了は北朝鮮のような世界的競争力の無い国に過酷な試練を与えています。

日本も官僚が税金の無駄使いで国家を破綻させて弱小国家になれば北朝鮮のような試練が待っています。冷戦の終了は弱肉強食の世界をもたらしました。私たちも競争力を高めなければなりません。
 

オウム教祖に判決下る  3/01

オウム教祖の松本被告に死刑の判決が下りました。多くの人が「死刑より重い刑罰はないのか」との感想を漏らしていましたが、素朴な気持ちを代表する意見であると思います。まさにアルカイーダにも匹敵する凶悪テロ集団ではないでしょうか。

オウム事件の発生から今回の判決に至るまでの過程を見ますと、先日藤原通信でとりあげました日本社会に巣くう「自由と平和と平等」に対する誤った考えが随所に出てきます。日本はこのままで良いのかというのが正直な感想です。

1.裁判の長期化
これだけ明白な恐るべき犯罪を裁くのに実に多くの時間が費やされました。その大きな原因の一つに弁護人の態度があります。弁護側は検察の提出した証拠の大半を不同意にして、重箱の隅をつつくような尋問を繰り返し、明らかに裁判の引き延ばし作戦に出ました。本来裁判を通じて多くの真実を明らかにし、正当な審判を下さなければいけないのに、弁護団側の裁判妨害ともいえる引き延ばしに会って、告訴の一部を取り下げる羽目にまでなっています。「いかなる凶悪犯にも人権の尊重」は当然のことではありますが、だからと言って「弁護のための弁護」が許されて良いものでしょうか。凶悪犯の人権を尊重する余り、多くの被害を受けた側の人権が軽んじられている事実から目をそらしてはいけないと思います。

2.警察の初動捜査の遅れ
オウム事件は明らかに警察の初動捜査の遅れが事態をこれほどまでに悪化させたことは否めません。オウムは宗教法人であったために警察が躊躇した点があると思います。「信仰の自由」の美名の陰にこのような無法地帯の存在を許してしまいました。宗教法人へ警察の手が伸びた場合、万に一つも捜査上のミスがあれば「信仰の自由」を大上段に振りかざしマスコミは狂ったように騒ぎ立てますので警察が逡巡したのは間違いないと思います。

3.オウム幹部に占拠されたテレビ
当時のことを思い出して下さい。数多くのテレビ局にオウム幹部が登場し、我が物顔に振る舞っていたことを。彼らを登場させたテレビ局が犯罪者の力強い味方となったことは現時点に立てば極めて明白です。「報道の自由」「誰にも平等に釈明の場を」という美名のもとに、一方的な犯罪者による「デタラメな事実のねじ曲げ報道」に大いに約立つ結果になったことをマスコミは反省しているとも思えません。あげくの果てにTBSがオウムの脅迫に屈して、報道内容を事前にオウムに検閲させる愚挙まで行ったばかりでなく、多くのマスコミは松本サリン事件で無実の被害者に犯人の嫌疑をかぶせてしまったのです。「視聴率至上主義」の仮面を「国民の知る権利」でごまかして傍若無人の行動を行ったことを痛烈に反省して貰わないと困ります。また判決が出たことを契機に私たちもマスコミの責任を厳しく追及しなければなりません。

4.どうして破防法の適用を見送ったのか
オウムは今もアレフと名前を変えて活動を続けています。このような犯罪集団をどうして解散させることが出来ないのでしょうか。いや解散させるチャンスはあったのです。オウムが犯罪者集団であることが明白になった時、破防法を適用して解散させることが出来ました。しかし公安審査委員会は一年の間検討し、結局「将来の危険は薄い」として適用を見送りました。その理由は信教や結社・集会の自由が憲法に保障されているからとの理由です。当時破防法を適用していたらマスコミはこぞって批判の大嵐を巻き起こしていたでしょう。

以上述べましたように「自由と平和と平等」に対する誤った考えが、前代未聞の犯罪集団に対して無防備な社会にしています。節目節目でつらい決断をしていれば、世界に希なオウムの犯罪を契機にテロに対して強い日本が今頃は出来上がっていたはずです。9・11事件を契機にテロの恐怖が高まっている現在、大切なチャンスを逃してしまいました。それにもかかわらずマスコミに自浄能力もなく、また反省も無いのは嘆かわしいことです。

ビジネス応援団藤原通信>藤原通信2004年3月号