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関西経営コンサルタントの雄 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 日本型経営の研修に最適 大阪

藤原雄一郎の時事通信 2004年2月号

 

国の根幹である教育に大きな関心を  2/27

最近の目を覆うばかりの事件の続発に「この国はおかしくなっている」と感じている人は少なからずいると思います。国にとって一番大切なのは教育です。最近の乱れの全てが戦後教育に原因があるとは思いませんが、私は良く「戦後日教組教育が馬鹿な親を作ることに成功し、馬鹿な親からは必然的に馬鹿な子供が育つ」と言っています。当然のことながら猛烈な非難が私に寄せられます。このような極端な語りかけから出てきた非難をもとに教育問題の議論を開始することにしています。

戦後教育は「自由と平和と平等」を強調しすぎたきらいがあります。もちろん戦前の強烈な反省の上に立ってのことではありましたが、日教組を中心とする左翼勢力が教育現場で力を持ったことが不幸の始まりです。そしてこれから述べることはマスコミの考え方の基本であり、教育と共に日本を悪くしている元凶であると考えています。

まず自由について言えば、
「自由にともなう権利と義務」について、ともすれば権利ばかり主張し義務についてキチンと教育してきたか真剣に反省すべきだと思います。「法律を犯さなければ何をしても自由」との風潮が日本国中に蔓延している実情が戦後教育と無縁であったとはとても思えません。「権利と等しく重い義務があること」「場合によっては義務が奔放な自由を拘束することもあること」を遺伝子に叩き込まれなければ、共同生活を営む上で大切な倫理観を失わせ、公衆道徳の欠如に結びつくのは自明の理ではありませんか。「国民の知る権利」を振りかざし、人の迷惑を顧みることのないマスコミの異常な群がり取材も権利ばかり主張した結果です。

次に平和です。
平和の概念が「世の中に無頼漢は存在しない」との誠に非現実的な「世の中に存在しない空想の世界」を設定したことです。その結果国際的に多発する弱肉強食の世界が自分たちとは無縁であるという幻想を育てて来ました。そして「自分のことは自分で守る」「自分の国は自分たちで守る」との基本中の基本が見事に欠落した国民を大量生産して来ました。国旗、国家を学校でないがしろにする国が一体どこに存在するでしょうか。そしてマスコミはいまだに「平和ボケ」の幻想の中で生きています。

最後に平等です。
占領軍により押しつけられた教育基本法ですから、当然アメリカ思想が入っているはずです。アメリカ思想であるならば「法律のもといかなる国民も平等な条件で競争する権利を持つ」すなわち公明正大な競争をする権利が確保されることこそが平等の基本原則です。そのような難しいことを教えるより、いっそ学校から競争を排除した方が良いと安易に解釈して、運動会で順位をつけないなど、結果としての平等に力を入れたのではないでしょうか。そのため自分自身は努力することなく、自分が望むレベルにつけないのは国が悪い、社会が悪いという人間を育成してきたように思えます。マスコミの論調はまさにこのレベルではありませんか。

そろそろ教育基本法も改正しなければなりません。しかしインターネットで検索すれば、ある種の勢力による「教育基本法の改正反対」のページばかりが目立ちます。このような勢力に負けることなく、私たちの手で日本を普通の国にしようではありませんか。教育こそ国の根幹を司る大切な事柄であるからです。
 

どうしたカネボウ  2/25

明治二十年創立の名門カネボウが迷走しています。カネボウは平成十五年三月期に債務超過(資産を全て売り払っても借金が返済出来ない状況)に陥り、もうすぐやってくる平成十六年三月期にも債務超過であれば東京証券取引所の上場廃止に追い込まれる絶体絶命のピンチに追い込まれていました。

そこで早くから健全経営である化粧品部門をカネボウから切り離し、花王に売り渡すことによって債務超過から脱出する計画で、新聞報道ではまさに調印寸前まで来ていました。ところが突如花王との契約は断念し、国の機関である産業再生機構に救援を求めました。しかも社長を始め経営陣はそのまま居座る予定でした。まことにもって勝手気ままな醜態と言わざるを得ません。

表面上は労働組合が反対して花王と調印出来なかったと言われていますが、そのような基本的なことを今頃言い出すのは常識では考えられないことで、花王に対しても大変失礼な話です。カネボウの労働組合が強いとの評判を逆手にとって労働組合を悪者にしているように思えてなりません。

カネボウは5200億円の借金を抱え、借金を減らして債務超過から脱出するために花王が4400億円で化粧品部門を買う予定だったと言われています。同時にユニゾン・キャピタルとも買収交渉をしており、4000億円の価格がついていました。そして産業再生機構ならば5000億円で買ってくれるとの極めて甘い希望的観測から産業再生機構に援助を求めました。国が助けてくれるとの甘えの極致ではないでしょうか。

カネボウには有名な経営者がいました。1968年に社長に就任した伊藤淳二元会長です。伊藤会長時代に多角経営に乗り出し、有名な五本の柱からなる「ペンタゴン経営」を始めました。そして労組強調路線を打ち出して、これ以降労働組合の経営参画が始まったのです。そしてその後伊藤元会長は墜落事故で苦労していた日本航空のトップに抜擢されています。その伊藤淳二氏がとっくに退任しているカネボウに隠然たる影響力を持っていると報じている新聞もあります。

カネボウ低迷の原因は、バブル崩壊で「集中と選択」こそが要求されている時代に「ペンタゴン経営」から一日も早く脱却して、経営再建をしなければならないのに、有効な手を打たなかったことにあります。そこに偉大な功労者伊藤淳二氏の亡霊がつきまとっていたのではないでしょうか。松下幸之助氏の聖域にまで踏み込んで破壊と創造を行った松下の中村社長と比較するとき、カネボウの迷走は「経営者公害」ではないでしょうか。経営能力の無い経営者は一秒でも早く退陣してもらわなくては困ります。

産業再生機構への応援を求めたことで俄然世の中の風向きが変わり、厳しく経営責任を問う声が高まり、結局のところ社長辞任に追い込まれました。「国民の税金を無駄使いするな」との声の高まりで産業再生機構も甘い査定は出来なくなります。カネボウ経営陣の完全な読み違えです。産業再生機構の援助を求めた時点で経営陣は総退陣すべきであったのです。
 

再び新生銀行について  2/23

先週、新生銀行が予定通り東証一部に上場をはたし、その初値が高く人気が沸騰したことがマスコミ各社に大きく取り上げられました。新聞論調の基本的スタンスは次の通りです。

1.新生銀行の人気の影に国が投入した八兆円がある。国が破綻した銀行に国費を投入して身綺麗にしたからこそ新生銀行も蘇った。だのに利益は一人占め。

2.「ハゲタカ外資が濡れ手に粟」と外資の横暴を叫ぶ声もあるが、当時日本の投資家にも道は開かれていたが、誰も引き受けようとしなかった。

3.当時は金融機関に対する破綻処理の制度が不備であった。日本政府の対応の甘さの象徴が八兆円もの国費投入である。

4.新生銀行は資本の原理にもとずいて冷徹に不良債権の取引先に対して回収を行い、貸し剥がしを徹底した。(日本の銀行なら債権放棄をするのに、資金の回収で相手先が破綻しようとお構いなしに回収した)

5.新生銀行への営業譲渡後も、債権の価値が大きく下がれば、国がその負担をするという取り決めの「瑕疵担保責任」条項を血も涙もなく新生銀行は権利を行使して、国は9000億円近くも買い取った。「瑕疵担保責任」条項の設定は金融庁の失敗であう。

ざっとこのようなものでした。日本の銀行であれば、自分のことより貸し付けた相手の経営再建に目が向いて、必至になって債権放棄などで助けるのに、新生銀行は血も涙もなくハゲタカのように自分の利益だけ考えて今回「濡れ手に粟」の大もうけをしたと言いたいところを、賛否両論併記で表現をやわらかくしています。国民感情はまさにその通りでしょう。

これに対して新生銀行の八城社長は「従来の手法が不良債権をためる原因となった。大手国内行がやっている不良債権処理を早い時期に新生銀行がやっただけだ」と反論しています。問題は早期に手を打てば被害はそれだけ少なくなるのに、日本の銀行は絶体絶命に追い込まれないと本来やるべきことをしないと八城社長は言っています。これもまた真実です。

前回も述べましたように、新生銀行に恨みつらみを言う前にまず不良債権をここまで増大させた過去の銀行経営者を厳しく指弾すべきです。次に業界に護送船団方式で様々な行政指導を行って来てこれほどの大失敗の原因を作りながら、官僚の面子と保身でここまで解決を先送りしてきた旧大蔵省や現在の金融庁の失敗を新生銀行の事例を総ざらいすることによって徹底的に追求すべきです。

なぜ八兆円もの巨額の税金を投入したのか、なぜその多くが回収不能になったのかを追求する姿勢がありません。官僚に対する責任追及がどうしてこのように甘いのでしょうか。民間の会社なら倒産という冷徹な規則があり、経営者は引責辞任を余儀なくされますが、官僚が道徳に反する不祥事で辞任した例はあっても、行政の失敗で引責辞任した事例を知りません。官僚に対して明確に責任を取らせる制度にしなければ、この先、どれほどの税金が無駄使いされるか分かりません。
 

骨抜きだからこそ監視が必要 道路公団民営化  2/20

前回に引き続き道路公団民営化の話題を取り上げます。

道路公団民営化問題の決着に対する評価を複雑にしているのは、田中元委員より数段知名度が高く、改革イメージの強い猪瀬委員が「八十%は民営化委員会の主張が通ったから成果はあった」との立場に立っているから、ますます国民は分からなくなり、田中元委員が理不尽なことを言っているという印象をばらまいています。

猪瀬委員のいうことも正しいのです。彼は借金四十兆円を「長期固定・元利均等」で返却することに首相も同意したから成果があったといっています。ますます分からなくなります。しかしこれは極めて重要なことです。私たちの住宅ローンは毎年、利子と元本をしっかりと返却しなくてはなりません。銀行との約束は必ず守らなくてはなりませんから、予定通り返却が進まないと、担保にしている土地・建物の没収にまで進展します。

個人の住宅ローンのような厳しさで道路資産を保有する独立行政法人に対処出来れば、猪瀬委員の言うように大きな成果となります。従って今後法案となって国会を通過する時、「長期固定・元利均等」条項がしっかりと入っているかどうか監視しなければなりません。国は嘘ばっかりついています。東名・名神は本来の約束ならとっくに無料になっています。

今後「長期固定・元利均等」条項がきちんと国会承認を受けても、国民の関心が去った時点でひっそりと、金利条件や返済期間が変更されていたりします。そして一般国民が気がつかないうちに無駄な道路が建設されていることは大いにありうることです。

また「長期固定・元利均等」条項がなぜ重要かと言いますと。この条項がきちんとしていれば、新しく出来る民営の道路公団会社に対するリース料は必然的に厳しくならざるを得ません。そうすれば新会社は赤字を出さないように必死になって経営改善に努めます。大切な点は郵政公社の場合は宅急便各社との競争が待っていますから経営努力が必要になりますが、道路公団新会社は全く競争がありませんから、リース料金が甘ければ、現状と変わる必然性は全くありません。だからこそリース料金の設定がとても大切になります。

猪瀬委員のいうように、ここで田中元委員のように腹をたてて委員を辞めてしまえば官僚の思うつぼで、たちまちよってたかって骨抜きにされてしまいます。まだ多少とも可能性が残っているとすれば、厳重な監視を行って、世論を喚起して改革推進の方向へと誘導しなければなりません。

当分は猪瀬委員をサポートして厳しい監視の目を注ぎ続けなければなりません。
 

官僚による芸術的なまでに見事な骨抜き 道路公団民営化  2/18

時代が大きく変わろうとしているのに、改革を巧みに骨抜きにしているのは政治家と結託した官僚です。小泉改革は官僚の芸術的ともいえる見事な手腕で次々に骨抜きにされています。その典型的な例をご紹介しましょう。

小泉政権最大の目玉である道路公団民営化の最終案が昨年十二月に決定し、一応の決着を見ました。その決定内容を巡り、今まで道路公団の放漫経営ぶりを国民に知らせた功労者である民営化推進委員会が空中分解したことはご承知の通りです。しかし一般的な評価は「不満足ではあるけれど良くやった」ということではないでしょうか。ここが官僚の見事なところです。

その後、田中元委員は「小泉首相は民営化委員会の意向を八割は尊重しているというけれど、残りの二割が死命を制する」と叫んでいます。私も田中委員の意見にに賛成です。「名を捨てて実を取る」官僚の芸術的とも言える骨抜きがしくまれていたからです。

詳細についての説明は省略しますが、田中委員は「民営化される新会社は発足後十年で道路資産を買い取り、高速道路の運営・管理・資産保有まで手がける上下一体方式を主張していたのに、上下分離案になったのが最大の問題点である」と主張しています。わかりやすく説明しましょう。

現在道路関係四公団のかかえている四十兆を超える借金を四十五年間で完全に返却することが民営化の大きな目的でした。民営化される新しい会社が道路を資産として保有するということは、同時に莫大な金額の借金も抱え込むことを意味します。

そうすると料金収入で借金の金利すら払うことの出来ない路線を抱えていては、本四公団のように大きな赤字を出すことになります。民間会社になった新しい道路公団には赤字は許されませんから、採算の取れない道路建設は当然建設しませんし、放漫経営の元凶であるファミリー企業にもメスを入れなければ赤字で倒産してしまいます。

ところが道路資産と莫大な借金を新しい会社からはずしてしまえば、新会社にとっては道路資産を保有することになる独立行政法人に対してリース料の名目で道路使用料を支払うだけで済みます。このリース料金を赤字路線について安く設定すれば、全く現在と何も変わりません。

民営化最大の目玉である日本道路公団を三分割して「東名・名神の豊かな収入を北海道の高速道路にプール出来ないようにした」と胸を張っても、リース料金を調整すれば見事に従来通りの大きなどんぶり勘定に持ち込めます。

皆さんおわかりでしょうか。僅か二割を譲歩したばかりに、見事なまでのドンデン返し。これが官僚の腕前です。ところがこのような肝心のポイントを田中元委員が必至になって力説してもマスコミは真剣に取り上げてくれません。内容が難しいので国民の怒りに火がつかないからです。問題を複雑にして焦点をぼかして、しっかりと骨抜きにするのが優秀な官僚として高く評価されるのです。  
 

拉致問題に関する日朝交渉について  2/16

田中均審議官と藪中局長が平壌に呼ばれて、多くの国民は拉致問題で進展があるのではと期待しましたが、結局進展はありませんでした。恐らく25日から始まる六カ国会議の前に、日本が拉致問題で騒がないようにとの牽制と、六カ国会議の席上で「既に日朝二国間で話しを開始しているからこの場では問題にすべきではない」とのアリバイ作りだったのでしょう。あるいは田中・藪中両氏は超極秘の解決策を打診されたかも分かりません。いづれ時間が正解を示してくれることでしょう。

このような国際交渉では相手が困る武器を多く持っているほうが最後は勝利します。今までの日本外交は余りにも事なかれ主義で、強硬に自国の権益を主張することがなさすぎました。しかしこと拉致問題については従来の事なかれ主義を世論が許さなかったために、戦後初めて交渉らしい交渉になっています。

その大きな原因を作ったのは拉致家族です。北朝鮮のいかなる揺さぶりにも決して軸足を変えることなく終始一貫原則を貫いています。帰国した5人が「子供達の帰国を早く」と泣き叫び、視聴率至上主義のテレビなどの報道陣がその声を更に拡大していたら、これほどまでに筋を通した交渉は出来なかったでしょう。北朝鮮の思うツボであったはずです。

この一年、愚かな報道が横田さんの孫のキム・ヘギョンさんの姿を報道したり、蘇我さんの家族写真の公開とか、わけの分からない怪しげなNPOの暗躍に加えて、つい先日の平沢勝栄議員への「迎えに来れば帰す」発言など、手をかえ品を変え、様々な揺さぶりを北朝鮮はかけて来ましたが、拉致家族会の結束が全く揺らがなかったことで不利な結末を迎えずに済みました。

今までの北朝鮮土下座外交の歴史で、日本は少し揺さぶれば、簡単に折れて金を出すと甘く見ていた北朝鮮にとっては大誤算だと思います。家族会の毅然とした態度が「原理原則ばかり通していても」と一時出かけた新聞論調まで封じてしまっています。私も南米で仕事の上で非常に厳しい交渉をした経験がありますが、相手は当方のポケットには一文の金も無いと確信するまでは徹底的に攻めてきますが、本当にお金はスッカラカンに無いのだと思わせることに成功した瞬間に解決した経験を持っています。

「拉致問題の全面解決が無ければ、たとえアメリカと核問題に歩み寄りが見られても、日本は微動だにしない。場合によっては日本単独でも経済制裁を発動する。」ことを繰り返し北朝鮮に発信し続けること。すなわち日本はとことん本気で「拉致問題の根本解決無くしては何事も進める気持ちが無い」ことを北朝鮮が認識するまでは拉致問題は解決しないと思います。

新聞やテレビでの報道内容も戦いの一部です。小泉首相が「早く解決せよ」と指示したのは極めてまずいことです。北朝鮮は小泉首相のこの指示で藪中局長たちが焦って解決のために良い条件を出すだろうと解決が遠のきます。この際、小泉首相は「強い不快感を示した」ことを北朝鮮に見せなければなりませんでした。

その意味で社民党が党首自ら北朝鮮制裁の武器である為替管理法の改正に反対したのは残念なことであり、拉致問題の共犯者は社民党という有本さんの言葉が素直に耳に入ってきます。私たちが日常見聞きする全てが北朝鮮との戦いであることを認識しなければなりません。
 

狂牛病 日米格差  2/13 

米国で狂牛病が発生したために米国産牛肉が輸入禁止になり、国民食(マスコミはこのように呼んでいます)である牛丼にかかわる狂想曲をマスコミは連日奏でています。米国で狂牛病が発生した時点で直ちに日本政府は牛肉の輸入禁止措置を実施すると同時に、日本と同じく牛の全頭検査を要求しました。これに対して、米国は日本の要求する全頭検査は科学的でないとか、カナダから輸入した問題の牛の追跡調査を早々に切り上げるなど、日米間の狂牛病に対する認識の差が顕著になっています。

ここで私が注目するのは、狂牛病に対する日米国民の受け取りかたの大きな差です。日本の場合は大騒ぎになり、牛肉の消費は大きく落ち込みました。そして特定部位以外は安全だと何度も口を酸っぱく当時の大臣は説明しながらも、結局牛の全頭検査まで徹底して、事態を収拾させました。

一方米国では狂牛病が発生しても、全頭検査をしなければならないという世論は一向にわき上がっていません。報道から判断するしか方法がありませんが、狂牛病発生で米国の牛肉消費が激減したというニュースも一向に聞きません。ここに日米両国民の品質に対する大きな感受性の差を感じます。

ここから話が大きく飛んでしまうのですが、日本人のこの「異常とも思える品質へのこだわり」が日本の製品を世界一に押し上げた原因であるという私の持論を、狂牛病の事例でますます確信しました。日本人には創造性が無いと言われていますが、物作りでは世界一の評判を取りました。(最近はこの肝心の品質が落ちて来ていますが)物作り世界一の秘密は「品質の良さ」にあります。この品質の良さこそ、日本人の異常なまでの品質へのこだわりから生まれたものです。

アメリカ人のように「狂牛病の発生で牛の全頭検査をするのは非科学的」などというようでは、とても良い品質の製品が出来るはずもありません。また新しいものを受け入れる寛容性もずば抜けています。「茶髪、超ミニスカート、ルーズソックス」(私はこのファッションがとても嫌いで一種の偏見を持っていますが)の女子高生は携帯電話を爆発的に普及させる推進力になりました。その悪い影響で携帯電話による出会い系サイトでの不祥事にも事欠きません。

しかし倫理観が大きく欠如しているように見えるこれら女子高生(極度の誤解と偏見をお許し下さい)が携帯電話普及の起爆剤となったことで、日本の家電に再び世界一の座を与えるデジタル家電が躍進するきっかけとなりました。世の中乱れているようで、日本人の魂にはまだまだ捨てたものでない立派な遺伝子が残っています。このように考えれば、小泉メールマガジンの今週号のように「悲観は気分、楽観は意志」で前進する勇気がわいて来ます。

「悲観論からは何も生まれません。困難に直面しても、ひるむことなく立ち向かって、危機をチャンスに変えていく。こういう考え方で日々難局に臨んでいきたいと思います。」との小泉首相の力強い言葉について行きたいと思います。
 

新生銀行株式再上場 銀行経営者に加え官僚と政治家は猛反省を  2/11

経営破綻した旧長銀をリップルウッドなどの外資が引き受け、見事に再生した新生銀行が19日に東証一部に再上場することに決定し、このほど売り出し価格が決まりました。このことによって新生銀行に投資している外資は持ち株の三分の一を売却することで1000億円の利益を手にすることになります。

彼らは旧長銀をわずか10億円で購入しています。そして残りの株の含み益は4800億円もありますから、利益の総額は5800億円にのぼります。一方国はこの長銀の再建のために合計8兆円もの金を投入しましたが、このお金は一銭も返って来ません。

このような現状に、もともと外資をハガタカと呼んでいる一部の人々、特に政治家は本件に対して批判的で国会で論議を呼ぶ気配があります。まさに世界の常識は日本の非常識です。外資は何も悪いことをした訳ではありません。ルールに従って物事を実施し、無為無策の日本の銀行を尻目に「邦銀の逆をやれば成功する」と新生銀行の社長は豪語し、その言葉通り預金者の利便性を飛躍的に高め、同時に新生銀行のビジネスモデルを劇的に変更して、見事に破綻銀行を再生させました。

旧長銀を買い取るとき、当然日本の投資家にも十分なチャンスは与えられましたが、再建の自信も、リスクを取る勇気もなく、結局経験豊富な外資が手をあげて成功しただけの話です。それに対し批判するのは全く的はずれもいいところです。

むしろ猛反省すべきは銀行関係者と旧大蔵省などの監督官庁、ならびにこれだけの巨額をつぎ込んだ政治家の方ではないでしょうか。

まず第一に銀行を破綻に追いやった経営者の責任は徹底的に追求されるべきです。当時の大野木頭取は粉飾決算の疑いで第一審において懲役3年、執行猶予4年の判決を受けています。しかし大野木元頭取は悪い状況を隠蔽した罪であって、ここまで経営を悪化させたのはそれ以前の頭取です。長銀の経営者だけでなく、金融システムをここまで悪化させた多くの銀行経営者の罪は重いと思います。

第二に監督官庁の罪です。護送船団方式で箸の上げ下ろしまで細かく口を挟んで来た旧大蔵省の役人で責任を取った人は一人もいません。役人のやることに失敗は無いとの思想は現在も貫かれています。官僚に責任を取らせる仕組みが絶対に必要だと思いますが、そのようなことがなされる気配は全くありません。 第

三に政治です。確かに金融システムを守る必要はあったでしょう。しかし旧長銀に8兆円ものお金をつぎ込んでまで再生させる必要があったのでしょうか。必要だとの理屈はいくらでもつきます。しかし政治家と官僚の心の中に「自分のお金では無い。税金だから」との気持ちは無かったでしょうか。 こ

のような批判がわき起こるのを恐れて、旧長銀を立派に再生させて企業価値を高めた外資を批判するのはまことにお門違いというものではないでしょうか。日本がおかしくなった原因は官僚支配にあります。何とかして官僚支配を破壊してまともな日本にもどらないものでしょうか。
 

今年は医療費が話題になる年  2/09

少子高齢化の波と世界一長寿国になった日本は医療費の増大で悩んでいます。日本は世界でも屈指の国民皆保険の国です。この保険制度のおかげで、割合に気楽に医者通いが出来ますので、サラリーマンの皆様などは健康保険組合から悲鳴に似たお便りを貰って、医療費の削減を呼びかけられているはずです。

さて医療費の総額をご存じですか?平成十三年度の実績では三十一兆円にも上っています。国の予算が八十一兆円であることを考えると相当大きな規模です。もちろん三十一兆円の全てを国の予算でまかなっているわけではなく、約三分に一に相当する十兆円を国や地方自治体が負担しています。

しかも恐ろしいのはその伸び率です。この十年の間に医療費は43%も増大しています。この十年間の国民所得の伸びはほぼゼロですので、経済の発展を大きく上回る医療費の伸びです。

また医療費の中味を見てみますと、国民一人あたりの医療費は年間二十四万円であるのに対して、65歳以上の老人医療費は一人あたり六十七万円と三倍近い医療費になっています。その結果医療費の半分が65歳以上の医療費で占められています。

国民皆保険の結果、日本人の健康は著しく改善され、世界一の長寿国になったわけですが、財政的には重くのしかかっています。公的支出の十兆円も財政緊縮の折から大きな負担でしょうから、このようなスピードで医療費が増加し続けると、必然的に国民の負担も大きくなって行くことは必死です。

平成十七年度が医療保険改正の年にあたりますので、今年は医療制度問題が大きくクローズアップされてくると思います。増加し続ける医療費は、昨年実施された健康保険の個人負担の50%増加に見るように、国民の家計を直撃するようになって来ました。長らく治外法権におかれてきた医療の世界も抜本的改革が必要な時期に来ています。

診療報酬にしても極端な言い方をすれば、現状の実費精算主義は「藪医者ほど診療期間が長引いて儲かる」システムになっています。例えば「風邪引き治療一回いくら」のような医療の定額システムを採用すれば腕の良い医者は儲かるし、不必要な薬漬けや医者通いも減少します。(一方では悪徳医者が手抜き治療をする恐れもありますけれど)高級外車を乗り回す医者の報酬にも大胆にメスを入れなければなりません。

病院経営も規制緩和をして株式会社方式を取り入れることも検討すべき項目でしょう。教育、医療の分野は長い間規制緩和を要求されながらしぶとく逃げています。「無い袖は振れぬ」状況に近づきつつある現時点で思い切ったメスを診療報酬にも入れなければなりません。また私たちも日頃から身体を鍛え、病院通いを出来るだけ少なくするように努力しなければないりません。私も健康器具を購入し豊かな老後に備えています。
 

再度発明対価200億円について  2/06

本件に関して読者の皆様から多くのメールを頂戴し、私自身の説明も判決に偏ったきらいがありましたので、再度この問題について取り上げたいと思います。今週はこの問題ばかりとなり申し訳ありません。

1.もともと中村教授は発明対価を求めるような人ではありません。
皆様に誤解があってはいけないのですが、中村教授がこのような裁判を起こしたのには正当な理由があります。日亜化学のあまりにひどい対応にその原因があります。中村氏が日亜を退職し、カリフォルニア大学の教授へと転出しましたが、同時にベンチャー企業の非常勤研究員にもなりました。その企業をLDEの大手企業が買収したことから、不安を感じた日亜が中村教授を企業機密漏洩の恐れありとして訴えたのです。

日亜は中村教授の在職中に正当な扱いをしなかったばかりか、粗末な研究施設で中村教授がほとんど独力で開発した発明に対して、(日亜にもそれなりの理由はあったでしょうが)中村教授を訴える暴挙に出ました。中村教授側は怒り心頭に達し、自己防衛のために、発明対価を求める訴訟を起こし徹底抗戦に出たのです。この訴訟での勝利がなければ、中村教授は機密漏洩の罪で窮地に追い込まれるところでした。従って中村教授はもともと発明対価に不満で訴訟を起こしたわけではありません。

2.それはそれとして今回の裁判結果で偉大な発明は企業のリスクになった。
今回のような法外な発明対価を求める判決が頻繁に出るとは思えませんが、企業側にとっては給料を支払い、会社の仕事として発明を命じているのに、偉大な発明が出れば出るほど、会社の経営が傾きかねないリスクになってしまいました。

日立製作所もそうです。日立は発明に関しては早くからその重要性を認識し、日本の企業の中では先進的に、発明者に相当の報酬を与えることを社内ルールとして確立し、そして実施していましたが、このたび社内規定を超える、一億六千万円の支払いを裁判所から命じられています。世界中でこのような高額対価を認める判決が出るのは日本だけです。あの訴訟の国アメリカではこのような例は皆無です。

それは特許法三十五条にある職務発明規定に「相当の対価を支払う義務がある」と明記されているからです。長らく「相当の対価とは一万円」が常識としてあり、日立は別として、多くの企業は「相当の対価」について真剣に考えてこなかった報いが今になって大きな対価を支払うようになった次第です。今回の裁判結果を契機に「相当な対価」について企業は真剣に考えなければならない状況に追い込まれましたが、その金額が裁判でないと決まらないのは問題です。そこでこの法律の改正の動きがでています。

3.今回の判決を法外だと思う人は意外と少ない。
日経産業新聞は早速メルマガ読者にアンケートを実施しました。この金額を高いと思っている人は全体の約半分で、妥当であると回答した人は三十五%にも上っています。多くの人が中村教授のような世界的発明には高い対価が支払われるべきと思っていることがわかりました。私の発想は余りにも経営者側にあったことで、時代に遅れつつあるのかと少し心配になってきました。
 

発明対価200億円 読者からのお便り  2/04 

2日の藤原通信「発明対価200億円 司法はおかしいぞ!」に対して多くの 貴重なご意見を頂きました。心より感謝致します。ご意見の内容は賛否両論で、 この件に関する皆様の関心の深さが良くわかりました。その中で内堀啓助様の ご意見をここに紹介させて頂きます。

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小生は、約2年前まで、防衛、宇宙関連の輸入商社におり、現在は独立し個人で 輸入の会社をしております。文系出身で、6−7年ほど前、サラリーマン時代に 宇宙船用のランプを担当し、ある米国のランプの輸入の仕事に携わっておりま した。

LED青色ランプは扱っておりませんでしたが、他商品の情報として雑誌、新 聞記事を読んでおりました。また当時中村氏は日本で一番ノーベル賞に近いと も言われており注目しておりました。

今回の判決の金額、200億円という数字については、その価値は、一介の民間人 の小生には実感のない数字ですが、会社の得る利益を1,200億円とするなら、 200億円は妥当と考えます。差額は会社ということになります。それでも会社には利益が残るでしょう。両者に利益があります。

ある発明、特許に基づき、マーケティング、販売に至るまで、またそれを継続 していくこと、流通、その他総合して考えれば、中村氏一人では出きないこと で、会社としての営業活動があり、そこには多くの支えがあったことは事実で しょう。

しかし、乱暴な言い方ですが、マーケティング、流通などは、ある意味目的が はっきりしており、一定の経験がれば、売上の数字が多少変わっても、大体誰 でもできる仕事です。発明はその人でしか、あるいはごく限られた人しか出来 ないことでしょう。今後の日本の技術発展の将来のためにも、その価値を認め る時期に日本は来ていると思います。

金額は、会社がその発明によって得る収益から計算するのが、妥当です。中村 氏の場合、金額が大きいだけに注目されました。技術者に夢があっても良いと 思います。それがないと、優秀な日本人技術者は海外へ行くケースが増えるで しょう。それも問題です。

また優秀な外国人技術者が日本で研究することや、日系企業で働くという気に もならいでしょう。現代は日本社会を世界の情勢、動きから見る必要があります。

田中氏がノーベル賞を受賞した時、中村氏のことを思い出し、また今回の判決 では、田中氏のことを思い出しました。夫々すばらしい仕事をされ、その結果 に満足されていると思います。この両氏を比較すると一言で言えば、日本的か 欧米的か、あるいは名誉か金かということでしょう。説明は自明のことですの で、省略させて頂きます。

将来ある技術者の方々の今後の日本の技術者の生き方の模範として、どちらを 選択してもいいと思います。または他の第三の生き方もあるでしょう。チーム ワーク重視で皆で協力して頑張る、あるいは一人で黙々と頑張る、そしてその 先は、名誉か金か。少々乱暴な2者択一的な表現ですが、これでいいと思いま す。この2つの生き方はいい意味でバランスを与えていると思います。ある意 味、今回の裁判は振り子のようなものではないでしょうか。

このような社会の中で、両方のケースが、注目されたことは、自ら道を開く姿 勢が欠ける日本人には、よい見本、目標であり、技術者のモチベーションにな り、社会の活性化につながるのではないでしょうか?

今回の中村氏の結果を受け、優秀な技術者全員が彼の方向へ行くことは多分な いと思います。夫々性格があるので、田中氏のやり方がいいという人も大勢い るでしょう。二人に共通すると思われるのは、夫々のサラリーマン生活の中で、 おそらく大きなリスクを背負いながら、信念を貫いて実行し、日本社会の中で サラリーマン技術者の先駆者として、成功を修めたことでしょう。

この停滞した日本社会では、今後も両氏のような方々の出現が期待されます。 このことが大切と考えます。また技術の分野に留まらず、年功序列から能力給 へ移行しつつある日本の社会において、今回の件は労働対価とは何かを真剣に 考えるのに絶好の機会だと思います。

例えば成功には「アメ」を、失敗には「ムチ」をというようにメリハリを、一 方で、「努力」「プロセス」にはそれなりに配慮をというように。

今回の中村氏への200億円の支払い命令を受け、他の企業は自分の会社で、 第二の中村氏が出現したらどうするか、ということを考えると思います。会社 は利益を追求する集団ですので、支払う額を低く抑えたいと思うのが、当然の 考え方です。その対策を考えはじめる会社も出てくるでしょう。でもそこは、 会社と発明した本人の両者が利益を得る事でハッピーになる、そして日本の将 来を考え、分別ある姿勢をとることを願う次第です。
 

発明対価200億円 司法はおかしいぞ!  2/02 

中村教授と日亜化学の間で争われていた特許報酬の裁判で、東京地裁は200億円の支払いを命ずる判決を行いました。判決で中村教授の対価は600億円と認定し請求額が200億円であるから200億円の支払いを命じたのです。まさに法外な金額です。

思い出すのは大和銀行ニューヨーク支店巨額損失に関する株主代表訴訟の一審判決です。大阪地裁は2000年9月に11人の取締役に対して800億円の損害賠償金を支払うよう命じています。これも個人が支払うことの出来る限界を超えたと言う意味で、法外な判決です。このような判決が多発すると大企業の取締役になる人がいなくなると当時騒がれました。

司法(裁判所)の非常識判決に対して立法(国会)が立ち上がり、2001年12月には株主代表訴訟での賠償金に現実的な上限を設ける法律を制定しました。

新しい法律では賠償の上限を社長の場合、報酬の6年分、社内取締役の場合4年分、社外取締役の場合2年分と決めました。これが常識的判断というものではないでしょうか?司法の非常識を立法が訂正した格好の事例です。訂正された司法は恥ずかしいと思わなければなりません。

憲法では三権分立(司法、立法、行政)が確保されていることは誰もが学校で習うことです。しかしこれは国民の生活が円滑に行われるようにお互いが一方的に強い力を持たないように独立性を確保しているのです。一部の浮世離れした裁判官が日常生活とかけ離れた判決をしても良いというものではありません。これから進行する高裁、最高裁で常識的な判決がなされることを切望します。

しかしそれはそれとして、日亜化学の中村教授に対する処遇が適切であったとは到底言えません。従来の日本社会のように会社と従業員は一心同体で、一旦入社したなら終身雇用で従業員が一生懸命働けば年功序列で給料も上がり、幸せな生活が保障される状況であれば、このようなことは発生しなかったでしょう。(幸せな生活が保障されなくても「会社を離れては生活ができない状況にあったからしかたなく」とも言えますが)

しかしながら業績不振になれば平気で人減らしのリストラに走り、人件費の削減を目的にした「成果に応じた給料制度」への移行など、会社と従業員の間で一種の契約社会が形成されつつある現状では、素晴らしい特許を取った従業員は高い評価とそれに応じた報酬が確保されなければなりません。制度が実情に合わなくなっているからこそ、今回のような事例が発生したと思います。企業も早急に新しい制度の確立を急がなければなりません。

私は技術者出身ですので最後に付け加えます。基本特許はそれがどのように画期的であったとしても基本特許だけではお金を稼げません。家に例えれば人の住むことの出来ないバラックです。それを企業の中のチームプレーでバラックを居心地の良い素晴らしい家に仕上げて、爆発的に売れるようになるまでには発明者以外に、実に数多くの名もない人々による(技術者だけでなく営業も含めた)必至の努力があるのです。今回の裁判長はこのような事実を理解しているのでしょうか?

ノーベル賞の栄誉に輝いた田中さんはこのことを良く理解しています。一人の画期的業績をささえる数多くの名もない人々の気持ちを良く理解している田中さんの言葉だからこそ、あれだけの国民的人気を勝ち得たのだと私は思っています。

読者の皆様の厳しい反論を期待して待っています。
 

ビジネス応援団>藤原通信>藤原通信2004年2月号