世界征服





 じゃらり、と手枷につけられた鎖が、重たい金属音をたてて揺れた。どんなにもがいても引っ張っても外れる気配のないそれに、角松洋介は苛立った。勇者の怪力をもってしても外れないとはさすがは魔王特製といったところだろうか。まったく腹立たしい。何がかといえば、こんなにあっさりと魔王に掴まって拘束されている自分に一番腹が立った。
 勇者の軍服の代わりに与えられたのは真っ白いドレスだった。そこらじゅうに刺繍や宝石がちりばめられており、普通の女性が見たらそれだけで眼が眩み与えた男にときめくのだろうがあいにく自分は普通ではない。不愉快でしかなかった。着慣れていないドレスは足にまとわりついて、暴れにくい。レースの下着やペチコートがうざったくて不快だった。
 広い部屋。豪華な装飾品。天井まで柱が延び、天幕がかかったいかにもなベッド。物音ひとつせず、時計すらない城。
 角松洋介は魔王の城に捕らわれた姫君だった。
 不安ばかりが増していく。自分そっくりで犬耳と尻尾がついた男と、これまた自分そっくりでこちらは猫耳に尻尾の女という、どんな趣味をしてるんだと問い質したくなる二人組みが嫌がる角松を押さえつけ着替えさせるとここに鎖で繋いでいった。あれからどれくらいの時間が経過しているのかまったくわからないのが恐くてたまらなかった。怒りと苛立ちは不安と恐怖にすりかわり、誰でもいいから来て欲しいと思ってしまう。小国とはいえ姫という身分である角松は誰かが傍にいて仕えているのが常の生活を送っていた。少なくとも魔王征伐の旅に出る前はそうだった。城の中でひとりになりたいだらだらしたいと何度か願ったことがあったがこんな静寂は望んでいなかった。誰か。腕を引いてもがいても鎖がじゃらじゃらと冷たい音を立てるだけだった。





「…この状態で眠れるのは、よほど肝が据わってるんですかね?」

 呆れを含んだ男の声に、角松はハッとして顔をあげた。いつのまにか寝てしまっていたらしい。恥ずかしい。
 赤くなりながらも言い訳をしようとして、眉根がきつく顰められる。忘れもしない顔がくすくすと笑っていた。

「草加…!」

 この男こそ、世界征服をたくらむ『魔王』その人であった。
 はじめて対面した時、嘘だと思った。やさしげな顔をした、どこからどう見ても人間の男が魔王だとは、その時まで考えもしなかったのである。もっと怪物そのものであろうという予想が大きく外れた角松はあっけにとられて魔王と見つめ合った。男は平然と名乗りをあげ、自分を倒しにやってきた勇者にひとつの質問を投げた。
 草加は姫であり勇者である角松に恐れ気もなく歩み寄り、すいと顔を近づけてきた。

「ああ、やはり。あんな軍服などより、よほどお似合いですよ」

 からかわれたと思った角松はカッとなった。魔王を倒す『勇者』なのだと物心つく前から躾けられ、ドレスなど今まで着たことなどなかった。男として育てられ、勇者として旅立つことを生まれた時から決められていた自分に、ドレスなど似あうはずがない。まともな姫として育っていれば嬉しいかもしれないが、後悔したことは一度もなかった。城から出ることもなく人々と交わることもせず、ただ飾りたてられていずれ政略結婚をして子を産み育てるだけの人生かもしれなかったことを思えば、幸運でさえある。

「なんのつもりだ、俺を愚弄して楽しもうってわけか?」
「いいえ。まさか」

 地を這うような低い声に男言葉の角松にも動じず、草加はほれぼれするような笑みを浮かべていた。

「プロポーズを断られてしまったので、実力行使をしようと思いまして」
「プロポーズぅ?」

 何のことだと問おうとして、思い当たるセリフを言われていたことに気づいた。単なるお約束だと思っていたが、まさか。

「…プロポーズってまさか『自分のものになれ、そうすれば世界の半分をやろう』っていう、アレじゃねえだろうな?」
「それですよ」
「わかるわけねえだろが!あそこで「はい」って答えてたら普通は「ふりだしに戻る」って相場は決まってる!」
「いえ、「はい」と答えていたらそのまま教会でゴールインです」
「魔王が教会で結婚式すんな!」
「神社でもいいですよ」
「常識で考えろっつってんだよ!もー…」

なんなんだこの魔王様は。世界征服をたくらみ、侵攻してきたその実力は魔王の名に恥じないすさまじいものがあったが、さすがに性格までは角松も読めていなかった。

「…勇者が魔王と結婚なんて、できるわけねえだろが」
「そのために世界征服しているんですから、断られたくらいではあきらめません」
「あきらめろよって……、え……?」

 じゃら、と鎖が鳴った。
 草加はにこにこと笑っている。とても嬉しそうに。角松は血の気が引く思いにぞっと身をふるわせた。

「そ、そのためって…どういうことだ」
「あなたを手に入れるか、世界が滅びるか。ふたつにひとつ」
「そんな…理由で?」
「そうです」

 否定して欲しい角松をわかっていながら草加はあっさりと打ち砕いた。そっと、化粧もしていない頬にキスをする。

「…はじめて会った時からずっと好きでした。やっと、手に入れた。私の姫」
「…そんな」

 魔王によって壊滅状態に陥った国々を、冒険の旅ではいくつも見てきた。怒りに決意を奮い立たせ、やっとの思いでここまで来たのだ。
 それなのに。

「…愛しています。どれほど待ったか」
「……!おまえのものになど、絶対にならない!!」
「そんな格好で言われてもね」

 手枷に鎖。白い――ウエディングドレス。捉えられた姿では何を叫んでも虚勢にしか聞こえないという草加に、角松は悔しさでくちびるを噛み締めた。傷がつくと、草加はそっと指先でふっくらとしたくちびるを撫でた。どこからかとりだした砂糖菓子を押し当てる。反射的に食べた角松は女扱いをされたことに苛立ちを募らせ、噛み砕いてしまった。ほろりと口の中で溶けたものを飲み込む。当然のことながら、甘かった。

「こんなもんで懐柔されると思ってんのか?」

 草加はくすっと笑うともうひとつ、角松のくちびるにあてた。勇者といえども女性である角松は、実のところ菓子が好きだ。おとなしく口に入れる。

「今度はゆっくり口の中で溶かしてから飲んでください。あんな食べ方では効き目は早くともすぐに消えてしまう」

 聞き捨てならない不穏な言葉に意味を悟った角松が息を飲み、ついでに砂糖菓子も飲み込んでしまった。大きな塊が喉を圧迫して通り過ぎていくのに慌てて咳込むが、するりと胃袋に落ちていった。

「あ」
「げほげほっ、こ、これ…っ、げほっ、なっ、なに!?」
「惚れ薬」
「げほっ」

 死に至る毒ではなかったのは幸いだが、よりにもよって惚れ薬ときた。そんなものあるわけがないと思うが、なんせ相手が魔王だ。常識が通じるとは思えない。本当に効果がでてくるかもしれなかった。

「ぁ……っ?」

 たとえ本物でも、そんな薬などに負けてたまるか。そう決意を固めた時だった。
 ぞっと背筋に寒気にも似た感覚が走りぬけていき、それが治まるや今度は頬が熱くなった。高熱を発した時のように悪寒と火照りが繰り返し沸き起こる。歯を喰いしばったが熱いため息が漏れるのを抑え切れなかった。汗が額に浮き上がり、目が潤んだ。

「あ…ぅ……」
「…角松さん」

 いやいやをするように首をふる角松の頭を胸に抱きしめて、草加は目を閉じた。小刻みにふるえている角松の体からは女性特有の甘い香りがする。今まさに、角松洋介の心に恋の炎が灯っているのだ。そう思うと草加は魔王として生きてきたどの瞬間よりも幸福だった。





 草加がはじめて彼女と会ったのは、角松がまだ自分を男だと信じてきた頃のことだ。
 いずれ魔王を倒す勇者とははたしていかなる子供なのか、好奇心と退屈しのぎに草加は会いに行った。
 まさか目の前の旅人を名乗る男が魔王だとは夢にも思わない子供は素直に旅人さんようこそ我が国にいらしてくださいましたと礼儀正しく挨拶をした。あなたが魔王を倒してくださるのですよねと草加が言うと、角松は顔をうつむかせてこう言った。

「旅人さんは、魔王に会ったことがありますか?」

 ここにいますよと思いながら、草加は笑顔を貼り付けた。無論、演技だ。大人になられると面倒なことになりそうだいっそここで殺してやろうかと考えていた。

「いいえ、まさか。…どうしてです?」
「だって、もしいいヤツだったら別に倒さずにすむから」

 この話を大人にすると、皆変な顔をする。角松は不思議そうに首をかしげるが、それはそうだろう。

「あなたは魔王を倒す勇者なんでしょう?戦うのが嫌なんですか?」
「話をしてみなくちゃ魔王が悪いやつだとはわからないだろ?…いくら勇者って言われても、いきなり見ず知らずの相手を殺すなんて…俺は、いやだ」

 その言葉ほど草加に衝撃を与え、また喜ばせたものはなかった。今まで人間といえば魔王を倒すべき存在だと決め付けていたのだ。それなのにこの子供の勇者は、まず魔王を理解しようとしている。できることなら殺したくないと思ってくれている。規定化された正義ではなく、ただ自分の正義でもって判断しようとしている。
 嬉しかった。だから草加は、口にだしてしまったのだ。

「それを聞いたら魔王は喜ぶだろうな」

 まったく迂闊なひと言だった。
 角松はまっすぐな黒い瞳で草加を見つめ、それからハッとしたように喜びの色を瞳に宿した。たったこれだけで角松は草加が魔王であることを見抜いたのだった。
 すぐに草加も自分の言葉の意味に気づいたが、もう遅い。

「俺、」

 その先は言わせなかった。草加は角松の細い首に手をかけ…しかし殺すことができなかった。魔王にさえ平等の愛を注ぐちいさな勇者がどう育つのか、未来が見たかった。

「……忘れなさい」

 殺す代わりに、草加は自分の記憶を角松から奪い取った。忘れなさい。けれど、忘れないでください。矛盾する感情が葛藤を繰り返す。くたりと気を失った角松の、そのちいさなくちびるにキスをした。
 草加は角松の記憶を、自分の服の第二ボタンに封じ込めた。力をなくした手のひらに握らせる。子供の手は修行でできたのだろうタコで硬くなっていた。いずれ自分を殺しに来る手であった。
 それから草加は折りに触れて角松の様子を見に来ていた。自分がそうしたとはいえ旅人の記憶を忘れた角松を見るのは少し哀しかったが、会いたいと思う感情を否定することができなかったのだ。だから角松が本当は女であったと知って秘かに泣いたことを知っているし、幼馴染で親友の菊池という王子と婚約したことも知っている。勇者ではなく女として自分を見てくれる菊池に、恋愛感情ではなくただ親しい友としての感情しか抱いていないことも。顔も見たことのないやつと結婚するよりマシだろうとしか、彼女が思っていないことも知っていた。
 角松が女だったことを知ってショックなのは草加も同じだった。
 草加が魔王として世界征服でも開始しない限り、うつくしく成長した彼女はいずれ他の男のものとなる。あのやさしい子と戦いたくないと身を潜めていた草加だが、こうなると話が違ってきた。現に角松は菊池と婚約してしまった。
 許せない。
 強く強く、そう思った。
 あの綺麗な体に、他の男が触れるのか。想像するだけで、草加の中にもう久しく無かった魔王としての黒々とした破壊衝動が漲ってくるのを感じた。角松を自分から奪うやつは殺してやる。それをさせようとする世界も罪は同じだ。
 魔王の世界征服はこうして始められた。結婚を間近に控えていた姫は勇者として冒険の旅へ出る。帰ってきたら、結婚しよう。そう言って、角松は王子に別れを告げたのだ。





 やがてふるえの治まった角松が、草加の胸の中でふっと息を吐いた。薬の効果でやや虚ろな瞳が恋を告げている。それを確認した草加は手枷を外してやった。

「角松さん、気分はどうだ?」

 角松は長い拘束で痺れた手首を撫でながら、ためらっていた。草加に恋をしたところで今まで修行と冒険ばかりで女としてどうふるまったらいいのか皆目見当がつかないのだ。これが初恋であることは、草加も知っている。ずっと、見てきたのだ。
 抱きしめようと伸ばした草加の手を、角松は強く振り払った。

「角松さんっ!?」
「うるさいっ!」

 パンッと角松の手が草加の頬を叩いた。予想外の拒絶に驚いている草加にぐっと一瞬息を詰まらせ、角松はそっぽを向いた。顔を見ることができないまま怒鳴りつける。

「よくも俺にこんなこと…!惚れ薬だかなんだか知らねえが、好きになったくらいで俺がお前を許すわけねえだろう!!」

 言い切るや否や、呆気にとられる草加を残し、角松は部屋を飛び出していった。
 ぶたれた頬の痛みに手を当て、草加は微笑する。拳ではなく手のひらが飛んできたことは角松が女である自覚をもっている証明に他ならない。それはつまり、薬がまちがいなく効いている証明でもあった。勇者の一撃であったらもっと容赦のない攻撃がきていたはずだ。
 角松の心の強靭さと正義感を草加は好ましく思う。初めて出会った頃から変わらず、まっすぐに成長した心。その魂の輝きを、草加は愛していた。

「逃がさない」

 逃がすものか。逃げられると思うなよ?魔王の城から。魔王の愛から。
 ぱちんと指を鳴らすと角松洋介そっくりの犬と猫が草加の前に現れた。この広大な城で二人きりの、魔王の僕である。

「連れ戻せ」
「「了解」」

 下着姿の二匹は敬礼をすると、角松を追って部屋を出た。
 角松に与えた惚れ薬は、ただでさえ強力なものだ。いくら勇者といえども立て続けにふたつも食べては平気でいられるはずがなかった。草加の姿が視界にないだけで不安に襲われ、少しでも離れていると絶望でいてもたってもいられなくなる。自分から引っ叩いて去ることができたのはたいした精神力だが、そう長くはもつまい。愛する魔王に手を上げ、逃げ出さなくてはならない現実に絶望するあまり、自分から死を選んでしまうかもしれなかった。草加以外の者に触れられるのは死んでも嫌だと思うだろうが、これは逃げ出した罰でもある。せいぜいあがいてもらおう。





 角松は左手にガラスの靴を持ち、右手でドレスの裾をまくりあげて走っていた。両手が塞がって走りにくいことこの上ないが、履きなれず脱いだヒールの高いガラスの靴は魔王からの贈り物だ。捨てることができなかった。

「………っ」

 ひくりと喉が嗚咽を漏らしそうになり、息を止めた。喉奥が痛い。泣いてたまるものか。こんな感情に振り回されて女のように泣き出すなんて、プライドが許さない。勇者が魔王から逃げ出しているというだけでも情けないというのに、これ以上無様を晒したくなかった。
 行けども行けどもまっすぐな廊下には、ずらりと扉が並んでいる。どこかに出口があるのかもしれないが、迂闊に開けるべきではないと勘が告げていた。とにかく今は一歩でも魔王から遠ざかることが先決だ。今すぐにでも引き返して抱きつきたいと思う心を叱咤して、角松は走る。
 どれほど好きでも、この感情が偽物であるという嫌悪感と世界征服のために魔王がしたことへの怒りは消えなかった。ましてや許すことなどできない。愛ですべてが解決できると信じられるほど角松は気楽な性格ではなかった。そうできればずいぶんと平和なのだろうが。
 角松は草加が好きだった。愛しているといってもいい。はじめて異性に抱いたそれは角松が胸の奥底に大切に閉じ込めていた女の部分にきらきらと降り注ぎ、息を吹き返したようにうつくしく心の中へと広がった。角松自身が驚くほどその感情は綺麗で無垢だった。だからこそ、傷つけられたくなかった。
 あのまま草加と結ばれてもいずれ薬の効果が切れた時、きっと自分はその感情を呪うだろう。薬などに流されて魔王に愛を誓った自分を嫌悪してしまう。それは嫌だった。想像するだけでも耐え難い苦痛だった。初恋を汚されて平気でいられる女はいない。綺麗なままでいたかった。
 角松が心の奥に秘めていた女性としてのそれは女を自覚した少女のままだった。高い塔のなかに閉じ込められた姫君そのままの無垢な乙女。あらゆる障害を乗り越えて、封じられた世界を破壊してくれる男が来るのを待っている。
 一本道の突き当りに辿り着く。ただ壁にぽつんとひとつ、窓がついていた。脱出しようと窓を開けて外を見る。強風が飛び込んで短い黒髪をかきあげた。
 目の前に広がる光景に、角松は息を飲んだ。

「空!?」

 嘘だろ。徒歩で来た覚えのある角松はくらりと脱力した。いくら魔王だからって、城が空を飛ぶか。
 落ちて死ぬのもいいかもしれない。
 一瞬よぎった誘惑は強烈だった。魔王から逃げて生きていたってなんの意味もない。戦うしかないというのなら自分の負けは決定だ。草加を殺すことなんてできるわけがない。生きていて欲しい。どんなに酷いことをしていても、好きなのだ。戦うくらいなら、結ばれることができないのなら、このまま死んだほうがいい。
 ガラスの靴を胸に抱いて、角松は窓から身を乗り出した。

「はい、ストップ」

 ふわっと風になびくドレスのスカートを捕まれ、廊下に戻される。引き止められることを心のどこかで期待していたが、自分を助けた相手の顔を見て角松は失望した。

「なっ…おまえら…っ!」

 自分と同じ顔をした犬と猫はもがく角松の腕をそれぞれ片方ずつ捕らえると、長い廊下の一番手近な扉を開いた。

「草加、連れ戻したぜ」

 そこは走って遠ざかったはずの魔王の寝室だった。角松の勘が告げていたとおり、罠だったのだろう。どの扉を開いてもここへと戻る仕組みになっているのだ。

「いやだっ、放せっ!」

 角松が渾身の力で暴れるが、犬と猫の手はびくともしない。魔王のしもべが自分と同じ顔をしているなんて悪い夢のようだ。それ以上に角松が感じているのは嫌悪感だった。魔王以外の男に拘束されているなんて絶対に嫌だ。気持ち悪さに鳥肌がたった。

「間一髪だった」
「罠にもひっかからなかったし、やっぱり勇者なんだな、この姫様」
「ご苦労」

 しもべだというのに口調まで自分と同じ。目の前で楽しげに会話を繰り広げているのに角松はやめろと怒鳴りそうになるが、それが嫉妬からきていることに気づいて言葉を飲み込む。代わりに目の前の理不尽な存在についての疑問を叫んだ。

「なんでそいつら、俺にそっくりなんだよ!?」
「趣味です」

 あっさりと言い放った草加に続いて、犬猫は交互に話し出した。同じ顔をしているだけあって、息がぴったりだ。

「俺たち人間に捨てられたところを草加に拾われたんだけど」
「せっかくだから一番好きな人の姿をあげるって言われたんだ」
「どうせ一緒にいるんなら草加に喜んでもらったほうが俺たちも嬉しいし」
「なによりこの姿なら、草加にいっぱい可愛がってもらえるしな」

 角松の顔が歪んだ。もちろん最後の言葉に反応したのだった。自分そっくりのペットを飼い、自分よりも長い時間を共に過ごしていた。なにより彼らには角松の葛藤はない。魔王が正義であろうと悪であろうと、彼らには関係ないのだ。一番好きな人の姿として自分を選んでくれたのは嬉しいが、やはり不愉快だった。

「まったく、油断も隙もない」

 草加は二匹から角松を受け取ると、天蓋のベッドに放り投げた。外した手枷でもう一度拘束する。

「この…っ」

 あわてて起き上がり鎖を引きちぎろうと力をこめた角松の頬を掴み、草加がくちびるを奪った。
 角松の目が見開かれ、体が緊張する。こわばった肩や首すじを撫でてやりながら草加は二匹に目で合図を送る。魔王の意図をたちまち了解したしもべはうっとりと笑ってうなずいた。

「見なさい、角松さん」
「ふ……、ぇ……?」

 草加の愛撫に抵抗の意志が薄れていた角松は、素直に言われたほうを見た。

「え?」

 下着姿の二匹が重なり合い、キスをしていた。ただくちびるを触れ合わせるだけではなく、角度を変えて深くまで吸いあっている。舌が口内で蠢いているのを見て角松は呆然とした。咀嚼しているように見えたのである。

「おい、ちょ…っ!と、共食いしてるぞ!」
「はっ!」

 とたん、弾かれたように草加が声をあげて笑い出した。角松がとんでもなく「お子様」であるとわかったのだ。考えてみれば彼女は修行ばかりの日々で、性教育などはおろそかにされていた。
 腹を抱えて笑い転げている草加に、何がおかしいのかと眉をしかめていた角松だったが、二匹の行為の意味をようやく理解して顔を真っ赤にした。

「共食いとはね、あなたらしいですよ」
「…………っ」
「忘れてましたよ。あなた、性教育すっぽかされてたんですね」
「せ…っ」

 好都合、と草加は口に出さずに笑った。角松の肢体を横抱きにして、やんわりと拘束する。

「ほら、ならばお手本をご覧なさい。これからあなたにああいうこと、しますから」
「?何を…」

 二匹は草加の爆笑にもまったくかまうことなく手足を絡ませあっていた。すぐそこにいるように見えるが実は彼らがいるのは隣の部屋だ。別々の空間を透明にして重ね合わせたものである。だが角松にはそんなことはわからない。双子のような犬と猫が、淫らな行為を手が届く距離で行っているとしか思えなかった。
 犬の角松が下着を外した猫の角松の胸を揉みしだいている。せつなげな表情をした猫が口を開いた。

「っ!」

 草加の手を振り払って逃げようとした角松を、鎖を掴んで引き戻す。角松は必死で二人の姿を見ないようにしていたが、いかんせん草加との距離が近すぎる。呼吸さえも届く腕の中での抵抗など無意味であった。愛しい男にやさしくしたい心ばかりが肥大する。

「…角松さん、私を見て」
「………草加…」

 とうとう耐え切れず、角松は草加を振り返った。微笑んで自分を見つめている草加を。

「愛し合う者同士がセックスをするのは当然のこと。彼らもそうしているだけですよ」
「でも、だからって…こんなこと」
「恥ずかしい?」

 角松はいよいよ赤くなってうなずいた。恥ずかしいを通り越してむしろ消え入りたい思いだ。当然のことと草加は言うが、少なくとも他人に見せるものではない。

「そうですね。あんなに大きく足を広げて…大事なところを舐められながら自分で胸を弄って喘ぐなんて、恥ずかしいですね」

 ふるえながら身をすくませている角松の頬をそっとつかんでそちらを見せ付ける。にゃぁん、と猫の鳴き声が大きくなった。草加の言うとおり、猫は全身を薄く染めて汗まみれになりながら自分の胸を弄っている。大きく広げられた足の間、女の部分は犬の体が覆いかぶさっていて見えなかった。たまらないというように猫が腰をくねらせ、声をあげている。

「気持ちよさそうでしょう?あの子はああしてそこを舐められるのが好きなんですよ。…あなたは、どうかな」
「や、やだ。あんな…こと…っ」
「ほら、もういきそうな顔をしている。よく見ていなさい」
「いく?どこに?」

 あっっと猫が叫んだ。鳴き声に甘えがまじり、喘ぎが忙しなくなっていく。当然のことながら草加は角松の的外れな質問に答えなかった。もっとも具体的にどこだと答えられるものでもないが。
 もうだめ、いく。角松の見ている前で、ぶるぶるとふるえていた猫の肢体が跳ね上がり、硬直した。

「……ぁっ…」

 やがて弛緩した猫の表情はうっとりと蕩けていた。見ようによっては幸せそうな顔をしている。いやらしい、顔だ。角松は思った。
 草加はそっと角松の胸に手をあてた。心臓が早鐘を打っている。腕の中でふるえる彼女の頬は欲情の色に染まり始めていた。
 犬と猫が再び頬を寄せて舌を絡ませ合っている。きゅ、と角松がくちびるを噛んだ。まぎれもない官能が角松の心をかきみだしていた。草加の手がそろそろとドレスの中へと忍び込み、悪戯しはじめていることにも気づいていない。
 汗で湿りを帯びた内股を撫でて、女の狭間に指をあてる。早くもじわりと染み出してきた液体が角松の興奮を草加に示した。

「やっ!?」

 そこまでされればさすがに角松も気がついた。びっくりした顔で草加を見つめる。妙に幼い。

「予習はもう充分でしょう。…さあ、はじめましょう」
「んっ、…んー…っ」

 角松のくちびるを自分のそれでふさぐと、こわばっていた肢体がやがてふるえ、ついにはくたりと力を失った。理性よりも薬効が勝ってきたのだろう。瞳から光が消え、ぼんやりと虚ろになっている。
 呼吸をしようと口を開けたその隙を突いて、草加は舌を差し入れた。驚き反射的に逃げようとする角松の舌を執拗に追いかけて舐めまわす。ただされるがままになり、ふるえている角松への愛おしさが増した。
 角松は処女だ。それは草加も知っている。体も心も、どんな男にも開いたことがない。婚約者の菊池にさえ、くちびるすら許したことがなかった。角松洋介にとり『女』はタブーだった。乙女の心は硬い蕾のまま、枯れることもなくただ腐ってゆくだけのはずだった。草加が見つけるまで。
 今、角松はゆっくりと蕾の奥に隠されてたばら色の花びらを草加に開いていた。傷ひとつつけたくない、草加は心から思い、それを実行した。やさしくしたかった。角松が勇者であることを捨てれば、草加も魔王でなくともすむのだ。

「角松さん、こわがらずに」

 角松は頬を染めたままくすりと笑った。その拍子に片目からぽろりと涙がひとつぶ、零れた。瞳から最後の理性が消えた。

「俺を誰だと思ってる?ちょっとやそっとじゃ壊れたりしないから心配するな。それより…早く」

 草加の首に腕を絡めて抱きついた。目を閉じる。声がふるえる。本当はこわい。こうしているだけで恐怖と期待が交錯する。草加の重みや体温、匂いも鼓動もすべてに支配されたかった。重たい鎖で繋がれている今の状態がひどく頼もしく思える。どこへも逃げられない。

「早く…おまえのものにしてくれ」

 無意識に角松の手が動き、何かを握りしめる形を作った。不安な時、辛い時、いつも握りしめていたお守りを手のひらは探していた。
 ドレスのホックを外すと、豊かな乳房があらわになった。白い絹のレースの下着をつけている。感嘆のため息が草加から漏れた。ドレスを選んだのは草加だが下着は犬と猫の二匹が気を使って身に付けさせたのだろう。なんせ初夜である。

「綺麗ですよ」
「…本当?」

 いたたまれないのか顔を隠している角松はすでに息があがっていた。軽口を叩いてみせても内心の怯えを隠しきれるものではない。草加は笑ってうなずいた。そんなところも愛しかった。

「もちろん。とても似合ってますよ」

 下着をずらす。たゆんとしたやわらかな重みが手の中に落ちてきた。防具をすっかり取り払った肌の白さと限りないやわらかな感触に草加は感動する。両手に収め、ゆっくりと揺らした。

「そんなこと…っ、言われたこと、ない…っ」

 血液を中心に集めるように揉んでいくと、白い膚が汗ばみうっすらと紅色に染まっていく。頂にある2つの塊が草加の眼前で硬くなった。ぱくりとくちびるで包み込む。

「あっ、あは…っ、なんか、くすぐったいっ」
「そう?ん、ちゅぅ…っ」
「あっ、あっ」

 草加が強く吸うと角松の肢体がびくっとふるえた。とっさにくちびるを噛んだ。くすぐったさも強烈なものになれば痛みから快感へと変化する。放っておかれたもう片方を真綿を扱うようにそっと指先で摘めば、たえきれない嬌声が溢れた。

「あ、あ…っ。や、今の…っ」

 なに?戸惑う角松に応えず、草加は粒を舌でざらりと舐め、押し潰し、強く吸い上げた。やさしく愛撫する舌とは反対に、指先は痛みを感じるぎりぎりの強さでもってそこを虐めてやる。じゃらりと鎖が揺れるほど角松が身悶えた。犬と猫の行為を見せ付けられて官能を昂ぶらせていた肢体は敏感になっている。垂れた唾液を草加の舌先が追って這い回るだけで、びくびくと跳ねた。

「く、くさか、あっ、あぁっ、やっ…俺、おれ…っ」
「…気持ちいいですか?」

 わからない、と首を振る角松の素直さに、草加は微笑した。今まで体験したことのない快感では、そう答えるしかないだろう。

「もっとして欲しい?」
「う、……っン」

 ちゅぷ、と草加は唾液まみれになった珊瑚色の塊を放した。艶やかに濡れている。不満そうに角松が草加を見上げた。角松はわかっていないだろうが、いやらしい顔をしている。

「それを気持ちいいっていうんですよ」
「そ、そう…なのか?」
「そうなんです」

 草加はまだ濡れていないほうを口に含んだ。

「ン…ッ、ンっ」
「ほら…言ってごらんなさい、気持ちいいって」
「やだ、そんな…っ。そ、そこで…っしゃべるな……」
「…ちゅっ」

 唾液でぬめった粒は硬さを増していた。親指と人差し指で摘みあげ、くりくりと転がし、細い割れ目に爪を立てる。

「あっ、はぁ…っンッ、くさ…っぁ、そんな、に、しないで…っ」
「気持ちいいって言って?」
「…っい、ぃ…。気持ち、いいっ…、あぁっ」

 草加はドレスのスカートをめくりあげた。

「あ…っ」

 と、角松が手を伸ばし、内股も閉ざしてそこを隠してしまう。角松の脳裏には今しがた見た犬と猫のからまりあう姿が鮮明に残っていた。あれをしろというのかと思えば抵抗ももっともなことだろう。

「角松さん?」
「あ、だ…って、さっきのみたいに、する…んだろ?」

 やりすぎたか。角松の官能と羞恥を煽る為だったとはいえ性的なこととは無縁の生活をおくっていた彼女にはいささか強引すぎたようだ。しかし面倒ではない。これから自分の手で角松が女になってゆくのだと思えば楽しみのひとつでさえあった。

「では、これの上からならいいでしょう?」

 邪魔な手をかきわけてそこへと指を押し付ける。ブラジャーと揃いのショーツの、肝心な部分は、とろりとした液体ですでに濡れていた。くっと押すと、じわりと染み出してくる。

「あっ、あー…っ」

 草加は角松の返事を待たずに布地を谷間に食い込ませ、指を潜り込ませた。布の上からであればどんなに強く刺激しても怪我をすることはない。遠慮はいらなかった。

「あぁあっ、や…ぁんっ、ヤ、だ…っ」

 片手で腰を抱きよせてふんわりとした胸に顔をうずめる。目の前にある鮮やかな薔薇色の蕾に音を立てて舌を這わせると、あっというまに愛蜜が溢れ、布地は役をなさなくなった。

「んン…っ…あっ、…はぁ、あぁっ、な、なん…でっ?」

 草加の手が促がせば、角松は素直に足を広げた。濡れて張り付いた絹のショーツから、うっすらと黒い翳りが透けて見えている。

「いやっ、こん、なの……っあぁっ、あっ、いぃ…っ」

 草加の指が直接潜り込むと、脅えた声であえいだ。くちゅくちゅと指に絡みつく蜜のぬめりを借りながら、幾重にも重なった花びらにも似た肉襞をかきまわす。奥へと進むにつれて、指が溶けるほどそこは熱くやわらかくなっていった。

「はぁ…っ、ぁぁあんっ、くさかぁ…っ」

 がちゃん、と鎖を鳴らして、角松の手が草加の手を止めた。

「どうしました…?」

 耳元で囁き、耳朶に舌を這わせる。窪みに音を吹き込むようにキスをすると、角松は困ったような涙目になった。鍛えることのできない部分に与えられる責めには存外弱いらしい。

「こ、これ以上は……っ、だめだ…。俺、なんかヘンだから…っ」
「ヘンってこれですか」

 くぷんと掬い上げた蜜を角松の目の前にかざす。とろりと垂れた液体に角松はかぁっと頬を染めて絶句した。あれが自分の体から湧き出したものなのが信じられない。

「このままではつらいだけですよ」
「でも、でも……っ」

 問答の間にも草加の手が太腿を撫で回し、角松を追い詰めていた。肢体の奥、下腹部より少し下のあたりに甘く疼く熱の塊がある。これ以上されて塊がはじけたら、本当におかしくなってしまう。こわいのだ。
 角松の葛藤を見抜いた上で、草加は言った。

「大丈夫、こわがらないで…。あなたが好きだから、おかしくなってほしいんです」
「くさか…?」

 中指を肉壁に侵入させる。きゅうと絡みつく濡れた感触が気持ちよかった。ここに自分を挿入したら、どんなふうになるだろう。草加の股間は今にも弾けそうなほど張り詰めていた。

「全部、見せて…」
「あぁ……」
「強いあなたも、綺麗なあなたも、かわいいあなたも、いやらしい顔をしたあなたも、全部」

 睦言に、草加の手を掴んでいる角松の手から力が抜ける。恥ずかしいところで悪戯を続ける草加の指がもたらす快感に角松は抗えなかった。
 草加の指先が、花びらの奥に秘められていた肉芽に辿り着いた。

「…っあ!?」

 角松がびくっとふるえ、ドレスの裾を掴む。抵抗をする間も与えずに草加はそれを集中して責めたてた。溢れてきた蜜液がスカートまで零れ、濡らした。

「いやっ、あっ、くさ、…っ、あっ、だめっ、…らめぇ…っ」

 男の指を締め付けながら、角松が達した。はじめて到達した快楽の絶頂に言葉もなく、涙を溢している。ひくひくと痙攣する太腿から爪先が脱力し、肉の泉に湛えていた蜜をとろりと溢れさせた。草加がふやけた指を撤退させるだけも刺激になるらしい、んっと甘い声があがる。

「い、いまの…なに?」

 ようやくまともに呼吸ができるようになった角松が訊いた。頭の中では理解しているが認めてしまうのは恥ずかしい、と艶めいた表情が物語っている。草加は物覚えの悪い生徒をたしなめる教師の気分になり、わかっているでしょうと諭した。

「今のが、いく、ですよ」
「………っ」

 あの時の猫の顔を思い出し、角松は恥ずかしさに身を捩り、草加に顔を見られないようにした。自分もあんないやらしい顔をして泣いていたのかと思うと恥ずかしくてたまらない。草加の前であられもない声であえぎ、あんなに足を広げて見せたのだ。

「すごく可愛かったですよ…私の指で、あんなに」
「い、言わないでいいよっ」
「ほら、私のも…もう」

 角松の太腿に腰を押し付け、それを擦り合わせる。目を丸くした角松がおそるおそる手を伸ばしてきた。そっと撫でられ、草加の眉根が寄る。

「これが…草加の?」
「そうです…」

 こくんと喉を鳴らして、子供のような好奇心で角松は草加のそれを布地から解放した。張り詰めた粘膜は他のどことも色が違う。濡れて脈うつ熱いいきもののようだった。生々しい。

「男のひとって、こんなもんがついてるんだ…」

 まったく素直な感想だった。幼い頃から肌身を見せないように気をつけて育てられていた為、父親と風呂を共にしたこともない角松である。はじめてみる男の性器に、驚いていた。

「…すごい……」

 まじまじと眺められて草加もさすがに照れくさくなった。細く白い指先が草加のものをそっと愛撫する。もどかしい快感に、草加は苦笑した。真剣な顔をしている角松にキスをする。

「そのまま、擦って」

 角松は言われたとおりに指を動かした。上下に擦り、血管を押し潰すようにぐりぐりと扱いていく。ぴゅ、と尖端から透明な雫が噴出してきた。

「あっ、きゃ…っ?」

 やや粘りのある樹液に角松がちいさく悲鳴をあげた。つい指先に力が入り、草加のものに痛みまじりの快感を与えた。重なったくちびるから漏れるため息がけだもののように短くなる。

「はぁっ、角松、さ…っ」

 草加の呼びかけに嬉しくなる。彼が感じてくれていると思うと胸が熱くなった。角松は先ほどまでの草加の行為の意味をようやく理解しはじめていた。好きな人が自分の体で悦んでくれているというのは満足と喜びだった。
 極めたばかりの肉壁が熱く疼く。角松はもじもじと内股を擦り合わせた。

「ン…っ、なあ、次…は、どうすれば…?」

 覚えたての快感と初恋の前に従順に屈した角松の足から最後の一枚を取り去った。漆黒の繊毛が濡れて絡まりあっている。その狭間に草加が待ち焦がれていた花弁が蜜を湛えて開いていた。

「角松さん…いいですか?」

 その意味がわからないほど角松も初心ではない。うっすらと微笑むんで、角松はうなずいた。
 ゆっくりと深呼吸をして草加が入ってくるのを待つ。幸福だった。
 胸を上下させていると熱が引いていくような気がした。ぼんやりとしていた視界の霧が晴れてゆくように意識がはっきりとしてくる。自分の足を広げさせて純潔を奪おうとしているのは誰?草加拓海。魔王。

「………っ」

 瞬間、硬くなった角松の肢体に、草加は何が起きたのか察知した。ちっと舌打ちをして振り上げられた手を捕まえる。そのままベッドに押し付けた。

「残念。もう薬が切れましたか」

 薬が切れたところで今更草加がやめるわけもないのだが。青褪めた角松が無言のまま抵抗する。じたばたと暴れる足を膝で踏みつけて拘束した。

「さっきまであんなに可愛かったのに。もう一度、砂糖菓子を食べますか?」
「…っ!いやっ、いやだぁ…っ!」

 ずしんと鎖の重さが変わった。ふかふかのベッドに沈み込むほどの重力がかかり、手首の骨が軋む。持ち上げることもできなくなった角松はパニック状態で泣き叫んだ。
 草加は体重をかけ、角松の女と自分の牡を密着させた。腰を揺らす。互いの蜜で濡れたそこが擦れあう。

「私の指でいかされた気分はどうです?気持ちよかったでしょう…これから私に犯されて、あなたはただの女になるんです」
「いやあぁっ、嘘だっ、やだっ、やめろ…っ」

 動かない体をひねり、逃げ出そうとする角松を見下ろして、草加は魔王としての自分が帰ってくるのを感じていた。角松を大切にしたいと思ったのは嘘ではない。かぎりなくやさしくして、腕の中で守ってやりたかった。愛していると囁いて何も心配しなくていいと安心させてやりたかった。だが草加がどんなにそれを願っても、角松が勇者としてあるかぎり叶えられることはけしてないのだ。偽りの恋が消え去れば残るのは虚無だけである。
 草加は硬く閉ざされた蕾に自身をあてがった。こんなふうにしか愛せないことに絶望する。はじめて出会ったあの時に、殺すか攫うかしてしまえばこんな想いをせずにすんだと思うのは感傷だろうかと思った。

「…あ、あー…っ!」

 角松が引き攣った悲鳴をあげた。
 やわらかい肉襞の奥にあった、閉じた部分を突き破られ、痛みに涙が溢れた。体に力が入らず、がくがくと勝手にふるえている。息をするだけで精一杯だった。痛い。痛い。

「痛い…っ、やめて…っ!草加、いや…!」
「…っ、く…っ」

 狭いそこが草加を締め付けた。包み込まれるというよりは喰いつかれているような甘美な痛み。皮膚に痕がつくほど指に力を入れて足を広げさせる。鮮血が草加の肉棒に垂れていた。歪んだ笑みが浮かぶ。

「魔王に犯されている気分はどうだ?」
「あっ…あ…、ぁ…」
「勇者として育てられてたったひとりで魔王に挑み、結局女にさせられている。人々が知ったらどうするでしょうね」

 びくり、と角松の肩が揺れた。恐れと絶望がゆっくりと瞳を浸していく。

「ぃ…いや……」
「誰もあなたを助けに来ません。魔王を殺すことができなかった勇者など、死んだと皆は思うでしょう」
「いやだぁっ、雅行、雅行っ」

 角松が叫んだ名前に草加はカッとなった。彼女の婚約者の名前。親友というだけで、隣国の王子というだけで、草加が焦がれるほど求めている姫を手に入れる権利をあの男は得ているのだ。こうして助けを求めて名を呼んでもらうことができる。嫉妬に煽られた草加は乱暴に腰を揺らした。ひっと息を飲んで角松が涙を散らした。

「こ…殺して、やるっ。ぜった…っ、こんな、こと…っ、あぁあっ」
「…ふん。できもしないくせに」

 犯されて泣かされながら言うセリフではない。草加が嘲笑うと殺気をぶつけてきた。殺す。絶対に殺す。
 ちゅく、と草加が首筋を吸った。薄赤い痕がつく。つまらないと思った。月日がたてば消えてしまう痕ではなく、絶対に消えない痕を勇者に。魔王の所有物である証拠を勇者に刻みつけよう。あんなに大切にしたいと思っていた角松を自分が傷つけるのか。自己嫌悪に草加はただ呪った。この世の何もかもが呪わしかった。

「あっ、あっ、ひ…ぅっ、いやっあっ、…はぁんっ」

 角松が味わっているのはただ痛みと熱さだけだった。草加の硬いものが激しく突き上げてくるたびに鋭い痛みが肢体の奥に走った。それでも破瓜の血と草加の先走りの樹液で肉壷は濡れ、激しさは増していった。殺意も憎しみも何もかも吹き飛んで、ただ喘ぐだけしかできない。

「やめ、やだ…っ、まさゆ、まさゆきっ、あっ、…やあぁっ、ああーっ」
「草加、だ。角松さん、草加と言ってみろ…っ」
「や、あっ。くさか、くさかは…っ、いやぁっ」

 草加は胸の突起に吸い付き、同時に指を背後から回して中へと入れた。くにゅりと探る。ひくひくと絡みつき締め付ける肉壁ではなく、感じやすい肉芽を捕まえた。

「あっ、ああっ?」

 きゅうと草加を締め付けた角松が、腰をくねらせた。自身の肉塊と指先の動きを同調させ、それを虐めてやる。甘い嬌声が角松の口からあふれた。

「はぁっ、ああっ、だめ、やっ…、あ、もういやっ、あんなの…いやぁっ」

 またあんなふうに追い詰められていくのは嫌だ。ゆっくりと草加が引き抜かれ、次に激しく入ってくる。胸にあたる草加の呼吸が早く浅くなっていった。
 角松は自分のことしか考えが及ばなかったが、当然草加にも絶頂はある。初めて開かれたばかりの狭い肉はその瞬間ざわざわと複雑に蠢いて絡みつき、草加に目も眩むほどの快感を与えていた。

「あぁっ、ぁー…っ」
「出す…ぞっ」

 え、と聞き返す間もなかった。草加が腰をふるわせ、角松にさらに押し付けてきたのだ。熱い迸りが体の中に広がり、角松は目を見開いた。

「え、あ…?ぁ…っ」

 脅えた声で愕然としている角松に、息が整うのを待って草加はやさしく微笑んだ。もはやなかったことにはできない。

「わかりましたか、角松さん…。魔王に何をされたか」

 ぶんぶんと頭を振る角松になおも残酷にささやく。

「犯されていかされて、中に射精されたんです。今ので孕んでしまったかもしれませんね…。どうします?」

 呆然と見開いた目に、みるみる涙が溜まってきた。くちびるがふるえる。ひっく、と角松がしゃくりあげた。まったく幼女のように泣き出した角松を草加は抱きしめた。熱を帯びた胸をやわらかく揉む。つんと勃ちあがった頂の塊は、痛々しいほど紅くなっていた。同じく染まった耳にくちびるを寄せて甘い声で誘惑する。

「大丈夫。私がお嫁さんにしてあげますよ。毎日可愛がって、嫌なこともなにもかも忘れさせてあげる」
「や……、ぃや……」

 弱々しい拒否を繰り返す角松の、鮮血まじりの精液を垂らしている花弁をそっと指で広げる。とぷっと溢れた。
 草加は件の砂糖菓子を取り出すと、角松のそこへと飲み込ませた。異物にびくっとふるえたが、指で弄ぶうちに熱でさらりと融けてしまう。あっというまに粘膜に吸収されていった。

「それに…もう、勇者なんてやらなくてもいいんですよ」
「え…?」

 はあ、と角松が甘い吐息をもらした。うっとりと草加を見つめている。一度薬が効いた体だ、二度目は容易かった。
 草加は角松の体を持ち上げると、窓辺へと移動した。

「ほら…」

 窓の外には夜が広がっていた。ところどころに明かりがついている。綺麗だな、とぼんやり思う角松に、草加は言った。

「世界は終わりました。あれが最期の灯です」

 もうあなたの帰る世界はありません。草加の言葉を理解するのには時間がかかった。

「考えたことはありませんか。勇者になることを一体誰がどんな理由で決めたのか。なぜそれにだれも疑問を抱かず、自分だけが戦わなくてはならないのか」
「…………」

 あった。少女の頃はあまりにも重い運命に秘かに泣いたこともある。

「人類のすべてで立ち向かわれたら、私も勝つことはできなかったでしょう。あなたひとりに押し付けた、これは当然の結果です」

 草加は角松を隣に立たせた。ドレスを整えると、淫らな行為の直後とは思えないほど清らかな花嫁がそこにいた。

「あ…っ」

 きゅんと蠢くそこから精液がとろりと流れてきた。角松は草加にしがみつく。立っていられないのだ。頬を紅潮させる角松に、草加は首輪を握らせた。

「魔王への服従を誓いなさい。…自分でそれをつけるんです。そうしたら、結婚式をあげましょう」

 角松は首輪を見つめた。黒い皮製のそれには赤い糸がついている。指先ですくいあげると草加に繋がっていた。
 それから窓の外を見た。命がけで守りたかった世界は夜に沈み、しかし朝はこないのだ。
 角松はゆっくりと首輪を細い首に通した。
 かちり。
 けして外れることのない赤い糸。草加がひっぱると角松の体は素直に彼の胸に倒れこんだ。
 角松はひたむきに草加だけを見つめている。薬が切れても繋がった赤い糸が彼女の心を草加とを結び付けていくように魔法がかけられていた。逃れられない運命の赤い糸だった。

「愛しています。…かわいい人、あなたは私のものだ…」

 ねっとりとした黒い執着心に捕らわれているのを角松は感じた。無意識に手が動く。お守りはどこへいったのだろうとふっと思った。いつのまにか手のひらに握られていたボタンはいつのまにか角松の大切なものになっていた。あれをくれたのはいったいだれだったのだろう。この首に輪をつけたのはいったいだれ。