I(サンプル)





  その日は朝から雲が空一面に立ち込めていた。風が雨を運び次第に激しさを増していく。嵐がくるのだと悟った角松は庭に置かれたもので風に飛びそうなものを玄関に運び入れた。早々に雨戸を閉める。そろそろ七日目だが、これでは草加は帰ってこないだろう。
 深夜、寝付けない角松がようやくうとうととし始めた頃だった。暴風とたたきつける雨の音がうるさかった。時々小枝か何かだろうちいさなものが雨戸にぶつかる音。寝返りをうち、嵐を子守唄にしていた。

「……?」

 風雨に混じる、別の音。バチャン、と水しぶきをあげながら近づいてくる。低いエンジンの唸り声。

「…車…?」

 草加だ、と気づいた角松はまず部屋の明かりをつけた。玄関を駆け下りて、外灯をつける。この暗さでは事故になりかねない。
 少し手前で自動車は止まった。
 車から降りた草加はまず運転手を労ってから、玄関先に立っている角松へと走った。傘は無駄なのでさしていなかった。一分とかからぬ時間を走ったにもかかわらず、全身がずぶ濡れになっている。 焦ったように手を伸ばした角松を見た瞬間、草加は自分の状態など忘れ、彼を抱きしめていた。

「……っ」

 一瞬の抱擁だったが角松の夜着に水が染み込み、冷たさを伝えた。想像以上に草加が冷えているのに驚いた角松から怒りが消え、生来の面倒見の良さが発揮された。
「早く体を拭け、それから風呂だな」
 てきぱきとタオルと着替えを用意し、湯の準備を整えていく角松に草加は苦笑した。
 外は嵐。こんな夜になぜあえて帰ってきたのか、その真意を、角松はわからないだろう。草加のもっとも懼れていることを、角松は知らない。それでいいと思った。忘れていてくれたほうが、草加は安心できるのだ。

「ほら、草加」
「はい。…ただいま帰りました」

 今さらな帰宅の挨拶に、角松は一瞬ぽかんとした。それから自分のしたことに苛立ったように渋面を作った。

「おかえり」

 早くしろと促すのにはいと応じて、草加は浴室へと向かった。
 あたたまった草加が角松を探すと、彼はすでにベッドへと入っていた。二人用の大きなベッド。その半分を開けて角松は横向きになり、目を閉じている。まだ眠っているわけではなかった。草加が自分のスペースに座ると、肩が緊張した。
 雨音は激しさを増している。
 風が強い。
 きっと朝には何事もなかったような晴れ渡った青空が広がるだろう。
 草加は角松の頭をそっと撫でた。短い黒髪が手の平に心地良い。後頭部の丸みは撫でるためにあるようだ。身を屈め、彼の目元に接吻する。近づくとぎゅうと瞼が閉じられたのに笑う。彼は目を開けなかったが、さっと薄い朱をひいた。
「おやすみなさい」





 角松の独裁者にして暴君は、服を脱いでベッドにあがれと命令した。
 カーテンを開け、窓も開け放たれた寝室には、明るい陽射しがきらきらと雨粒を反射して入ってきている。しめっぽい、木々の甘い香りを吸い込んだ新鮮な空気が室内の緊張した空気といれかわる。だからといって爽やかさなどまったくなかった。ベッドはまだ昨夜二人が眠ったままで、敷布すら取り替えていなかった。

「――……」

  さすがに角松は文句の一つも言ってやろうとしたが、草加の絶対者としての眼差しに無駄を悟って口を噤んだ。  シャツを脱いで床に放り投げる。
 肌着、ズボンと脱いでから、靴下を放った。