楽園では遠すぎる(サンプル)





 尾栗が角松を連れて医務室へ入ると、熱でまどろんでいた野口がハッと眼を見開いた。

「……艦長…」

 野口は眼を潤ませた。しばらく言葉を探す。あれこれと考えていたはずの言い訳は、角松を見た瞬間、どこかへ消えていた。

「…艦長…。すみません…」
「いいんだ。大丈夫だ、野口」

 何もかもわかっているというように角松はうなずいた。大丈夫。もういいよ、と。すべてを許し、認める艦長の穏やかな笑みに、野口が縋りついた。きつく閉じた瞼の端に、涙が滲んだ。
 甘いな、と尾栗はその光景に思う。クーデターを起こした連中は、角松が最終的にそう言ってくれるとわかっていたのだろう。許されることを予想しての行動。大切にされていることを前提とした、甘えからきた我儘だ。俺には真似できないし、したくもない。角松は他人に厳しいが、それ以上に厳しく自己を律しているのを尾栗は知っている。甘えるだけなら誰でもできるんだよ。隣に在り続けるためには、頼るだけでは駄目なのだ。
 野口はこれから彼の艦長が陸にあがることを仲間から聞かされていた。謝罪する声には行かないで欲しいという懇願が含まれていた。言葉に出来ない分を彼は震える手に込めた。艦長の大きな手が、潮風に晒され幾度も手荒れを繰り返して分厚く皮の張った海の男そのものを表した手が離れていくのを食い止めようとした。角松は彼の手を胸の上に戻すとあっさり離れていった。

「早く治せ」

 最後に命令口調で言うと、艦長は航海長を連れて出て行った。残された野口は、撃たれた腹よりも痛む胸の上の手を握りしめ、嗚咽を耐えた。野口の中の維持は泣くことを認めなかった。追い出したのは、自分たちなのだ。

「…準備しておくか」
「洋介」
「なんだ?」

 前を行く角松が自分に言い聞かせるように呟いた。背中には野口を背負った時についた血が乾いてこびりついている。これがもし角松の血だったら自分は一体どうしていただろう。爆破装置のスイッチを押していたかもしれない。尾栗は暗く沈んでいく思考を振り払い、あえて偉そうに言った。

「洋介、俺をなぐさめろ」

 角松の足が止まった。