名前の順
絵に描いたような優等生。海自に入るために生まれてきたような男。聞けば、代々続く海軍の家柄だという。まさしくサラブレッド。角松洋介といえば、こんな感想だ。
かたや元暴走族。頭は悪くないがなんで海自?と誰もが首をかしげる。自衛隊のじの字もない環境で生まれ育ち、でっかいことがやってみたかったと楽しげに言ってのける。それが尾栗康平。
こうまで違うと嫉妬する気もおきないが、やり辛くってしかたがない。名前の順なんて今時小学一年生の顔合わせじゃないんだから。尾栗は胸の内でぼやく。「お」の次は「か」なんて誰が決めたんだ。日本人なら「いろは」にしろ、それなら「お」の次は「く」だ。優等生なんかと四六時中一緒なんて疲れる。隣か後ろ、授業中なら無視もできようが、同室じゃそうもいかない。
「尾栗」
そいつの声が自分の名前を呼んだ。
角松はいつものまじめくさった顔で、ノートを差し出してきた。
「このノート、尾栗のか?」
「え?」
確かに見覚えのあるノートだが、あらためて聞かれると自分のものか自信はない。大手文具メーカーのノートなんて、学生なら誰だって一冊は持っているだろう。
「…そうみたいだ」
尾栗は受け取って中を確認し、うなずいた。
「名前が書いてなかったんで、悪いと思ったが中を見た」
実直が服を着たような角松は、実直に言って頭を下げた。
「いや―――ありがとう」
ひょいとノートを持ち上げて礼を言う。うわーやっぱりコイツ、すげー真面目。ついつられてこっちも礼儀正しく―――ならないかもしれないが、礼儀正しくしなくてはという気にさせられてしまう。先生方より効果的だ。
「見たから言うけど、」
せいいっぱいにこやかに笑ったら安心したのか、角松もちょっとくだけた表情になった。
「尾栗の思考って丁寧なんだな」
「は!?」
今、目が点になったんじゃないだろうか。ちょっと待て。
丁寧。
自分にこれほどふさわしくない形容もちょっとないんじゃなかろうか。
尾栗にとって受け止めがたい感想をさらりと述べた角松は、自分の一言が衝撃的であることなど考えもしないようで、自分の席についている。
「角松………?」
「ん?」
「丁寧ってなんだよ?」
「え。」
角松は一瞬ぽかんとし、なんと手元の辞書を手に取った。まてマテ待て。そうじゃない。言葉そのものの意味ではなく、角松の言ったことの意味を求めているのだ。
「丁寧―――注意深い。礼儀正しいさま」
「うん。わかったありがと。で、俺がなんだって?」
「尾栗が?ああ、丁寧だよな、尾栗」
「どこが!?」
つい勢い込んで説明を求めた。
「丁寧なんて、生まれてはじめて言われたぞ、俺は!」
はっきり言って、褒められたのかからかわれたのかわからない。なにより生まれてはじめての事態に、尾栗は戸惑い、照れていた。
「そうなのか?」
今度は角松が驚いている。
「そうなんだよ、説明しろ、角松っ」
「説明と言われても。…ノート見ればわかるだろ」
「おまえ、どこまで読んだんだよ、人のノート」
「う………」
すると角松は気まずそうに目をそらした。頬が赤い。
「ほとんど、読んだ」
絶句してしまった尾栗に早口で言い訳をする。曰く、よくまとまっていて、疑問点や興味をもったところまできちんと調べてあるという。
「そんなの誰だって…」
「それがさ、ほとんどのヤツは授業内容そのままなんだ」
「他人のノートを見るのが趣味なのか?」
ちょっと皮肉って言うと、照れくさそうに笑った。笑うと実直真面目な優等生が、子供みたいに見える。
「ノート見せてくれって言ってくるヤツのノートは見せてもらっている」
断りなく読んだのは尾栗が始めて。誰のものか見ているうちに、つい読みふけってしまったと言う。
ヤレヤレ、だ。模範的な優等生を相手に張り詰めていた緊張が緩んでいく。尾栗の前にいる角松は、しかられた子供そのまんまだ。なんだよフツーのヤツじゃん。
「まあ別に読まれて困るもんでもないし、いいけどな。今度お前のノート見せろよ」
「ああ、わかった」
そんなことがきっかけで尾栗と角松は時折話をするようになった。時折になってしまうのは、角松の傍にはいつも誰かしらいるからなのだ。間に割って入ってもいいのだが、角松と話をしているそいつの邪魔をするのも面倒だし、角松と話をしている間に割って入られるのも気分が悪い。なんだこの感情は。独占欲か?と思うと、バカバカしいながらも納得してしまう。困ったもんだ。
「やっぱり尾栗の考え方は丁寧だ」
「そうかぁ?」
「咄嗟にそれだけの判断ができるんだから、そうだ」
高校時代―――つまり暴走族の頃の話でなぜそういった感想になるのかよくわからない。
暴走族時代の話をすると、皆たいてい驚く。暴走族=頭の悪いできそこないみたいなイメージがあるからだろう。そんな連中ばかりではないがそんなヤツらも多かった。学校の成績だけでいうのなら尾栗だって人のことはいえない。だが何の目的もなく日々を怠惰に過ごしていたクラスの連中に比べていたら、実に充実していたし、だからこそ防大に入学しようと思ったのだ。バカをやっていた自覚はあるが、思い出は誇れる。
なかでも一番すごかったのは引退走行の時だ。高校三年の冬。卒業間近だった。
新旧交代する際の恒例行事として、たいていどこのチームでも行われる。地元でほとんどの暴走族が一斉に走るから、警察の取り締まりも厳しいし、他チームと出くわすこともある。警察相手には逃げるしかないが、他チーム相手だとケンカになる。ケンカといっても暴力沙汰に発展することは稀で、この場合は走りの勝負だ。目的地はどのチームも一緒。どのチームが一番にゴールインするか競い合う。公道でのバイクレース。もっとも追いつけない連中は警察にとっ捕まったり、他チームと本当にケンカをはじめてしまったりするので、公式のレースよりも迷惑で、厳しい。
尾栗はチームの旗持ちだった。
海自と同じ鮮やかな旗を持って走るのだ。ただでさえ重たく、風にはためく旗にかかるGはハンパではなく、いくら改造車といえども大仕事だ。そんな旗を持って、リーダーにくっついて走らなければならない。旗持ちが脱落なんてことになったらチームに泥を塗ることになるから、かかってくる圧力は風だけではなかった。他チームの連中も旗を降ろそうとケンカや妨害をしてくる。もちろんこっちもやる。守るも攻むるも大変だ。
警察と他チームとの攻防で、最後まで残っていたのは尾栗とリーダー、特攻隊長、リーダー補佐、親衛隊長と他10名ほどだった。
毎年のことなのでギャラリーの中には先輩やファンがいる。彼らのもたらす情報は重要だ。どこにどのチームがいるのか、どこに警察が網を張っているのか、ルートを探らなければならない。
このまま行けばこの先の大通り交差点で他チームとぶつかる。そのもう少し先に警察が待ち構えている。警察がいるおかげでメインストリートにもかかわらず一般車両が比較的少ないのだが、大きな網ほど潜り抜けしやすい。警察もわかっているから、バラけたところにまた網を張っているだろう。
「ちょうどいい。少し遠回りして、他の奴らに引き受けてもらいましょう」
爆発音にも似たバイクのエンジン音に負けないように喋るには大声で怒鳴らなければならない。どうやって、とリーダーが怒鳴り返し、尾栗は作戦を説明した。法定速度など遙かに超えたスピード。リーダーは大笑いして尾栗の作戦を呑んだ。
「で、うまくいったんだ」
「そ。もうバッチリな。他のチームの奴らを上手く使ってさ。見事に俺らのチームがゴールイン!てわけ」
「無線とかないんだろ?よく他の連中の動きがわかったな」
「それは…改造車ってのはイロイロくっついてんだよ、変なのが。エンジンも煩いし。個人で改造するから個性がでるんだ、何度もやりあってるから性格とかわかってるしな。暗号みたいなもんだ」
尾栗の作戦は、こうだ。
まず他チームの連中を大通りにおびき出す。当然大きな網にひっかかり、逃げようとして小さな網にかかる―――実は彼らはおとりだ。わざと大きな網を取り締まっている警察を挑発して誘い出す。警察がおとりに食い付いている間にそれぞれのリーダー達が最後の関門を突破する。どのチームもリーダーと旗持ちを守ろうとするから、残るメンバーで今度こそ純粋に走りの勝負だ。
「楽しかったぜ、他のチームの奴らも巻き込んでさ。あの時の朝焼けは忘れられねぇよ」
「朝まで走ったのか!?」
「よくあるぜ、朝まで走るなんて。走るだけじゃなくて、たいていいつもケンカが入るからなー」
「いつもケンカしてるのに、その時は合流して作戦に加わったわけか。よく上手くいったな」
「祭りだからな、毎年やってるし。連中だって最後は自分たちのリーダーに華々しく散って欲しいんだよ。ま、勝ったのは俺たちだけど」
尾栗が自慢げに笑う。そこで先程の角松のセリフである。
「なぁ、角松。俺にはどーして俺が丁寧なのか、どーしてもわからんのだが」
「自分じゃわからないものなのかもな」
ははは、と笑って、角松はじっと尾栗の目を覗き込んだ。黒い瞳が期待に満ちてきらきらと輝いている。
「尾栗と一緒に海にでたい。きっと、尾栗となら予想外のことがあっても楽しめそうだ」
「か、角松……」
一緒に海にでたい。なんて、最高の褒め言葉じゃないか―――!
尾栗は感動した。まだ親しくなって間がないというのに、ここまで言ってもらえるなんて。暴走族の旗持ちを仰せつかった時よりも、嬉しい。あの時は終わりが見えていた。旗を後輩に譲る時が。だけど仕事は一生ものだ。一生海にいて、隣には角松。いいなあ。その図を思い描いてひとりうなずいた尾栗に、さらに角松が言った。
「尾栗と菊池は話があいそうだな」
「―――菊池?」
菊池、菊池って誰だっけ。それよりなぜ今この時にその名前が?
「菊池だよ。菊池雅行」
「ああ、おまえの後ろの……」
「か」の次の「き」だ。菊池も同室だが、角松よりも優等生なイメージがあって、必要事項しか話をしたことはない。
「菊池は結構考えが大胆なんだ。ふだん慎重なわりに、追い詰められると突き抜ける」
「追い詰めてるのかよ」
「あいつ、弁論部だから時々手伝ってる。手を抜くなっていうからまあ容赦なく相手してるよ。そーゆー時の菊池はふだんと違って熱血だぜー」
こーゆー気分をなんていうんだろう。尾栗と菊池がやりあってるのを見るのは楽しそうだなんて嬉しそうに言ってのける角松に、鳩尾のあたりがムカムカしてくる。そういえば、暴走族の頃つきあっていた女の子に言われたなあ。あたしとデートしてるのに、他の人の話で夢中にならないでよ。チームの仲間のことだというのは通用しなかった。他に関心がいくのが許せない。あたしが目の前にいるに。それが彼女の言い分。
そうか、今俺の味わっているのがまさしくその気分なわけだ。あの時はわからなかったが、自分の立場になってみてよーくわかった。確かにいやなもんだ。これが、嫉妬か。
「…角松がそう言うんなら、話をしてみようかな」
「そういえば同室なのにお前らが話をしてるのってあんまり見ないな」
優等生は苦手だ。それは今も変わらない。角松洋介というサラブレッドに対する、意味のない苦手意識は少しだけだが未だにある。
角松が尾栗の思っていたとおりの、単なるお人好しの優等生だったなら、とっくに興味を失っていただろう。
角松は魅力的だった。話をしていると引き込まれていく感じがする。話をしている相手にどれくらい自分の言葉が伝わっているのかは見ていればわかる。角松は好奇心が旺盛で、知らないことを知らないと言える勇気があり、知ろうという意欲もある。
土が水を吸い込むように。木が陽を浴びて育っていくように。
角松という器に自分を注ぎ込むのは快感に近い。ずるずると引っ張り込まれる。
だが自分に関心を持って欲しいと、自分だけを見て欲しいと望んだとたんにするりと手から逃げていくのは天性のテクニックだろう。人を惹きつけて放さない。
ヤレヤレ。角松とつきあっていくのは一筋縄ではいきそうもない。菊池というライバル?も早速いることだし。だけど不快感は一瞬で、全力でぶつかっていこうという力が湧いてくる。とりあえずは親友の座をかけての戦いだ。群がってくるその他大勢に勝つ自信は、ある。
「お」の次は「か」。「か」の次は「き」。
いいじゃないか、名前の順。尾栗ははじめて名前の順という偶然に、感謝した。