光
それは、白い光。人工的な、白く美しい、だが禍々しい光。
一瞬で、網膜に焼きついた。
「草加!」
ぱっと、視界に景色が入った。目が覚めたのだと自覚したことに驚きながら、自分を覗き込んでいる顔を見つめる。ここ数ヶ月ですっかり見慣れた角松洋介の顔。
「…かどまつ……さん……」
「ずいぶん魘されてたぞ」
大きな掌が額の汗を拭ってくれた。体を起こすと、ため息がでた。軽いめまいとだるさが圧し掛かってくる。不快だが、不調ではない。夜中に叩き起こされれば誰だってこうなるだろう。
「熱はないが、すごい汗だな」
「大丈夫だ、少し…悪い夢をみていたようだ」
返事をした自分の声がもう震えていないことに安心する。そして同時に、あれは何だったのだろうと首を傾げた。光。ただ圧倒的な。是も否も、何の感情の入る余地のなかった、ただの光。
「草加?」
「ああ…」
あれを知っている気がする。だから恐ろしかったのだ。では、正体はなにかというと、思い出せない。
思い出すことを拒否する、本能的な恐怖が壁となっている。知りたいが、恐ろしい。よく御伽噺などで聞かされた、あれだ、川を渡りおわるまでは、決して振り返ってはいけませんよ。
「大丈夫」
ふいに角松が言って、頭が彼の肩に乗った。あたたかい。
「角松さん…?」
「大丈夫だ、草加。お前は生きてる」
ぽんぽんと、子供をあやすように背中を叩かれた。
不思議だ。夢の内容を知らないくせに、このひとは他人の不安がわかるのか……人心を掌握する副長なら、それとも当然だろうか。
生きていると断言されてすっと心が軽くなったのがわかる。このひとだから、命の恩人である角松だから、ここまで安心できるのだ。いつか聞いた鼓動がここが求めていた場所なのだと教えてくれる。だが、同時に。
「角松さん、頼みがあるのだが」
「おう。何だ?」
「くちびるに触れてもいいだろうか」
「は?」
顔をずらして見ると、意味がわからず呆けた表情の角松の顔があった。
「くち…?」
「接吻がしたいのだ」
「せ…?ああ、キスか……」
言語統制されているためにどうしても古めかしい表現にならざるをえないのが少し可笑しい。60年後に接吻などという言葉はないのかもしれないと、どこかでわかっていて、使った。
角松は言葉の意味を確かめて一人うなずき、それから夜目にもわかるほど赤くなった。
「な、な……」
「生きていることを実感したいのだ、角松さん……」
予想していた反応だったので、わざとしおらしく頼んでみる。こつんと再び彼の肩にもたれ、決断を待った。
本音をいうならくちびるだけではなく、全身に、それこそ無理にでも触れたかったが、彼の懐には銃があるのだ。寝ているときも手放さないのを知っている。迂闊なことはできない。
それにまだ―――目的があるのだ。この男の信頼を失うのはまだ早すぎる。冷静な部分の自分が言う。自分の体の一部が剥がれていくような痛みをともなって。
角松はさっきからぶつぶつと口の中で呟いていたが「よし」と言うや真っ赤になった顔を引き締めた。
「一回だけだからな」
「わかった」
了解すると、ばちっと音がしそうな勢いで瞼を閉ざした。ぎゅうっと眉を寄せ眼を瞑り、くちびるを引き結んでいる。色気も風情もない有様だ。
そのくちびるに、触れる。しっとりとやわらかな感触。ビクッと一瞬硬直して、さらにきつく閉ざされた。
そこだけが熱を帯びたような、熱さだった。心臓の位置が変わったのではないのかと思えるほど。
こんなくちづけを、したことがない。
胸の底、腹の奥に潜む凶暴な欲を押し殺して、闇を恐れる子供のようにすがるくちづけ。
なんてせつないのだろう。本当ならでき得るはずもない、60年もの時の差のある男と。
安心と同時に絶望もしている。このひととは、絶対に相容れることはないのだ。生まれていないはずの男と生きているはずのない男。奇跡のような出会いの末に待つのはなんだろうか。
これからすることを、あなたは否定するだろう。やさしいひと。誰かを傷つけることも、誰かが誰かを殺すことも、たとえ戦時下であっても許すことのできないひと。なにもかもが自分とは違う。
夢の光を思い出す。あれは…あの暗い海で見た光だ。そしてこれから生み出す、光。死を包みこむ。
邪魔をする者をすべて排除して、あなたが住まうにふさわしい国を作ろう。
その時差し出した手が血にまみれていても、きっとあなたは握り締めてくれるはずだから。