いまのってセーフ?
また明日、いつものところで。
修羅場の最中に着信したメールに舞い上がった草加を見て、そいつはひどく驚いたようだった。やる気なくした。負け惜しみなのか強がりなのか知らないがそんな捨て台詞をひとつ、吐いて去って行った。正直にいって草加はそれどころではなく、今日の失態を角松が許してくれたことのほうがよっぽど重要だった。また明日。明日になったらまた会える。
張り切って振り返った草加は、テーブルにぽつんと置かれた一組のコーヒーカップに目を細めた。そこにだけあたたかく幸福な時間の余韻が漂っているような気がした。
あちこちに散らばった雑誌や新聞、コンビニエンスストアのビニール袋、レシート、プラスチックのカップなどなど、荒んでいた時間の名残も充分にあった。部屋の隅に積もった埃や髪の毛などにやるせない気分に陥る。唯一まとも見られるのは、角松と片付けた台所だけだ。
明日があるというのは、なんという幸福なのだろう。草加は幸福を噛み締めて、まずはコーヒーカップを洗いはじめた。
夕方のラッシュ時ともなると、電車もデパートも人で溢れかえる。
いつものカフェに草加が足早に向かうと、空席のない店内には入りづらかったらしい角松がすでに彼を待っていた。
「角松さん」
自然と顔が綻ぶ。角松も笑って、近づいてきた。
「よ。おつかれ」
「おつかれさまです。…はいらないんですか?」
「すごい混んでるぜ?」
草加は首をかしげた。フランチャイズの駅中のカフェはこの時間帯に限らずいつもそれなりに混んでいる。テーブルが空いていなくてもスタントで飲めるスペースもあるのだ。混んでいて座れない時、2人はそうしていた。
疲れているのだろうか。それならばなおのこと、他の店を探すことはせずにここで一休みをして、早く帰ったほうがいいのではないだろうか。もっと一緒にいたいが、角松に無理をさせたくない。草加の葛藤を読んだように、角松がため息をついた。
「立ち飲みでいいか…」
本日のコーヒー、Sサイズで注文し、角松と草加はスタントスペースに陣取った。すでに先客がいて相席の状態だ。
「…で、昨日あれからどうなった?」
やはり訊いてくるか。できることなら答えたくなかったが、角松はにまにまと笑っていてどうやら笑い話として終わらせてくれる気配である。
「…揉めましたけど、なんとかなりました」
「ボーリョク沙汰にだけはならないようにしろよ」
暴力という言葉の威力を吹き飛ばすように軽く言って、角松はチラリと流し目を送った。どきりと心臓が跳ねる。
同時に何か、足元が浮き上がるようなときめきが草加の胸に押し寄せた。
あれ?
なんだろう、今の。頬が薄く染まったことに草加は焦った。見なくてもわかる。きっと今自分の顔は赤いだろう。
蓋を開けて冷ましていたコーヒーを角松がひと口飲んだ。
「…メール、効果あったか?」
あっ。と思った。期待に心臓が爆発して痛い。
はい。咽喉に引っかかった返事をして一歩、草加は近づいた。ますます混んできた店内に気を使ってスペースを空けたように見せかけて。二の腕が一瞬触れ合っても、角松は何のリアクションも起こさなかった。
「助かりました。…お礼に食事でも、どうですか?」
ふ、う。角松のくちびるがゆるやかに息を吐く。ああ、角松も緊張していたのだ。さりげなくさりげなく、距離を縮めていくことに。
けれどもこれは認められるはずだ。いいぜ、と角松がうなずいた。