ひとを好きになること
角松の睫毛がふるりと震えた。草加はわくわくしながらその瞬間を待った。裸の胸に頬を寄せる。
角松は思った以上に素晴らしかった。
意識はそのままに、抗えぬように薬を調節して与えられた彼はそれでも抗おうとした。抵抗と快感に疲れ果てた末に精を吐いた角松は今、薬の作用で眠りについている。もうじきに、目を覚ます。たくましく線を刻む筋肉をなぞりながら草加は待っていた。目を覚まして草加を見つけた角松の反応を。
角松が目を開けた。
いまだ体の奥にくずぶっている熱にうかされたようにちいさな唸りをあげた。ゆるゆると手を上げ体を起こし、ひとまず自分に傷がないことを確認する。草加の視線を嫌というほど感じながら、角松は剥がされた衣服を身につけていった。
場の空気など歯牙にもかけず、草加は笑いながら言った。
「次はいつ会いましょうか」
「………」
角松は、耐えた。屈辱と羞恥を怒りに変換させるのは簡単だが、それでは草加の思う壺のような気がした。彼は大人の分別でもって感情の波を抑え、無言を貫き通した。角松さん、と呼ぶ声を無視し続けた。明確で強固な意志。角松がそのまま玄関のドアに手をかけた瞬間、草加は心臓を鷲掴みにされたような痛みをおぼえた。
「…あなたは、必ず私に会いに来ますよ」
断言した草加を角松は怒りのこもった瞳で睨み返した。たまらず、草加は角松を引き寄せてくちびるを奪った。勢いづいた背中がドアにぶつかった。
「…必ずです」
角松は拳でくちびるをぬぐった。ここが屋外であったなら彼は下品に唾棄していただろう。不快さを隠そうともしない仕草であった。
「お前、…人を好きになったことねえだろ」
「え……?」
ドアが閉められる。草加が部屋に戻ると濃密な空気が彼を包み込んだ。ほんの数時間前に、草加が凶行におよぶ直前まで角松はそれこそ幼い頃からの友人のような、互いに何もかも知り尽くしているかのような親愛の情を示していた。その残り香は容赦なく草加を責めたてた。
角松は会いに来る。必ずとまで言い切った草加には自信があった。苦痛ならば意識せずとも忘れることは容易いが、強烈な快感というのはそうはいかない。どれだけ本人が忘れようと努めても、体は忘れることを拒否しようとする。特に男は目先の快楽に弱いいきものだ。角松はやがて体の疼きに耐えかねて、草加に会いに来るだろう。
角松は会いに来る。その自信が会いたいという切なさに変わるまで、時間はかからなかった。