Calling





 めったに着ない礼服をクリーニングにだそうと、念のためポケットを探っていた角松洋介は、覚えのない名刺に首をかしげた。
 草加拓海、と明朝体で書かれた名前と、携帯電話の番号とメールアドレスのみ。肩書きがないということはつまり、私用の名刺なのだろう。いつ貰ったのか。このスーツは先日同僚の結婚式で着ただけだ。新郎か新婦の友人かもしれない。
 角松は比較的誰とでもすぐに打ち解ける性格をしている。飲みに行った先で初対面の相手から名刺を貰うなど、ざらにあった。現に結婚式でも幾人かと交換している。しかし、スーツのポケットに無造作にしまったりはしなかったはずである。他の人たちの名刺はきちんとカードケースに収められている。このカードケースは銀座の有名な文具店で買ったもので、角松お気に入りの一品だった。手に馴染む本革のそれを彼は持ち歩いている。

「…誰だろう」

 なにやら謎めいた名刺を眺め、角松は携帯を手に取った。着信履歴を調べてみるが草加拓海の名前はどこにもない。記された番号を押す。期待と警戒をこめて待つことしばし、草加が応答した。

『はい』
「もしもし、角松と申しますが」
『角松……さん?』

 間が開いた。草加も思い出そうとしているようだ。

「私のスーツのポケットにそちらの名刺が入っていたので、電話をかけてみたんですが」
『ああ……!』

 角松を思い出したらしい。声のトーンが上がった。

『本当にかけてくれるなんて――嬉しいです』

 どうやら好意をもたれているのを嗅ぎ取って、角松は焦りを感じた。草加が誰だかわからない。困惑が伝わったのか、草加が笑う。

『私のこと、覚えていませんか』

 楽しんでいる口調だ。本当にかけてくれるなんて、ということは、こちらから連絡をしますと口約束をしたのだろう。酔っ払って気安くなっていたとはいえ、結婚式からはもう数日経っている。相変わらず草加が誰だか思い出せないまま、角松は素直に謝罪した。いいえ、と草加が応えた。

『それで、いつ会いましょうか?』

 再会の約束までしていたのか。角松は頭をかかえたくなった。急いで手帳を繰り、休日を探す。

「来月の第3日曜はどうですか?」
『けっこう。それまでに思い出しておいてくださいね?』
「――了解」

 時間と場所を決めて電話を切る。角松はわくわくしていた。会社のつきあい以外で友人ができるのは久しぶりだ。草加拓海を思い出せるかどうかはわからないが、わからなくても会えるのだからたいした問題ではないだろう。
 角松洋介は草加拓海のことを考えて、約束の日までを過ごした。草加拓海の思惑通りに。