共に過ごした日々さえも
ふとなにかいつもと違う違和感に気がついたのだが、それが何かがはっきりしない。ついジッと角松を見つめていたら、案の定どうしたと訝しげな顔をされた。
「いえ、その…何かいつもと違いますね」
「…何が?」
本人にも思い当たることがないらしく、首をひねっている。その何かが互いに掴めないまま、いつもの別れる時間がやってきた。夕食を一緒にと誘っても、角松には必ず断られている。めげずに草加は誘うのだが、角松は未だに警戒を解かずに強固な壁を築いていた。果たしていつになったらその壁の向こう側に行けるのか。草加は一足飛びに超えてしまいたい気持ちを今夜も飲み込んだ。
角松が立ち上がろうとした時、左手がわずかに上がった。腕時計を確認する仕草。それから彼はあっという顔になり、喫茶店のカウンターにかけられている時計に目をやった。
「腕時計、どうなさったんですか?」
さっきの違和感はこれか。草加が尋ねると角松は左手首を撫で、壊れたのだと言った。
「手首のとこのバンドが切れて、床に落ちたんだ。そこに部下が倒れてきてな」
「倒れた?」
「子供みたいにじゃれあってるうちに、バランスを崩して」
制止したところで左手首から時計が落ち、バランスを崩した部下(男)の体重が乗った踵がそれを直撃したのだという。大切そうにハンカチに包まれた腕時計は止め具の穴のところから切れ、時計盤の部分のガラスには見事にヒビが入っていた。事件の瞬間を刻んだまま止まった針。一目見ただけでも大切に使い込んでいたのがわかった。
「初任給で買ったんだ」
照れくさそうに角松が言った。
「当時は清水の舞台から飛び降りるってほどの値段だったんだぞ」
彼にとって、値段の問題ではないことはあきらかだった。指先が慈しむようにヒビ割れたガラスを撫でる。もはや修復不可能な傷。古い腕時計は、彼の左手首にずっと存在していたのだ。
「その時計…いただけませんか?」
「…何?」
角松と共に年月を歩んできた時計。素直に羨ましかった。角松は目を丸くしているが草加は本気だった。彼の過去を知る時計をもつことは、素晴らしいことだと思えたのだ。
「お前、それはやめとけ」
「なぜですか!?」
「気持ちはまぁわからんでもないが、さすがに駄目だ」
「大切にします」
「俺が厭なんだよ。一つ集めだすと、次から次に欲しくなるだろ」
コレクションなどするつもりがなくても、ひとつ集めていくうちにすべてが欲しくなっていくものである。だからこそシリーズ物が流行するのだろう。フェティシズムとも共通するひとつのものへの執着は、むしろ財力のある大人のほうが陥りやすかったりするものだ。子供はあっさり飽きることがよくあるが、大人は意地になる。
「…最終的に下着が欲しいとか言い出しそうで厭だ」
人、それをストーカーと呼ぶ。
違うと言い切ることもできなくて、しかたなく草加は最終的に欲しいのはあなたですと小さく反論した。