花火大会の夜






 ×××ちゃんと、花火大会に行っていい?いまだ色恋のイの字も知らないだろうと思っていた息子から飛び出したいっぱしのセリフに、草加は驚いた。
 くわしく聞いてみれば幼児二人で行くのではなく、×××ちゃんの親・その他の子たちも一緒らしい。子供たちだけではないのならと草加は許可をだしてやった。息子にとっては意中の子がメインなことに変わりはない。かわいらしい初恋をわざわざ邪魔することなどできなかった。

「――というわけで、当日はヒマなんです」

 電話の向こうでは笑う気配。なんと息子と彼女は幼稚園ではすでに公認カップル。結婚の約束までしているという。とんだおませさんだ。

『いいですよ。とっておきの場所を知ってます』

 そして当日。草加が向かった先は。

「幼稚園の屋上、とは…」
「穴場だろ?」

 わざわざ残業をかってでた角松先生は得意気だ。昨年残業をおしつけられて発見したという。こっそりとロッカーに隠しておいたビールのはいった保冷バッグを肩に担いだ。

「屋上は立ち入り禁止だから、誰も来ないし」

 鍵は先生が預かっているのだ。心配はいらなかった。
 コンクリートの床にビニールシートを敷いて、浴衣姿の角松は座った。
 まさか浴衣まで着てくれるとは思っていなかった草加は、角松も楽しみにしてくれたのだと嬉しくなった。残業が終わり彼を待っていた角松はちょっと待ってろと言ってロッカー室で着替えだしたのだ。さすがに着替えを見ることは許されなかったが、着付けている衣擦れの音に胸がときめいた。
 隣に座るとやや生ぬるいビールが渡される。乾杯をしたところで花火がはじまった。
 住宅街なので遠いが、視界を遮るもののないベストポジション。まあるい花火が咲き、パッと色が変わる。

「たーまやー」

 ぷしっとプルトップを開け、ひとくち。めったにない二人きりに角松も浮かれているようだった。さりげなく後ろについた手が触れ、肩がぶつかる。
しかし体温の伝わる至近距離に、なぜか角松は気まずそうな表情になってしまった。

「?…角松さん?」

 触れ合っていた肩が離れ、草加はどうしたのかと彼を見た。やや体を引き気味にした角松が、ぼそぼそと言う。

「…あ、…俺、汗臭いだろ」

 仕事してて、フロ入ってないから。夏休みとはいえ先生にはなんだかんだと仕事があるのだ。エアコンの効いた室内にずっといるわけではなかった。花壇の水やりや草むしりなど、誰もやりたがらない外仕事は体力のあるものに積極的にまわされる。
 一方の草加は夕方に帰宅し、ひとっプロ浴びてきた。

「気にしません。むしろ嬉しいですね」
「…ヘンタイめ」

 角松は嫌そうに睨みつけたが草加はへっちゃらだ。汗の匂いを気にしたということはつまり、それが気になる距離にまで行きたいと思ったということでもある。誘っているのと同じであった。
 草加は手だけを伸ばし、浴衣の裾から忍び込ませた。

「………っ」

 びくっと内股が跳ねた。角松が文句を言う前に花火を楽しみましょうとはぐらかしてしまう。目元を染めた角松が苛立ちのままにビールをあおった。ごくっと上下する咽喉に、花火が複雑な色の陰影を刻んだ。
 汗で湿った内股や、彼のものを下着の上からなぞる。悪戯に、角松は意地になっているのか何も言ってこなかった。いやだと言えば、止めるのに。怒ってはいるが正直な人に、かわいらしさを覚えてしまう。
 ふ、とくちびるが細い息を吐き出した。
 草加は降参した。本気で怒らせて、何もできないのでは意味がない。

「…限界です。花火より…」

 あなたを。
 潤んだ黒い瞳に、また花が咲いた。