…少しばかり、優しすぎる





 呼び方が変わった。
 角松と一線を越えた日から、2人きりのときの彼の呼びかけ。

「草加…」

 さん、をつけようとしたのか語尾を濁し、呼びづらいのか眉を寄せた。

「はい?どうしたんですか、いきなり」

 今まで角松は草加の息子がいないときにはファーストネームを悪戯っぽく呼んでくれたのだ。拓海さん、と。

「なんか、意味深じゃないか?下の名前で呼ぶなんて」
「そんなこと…」

 では今までは何だったのだ。

「洋介くんのお父さんの拓海さんって呼んで欲しいか?」
「いやです」

 きっぱり。言い切った草加に角松は「先生」らしい、分別くさい笑みを浮かべた。

「拓海ですっていちいち言うから2人のときくらいは…と思ったんだが」

 いかにも深い仲になりましたと周囲に宣言するようだ。
 つまり、照れくさくなったのだろう。加えて草加の妻子を裏切っている――裏切らせてもいることがどうしても後ろめたいのだ。たかが名前、されど名前。
 そんなことを考えさせてしまっている自分が草加には歯痒かった。どうしても消えない罪悪感が二人を昂ぶらせているとはいえ、恋に夢中になることもできないのだから。なにもかも捨ててしまうには、2人とも様々なものを背負っていた。

「じゃあ…今までどおりですね」
「ああ。…今までどおり」

 今までどおり。何も変わらずに。
 けれどもほんの少しだけ。2人の間は変わっていく。