さくらんぼ





 草加は夜になって再び幼稚園を訪れていた。手には季節もののサクランボ。さすがにただ謝罪しただけでは申し訳ないと思ったのだ。
 園は職員室以外の明かりは落とされていた。もう角松は帰ってしまったのかもしれないと部屋を覗き込んだ草加は、そのまま固まった。
室内には運良く角松がひとりで残っていた。彼は頭になぜかウサギ耳をつけ、神妙な顔つきで小さな鏡を覗き込んでいる。
 そのウサギ耳には見覚えがあった。ウサギのピョン太。数日前に妻がぶつくさいいながら縫っていた、今度のおゆうぎ会用の衣装である。幼稚園は時々なぜか、手作りのものを子供に使わせたがるのだ。裁縫の苦手な母親たちにはいい迷惑であろう。
 角松は満足したのかひとつうなずいて、そして鏡の中、自分の背後で固まっている草加に気がついた。

「………あ!」

 瞬間真っ赤になった顔を振り向かせた角松に耐え切れず、草加はその場にうずくまった。手に持っていたサクランボのビニール袋がカサリと落ちた。

「………っ」
「よ、洋介くんのお父さん…!」

 拓海です、とはとても言い返せなかった。草加が必死で笑いを堪えているのがわかった角松は、ますます顔を赤くした。

「ああもう!いつから見てたんですか?」

 恥ずかしい。職員室の片隅にどかんと置かれた箱の中へとウサギ耳を戻す。今さらながらに自分の滑稽さにおかしさがこみあげてきたのか、笑い出している。

「先生も、おゆうぎで耳をつけるんですか?」

 笑いすぎて息が苦しい。絶え絶えに問うとまさかとぶんぶん手を振った。

「ただちょっと、どんなもんかなと付けてみただけなんです」
「いや、付けなくても」

 角松はまだ顔を赤くしたままだ。似合っていましたよとも可愛かったですよとも言えないまま、彼はあっというまに帰り支度を整えてしまった。

「…これ、今日のお詫びです」
「いけません。こんなこと」

 ようやくサクランボを差し出すが、角松は当然断った。先生が保護者から何かを貰ったりしたら賄賂だなんだといろいろと誤解を招きやすいのだ。

「口止め料、ということでどうです?」

 さっきの事、誰にも言いません。草加の脅しに角松は笑いを噛み殺す表情で受け取った。


 それではと別れ、自家用車の運転席に座った草加は再びこみ上げてくる笑いにノドを鳴らした。
 いいなあ。ああいうところが好きでたまらないのだ。あこがれと尊敬の間にある愛嬌とでもいうべきかわいらしさ。それらが草加をときめかせる。
 ひとしきり笑った後、草加は自分が勃起していることに気がついた。