お疲れ様、ありがとう
ごとん、とコップが倒れた。同時に角松の大きな体が傾き、ばったりと倒れる。それを黙ってみていた如月はやれやれと立ち上がった。
「やっと寝たか」
如月の目の前の男は彼の大学時代の先輩で、現在「みらい幼稚園くじら組」の担当の先生をしている。なにかにつけ頑張りすぎてしまう角松を、如月は学生であったころから深く慕っていた。そして社会人になった今も、時折こうして訪ねてきては酔いつぶすという手段で角松をダウンさせているのだ。
普段愚痴も弱音も吐かない彼の枷をとっぱらうのはコレが一番てっとり早い。本人もおそらく気づいている。如月が酒を抱えてやってくると、どこか安堵した緩い笑顔を浮かべるのだ。
「角松」
「んー…」
「お疲れ様だな」
「うん」
返事がかえってくるのがおかしい。寝ているにもかかわらず受け答えはしなくてはならないと思っているのだろうか。如月は角松を横に寝かせ、座布団を折って枕代わりにしてやった。それから照明を暗くし、テーブルの上を片付ける。
物音にも目を覚まさない角松は、酒が入っているのもあって軽いいびきをかいていた。どこからどうみても酔いつぶれただらしないおっさんだ。無精ひげが早くも伸び始めている。
角松の大きな体を布団まで運ぶのは実に大変だった。一仕事終えた如月は彼の隣にもぐりこんだ。
たぶんこれが恋というものなのだろうと如月は思っている。他の誰にも、こんなふうに献身的に尽くしたいと思わないし、できないだろう。望むものはひとつではないが見返りなどなくてもかまわない。そのうちに抱くかもしれないという漠然とした予感があった。彼がそれを望んでくれるのなら。
翌朝。目覚めた角松は隣で寝ている如月に苦笑した。毎度のことながら自分を布団まで律義にも運んでくれる。毛布でもかけて放っておけばいいのに。
こうして如月にやさしくされるたびに、ほんのりとした嬉しさがあたたかみを帯びる。
「お疲れ様。…ありがとう」
瞼を隠す前髪を、さらりと撫でた。