奇談カーニバル





 ハロウィンをしませんかと言い出したのは、祭りごとになど無縁そうな草加だった。
 角松たちには意外だったが草加にはイギリス留学の経験がある。仮装して町を練り歩くという日本にはない子供が主役だが楽しむのはもっぱら大人という祭りは珍しくも楽しい行事として草加の記憶には残っていた。単純に角松に仮装させたいという欲望があるのだが、というかそれが一番大きい理由であるが楽しい祭りをしてみたいという子供めいた期待があるのも確かだった。

「ハロウィンて、あれか?トリックオアトリートとかいってお菓子をもらうやつ」
「そうです。お化けの格好で町を歩くんですよ」

 楽しいですよ。草加は嬉しそうに誘うがそれは子供の為の祭りである。間違ってもいい歳こいた軍人が楽しむものではない。日本海軍と合同でと言うが、そんな格好で町に出たらまた別の騒ぎになりそうだ。戦死した軍人さんが化けて出た、とか。怖がらせてどうする。

「…衣装なんて、ないぞ」
「それはなんとかしましょう」

 シーツを被るとか。前が見えん。目だけを開けて。それじゃあお化けじゃなくて照る照る坊主だ。角松と草加の会話は平行線を辿る。
 その数日後。
 角松はなぜかウエディングドレスを着ていた。頭からヴェールを被っており表情は見えない。だが唯一垣間見える口元はむっつりと引き結ばれたままだ。もしかしなくてもご機嫌はよろしくない。
 ドレスは奇妙だった。
 ヴェールは薄汚れ、ところどころに黒い染みがついている。ふんだんにレースの入った豪華なドレスも同様の有り様だ。しかもスカートが無残に切り裂かれ、太腿が露わになっている。まるでミニスカートのように。糸がほつれて絡まり、角松が歩くのにあわせてゆらりと不気味に揺れる。そして決定的なのは胸元だった。ナイフのような刃物で右から左に斬りつけられたのだろう、ぱっくりと割れたそこにはヴェールと同じ黒い染みがスカートまで腰まで続いている。まぎれもない酸化した血液が、ウエディングドレスという純潔な清らかさを否定していた。そう、これはハロウィンのための衣装なのである。
 なんだって俺がこんなこと。角松は悪態をついた。あの言い合いから数日、結局言い負かされる形に終わった草加がその最大の理由である衣装を携えてやってきたのだ。この男が意地になるとこれだから怖ろしい。町がダメならば「みらい」で勝負しましょう。ターゲットはお互いで、きちんとルールを定めて勝者を決める。もはやハロウィンがなんだったのか遠い空の彼方だ。手段と目的が交錯し、とんでもないことになっている。日本海軍側にはどういうわけか滝や草加だけではなく、如月までいたのである。任務途中で呼び出された彼にはさぞ迷惑だったであろう。
 彼らがどんな仮装をしているのか、角松は知らない。反対に彼らも角松がなんの仮装なのかを知らなかった。誰が一番参加者を驚かせることができるか。それがこのゲームなのである。
 角松サイズのウエディングドレスを草加がどうやって入手したのか、考えるのも怖ろしいのだが、靴まではどうしようもなかったらしく角松は今裸足だった。いつもは軍靴で歩く艦内を裸足で歩くのはなんだか不法侵入でもしているようで胸がざわめく。誰とどこで出くわすのか。こんな姿を見られるのは厭なのだが勝負だと言われてしまうと戦ってやろうという気になる。まんまと乗せられた角松は、あからさまな靴音に咄嗟に通路の影に隠れた。

(誰だ?)

 耳を澄ませ、規則正しい足音を聞く。顔は出さない。相手が誰でどんな仮装をしているのかわからない以上、カウンターを食らう可能性があった。
 さて、どうするか。角松は奥へと下がった。ウエディングドレスは不利だ。たとえこのまま隠れていても通りすがりに気づくだろう。先手必勝か?いや、今の自分は恨みを湛えた花嫁だ。ならば…



 かぽ、と軍靴にしてはやぼったい靴音がぴたりと止まる。視界の端、通路の曲がり角に白い影を捉えた彼は億劫そうにそちらを見た。

「…………」
「……如月?」

 如月だった。彼は声からウエディングドレス姿のごっつい花嫁が角松であることを悟り、はあと大きなため息を吐いた。やれやれとでも言いたげに首を振り、そして何事もなかったかのように再び歩き出した。

「シカトすんなっ」

 バッとヴェールをめくりあげ、如月を捕まえる。

「おまえ…なんつーカッコしてんだよ」
「……それはこちらのセリフだ」

 如月がつけていたのは猫の耳とシッポだった。加えて足は軍靴ではなく長靴を履いていた。ケット・シーという猫姿の妖精である。もっとわかりやすくいうなら、長靴を履いた猫だ。
 「みらい」と日本海軍の仮装を手配したのは草加とその仲間たちだった。草加が如月をからかうつもりで彼に化け猫の仮装を割り当てたのだろうことは間違いない。無表情の特務中尉も、もちろんその目論見に気づいている。

「似合ってるじゃないか」
「あんたもな」

 角松のからかいを如月はあっさりと打ち返した。両者共にむうと口を引き結ぶ。我が身の現状を思い返したくない2人は同時にそっぽを向いた。

「他の連中と会ったか?」
「いや。…そういえばなんでハロウィンなのにこんなことになったんだ」

 今さらである。ワケは草加に聞いてくれ。知りたくもないが。相変わらず草加のこととなると如月は絶対零度だ。

「一位になった者に絶対命令権を与えるということだが、…草加が何の仮装をしているか知っているか」
「いや。草加が用意したってことはあいつが一番有利ってことだな」
「どうせろくでもない命令を下すつもりなんだろう」

 あんたに。確信を持って言い切られたが角松は反論できなかった。考え込む。おそらくというよりは絶対に、如月は正解だろう。もしくは暗がりに引きずり込んでセクハラでもするつもりかもしれなかった。無防備なミニスカートのドレスは悪戯のしがいがあるだろう。やる方ならともかくやられる方になるのはまっぴらごめんだった。角松は顔をあげ、同じく考えている如月に提案をした。

「…如月、俺と組まないか?」





 カツコツ、という硬質的な自分の足音が、背後のそれと重なり合う。
 滝は足を止めた。すると案の定、後ろの足音も止まる。後をつけて追い詰めるつもりか?だったら返り討ちにしてやろう。フランケンシュタインの滝はそれとばかりに走り出した。同時にそいつも走り出したのを聞く。
 速い。足音が確実に距離を縮めてくるのを聞き取り、滝に焦りが浮かんだ。「みらい」艦内にくわしくない滝は、相手が「みらい」乗員であればたやすく追い込まれてしまうだろう。袋小路に追い詰められてしまう前になんとかしなくては。廊下の続く先を予測できない滝は思い切って立ち向かおうと咄嗟に判断した。命まではとられることはないのだからそう恐れることはない。
 全速力で走っていたのが急停止すれば驚くだろう。その上今の自分の顔はインパクト大だ。まったく草加め、何が「おまえにはこれがぴったりだ」だ。

「来い…!……っ!?」

 顔は見えなかった。うつむいて誰だか判別のつかない化け猫は立ち止まり構えを取った滝をまったく無視して走ってくる。さらにスピードをあげ、このままでは激突すると滝が息を飲んだ瞬間。

「!?」

 化け猫が浮き上がったように、滝には見えた。そいつは器用にも滝をよけて壁を水平に駆け上がり――一瞬天井を逆さに走らなかったか?そのまま反対側の壁から床に駆け下りてそのまま去って行った。

「………本物?」

 まさか、と思いつつ滝は唖然としたまま呟いた。今確かにこの目で見たものが信じられない。そんなことが現実にあろうとは。
 立ち尽くす滝の背後に、白い影が立った。
 ふっと鼻腔を掠めた錆びた鉄のような匂いにぞっとした滝がおそるおそる振り返る。

「………っ」
「―――…!!!」

 声のない絶叫をあげている花嫁。かっと開かれた赤い口。自分に向かって伸ばされた腕が、かくんかくんと歩くたびに揺れている。
 薄汚れたヴェールから覗く赤い唇が獲物を見つけた悦びに吊り上げられたのを見て、滝は叫んだ。



 結果。

「あれはびびったな…」
「角松二佐もだけど、如月中尉?マジで化け猫かと思った」
「だいたいハロウィンだろ?なんで肝試しになったんだよ」

 ダントツトップで角松と如月のコンビが勝利に輝いた。コンビを組むなんてズルだという意見もでたが、反則規定になかったためお咎めなしだ。
 ちなみに事の発端である草加はどうしたかというと、彼はハロウィンではおなじみの吸血鬼の格好で花嫁姿の角松に悪戯(それも性的な)をしようと企んでいたのだが、運悪く角松より先に如月に遭遇し、あっという間もなく殲滅されてしまったのだ。具体的に説明すると如月が先攻する作戦の2人が目標を発見、背後から駆け寄った如月が相手が草加だと気づくや否や猛ダッシュをかまし、如月に気づいた草加が迎撃体勢をとる前に延髄蹴りを決めた。ノックダウンした草加の背中をさらに踏みつけにし、あわてて止めに入った角松に彼はこう言ってのけた。銀の弾丸か木の杭を持ってきてくれ。その目は本気だったと角松は後に語る。

「でも優勝者が2人もいるってどうなんだ?」

 誰かが言った。

「それなら俺は辞退するから、如月が命令しとけ」

 こともなげに角松が言った。もともと角松はこの艦では艦長に次ぐ官位の持ち主であり、命令などし慣れている。全員が隣の如月に注目した。ひとり草加だけがいつになく仏頂面だった。

「いいのか」
「ああ。でも一回だけだぞ?」

 あと100回命令させろとかはなしだからなと冗談めかす。その至極ごもっともな言葉に気まずげな顔をした者が数名いた。どうやらそうするつもりだったらしい。
 如月はわかっているとうなずき、ますます渋い顔の草加に向かって、

「では、草加少佐。死んでください」

 どこにしまっていたのか愛用の拳銃を抜いた。
 慌てたのは角松だ。

「おい、如月!?」
「人の生死に関わる命令はできないというルールはなかった」

 制止する角松を不思議そうに彼は見た。

「それに、少佐が死んだほうがいろいろと良いのではないか?」

 なにも迷惑を(という程度では済まされないが)被っているのは「みらい」だけではない。日本海軍にしたって草加には振り回されている。ここいらで死んでくれたほうが、よっぽど世の為人の為だ。如月は常と変わらぬ無表情で言う。さすがに草加が割り込んできた。

「…君に私が殺せるのか」
「殺せないと思うほうがどうかしている。銃が嫌なら刀でもいいが、ここは「みらい」だ。あまり血で汚すのも悪いだろう。なんなら、首を捻るだけですまそうか」

 如月が淡々ととんでもないことを提案する。見知らぬ特務中尉の本気を感じ取り、草加を庇おうとした草加派の数人が動いた。
 ぱん
 屋外でその音はやけに軽やかに響いた。如月の腕が反動で跳ね上がる。威嚇射撃は草加の耳すれすれをかすめ、海上をひゅんという空気を切る音をさせて消えていった。如月と草加以外の全員が凍りつく。

「動くな。狙いが外れると一発で殺せなくなる」

 弾がもったいない。そもそもこれくらいの口径の銃ではよほどの腕がないと一撃必殺は難しい。打ち所が悪くても出血多量で殺せるがそれを避けたいのだ。如月の説明はどこまでも乾いている。

「脳を損傷するから生きのびても一生障害は負うが。殺すのがダメだというのなら言語中枢を破壊しようか?」

 貴様、と声を荒げたのはミイラ男だった。顔中包帯なので誰だか判別つかないがおそらく草加に心酔している鴻上大尉あたりだろう。

「死ね」

 そんなミイラになどまったく構うことなく視線をそらすこともなく如月がひと言、言った。
 ぱん
 瞬間、草加の額から赤い液体がバッと飛び散った。ぐらりと傾いた体を滝が受け止める。草加!と掠れた呼びかけに、彼は一歩、二歩とよろめいただけで踏みとどまった。

「草!……加?」

 あれ?叫んで駆け出そうとした角松だったが痛そうに額を押さえるだけでいたって元気そうな草加に目を丸くする。

「…模擬弾だ」

 あっさりとネタばらしをした如月は、いくらなんでもこんな時に殺すほど非常識ではないと不遜げに笑った。しかし「みらい」や日本海軍、如月克己を知らない者たちは演技だとは思わなかったし、角松でさえ草加の額から血らしきものが弾けたものを見て信じてしまった。なにより殺気は本物だった。

「だが、これで全員が納得しただろう?」
「何が」
「ここにいる全員が、あんたを含めて恐怖を覚えた。驚いただろう」

 あっ。全員が虚をつかれた。絶対命令権。角松は如月に譲渡したが、草加をはじめとした数人は不満そうだった。

「…君は……そんなことのために…」

 とばっちりというかここぞとばかりにいい面の皮にされた草加が顔をしかめて呻いた。銃弾が偽物だったのはいいとして、血糊というのはものすごく不味い。もともと口にする目的で作られたものではないので味まで考慮されてはいないのだ。むしろ、如月が赤唐辛子やらの激辛香辛料で自作しなかっただけでも幸運だろう。

「遊びは真剣にやるものだ」

 如月はしれっとしたものだ。いかにも如月克己の態度に、角松は苦笑する。

「じゃ、あらためて。何を命令するんだ?」

 冗談めかして問う角松に、如月は手を伸ばした。
 そして彼は言った。

「トリックオアトリート?」

 ゴオッと潮風が吹き、角松のウエディングドレスをなびかせる。

「え?」
「ハロウィンではそう言うのだろう」

 お菓子か悪戯か。目を丸くする角松にほらと催促するが、その特権は子供だけだ。第一、

「…菓子なんて、あるわけないだろ」

 厭な予感に襲われつつも正直に言うしかなかった。ないものはどう頑張ってもないのだ。如月はそうだろうなと大きくうなずいた。

「では、トリック決定だな。夜に行くからそのままで待っていろ」

 え?なに?どゆこと?あくまでも真面目くさった表情で言うものだから如月慣れしていない者たちには意味がつかめない。逆にたちまち理解した草加は目を剥いて睨みつけた。如月は彼にしてはわかりやすい勝ち誇った笑みをうっすらと口元にのせた。

「このままって、おい、まさか『このまま』かよっ?」

 花嫁姿の角松が叫ぶ。
 大人向けのお祭りは、夜から始まる。