君で変わっていく10のお題

1:君といると笑わずにはいられない





 L・Aでも一二を争う新聞社の若き二代目社長、角松洋介は、はっきりいってお子様だった。
 先代が亡くなるまで如月は彼と会話どころか顔を合わせたこともないのだが、毎朝の日課でそれを早くから悟っていた。毎晩のようにパーティに出かけ、毎晩のように違う女が隣りで寝ている。堕落した日々。母親を早くに亡くし、多忙を極める父親には構ってもらえない反動であることはわかるが、恵まれた環境をドブに捨てるような行為を繰り返している角松とは絶対に気があわないと思っていた。雇い主の息子とはいえ絵に描いたようなぼんくらで、とんだ甘ちゃんだ。自分の不幸をひがむつもりはないが、それでも腹が立つ。職場でもあるガレージに女をひっぱりこんで、あげくカーセックスなんぞをされた日には、後始末の虚しさもあいまって一発ぶん殴ってやりたくなったほどだ。
 それなのに。

「如月!」

 放蕩息子の見本のようであった角松は、このところひどく真っ当な生活をしていた。グリーン・ホーネットという、彼の人生でおそらくは初となる明確な目的があるからだろう。能天気な笑顔を振りまいて、角松は如月のところへとやって来た。寝ている時間以外のほぼ一日中を一緒に過ごしている彼を「ションディー」と呼んで以来、角松は如月に対してなにかと兄貴面だ。如月のほうが年上だし、言動その他を考えてみなくても角松のほうが弟であろうが、空気を読むというスキルが裸足で逃げ出すほど鈍感な角松はまったく気にせずに如月の世話を焼きたがった。ただし彼の場合、世話を焼いているつもりが余計なおせっかいになりやすいのが玉に瑕だ。

「…なんだ、角松」
「あんまり根つめんなよ?ほら、ビール!」

 本日の秘密活動に大いに満足したのだろう。シャワーも浴びてすっきりした角松は上機嫌で両手にビールを持っていた。これはつまり「構って欲しい」ということだなと如月はすばやく察知し、グリーン・ホーネットの愛車ブラック・ビューティーを整備していた手を止めた。
 如月はシャワーこそ済ませていないが、助手活動用の服は脱いで整備用のツナギを着ている。よく冷えたビール瓶を受け取り、王冠のフタをすぽんと開けて、角松と乾杯した。

「今夜の俺もカッコよかったな!もうニュースにでてるぜ!」

 つけっぱなしのテレビでは、銃弾の雨をものともせずに暴走するブラック・ビューティーが映っている。如月は運転に集中していたが、ホーネットである角松は時折車窓を開けて応戦していた。いつもの頼りない顔とはまるで別人の、いきいきとした表情だ。顔の半分を隠すマスクの効果もあいまって、たしかに男前に見える。しかし「俺たち」ではなく「俺」と言い切ってしまうところがいかにも角松がお子様である証拠だった。そもそも自分で言っているのだから世話はない。ビールを一口ずつ飲みながら、如月はあいまいにうなずいてテレビに見入った。
 最初はギャングが相手だったはずなのに、途中からパトカーが入ってきて乱戦になってしまっている。あれだけ囲まれていてよくまあ無事に帰ってこられたものだ。自分の運転技術に如月は密やかな満足を抱く。ホーネットのアジトが角松邸であることがばれないよう、ずいぶんと遠回りして警察をまいたのだ。

「あんたはともかくブラック・ビューティーはお疲れだ。女の機嫌を損ねると、後が怖いぞ」
「たしかに」

 角松は神妙にうなずいて見せた後、ひょいと肩をすくめてブラック・ビューティーにキスをした。いつもなら美しく磨きぬかれた彼女の肌は、埃と硝煙まみれで銃痕が痛々しい。

「女の扱いならまかせとけって言いたいけど、俺のブラック・ビューティーたちは気難しいからなぁ」
「……たち?」

 なにやら意味ありげに笑っている角松に、如月の眉根が寄った。
 ブラック・ビューティーは全部で3台あったが、1台は新聞社のビルと一緒におしゃかになったし、もう1台も先日ギャングとの一戦で大破の状態である。今彼がキスをしたのが残りの1台だった。比較的傷は浅いといっていいだろう。毎度ホーネットが活動するたびにぶっ壊されては修理もままならない。
 誰のせいだと言いかけた如月に、角松はにやけた顔を向けた。

「ひとりは彼女で、もうひとりは、」

 角松の指差す方向には自分がいると悟った如月は、無言のまま半分中身の入っているビール瓶を投げつけた。彼が避けたところを見計らって足払いをかける。見事にバランスを崩した大男は如月に捕まろうと手を伸ばしたが、それをひらりとかわし、ついでに膝裏に蹴りをいれてやった。

「おわっ」

 がこんっっと大きな音をたてて、角松はブラック・ビューティーに激突した。運の悪いことに整備のために出してあった機銃に頭をぶつけてしまう。後頭部を抑えて呻くグリーン・ホーネット(自称ヒーロー)のまぬけな姿に、如月は声をだして笑った。涙目になって睨んでくる角松はまるでハニーポットを取り上げられた熊のように可愛らしい。如月はますます笑ってしまう。

「くそぅ…ひどいぞ、如月」
「あんたが悪い。俺を口説くつもりならもっといい文句を考えろ」
「褒めたのに!」

 反論する角松にふんと鼻を鳴らし、如月は斜に構えた。ツナギ姿なのがいささか決まり悪いが、ホーネットの相棒が悪党共を成敗する時と同じように、しかし上機嫌で、ほんの少しの愛情を込めて。

「さ、パーティは終わりだ。いい子だから大人しくお休み、ションディー」

 ボンネットから身を起こした角松は、いつぞやのように強制的に眠らされてはかなわんと思ったのか、しぶしぶながらガレージを出て行った。なんてやつだ、俺より車のほうがいいのかよ、とぶつくさ言っている。

「…角松」
「なんだよ。子守唄でも歌ってくれるのか?」

 わずかな期待と大いなる皮肉を交えて振り返った角松に、如月はそれはそれは壮絶な笑顔をむけた。よく磨がれた刃物のように、美しいが恐ろしさを感じさせる笑みである。

「そうだな。オムツくらいは替えてやるぞ?」
「……っいるかッ!お休み!!」

 どかどかと足音立てて出て行く間中、角松は早口でスラングをまくしたてている。子供というのはなぜ、ああも身勝手で我儘でそして愛らしいのだろうと、彼と出会ってから笑うようになった自分を如月は自覚した。