酔った勢い
1:ポジション親友
そういったことに興味を抱くのはどこの誰にだってある。なにせ年頃だ。てっとり早いところですませてしまうことも多々あるが、それとこれとはやはり別物だろう。基本的には二人でするものだし。
しかし男所帯でそのお相手を見つけるのは難しい。尾栗は周囲を見回して、この男ならそう嫌悪感は湧かないなという人物をひとり、発見した。もちろん男。ポジション親友。名前を角松洋介という。
外見も中身もいかにもお固そうな男だが、ものはためしだ。酔った勢いを利用して、尾栗はストレートに誘ってみた。なー洋介、俺と一発やってみない?
「…なにを?」
「ナニを」
お約束のやりとり。意味に気づいた角松は目をむいて本気かと訊いてきた。おそらく意外すぎて怒ったり笑ったりできなかったのだろう。酔いも手伝って判断が鈍っているのだ。
「本気本気。なあ、いいだろ?減るもんじゃないし、当たれば増えるってもんでもないし」
「増えてたまるか。…って、問題はそこなのかお前、俺だぞ?」
うん。うなずいて尾栗は角松に擦り寄った。角松が心持ち引く。
尾栗はとっておきの、人好きのする満面の笑みを浮かべた。覗き込んだ角松の目元がうっすらと赤く、いつもキリリと凛々しい双眸は潤んでいた。酒のせいだけではない。
尾栗にとっては見慣れた顔だが、こんなふうに見たのは初めてだ。
「………いや?」
至近距離で問い詰めると、キュッと結ばれていたくちびるがうすく開いた。まるで、キスされることを待ちわびているかのように。
そっと重ねてみる。角松のくちびるは、意外なほど熱く、思っていたよりも柔らかかった。
一瞬、角松は体を強張らせたがすぐに弛緩した。酔った勢いとは素晴らしい。
お互いに完全に酔っ払っているわけではなく、酒によって理性の箍が緩んでしまっているだけだ。素面なら笑い飛ばして本当にコトにおよぼうなどとは思わなかっただろう。お年頃の少年にありがちな興味と好奇心、それに親友への好意が角松の背をおおいに後押しした。
「……ふ……ぅ………」
酒臭いくちびるを思う存分堪能した後、尾栗は角松の表情を伺い、そして驚いた。気持ち良さそうにうっとりとなったかれは実に色っぽい。いいな。尾栗は自分の中の雄が目覚めていくのを感じた。うん、実にいい。
「洋介」
さて。
その場の勢いではじめた行為というものは、結果がどうあれ多少の後悔を残す。尾栗も例外ではなかった。
かれの隣にはすっぱだかの角松が青褪めてぐったりとなったまま眠っている。起きる気配はない。シーツにはすでに乾いた精液に赤いものが混じっている始末だった。そう、尾栗は「やりすぎた」のである。
どうしたものかと尾栗は頭を痛ませた。ちょっと癖になりそうなほどの快感だったがそれは自分だけで、おそらく二度目を誘っても角松は承諾してくれないだろう。泣いてもうやめろと言っても聞かなかったのだから。あれはまずかった。さすがにやりすぎた。
無意識に煙草に手を伸ばし、火をつけた。思い切り吸い込んで後悔を吐き出す。苦かった。
「ん………」
角松が微かに身じろいだ。ぎくりとして火を消す。どうしよう。何と言おう。心の準備が整う前に角松が眼を開けた。
「あ………」
疲れきって、口を利くのも億劫なのだろう。角松は普段のかれらしくなくかすれた声で何かを言った。それすらもなっていない。尾栗は聞きとろうと顔を近づけた。曰く、
「…後で一発殴らせろ……」
それだけ言うと角松はまた眠ってしまった。
どうやら角松の後悔も尾栗と似たりよったりらしい。行為そのものではなく度を越してしまったことを悔いている。
尾栗は笑った。さすが親友だと思った。
おおせのままに。尾栗は応え、その時に備えて体力を回復すべく、再びその隣に潜り込んだ。
2:涙で終わらせて
しこたま飲んで酔いつぶれた、完璧二日酔いの頭で目覚めると、隣には長年の片想いの相手(男)がいた。
しかも、全裸で。
「……………っ!!?」
菊池は自分の体から血の気が引く音を聞いた。確かに聞こえた。二日酔い特有の頭痛や胃のムカつきや吐き気がより一層酷さを増しただけで、なんの助けにもならなかったが。
「よ、よ、よ………洋介……っ?」
なにがどうなってこんなことに。考える余裕はなかった。それより早く現実が菊池の目に飛び込んできたからだ。あきらかな――情交の痕。
ああ、ついに。菊池は自分がかれにそういった欲望をいだいていることはとっくに承知していた。それが叶わない類のものであることも。だからこのような朝を迎えたということはつまり、自分は角松を無理矢理に――強姦してしまったのだと思った。それ以外にありえない。ついに我慢できずに襲ってしまったのだ。おそらくは一生に一度しか来ない夜。
なのに。だというのに、なぜ。
記憶がないのだ。
「……………ん……」
かすかな声をあげて、角松が身じろいだ。どこかが痛むのか、眉を顰めている。菊池は飛び上がった。角松の目が開いた。
「………おはよ」
「お、お、おはよう!」
マヌケな挨拶だ。そう思うものの否応もない。妄想のなかでなら幾度となくこんな朝を迎えたが、それはさすがに妄想らしく互いの愛を確かめ合うための行為を終えた朝だった。
だが現実はこれだ。
後悔と自己嫌悪と恐怖で涙目になりながら、顔を赤らめた角松がなにかを言う前に菊池は頭を下げた。他に思いつかなかったのだ、謝罪するより他に。
「……っ、洋介、すまん!」
「…………え?」
「お、俺…昨夜のこと……覚えてないんだ………」
「……………」
「……………」
長い長い沈黙の後、角松はそうかとだけ言った。
それからもそりと身を起こし、ベッドの下に脱ぎ捨てられていたシャツを羽織った。
「…風呂、借りる」
「あ、ああ………」
怒っている。当たり前だが相当怒っている。静かな怒りは声だけでも充分な威力をもって菊池を打ちのめした。許そうとしてくれていることも後悔をより深めた。ふざけるな許さないと殴られ罵られたほうがどれだけ気が楽だったろうか。そのほうが角松らしいと安心できただろう。だが角松はそれすらもしてくれない。おそらくは親友だから。たった一度の過ちで失ってしまうにはもうお互いに知りすぎ、依存しすぎていた。
大きな背中に何も言うことができず、結局菊池はもう一度すまんと言った。裸足の足がフローリングを歩くひたひたという音が止まる。
「…雅行」
「………っ」
呼びかけに肩がはねた。角松が、怒りと悲しみを無理矢理笑いに変えようと努力をしている瞳で見ていた。
「……お前、もう飲みすぎないほうがいい」
「………ああ。そうだ、な」
泣き出したくなるような気分で、菊池はうなずいた。角松がバスルームへと消えるとかれは布団に突っ伏し、それから涙を流した。それは熱い湯に打たれている角松も同じだった。
昨夜、菊池はさんざん言ったのだ。好きだ、愛してる。おまえだけだ。それに角松は顔を赤くして何度も確認し、やがて嬉しそうにうなずいた。つまり、合意の上だったのである。
それが翌朝「覚えていない」と言われたら、角松がそれを「なかったことにしてくれ」と受け取ったとしても、無理はないだろう。
二人は泣きながら、短すぎた恋の終焉を迎えたのだった。
3:下心の代償
飲みすぎた、というわけではない。慣れない環境と続く緊張で酒の回りが早かっただけだろう。ともかく角松はその夜、かれにしては珍しく酔いつぶれてしまった。草加に抱えられるようにしてホテルの部屋まで辿り着いた角松は、そのままベッドに突っ伏した。
「大丈夫か、角松さん」
「ん………」
まともな返事を期待してはいなかったが、まるで動物じみたうめきが返ってきた。草加はどうしたものかと呆れた。角松がこんなにへべれけになってしまうとは思ってもみなかったのだ。
一方で草加の内心には不謹慎にも好奇心が頭をもたげてきている。このまま放っておけばおそらく寝入ってしまうだろうが、悪戯をしかけたらどんな反応を示すのだろうか。
「角松さん、水だ」
しかし角松からわずかに寄せられてきている信頼を悪戯ごときで失ってしまうのはあまりにも惜しい。とりあえず言い訳の立つ状況を草加は作った。酔っ払いの看病だ。まるっきり嘘というわけでもないし、コトがばれても角松とてなにも言えないだろう。
草加は角松の肩を掴み、仰向けにした。いつもはきりっとした目元が甘く緩んでいる。
角松はゆるゆると視線をめぐらせ、草加を見た。
「……草加」
「はいっ」
やましい気持ちのあった草加はつい姿勢を正した。
「水」
「はいっ」
面倒くさいのか、仰向けになったままの角松に水を飲ませるには方法はひとつしかない。というより他の方法を却下した草加は当初の予定通り口移しで飲ませることにした。
「…ん―――……」
こくん、と喉を鳴らして角松は水を飲んだ。上手くいかずに口の端から零れてしまった水を舐めとり、草加はもう一度くちびるを重ねた。もちろん水はなしだ。
心臓が痛くなるほど強く脈打っている。草加はそっと眼を開けた。すると角松と眼が合った。
ちゅっと音を立てて離れる。
「……草加」
「…はい」
「お前……」
とろとろと、眠気の境目を漂っている角松はぼんやりと言った。
「…意外と」
「い、意外と?」
「初心だな……」
35歳、妻子持ちの素直な感想。
言われた草加はそれはどういう意味なのだヘタということか意外とということはつまりそういう目で見ていたのかと一晩中考え続けたという。
4:そんな二人
「…おい、角松?」
気づいた時には手遅れだった。
そんな、どことなく不吉な言い回しを如月は内心でつぶやいた。目の前の、いかにも酒に強そうな(実際かれは強かった)角松の手からグラスが零れ落ち、大きな体が傾いだ。そして大男はそのままゴロリと横になり、ついには寝息を立て始めた。
「………………」
しまった。如月はこの男にしては珍しく頭を抱えたくなった。そうくるか、と思った。角松は共に酒を飲み交わす相手として上等の部類に入るが、一定の量を超えると寝てしまうタイプだったのか。暴れまわるよりはマシだが、この図体をどうしろというのだ。タチが悪いことには変わりがない。
ここがそのまま眠ってもいい場所でなければ水でもぶっかけて起こしてやるのだが。如月はため息を吐いた。
「…寝るか?普通……」
そう、ここはいわゆる「そういった」宿だった。酒と料理もそれなりに楽しめて、どうぞ朝までごゆっくり。如月はそのつもりでここを用意し、角松もそのつもりで来たはずだった。寝るまでは。
疲れているのだろう。それはわかる。自分の隣でなら安心して眠れるというのも嬉しいことだ。だが――だがしかし、である。この胸の奥に秘めたやりきれない想いをどうしろというのだ。ムカムカするというか、ムラムラするというか、すっかりその気になっている欲望という名のエネルギーを。
あいにくというか、如月には酔って人事不省に陥った相手をどうこうする趣味はなかった。うっかり吐かれても困る。
「…………………」
仕方なく。如月は角松を布団まで引き摺って運び寝かせ、自分もそこへ潜り込んだ。
当然何事もないまま夜は更け、朝が来る。
「………………」
早くに眠ってしまったがゆえに早くに目覚めた角松は、自分のしでかした失態に頭を抱えつつ、隣で眠っている如月の寝顔という世にも珍しいものを眺めていた。
隣の猛禽が目を覚まして爪を立てるまでの、平穏なひととき。