結婚するって本当ですか?





1:結婚の報告



 きっかけなんて、ないに等しい。勢いに押されてうなずいた内容が、ちょっととんでもないものだったというだけだ。後悔をしているわけではないが、照れくさいことには変わりはなく、遠い世界にいるはずの妻がなぜだか笑っているような気もした。

「結婚することになった」

 親友二人と上司に報告すると、三人とも目を丸くした。当然の反応だったので気にしない。艦長はすぐさま立ち直りおめでとうと言ってくれた。
 親友はかれほど立ち直りが早くない。青褪め、よろめき、涙目になった。

「…で、いつだね」

 三人の声を代弁して艦長が尋ねてくれた。日取りを答えると今度こそさすがの艦長も絶句した。そうだろうとも。なにせ、当事者である自分(たち)ですら、知らないうちに何もかも決められていたのだから。望めば明日にでも式をあげられる。
 どういうつもりか何を考えてか、式場その他の段取りをすべて整えて下さったのは米内光政閣下だ。全て、というのは誇張ではなく、プロポーズやらなにやらも含まれている。

で、二人の結婚はいつかね。

 さらっと言われたセリフに如月ともども驚愕し、見合わせた顔を赤らめ――それからのことはあんまり覚えていない。怒涛の勢いであれよあれよと決まってしまった。きっかけなんてなにかはわからない。

「なんで、如月中尉?決め手は?」

 顔面蒼白の菊池を支えつつ尾栗が訊いた。かれもいつものおどけた様子はなく、焦り顔だ。

「…如月となら、どこかで遭難してもサバイバルで生き残れそうだから」

 そう。たとえばガ島あたりで二人きりになったとしても、如月ならなんとかするだろう。どこへ行っても。如月となら安心できる。

「そうは見えないけど実は頼りになるし、絶対に見捨てないし裏切らないだろうし……」

 続けて言った時、菊池がダッと身を翻して駆け出した。そして、叫ぶ。

「洋介のバカヤロー!!」

 ぽかんと見送ってしまう。盛大にため息をついた尾栗と眼が合った。あちゃ〜とかなんとかいいながら、肩を叩かれた。艦長はというと、これも人生だよなんて言いながら菊池を慰めている。

「…洋介、傷口に塩を塗るようなことを言わないでやれよ」

 なんのことだと言い返すが尾栗は答えずに、まあなにはともあれおめでとう。幸せにと、どこか疲れたように祝福してくれた。





2:遠い結婚式場



 今日は角松との結婚の日だ。
 上司の薦めとはいえ相手は角松。不足はないどころか満足すぎて溢れかえりそうなほどだが、なぜだかしっくりとこない。やはり、自分の意思ではなく上司の意向が大きく働いているからだろうか。費用などは経費で落としてくれるというから得だったのだが、こういったことは自分で決めたいものだ。でないと、肝心なところの記憶がかける。なぜこんなことに。まったくあの狸爺め。
 喜びと困惑が入り混じった複雑さを消せないまま礼服を纏い、家を出ると、門の外には赤いバラを抱えた矢吹少佐が立っていた。一瞬固まる。

 しかし何かをぶつぶつと繰り返しているかれはこちらに気づかない。耳を澄ましてみると

「…一緒に逃げよう………」

 なにも見なかった聞かなかったことにして、車に乗り込んだ。後ろから激しく叫ぶ声がしているが、気のせいにしておく。
 車はしばらく順調だったが、いきなり揺れだした。運転手が外に出て状態を確認し、困った顔でタイヤのパンクだと告げる。仕方がないので歩いて行くことにした。

「如月!どうしたんだ!?」
 
 式場に着くと、同じく礼服(なのだろう、見慣れない白いタキシード姿)の角松が駆け寄ってきた。

「時間ぎりぎりだぞ。…それに、なんか、ぼろっちくなってるし」
「…そんなに酷いか」

 ここに着くまで。
 黒猫に横切られたのを皮切りに、ビルの屋上から植木鉢が降り、猛スピードの車に追突されそうになり、あきらかに薬物中毒の男が日本刀を片手に襲い掛かってきて、落とし穴に落ちかければ底にはいくつもの槍が上を向いていて、時間に遅れると走ればちょうど首の位置にピアノ線が張ってあった。
 その全てをかいくぐって辿り着いたわけだ。
 実に実に陰湿、かつ殺意のこもったいやがらせである。

「ま、まあ、生きててよかったよ」

 冷や汗を浮かべながら角松が言い、さてそれでは式を始めようと会場のドアに手をかけた時。

ぼん

 結婚式場が炎に包まれた。

「…………」
「…………」

 焼け落ちていく式場を二人して無言で眺める。式場の従業員や招待客が大慌てで逃げ出してきた。全員無事のようだ。

「…原爆じゃなくて、良かった……」

 ぽつり。呟いた角松の言葉にそういう問題ではないという気がしなくもないが、確かにその通りではあった。





3:新婚初夜の、その前に



 紆余曲折の末、どうにかこうにか式をすませ、晴れて二人は夫婦となり、無事に初夜を迎えることになった。

「疲れた…」

 ホテルのベッドに突っ伏して角松が今日の感想を述べる。まったくだ。如月も同意した。
 出席した客のほとんどが泣き崩れた結婚式など、前代未聞だろう。如月側の招待客は少なかったものの、かれらも一様に泣いていた。愚痴は聞かなかったことにする。こんなことなら俺が嫁にしとくんだった!と言ったのはどこの記者だったか。角松側の泣き言も似たり寄ったりで、落ち着き払っていたのは首謀者と角松の上司くらいだった。さすがというべきかどういう神経しているのか、良かった良かったと意気投合していた。

「…でも、ようやく二人きりだな」

 如月が無表情の下でどうやってやつらにしかえしすべきか考えていると、顔だけこちらに向けた角松が照れくさそうに言った。そうだ、今更という感じがするが、今夜は嬉し恥ずかし新婚初夜なのだ。
 しかし如月は角松の言葉に同意しなかった。眉を寄せ、面倒くさそうに礼服の上着を脱いだ。

「おい…?」

 そして角松の見ている前で、かれは部屋の棚からなにやら道具を取り出した。 

「黙ってろ」

 部屋をうろうろとしてふいにかがみこんだり天井を探ったり。
 やがて気が済んだのか、如月が差し出した手のひらには見慣れない小さな機械。
 枕元、ベッドの下、サイドテーブルのライトに盗聴器。
 天井の空調、カーテンレール、鏡台の飾りに隠しカメラ。

「………」

 絶句した角松にどれか残しておくかとからかい気味に訊くと、ぶんぶんと首を振った。如月はそれらに向かって一言、

「邪魔をするな」

 とだけメッセージを残し、叩き壊してしまった。
 さらに疲れた。でも、退屈だけはしない。
 二人は無言で言い交わし、笑いあって手を絡めた。誰にも遠慮はいらない。





4:薬指に永遠の約束



 後朝といえるものを二人が迎えるのはこれが初めてだった。いつもと違い任務に終われることなく迎える朝。
 角松と如月は昨夜の余韻を残した甘ったるい雰囲気をそのまま引き摺って、朝食のために食堂に下りてきた。
二人のテーブルの近くには、米内と梅津が仲良く現れた二人を微笑ましく眺めている。かれらはまだ良かった。

「……なあ、如月」
「言うな。放っておけ」

 朝の爽やかな空気に実にそぐわないオーラを纏い、実に場違いな服装で、というか、変装のつもりなのだろう格好で角松と如月を見ている複数の目。ボーイも引き気味に給仕をしている。
 二人はなるべくかれらを気にしないことにしつつ席に着いた。ようやく現れたまともな客に、ボーイがあからさまにほっとした表情でやってくる。
 朝食が運ばれてくるまでの間、さすがに気まずそうに角松がそわそわしだした。周りも落ち着かない。いつ邪魔に入ろうか、お互いに探り合っているようだ。
 それを見てとった如月が言った。

「忘れないうちに、渡しておく」

 如月がポケットから取り出したのは、小さな箱。

「これ…」
「結婚指輪だ」

 そのセリフは食堂内によく響いた。空気が冷える。
 おかまいなしで如月は指輪を取り出した。これ見よがしに差し出す。

「角松、左手」
「あ、はい」

 条件反射のように角松は左手を差し出した。そっと如月の手が包み、薬指に指輪が嵌められる。もちろん、サイズはぴったりだった。
 朝日を浴びて輝く、金の指輪。
 じんわりと感動している角松と、そんなかれを幸せそうに見つめている如月。
 さてその周囲では――

「やってられるかー!」
「うわー俺の副長がぁぁぁぁ!」
「誰か砲雷長を止めろー」
「ハープーン用意!!」
「おちつけ雅行!!」
「草加、早まるな!」
「原爆持ってこーい!!!」
「いまからでも遅くない、如月、二人で逃げよう!!」
「お客様、おやめぐふう!!」

 などなど叫ばれ、大惨事が繰り広げられていたのだった。





5:そんな日常



 結婚したからといって、二人の生活がなにか変わるわけではなく、角松は「みらい」に乗って海へと戦いに赴いたし、如月は全国各地を回ってそんなかれをサポートした。
 ただ、角松が陸地にあがり、新居としてかまえた家に帰ると、必ず如月が出迎えた。いつ帰るとも連絡していないしする術もないのだが、かれは必ず角松を待っている。
 如月は玄関で角松を迎えると、しみじみとした口調で言うのだ。

「おかえり」

 結婚してよかったと思うことに、この「おかえり」と如月の手料理がある。プロ並みの腕前を揮って如月は角松を食べさせてくれる。そしてまあその夜は角松がおいしく食べられてしまうというお約束もついてくるのだが、それも含めて満足していた。
 しかしなにか変だなと思うこともある。
 昨夜は確かにいなかったはずの米内光政が朝食の席にいるのはなぜなのか。あまりにも当然のように本人も如月も振舞うので、角松は疑問を言い出せない。米内は如月を可愛がっているから、父親のような気分を味わいに来ているのかもしれない。だが改めていうまでもなく、自分たちは新婚なのだ。セクシャルハラスメントじゃないかと思ってしまう。如月の料理をあたりまえのように食べられるのもなんとなく腹が立つ。

「角松、もういいのか?」
「あ、おかわり」

 疑問を消せないまま朝食を続ける。如月は昨夜のふてぶてしさが嘘のように、かいがいしい。
 これではまるで、如月が嫁ではないか。
 米内はそんな如月に目を細め、かれが淹れたほうじ茶を啜った。
 そして、言った。

「ときに如月中尉、孫はまだかね?」
「はい、閣下。期待せずにお待ちください」

 あまりにもさらりと交わされた会話に突っ込んでいいのかどうか。
 産むつもりか。誰が産むんだ。孫じゃないでしょう閣下。待たせてどうするつもりだ如月。疑問は尽きない。
 しかし、角松の常識に則った疑問に答えてくれる者は、どこにもいないのだった。