棘のない薔薇





 彼は衆目を集めていた。無理もない。大きな真紅の薔薇の花束をかかえていれば人目を引くに決まっている。持っている男が眉目秀麗であればなおのことだ。人待ち顔で立つ男。チラチラと視線を送る女性たちはどことなく羨ましそうに、一体どんな美女が彼に花束を捧げられるのだろうと言いたげだった。なかには笑いをこらえつつ携帯電話で写真を撮る者さえいる。マナー違反に特に怒ることもなく、というより気づくことさえせずに草加拓海は角松洋介の到着を待っていた。



 帰りたい。いつもの待ち合わせの場所で草加を見つけた角松は切実にそう思った。だが実行することはできなかった。草加がすぐさま角松を見つけ、途端に破顔し、他はまったく目に入っていない様子で小走りに駆け寄ってきたからだ。もちろん角松に据えられた視線が外れることはなく、角松は立ち竦んだまま草加がやってくるのを待つしかなかった。突き刺さる周囲の目が痛い。

「こんばんは、角松さん」
「…こんばんは」

 心持ち頬を染めてにっこり笑う草加から微妙に目をそらしつつ、角松は一歩引いた。
 諦めるということを考えない草加がこれ以上ストーカー行為をエスカレートさせていくのに恐怖を覚えた角松は、妥協案として互いの最寄り駅の中間に位置する駅中のカフェで会うことを提案したのだが、少々後悔しはじめていた。どうも草加にとっては『まずは友だちから』という意味でとられているらしく、進展させる気満々なのだ。角松がにべもないために人前での告白はしないものの、なんとかして情を汲んで貰おうと必死だ。子供の恋愛は、時になりふり構わない。当事者にはいい迷惑である。そう、今の角松のように。
 とりあえず、先手は打っておくか。本音をいうのなら何かの間違いであってほしいと思いつつ、角松はぐったりと疲れたように言った。

「…退職したのか」
「え?いいえ。これは、あなたに」

 うっとり、とでも表現できそうに蕩けた笑顔で花束を差し出す。ばさりと重たげな音と馥郁たる香りが角松を包んだ。草加はきらきらと期待に満ちた瞳を輝かせている。
 どういうつもりでこの自分に薔薇など贈るのだろう。角松は心底から呆れ、喉元まででかかった断りの文句を飲み込んだ。ここで断ろうものならさらに痛いことになりそうで怖ろしい。男同士の愁嘆場を演じるなんて御免だ。
 結局角松は無言で花束を受け取った。両手で抱えるほどの草加の真情は、見た目以上に重たかった。