最終兵器彼女






 草加は緊張して、士官用居住区にある角松の部屋の前に立った。
 彼は自分の言動がどれほど角松を傷つけたのか、見事なまでの反撃を喰らってようやく悟ることができたのだった。初めて「彼女」に求婚した時、女としての扱いをうけることを嫌悪していたのを知っていたにも関わらず、体が女になったのだから心もそれに倣うはずだと勝手に錯覚した。
 たしかに角松は男から女へと変身を遂げた。しかしそれは角松が自ら望んでのことではけしてなく、ある日突然の回避のしようもなかった不幸である。原因もいまだ不明。角松だけではなく草加にしてもパニックに陥ったことはまだ記憶に新しい。
 角松が自分が女であるという認識を持ってからの変身であればまだ救いもあったのかもしれないが、男子の見本のような軍人が(自衛隊は法律的には軍隊ではないが)一夜にして、である。本人の混乱や憤り、悲しみは計り知れない。
 草加は後悔していた。それはもう「みらい」の男どもが彼に対して同情を催すほど後悔した。いくらなんでもあの怒りようは尋常ではなかった。角松は外見が男になったとはいえ意識は男のままだったので、周囲の男たちの反応に困惑しつつもまぁしょうがないなと呆れつつ理解を示す度量を持ち合わせていたのである。
 素直に謝ってこい。「みらい」乗員たちは草加が角松に迫りあまつさえ求婚までしていたことに当然ながら渋い顔をしていたのだが、いくらなんでも気の毒になった。とりあえず、謝れ。俺たちもそれとなく宥めてやるから。床にくずれ落ち打ちひしがれる生きた屍を励ましてくれた。草加は角松の部下たちの温情に感謝した。
 深呼吸して、草加はドアをノックした。

「誰だ?」

 まだ聞きなれない涼やかな高い声にドキリとする。

「…草加です」
「何の用だ」

 すぐさま問いかけが続いた。
 顔を見せてさえくれない。胸の奥が痛み、草加は顔を歪ませた。

「謝りに来ました。…角松二佐、申しわけありませんでした。あなたのことを思いやることもせず、自分の感情しか見えていなかった。以後、つつしみます」

 角松を自分のものにしたいという欲望は男女関係なく本物だ。自分の恋に嘘はつけない。否定も取り消しもしないが、これからは角松をなにより優先する。
 しばらく沈黙があった。

「反省しているか?」
「はい」

 即答する。かちゃんと鍵を開ける音がして、角松がドアを開いた。
 複雑そうな表情をしている。もう怒ってはいないらしいとわかり、草加は内心ホッとした。ついでその顔が凍りつく。
 草加がまず見たのは角松の顔だった。男であったときよりも若く――20代にしか見えない――なめらかな丸い頬。それから細い首と耳朶を見て、ふくよかな胸を見た。
 そこまで見れば当然のことながら、下半身も視界に入ってくる。
 角松洋介は今、男物のTシャツを着ていた。自分のものだろうそれはぶかぶかで、彼女になった角松の腰まである。そして、そこから下には何もはいていなかった。

「…入れ」

 固まった草加に気づかず、角松は草加を招き入れた。ほとんど寝るためだけの部屋は、狭い密室となる。
 角松は寝るところだったのだろう。2段ベッドの上段の手摺りには胸に巻いていたさらしがかけられていた。
 なんて格好を。草加は詰め寄りたかったが以後つつしむと言ったばかりである。ぐっとこみあげてくるものを堪えた。

「…あのな、草加」

 角松がベッドに腰かけた。座ったことでさらにあらわになった白い太腿にさすがに羞恥がわいたのか、ぴったりと膝を閉じ、シャツの裾を引っ張って肝心な部分を隠す。寝る際の角松は基本的にTシャツとトランクスのみなのだが、ぶかぶかの下着ではもはや用を成さないため、すっかりあきらめて素直にTシャツ一枚にしている。体は女でも心が男なので、あまり気にしていなかった。誰に咎められるわけでもないしと思っている。
 草加は直立不動の体勢をとり、なるべく角松を見ないようにした。好きな人のこのように際どい姿など、正面から見られるはずがなかった。男としてせつないものがあるが、男の体の反応は、女と違って見た目でわかりやすい。

「おまえにだけああいう態度をとったのは、俺も悪かったと思っている」
「…………?」

 思いがけない言葉だった。

「だが部下はともかくおまえは部外者だ。むしろ敵対しているといっていいくらいの、だ。甘い顔はできん」
「……はい」
「俺は「みらい」の副長だ。「みらい」の誰かを選ぶことはできないし、……おまえのものになることもない」
「………。角松二佐…」
「わかってくれ、とは言わん。ただあきらめろ。命令だ」

 命令。決定的な言葉に先程よりも鋭い痛みが走りぬける。一瞬にすぎなかったが痛みの衝撃は強く、しばらく草加は身動きがとれなかった。

「…草加……」

 角松はたちあがった。はたりと裾が揺れ、黒い影がちらりと垣間見える。副長の顔が、困ったように緩んだ。

「おまえ…、反則だ」

 草加は泣いていた。角松の細い指が伸び、ためらった後で彼の涙をぬぐった。
 瞬間、草加は角松を抱きしめた。まったく衝動的な、男としての本能、条件反射といってもよかった。甘酸っぱい女性特有の体臭を嗅ぎ、たおやかな腰に腕を絡みつかせる。角松が慌てる間もない。

「……っ!!」

 いつか抱きしめた時よりもさらに薄いシャツ越しに、豊かな胸が自分の胸板に押されてやわらかく形を変えたのが伝わった。
 髪を掴んで上向かせ、息を飲んだ角松のくちびるを吸った。角松がもがくが草加はがっちりと腰を掴んで離さず、さらに体を密着させた。ビクン!と角松が硬直する。熱を帯びた草加の股間が下腹部に押し付けられたのだ。
 ドンと草加の背中を叩いてくる。手を挟む隙間さえないため、腕を突っ張って引き剥がすことができないのだった。その間にも口付けが深くなる。舌だけではなく歯や口内すら蹂躙してくる草加の舌に、強く髪を引っ張られている角松はなすすべもなかった。頭皮の痛みと突然の接吻にただ混乱する。

「んっ!ぅん…っ、ん!……っ、ン…!」

 草加の手がシャツの裾から忍び込み、腰からやわらかな双丘を這い回る。大きな力強い手に揉みしだかれるたび、角松の口からくぐもった悲鳴があがった。

「……っ、あっ!?」

 口づけを終え、角松がほっとした瞬間を見逃さず、草加はずいぶんと軽い体を抱き上げた。浮遊感に驚いた時にはすでに2人ともベッドの上だった。

「あきらめろ、と言うのなら、角松二佐」

 青褪めた角松が少しでも草加から遠ざかろうとするのを許さず、足首を捕まえる。

「今のあなたが女性であることを思い知らせてさしあげます」
「く、くさか……」

 角松は脅えた。今の自分の力では草加に叶わないことはわかっている。
 角松の初めて見る、草加の男の顔だった。理性ではなくただ本能。女を目の前にした男が滾らせる、獣そのものの欲望。
 必死で裾を引っ張り少しでも体を隠そうとしている角松に、草加が笑った。やさしげで、無慈悲で、凄惨な笑顔だった。

「見せてください」
「っ!、い、いやだっ!!」

 ふるえる手を払いのけて、シャツを胸元までめくりあげた。角松が顔を背ける。
 草加の眼前にさらされた肢体は、羞恥にだろう薄い桜色に染まっていた。肝心な箇所には本来あるべきものがなく、ただ黒々とした茂みがつつましくそこを隠している。腹筋はやわらかな皮膚に覆われ、なだらかな起伏を描いて続いていた。角松が慌てて身を捩り隠そうとした乳房は横になっていてさえ盛り上がり、可愛らしいピンク色の花を頂点で咲かせていた。

「…本当に…女なんですね」

 草加は感動した。一度見たことがあるとはいえあの時は気が動転しており、こうまでじっくりと眺めたわけではない。男の角松洋介の肉体がほぼ完璧に完成されていたということはつまり、女になっても当然その完璧さを保っているのだ。

「俺は男だ!!」

 角松が即行で否定する。外見がどうであれ角松洋介である以上自分は男なのだ。絶対に認められない。
 キシリ、とベッドが揺れた。
 角松は腕を振り上げてもがいた。草加の手や舌が体中を這い回るのがひどく気持ち悪い。彼は角松が暴れるのをまったく無視している。脅えきった女の抵抗など、草加には何の効果もなかった。
 指先にあわせて撓んだ胸の飾りに、ぴちゃりと草加が舌を絡めた。

「ひっ!」

 悲鳴があがる。たちまち硬くなりぴんとしこった甘い果実を、舌で何度も擦りあげる。その度にびくんとちいさく角松が跳ねた。草加の短髪に爪を立てる。

「やっ、やだぁ…っ!草加、やめろ!」

 腹を撫でていた手がしっとりと汗ばんだ太腿へと伸び、きつく閉ざされた狭間を強引に抉じ開けた。ひゅっと角松がするどく息を飲む。
 草加の指が、肉の門を割った。

「……えっ?」

 草加はそこで、驚いたように顔をあげた。まさか、と思ってさらに奥へと潜り込ませる。たしかな感触。角松の顔が苦痛に歪んだ。

「い、痛い、やだ!」

 ぱんっと小気味良い音をたてて草加の頬が叩かれた。痛くはなかったが拳ではなく平手が飛んできたことに草加は再度驚き、呆然と正気にかえった。角松は草加の顔から荒々しいものが消えたのを見て、肩をふるわせた。

「………っ」
「あ………」

 ぽろっと目から零れたものが、あっといまに堰を切る。あれほど暴れた時でさえ泣き出さなかった角松が今になって恐慌状態に陥ったことに草加は冷水を浴びたように消沈した。
 角松は肢体を隠すことも忘れて泣きじゃくっている。見るからに美味そうな胸や腹が食べてくれといわんばかりに波打っていたが、草加は手を出す気にはなれなかった。いくらなんでもこれはひどすぎる。

「角松さん……」

 草加はそっとシャツを戻した。角松は抵抗もせず、されるがままだ。

「もう何もしません。…もう大丈夫だから」
「…っく、…く、くさか?」
「はい」
「ほ、ほんとに、も、なに、も、しない?」

 ひっく、と途中で引き付けのように呼吸をしている。草加はなるべく安心させようと、やさしく微笑んでみせた。はい、とうなずく。まったく予想外すぎる角松の反応に、きゅうっと心の奥が絞られるように痛んだ。
 角松は再び涙を溢れさせ、ふるえる声で訴えた。

「こ、こわか……っ。草加……」

 草加ではなくまるで別人のようで怖かった。途切れ途切れに言う角松に草加は申しわけなさと愛おしさでいっぱいになる。ごめんなさい。草加の謝罪に角松は涙でぐちゃぐちゃの顔をこくんとうなずかせた。
 少し待っていてくださいと言って、草加は水で濡らしたタオルを持って戻ってきた。角松はベッドの上にちょこんと座り、真っ赤に泣きはらした目を擦っている。

「角松さん、ダメですよ。酷くなってしまう」
「ん…」

 草加が顔を拭くのにまかせて、角松が素直に目を閉じた。
 はっきりいって、このまま抱いてしまいたい。今の角松に欲を覚えるなというほうが難しいのだ。手や舌にいまだ残る感触に、甘やかな嵐のような衝動が股間を疼かせる。だがあの暴力の直後でありながら従順にされるがままになっている角松に、よほど恐怖だったのだろうと思えばもう無体を強いることなどできるはずがなかった。

「…わかってくれとは言いません。…ですが、…あきらめません」
「…………」
「私と結婚してください」
「…バカヤロウ」



 草加がため息をついて角松の部屋から出ると、なりゆきを心配していたらしい尾栗と菊池が待っていた。2人の親友もさすがに草加に同情的であった。

「…洋介、どうだった?」

 まだ怒っていたのかという問いだったのだが、草加はぽっと頬を染めた。

「…角松さんは……」
「ん?」
「?」

 どこか呆然としている草加に穏やかではない雰囲気を嗅ぎ取った2人が眉を顰めた。

「処女でした」

 ピシ。その場の空気が、凍りつくどころか雷鳴轟いた。

「な、な、…なんでそんなことわかるんだ!?」

 菊池が真っ赤になりながら素っ頓狂な声で叫んだ。草加は思い出したのか自分の手を見つめた。答えなどひとつしかない。

「触ればわかります」

 瞬間、尾栗の蹴りが決まった。見事に鳩尾に沈んだつま先に草加が声もなくよろめく。そこへまた、容赦なくえげつない蹴りが入った。尾栗は終始無言である。

「―――…っ!!!」
「…っぐっ!」

 完全に気絶した草加を捨てて、尾栗は駆け出した。いきなり暴行傷害事件の目撃者となった菊池は慌てて人を呼び、草加をまかせると尾栗を追いかけた。目指すは角松の部屋だ。

「洋介!洋介無事か!?」

 ガンガンとドアを叩くのに何事だとばかりに角松が飛び出してきた。さすがにTシャツ姿ではなく、濃紺の作業服を着ている。

「どうした!?」
「洋介!!」
「洋介、大丈夫なのか!?」

 息せき切ってやってきた親友2人に目を丸くした角松は、ひとまず冷静さを取り戻させるべく「何がだ」とおちついて尋ねた。まるっきりいつもの副長に、2人は案じていたことにはならなかったらしいと胸を撫で下ろした。

「草加が…触ったって言ってたから」

 しかも処女であると確信したということは、角松の秘所にまで指を這わせたということだ。あー、と角松はさすがに気まずげに唸り、まあなと認めた。

「でも泣いて脅えてみせたら草加も堪えたみたいだ。最後まではされてない、大丈夫だ」
「泣いて、」
「脅えた?」
「いや、いきなり襲われたんでもうびっくりしてさ。草加は頭に血が昇ってるみたいだったし、どうしようかって考えたんだよ、作戦」

 作戦を考えた。襲われたというわりに冷静だった角松に、親友2人はぱちぱちと感心の瞬きを繰り返す。え、それってどういうことですか?

「あんだけ怒られたやつにいきなり泣き出されたら、ビビるだろ?」

 ひょいと肩を竦めた角松は笑って言うが、よくまあ思いついたものである。尾栗も菊池もぽかんとしたままだ。

「やってみてわかったが、女の涙ってのはほとんど演技だな」

 なんといっても涙は女の最終兵器。泣くたびに冷静さを取り戻していく自分とうろたえる草加を見て、これは詐欺だなと思った。元成人男性のぼやきに、それを使いこなしてるのはどうなんだと、親友2人は心底恐縮したのだった。