好みの問題
「白だな、やっぱ!」
「オーソドックスにベージュは?」
「それじゃつまんねえだろ」
「思い切って、黒とか」
おお、とひそやかな歓声があがる。
「みらい」食堂に、乗員数名がひとかたまりになり、どこかこそこそしながらも盛り上がりをみせていた。
その中に混じっていた麻生は黒というセリフに想像を刺激されたのか、頬を染めつつ異議を申し立てた。
「黒はやりすぎだろう…。副長には似合わないんじゃないか」
「でも、副長は結構やることが大胆ですよ」
話に加わっているんだから今更照れなくても、というように柴田が麻生をそそのかす。ちなみに黒発言は彼である。
「…………」
それもそうかもしれないが、なんといっても敬愛する角松のことである。たとえ想像の中であっても穢すようなマネはしたくない。そもそも、なぜ話の方向が怪しくなってしまったのか、麻生はこんな話をしていることが角松に知れたらと思うと頭を抱えたくなった。始まりは他愛もない話だったのに。
ある日突然に男から女へと変身してしまった角松二佐のために、菊池三佐が服を買いに行ったらしい。
他に仕方がないとはいえ、ぶかぶかの作業服を持て余しつつ歩き回っている角松に、乗員たちは非常に胸をときめかせた。あの愛らしい姿が見られなくなるのは残念だが、決して手の出せないごちそうを目の前にぶらさげられているような今の状況よりはましになるだろう。
誰が最初に言い出したのかは今となってはどうでもいいが、話の始まりはこうだった。
「砲雷長、どんな服を買ってくるのかな」
菊池のセンスを疑うつもりはないが、好みというものがある。ありきたりな戦争映画のヒロインよろしく、白いシャツに絣のモンペなどというスタイルはさすがにいただけない。それはそれで別の人気が出そうだが、それこそ個人の好みであろう。
「女物は着ないだろう」
女になったとはいえ心は男のままだ。角松にしてみれば女装以外のなんでもない。いくらなんでも婦人服は着ないだろうし、菊池も買ってこないだろう。誰かが話に乗った。
人が集まっていれば寄ってみたくなるのが人というもので、いつのまにか食堂の一角を占めるほどにふくれあがった男たちのかたまりは、そりゃそうだろうと同意した。
でもさあ、と夢見るような表情でひとりが言う。
「どんな服が似合うかな。…今の副長に」
今の副長、というのがポイントだった。
本人に異論はあろうがこの際さておき、見た目はまごうことなき美女である。男たちはたちまち想像力を働かせ、好き勝手に言い合いはじめた。始めはそれでもこの時代に即した、可能性のあるものだったが、次第にどうでもよくなってくる。あとはもうズルズルと流れるがまま、往年の名作映画でヒロインが着ていたワンピースあたりはまだ良かったが、上官なんだからそれらしくスーツがいい。もちろんミニで、スリットが入ったやつ。などと、段々話の方向がずれてきた。女についての妄想であれば男の右にでるものがないのはどの男であっても例外ではない。各々が好みのままに主張をはじめた。
話はどんどん膨らんでいき、ついには中身をどうしようということにまでなったのである。中身、つまりは下着である。
白だの黒だのベージュだのと出てくるが、面白いことにここで彼らは二手に分かれた。清純派と大胆派。角松に対するイメージの違いであろう。
「ピンクだったら赤のほうがいい!総レースとかの、派手なヤツ」
「赤なんて駄目だ!それじゃまるで水商売でもやってるみたいじゃないか。白とかピンクの、ふわっとした感じのほうがいい」
「わかってねえなぁ、あの人がそういうのを身につけるから、いいんじゃないか」
白熱するにしたがって、潜められていた声も次第に大きくなっていく。が、場所はあくまでも「みらい」の食堂である。彼らはすっかり頭から抜け落ちていたが、大勢が二手に分かれて言い争っているということが問題にならないはずがなかった。
食堂に入ってきたものがこれをどう見るか。話の内容こそわからなくても険悪な雰囲気になって一触即発の事態を、あわや仲間割れかと上官に報告するのは当然であろう。そしてまた当然の結果として、彼らの上官が駆けつける。
角松を筆頭に尾栗と菊池が現れたことに、真っ先に気づいたのは麻生だった。あっという顔をして、皆を諌めようとしたが、遅かった。
「何事だ!」
凛とした涼やかな声が空気を打った。一瞬にして男たちが固まる。
角松は男たちをぐるりと見回した。実に気まずげにしゅんとしょげかえっている彼らに、どうやら案じていた事態ではないと判断する。
「麻生先任、何の騒ぎだ」
麻生は本来ならば彼らを取り締まらなくてはならない立場である。副長の問いに、ハッと麻生は前に出た。しかし言いにくい。
「その…好きな女に着せるならどんな服かを、話し合っておりまして……」
口ごもりつつ答えた麻生に、『好きな女』が誰のことであるか、尾栗と菊池はピンときた。自然、目つきが鋭くなる。
「それがなんで喧嘩になるんだ」
「……、それが、次第に下着の話にまでなってしまい、いつのまにか」
「下着?」
角松は呆れかえった。それがこんな騒ぎになるのか。
白々しく角松から視線をそらす男どもに、尾栗は口元をひくつかせて笑いの発作に耐え、菊池は怒鳴りつけたい衝動を抑えた。
「ほー、下着ね」
「…………」
じろりと睨みつけられ、男たちは竦みあがった。角松が不謹慎だと叱り付けるより早く、尾栗が言った。
「俺は、黒だな。黒い絹の下着。ガーターか靴下付きで」
「尾栗っ」
「なんだよ、いいじゃねえか別に。健全な証拠じゃん。実際にどうこうするってワケじゃないし」
口調は軽いが、目つきが鋭いままだった。尾栗の牽制に、菊池も気がつく。
想像するのは個人の自由。だが手を出すつもりなら容赦はしない。そう言っているのだ。
「菊池?」
「俺は白系がいいな。俺ならレースがついた、可憐だけどセクシーなヤツを贈る」
お前まで何を、という目を角松が向ける。菊池は親友に、余裕のまったくない瞳で笑ってみせた。
彼から彼女になった角松は今、菊池が買ってきた下着と洋服を身につけている。下着のデザインはもちろん彼が言ったものとは程遠い、この時代ではありふれたものであった。しかし俺が贈った下着を、脱がすつもりならばそれなりの覚悟はしてもらう。暗に菊池はそう言ったのだった。
自然と視線は角松に集中した。それでは角松本人の好みはどうなんだという目。角松は眉を寄せ、再びぐるりと男たちを見回した。なにやら期待に満ちた眼差しに居心地が悪くなる。航海長と砲雷長が話に乗ってしまった以上、寛大な判決を下さざるをえない。そもそもこの話のきっかけはおそらく自分が女になってしまったことだろうと予想がついた。望んでこうなったわけではないが、少々の後ろめたさもある。
「俺なら下着なんかつけてないほうがいい」
デコレーションはいくらでもごまかしがきくからな。
角松の『好み』に一同は一瞬静まり返り―――………
騒動がより一層大きくなったのは、いうまでもないだろう。