2:つねる
初詣客を乗せた電車は混んでいた。角松と草加も他の乗客同様除夜の鐘とともに初詣をすませ、さてあとは部屋に帰ってゆっくりするかと電車に乗り込んだのだが、年明けから通勤ラッシュさながらの満員電車に辟易してしまった。他人のことをいう資格はないのだが、よくもまあ正月から物好きにという気分になる。
「すごい人だな」
「そうですね」
苦笑まじりの角松の声は、わずかに掠れていた。身に覚えのある草加はほんのりと頬を緩める。大掃除終了後、二人はようやく触れ合ったのだ。体を繋げるまでにはいたらなかったのだが草加は満足だった。角松は彼を拒まず、肌を触れ合わせることに嫌悪や恐怖を抱かなかった。草加にとっては画期的だ。
混雑する車内を利用して、草加はそっと角松の腰を引き寄せた。
「…………」
角松はちろりと草加を睨んできた。しかし口元には笑みがある。人の体の隙間をすり抜けて、角松の手も草加の腰に回された。
角松さん。声をださずに草加が呼んだ。角松はやや瞼を伏せ、心持ち体を寄せてきた。カーブに差し掛かった電車が横に揺れ、二人はドアと手摺りに押し付けられる格好になった。
角松の体温と呼吸を感じているうちに、草加は妙な気分になってきた。
むずむずと胸の奥が疼く。ここで。草加はつい想像してしまった。ここで角松に触れたら、彼はどんな顔をするだろうか。
草加拓海ははっきりいって性的な意味での趣味が変だった。相手が嫌がって泣き叫んで許しを請うたり身悶えるのを捻じ伏せていたぶったりするのが好きなのだ。立派な変態といえるだろう。
しかしだからといって草加ものべつ盛っているわけではない。彼の名誉(あるかどうかはさておき)のためにいっておくと相手の同意もなしに痴漢行為に及ぶほど非常識ではなかった。しかも角松はつい最近までノーマルだったのだ。
草加は疼く食指を伸ばすと、彼の腰から下へすべらせた。
一応草加のフォローをしておくと、好きな相手、しかも恋人に場所もわきまえずに触れたいと思うのは至って当然のことだ。肉体関係をもったばかりとなればなおさらである。いわゆる蜜月。発情期なのだからこれは仕方のないことだともいえた。人前で臆面も無くキスをしたりそこらの公園などの暗がりで事に及ぶカップルがいるのはそういうわけだ。そしてそれは、角松とて例外ではなかった。
「…ぁ………」
すっと撫でてきた手に、びっくりした顔で角松が草加を見つめた。草加の焦れたような困惑したような、欲情して潤んだ瞳にこの悪戯が彼の仕業であることを確信して睨みつけてくる。コートの上からでは物足りなくなった草加は、するりとコートの中へと手を侵入させた。
「ちょ……」
ささやきに近い声で角松が抗議をした。当然だ。周囲にばれたら草加だけでなく角松にとっても恥である。草加の腰を抱いていた手が彼の胸を押し返して少しでも離れようとする。混みあった車内では思い切った抵抗ができなかった。
「ま、待て…」
「…………」
耳朶にくちびるを押し付け、ちょろりと出した舌先でなぞる。ピクン、と角松が緊張した。草加の手が双丘を撫で回し、強く揉みしだいている。昨夜の余韻をひきずった体はたやすく再熱してきた。角松の目元が赤く染まる。
「あ……っ。こ、ら……」
胸に置かれた手が拳をつくった。必死で耐えている角松の痴態に草加の嗜虐性が顔をだす。
片方の手を前に回し、そこを包み込んだ。
「………っ!」
ぎゅっと眼を閉じて、角松が首を仰け反らせた。草加はそっと周囲を窺うが、まさか男が男に痴漢をされているなど誰も気づくはずもなく、人々はうんざりとした表情で揺られていた。草加は安心して、調子に乗った。
ゆっくりとズボンのファスナーを下ろしていく。角松が息を飲んだのがわかった。
手を中へと潜り込ませ、下着の合わせ目から指先を差し入れる。他の部分よりも熱いそこがビクッとふるえた。
「い、いやだ……」
ちいさく首をふって角松が拒否をしてきた。訴えを無視して草加はゆっくりとそれを撫で上げる。角松はふるえながら耐えるしかなかった。どんな状況であれ男なら急所に触られて平気でいられるはずがない。しかも恋人となれば、むしろ異常な状況であればあるほど興奮は増していく。草加の手。昨夜さんざん弄ばされた手が人目を忍んで弱いところを攻めてくる。声をあげないようにするだけで精一杯だった。
「ふ……っ、んっ」
角松は咄嗟に草加の肩にくちびるを押し付けた。呼吸が苦しくなったがここで変な声をだすよりはマシだ。草加の手は器用に蠢き、角松を追い詰める。
こんなところで。角松は意志や矜持を破壊しようと襲い掛かる快感に逆らおうと、草加の手の甲を思い切りつねった。
「っ!」
一瞬だけ離れていった手が、すぐさま戻ってくる。ゆるゆると這い回る指先が濡れ始めたのが自分でもわかった。悔しさに涙が滲む。
「はっ…あぁ……っ」
熱っぽいため息がついに漏れ、角松はカッと赤面した。草加がくすりと笑う。この辺が潮時だろう。さすがにこの場で射精させてはごまかしもきかない。
「…大丈夫ですか?」
指を引き抜き、きつくなったファスナーを戻して草加がしれっと訊いた。角松はほとんど涙目になり、縋るように睨みつけてくる。ごめんなさい、と草加は耳元で謝罪した。これで最後とばかりに双丘を一撫でする。
角松にとっては何時間にも感じられた駅までの数分。さっさと下車した角松は草加を無視して行ってしまった。あたりまえだが、相当怒っている。
「…角松さん」
ズキズキと腫れぼったく痛む手の甲を見ると、痣ができていた。さきほど思い切りつねられたせいだろう。
振り返った角松に草加は優雅に微笑むと、彼にするようにやわらかく、その痣にくちづけをした。
ちなみにこのあと草加はシバかれたが、おあずけをくらうことはなかったという。