800分の1










 生徒会室の窓から見える桜の木には、妖怪が棲んでいる。
 いや、正確には人間だ。しかし角松には、彼がこの世のものではないように思えてならないのだった。あの表情のなさ、もの言わぬくちびる、軽やかな身のこなし、存在の透明さ。
 如月克己は不思議な人間だった。





「角松さん」

 職員室からでてきた角松を呼び止めたのは生徒会副会長の草加だった。手には角松と同じく『文化祭2010』と書かれたファイルを持っている。ややくたびれた笑顔を浮かべていた。

「お疲れさん、それがクラスの資料か?」
「はい。一年生のぶんです」

 生徒会長のねぎらいに嬉しそうに頬を染めて草加がうなずいた。公立中学校の生徒会なんて何をしているのかと思われがちだが、四季さまざまに行事があるのでこれでけっこう忙しい。文化祭となると生徒が中心になって動くので、その最たるものであった。
 窓の外はもう暗く、グラウンドには外灯がついて煌々とあかるい。秋の午後6時はもう夜だ。下校時刻が迫っているせいか、校内は人気があまりなく、静かだった。

「もう明日でいいだろう。これを置いたら帰ろう」
「そうですね」

 文化祭当日まではあと一ヶ月もある。各クラスだけではなく各クラブでも出し物をするためスケジュールの調整や備品の用意などでやることは山のように積もっていた。文化祭担当の委員の意見などそう簡単にまとまるわけもなく、角松は生徒と教師の間を行ったり来たりで大わらわだった。これで当日が近くなったら目の回る忙しさだろうと思うと今から体力を温存しておかなければやっていけなくなる。
 生徒会室に入ると角松は自分の持っていたファイルと草加のそれを、鍵付きのロッカーにしまった。
 机の脇に置いてあった学生鞄を取り、角松はその下にちいさな包みが置かれていたのを発見した。ドキリと心臓が跳ね上がる。

「あ…っと、俺、ちょっと忘れもんしてた!」
「え?」

 突然大声で早口にまくしたてた角松に、草加が目を丸くする。

「教室!取りに行ってくるから、おまえは先に帰れ。ここ、鍵閉めるから」
「すぐでしょう?一緒に行きますよ」

 一緒に帰ろうと言う草加に角松は慌てる。窓の外を確かめたかったが、目ざとい草加に見つかると、後々までうるさいことになりそうだ。じりじりと後ずさりしながらドアを開けた。

「いいよ。おまえは歩きだろ、こんな時間だし家の人が心配するぞっ」

 今更である。家族には文化祭の準備で忙しいので帰宅が遅くなると伝えてあった。角松もそうだ。しかし咄嗟にうまい言い訳が思いつくはずもなく、角松は「じゃあな」と言って走り出した。取り残された草加はただ唖然として廊下を走る生徒会長を見送った。
 教室に辿り着いた角松はドアに手をついてやけに早い心臓を落ち着けた。のろのろと自分の机を探る。忘れ物など本当はないのだが、草加にああ言った手前、何かを持ち帰る必要があった。副会長の彼は優秀で頼りになる、いいやつなのだがどうも干渉しすぎるのが珠に瑕だ。明日になれば何を忘れたのか、追求してくるだろう。

「…あ、あった」

 何もないと思っていた机の中からノートを見つけ、角松は安堵のため息をもらした。友人に貸してあった、世界史のノートだった。
 念のため生徒会室に引き返すが、草加はいなかった。角松に言われたこともあり先に帰ったのだろう。つい、ホッとため息をついてしまう。詮索されたくなかった。
 窓を開ける。桜の木は紅葉に染まり、春とは違った華やかさを備えている。

「如月…いるのか?」

 返事はなかった。角松は落胆して今度こそ生徒会室に鍵をかけ、下校した。



 家に着いてから包みを開けると、紅葉の柄の和紙に包まれたちいさな箱がでてきた。中身は栗の甘納豆だった。
 春。出会ったときは桜餅だったことを思い出し、つい角松のくちびるに笑みが浮かんだ。どこからどうやって持ってくるのか知らないが、如月は角松に会うとき必ず菓子を持参する。それらは決まって和菓子で、それぞれの月ごとに(二四節気というらしい)色とりどりの形をしていた。風流を楽しむには若すぎるし如月に楽しんでいる様子はなかったが、角松が説明を求めるときちんと教えてくれた。
 毎日というわけではない、よくて週に一度。如月はふらりとやってきて、他愛ない話をして菓子を食べて帰っていく。桜の木に棲む妖怪がどこに帰るのか、角松は知らない。
 砂糖をまぶした栗を口の中に入れるとやわらかくほどけた。栗の持つこくのある甘さが舌に広がる。すれ違いになったが来たという証拠に置いていったのだろう。
 会えなくて残念だった、と。次に会った時に言ってみようか。角松は思った。





 校内がざわついていて入り込みにくい。みたらし団子を差し出しながら如月が愚痴をこぼした。

「文化祭の準備だからな。遅くまで残ってる生徒がけっこういるんだ。おまえ、ばれないように気をつけろよ」
「文化祭か、そう張り切るものでもないだろうに」
「そういうこと言うなよ。学校行事なんだから、楽しまなきゃ損だぜ?おまえんとこはもうやったのか」
「とっくに終わった。盛り上がらなかったな」

 なんせうちはお行儀のいい連中ばかりだから。不法侵入の妖怪はふんと鼻を鳴らした。
 如月克己はここの生徒ではない。私立中学の生徒らしかった。らしい、となってしまうのは如月が学校名を教えてくれないからだ。ただ言葉の端々に、小馬鹿にするような響きがある。あまり好きではないのだろう。

「うちは毎年保護者や地域の人を招いて大々的にやるぜ。仮装行列が一番盛り上がるんだ」
「仮装?」
「ああ。最近はコスプレが流行りだからアニメやゲームのキャラが多くなったけど、元はというと先生方がなんとか盛り上げようと頑張ったことからはじまったんだ。うちの中学、10年位前にはずいぶん荒れてたらしい」

 今では一番の人気がある仮装行列は、毎年投票でグランプリが決定される。一位になったところで賞金がでるわけでもないのだが、とりあえず一年間は人気者だ。

「あんたは、何をやるんだ」
「…生徒会長は白ランを着ることになってる」

 角松は得意気な顔だ。特注の白い学生服を着た生徒会長が投票されることはないのだが、とにかく目立つ。普段顔すら知らない生徒でも、これを着て校内をあるけば一発で生徒会長だとわかるのだ。面目躍如といったところだろう。

「…一般客が入れるのか。私も来ようかな」
「おう、来いよ。案内してやる。文化祭の愉しさを教えてやるよ」

 如月の微動だにしなかった顔がふいに和らいだ。あっと角松が眼を見張る。嬉しくなった角松はさらに身を乗り出そうとした。

「角松さん?」

 やってきた草加が窓をあけている角松に不審な顔をした。如月はとっくに身を隠している。角松はどきどきと弾む鼓動を聞きながら「おう」とぎこちなく返事をした。

「誰かと話をしていると思ったんですが…何をしているんです?」
「え、…っと」

 生徒会室には角松しかいない。ちら、と桜の木を窺うが、如月の姿はどこにもなかった。いつのまにどこへと思いつつ、なんとか草加をごまかす。

「桜に、愚痴ってた」
「………」

 愛想笑いを浮かべた角松を草加は疑わなかったが、眉をひそめて角松の隣に並んで桜を見回した。

「まさかと思いますが、学校の怪談に一役買ってたりしませんよね」
「怪談?」
「この桜。ときどきてっぺんに人影が見えるとか、話し声が聞こえるとか、天狗がいるとか。最近噂になってるんですよ」

 如月を直接目撃したわけではないと知り、角松は安堵した。しかし噂の原因は自分だろう。ほんの数分の逢瀬とはいえ話をしていれば、声を誰かに聞かれてもおかしくない。今の草加のように。

「…たぶん、俺だな。ときどきこうして愚痴ってるから」
「…まあ、気持ちはわかりますよ」

 忙しいですからね。草加の同情にうなずいておく。怪談がエスカレートする前に種明かしをしておけば、如月の存在もごまかせるだろう。噂になり始めていることを、如月は知っているのだろうか。今のようにいつ誰がやってくるかわからない状態では、文化祭が終わるまで如月はきっと来ないだろう。そのほうがいいと思いつつ、角松は一抹のつまらなさを感じた。如月と話をしていると、自分の疲れや苛立ちがほぐれていくのがわかるのだ。
 角松は桜を見上げた。春、満開だった頃に如月と出会った。あの頃は昨年度からの引継ぎで忙しかったのだ。ひとりで残業していた夕暮れ。コツンと桜の枝が窓を叩いた。
 誰だ?今にして思えばなぜそこに『誰か』がいると思ったのだろう、風で枝が触れただけだったかもしれないのに。窓を開けた角松の前に、整ってはいるものの表情のない顔があらわれた。それが、如月だった。夢のような薄紅の中に不思議な透明感をもって存在していた。
 つきあわないか。そういって如月は桜餅を差し出してきた。疲れているだろう。呆然としている角松にまったくかまうことなくひとつとってぱくりと食べる。あっけにとられたまま角松は差し出された桜餅を手に取った。わずかに触れた、ちいさな箱を持つ白く細い指先がひどく冷えていて、それが妙に艶めいた感じがしたのを覚えている。
 おまえ、だれ?新入生とは思えなかった。如月は私服を着ていたからだ。灰色と薄紫の中間にあるような色の上着と濃い茶のパンツ。そして桜色の帽子をかぶっていた。如月克己。あんたは?如月はまったく普通に訊いてきた。角松洋介。だから角松も馬鹿正直に名乗っていた。実のところ如月のあまりの表情のなさに面食らっていたのだ。角松はこんなにも淡々とした人間を見たことがなかった。口を開くのも億劫だといいたげに言葉を紡ぐ。実際如月はそれ以上何も言わずに桜餅を食べ終えると、何事もなかったようにひらりと姿を消した。
 あれはなんだったのだろう。全校生徒の名簿を調べてみても『如月克己』という名の生徒はいなかった。小学生かもしれないと思ったが、小学生があんな態度をとるだろうか。悶々としている間に桜が散っていった。
 如月と再会したのは緑の若葉が香る頃だった。柏餅。窓を叩いた如月はひと言言って差し出した。ありがとう。受け取ったものの角松はすぐには食べず、如月をじっと見つめた。桜の木には毛虫がいっぱいいるはずなのに、如月はいたって平然としている。虫などに恐がっていたら3階の窓までよじ登ってはこれないだろうが、それにしたっていい度胸だ。さっさと自分のぶんを食べ終えた如月はただぼんやりとした様子で細い幹によりかかった。よほど軽いのか、枝も幹もびくともしない。…おまえ、さ。一口食べて角松が言った。ゆるりと顔をめぐらせて見つめてくる瞳にどぎまぎする。うちの生徒じゃないよな?どうしてここにいるんだ?まさか妖怪じゃないよなとは角松も訊けなかった。如月はああとうなずくと、綺麗だったからと答えた。何が?桜。電車の窓から眺めてたら、ここの桜が一番綺麗だった。きちんと返事がかえってきたことに力を得た角松がさらに問いを続けた。どういう意味だ?通学電車の窓から眺めていたら、ここの桜が見えたんだ。途中下車して歩いて探した。なんで俺に声かけたんだ?くたびれた顔をしていたから。透き通るように白い膚をした如月はつまらなさそうに答え、素早い身ごなしで突然桜から下りた。えっと思ったら、ドアが開いて自分と同じく新任でてんてこまいしていた副会長が入ってきた。
 以来如月は桜の木にやってきて、めったに表情を変えないものの角松と話をしていく。角松ひとりの時にしかやってこず、誰かが来る気配がするとさっと身を隠してしまうのだ。今まで如月とは窓一枚を隔てた空間でしか会うことは叶わなかった。

「…文化祭、楽しみだな」

 当日、はじめて地に足をつけた如月と会って話すことができる。そう思うとなんだか自分が浮き立ってくる感じがした。角松の心が読めるわけではない草加は、終わってしまえば忙しさから解放されるとばかりにそうですねと同意した。





 文化祭当日、その騒ぎに気がついたのは草加のほうが先だった。

「…どうしたんだ?」
「あ、副会長」

 玄関の受付入り口はただでさえ混み合っている。最近なにかと物騒なので、一般客にはここで名前を記入してもらうことになっているのだ。もちろん任意だが、拒否をしたり突っかかってくる人がいれば先生方の巡回警備が強化される。とばっちりは生徒会、ひいては生徒にもおよぶだろう。厄介ごとは避けたかった。生徒会といえども生徒であり、文化祭を楽しみたい。

「それが…あれ、見てくださいよ」

 くすくすと笑いながら女子生徒が指差す方向には、男子の人だかりができていた。その中心には見慣れない制服をきた少女が突っ立っている。
 なるほど。草加は納得した。あれは有名お嬢様学校の制服だ。男子が騒ぐのも無理はない。しかも、けっこう美少女だ。いきなり物珍しいものを見るような男子に取り囲まれて、気の毒にも立ち竦んでしまっている。受付担当の生徒もあまりのことに怯んで誰も声をかけられない。ざわめきだけが広がっていた。
 誰かが声をかけて助けてやれば、好印象でそのまま案内でもできるだろうに。うちの男子も情けないなと思いつつ、副会長は少女に歩み寄った。

「こんにちは、ようこそお越しくださいました」

 少女が草加を見た。幼い顔つきに不釣合いな凛とした眼差しに、草加はなぜかカチンときた。それを押し隠してにっこりと微笑む。

「誰かのご友人ですか」
「はい」

 はっきりとうなずいた少女はあたりを見回したが、目的の人物が見当たらなかったのだろう、多数の視線を無視して草加にたずねた。

「角松さんは、どこでしょう?」
「…角松さん?」

 角松の知り合いに他校の生徒がいるなど知らなかった草加は眉根を寄せた。どういう関係か、訊こうと口を開きかけたその時、タイミングを計ったように角松がやってきた。

「おい、何の騒ぎだ?」
「角松さん」

 草加が振り向くより、少女が動くのが早かった。軽やかに客用スリッパを響かせて角松に駆け寄った。

「約束どおり来たぞ」
「……は?」

 角松はぽかんと口をあけて少女を見つめた。それからあっと声をあげる。

「き、如月!?なんだその格好!」
「なにって…」

 少女は何か驚くことがあるのかというように自分の制服を調えた。

「うちの制服。他校へ行く時は制服を着用するように、校則で決まっているから…」
「校則って…、え、ええー!?」

 女だったのか!?と叫びそうになるのを角松はなんとか堪えた。生徒だけでなく先生までやってきたこの人だかりのなかでそんなことを言ったらうるさいことになるのは避けられない。如月は角松の驚愕にまったくかまうことなく角松の腕をとった。

「来たとたん囲まれて困ってたんだ。さっさと案内してくれ」
「あ、ああ…」

 角松の驚愕は去らないが、約束は約束だ。なによりここから逃げるのが先決である。まだ混乱する頭を抱え、角松は如月をつれて校内へと入っていった。
 さすが生徒会長、レベル高えな。人だかりの男子生徒がぼそぼそと言う。高嶺の花じゃんうらやましい。けっこう可愛かったよな。そんな囁きの中、草加だけが立ち尽くしていた。
 廊下をただ歩くだけでも、二人は目立っていた。通り過ぎる人たちが一斉に振り返る。教室に入ればきゃーと悲鳴があがる始末だ。如月はなんてことない顔をしているが、男女が腕を組んで歩く姿を生で見る機会などめったにない平和な公立中学校ではインパクトが強すぎる。

「…ずいぶん、騒がしいのだな」
「…そりゃあ……」

 面白そうな顔になった如月に、あたりまえだろと言いたくなる。良家の子女ばかりを集めているという私立中学校の制服が歩いているのだ。当事者でなかったら角松も見物に来ただろう。
 それにしても。角松はこっそりと如月を眺め回した。
 まさか女の子だったとは。
 いつもパンツ姿だったので、角松は男だと思いこんでいたが、木登りをしてくるのだからスカートなどはけるわけがない。加えて如月はいつも帽子をかぶっていた。今の如月は肩のあたりまである黒髪を下ろしている。歩くたびにさらさらとなびいて、角松の鼻腔をシャンプーの匂いがくすぐった。長い髪を帽子で隠していたのだろう。どきどきしてしまう。まずいかもしれない。
 これから会うときどんな顔をすればいいのだろう?

「如月、あのさっ」
「はい」

 突然立ち止まった角松に、如月も立ち止まった。まっすぐに見上げられて言葉を失う。二人に注目していた周囲の目も同時に留まった。

「あ、いや…ここじゃまずいな」

 それに気づいた角松がどこか静かなところとして思いうかべたのは、生徒会室だった。あそこならさすがに誰もいないし、鍵は自分が持っている。
 
「生徒会室に行こう」

 如月はほんの少し微笑んで同意した。

「…こうやってここに来るのははじめてだな」
「そうだな」

 いつも桜の木をよじ登って来るのだ。如月は窓の外、角松は部屋の中。雨天中止。如月ははじめて見るようにぐるりと生徒会室を見回した。文化祭の準備のため、雑然としている。

「今日は大福を持ってきた。中身がちょっと変わっている」
「何?」
「葡萄。巨峰大福だ」

 いや、まてよ。角松は如月の言葉遣いが気になった。いつもの口調だが、お嬢様学校に通っているにしてはどうも男っぽい。差し出された大福と如月の顔を見比べた。もしかして、髪はカツラで、制服は借り物なのかもしれない。でも。角松の思考がめまぐるしく変わる。声は。声は男のそれではない。聞きなれた女子生徒の声よりは低いが、落ち着いた話し方なのでそう聞こえるだけかもしれない。自分のように低い声ではないのだ。

「角松さん…?」

 さっさと大福を食べ終えた如月は、いつまでたっても受け取らない角松に不思議そうな顔をした。口元に粉がついている。細い指がそれを拭い、ぺろりと舐めた。

「…っ!」

 それを見た角松が、息を飲んだ。これ、やばい。自覚したのは性欲だった。角松はまだ誰とも肉体関係をもったことはないが、自慰行為くらいならしたことがある。もともと角松は如月に好意を持っていたが、女の子だとなると意味合いが変わってきてしまう。

「…びっくりしたぜ。悪いけど、女だと思わなかったから」
「女だと言ったことはないからな」

 如月が窓をあけた。校内のざわめきが大きく届いてきた。

「こういう文化祭なら、いいな。仮装行列は何時からだ?」
「2時だ。…けっこういただろ」
「坂本竜馬が多かったな。あとは新撰組」
「最近は売ってるからなぁ。昔はクラスで手作りだったらしいけど。ま、そのぶんよくできてるよ」
「あんたも、似合っている」
「そうか?サンキュ」

 白い学ランは角松の体躯をより惹きたてている。3年生になり一気に背が伸びて筋肉もついてきた角松には少し小さかった。

「そういえば、食べ物の類はないんだな。あると思って弁当も持ってきてないんだが」
「ああ…やりたいってクラスは多かったけど、中学の文化祭では許可が下りなかったんだ。せいぜい家庭科部がクッキーと茶を出してるくらいで、生徒は弁当持参」
「…食べないのか?」

 如月はいつまでも手に持っているのも面倒になったのか、大福の箱を生徒会長の机に置いた。自分は窓枠に腰かける。

「……すまなかった、こんな格好で来て」
「校則なんだろ?」
「律義に守っているやつなんていないだろう。他校に行く時はたいてい学校の用事だ」
「そういや、そうだな」

 角松も生徒会長として他校との交流に行く時がある。そんなときはあたりまえだが制服だ。どこかの文化祭に行こうと思ったら、私服で行こうと思うだろう。

「…なんでだ?」
「…喜ぶかと、思って。それに…」

 如月はうつむき、口篭った。慈しむように、指先が桜の枝を引く。

「私はもう、ここにはこない」
「え…っ?」
「学校を休んでここに来ているのが先生にばれそうなんだ。疑われている。本当は今日、これから学校へいかなくちゃならない。…だから」

 さっと窓から降りた如月の目元が染まっていた。角松の心臓がどきりと大きく音を立てる。如月は大切なことを言おうとしている。
 如月がそれを言う前に、角松が大声をあげた。

「俺っ!」
「………っ」

 遮られた如月が眼を瞠った。たぶん、今、自分の顔はこれ以上ないくらい真っ赤だろう。そう思うと恥ずかしくて仕方がなかったが、先に言われるわけにはいかなかった。どちらかというと意地の問題だ。

「俺、おまえのこと、好きだ…」

 語尾がかすれてしまったのは勘弁してもらいたい。告白なんて、はじめてのことなのだ。だけど言わなければ如月は行ってしまう。角松に同じことを言って、返事を待たずに行ってしまう気がした。

「角松……」

 如月はあっけにとられていたが、やがてふわりと微笑んだ。うれしい、と言って角松の正面に立つ。何かを待つように。
 角松はどきどきしながらじっと如月を見つめた。黒い瞳が喜びに潤んでいる。いいのかな。本当に。手のひらが汗ばんできたのを感じ、拳を握り、またひらいた。その手で如月の手をとる。ひんやりとして、少し硬い。緊張しているのだ、如月も。
 引き寄せるのを待たず、如月がキスをしてきた。

「………っ」
「ん……」

 どん、と机にぶつかる。すぐに顔を放した如月が何かに驚いた顔をしていた。視線を下げられて、角松の顔がさらに赤くなる。彼のそこはしっかりと反応していた。

「あ、……」
「……わ、悪いっ」

 目の前の相手に欲情していることを悟られて、申し訳なさと居た堪れなさで角松は咄嗟に謝罪した。如月は顔を振ると、もう一度キスをした。

「すまない」
「な、何が…?」
「本当は、ちゃんと相手をしてやりたいんだが」

 これから学校へ行くのにそんなことはできない。それは角松もわかっている。しばらくすれば治まるだろう。まずは如月との距離をとろうと肩に手を置いたが、逆に如月は密着してきた。

「き、如月」
「…手、で…」

 頬を薄く染めた如月がそんなことを言った。
 何のことだか角松は咄嗟にわからなかったが、如月の白い手に自分の盛り上がったそこを撫でられ、ようやく理解する。手で。それは、つまり。

「いいよっ、そんな、こと……っ」

 ジ、とファスナーを下ろされ、如月の手が潜り込む。角松が息を飲んだ。下着の上からゆっくりと形を確かめるように動かされてそれは見る間に大きくなる。もう片方の手が苦労しながらボタンを外す。肝心な部分だけあらわにされた角松は机に手をついた。
 如月がほぅっと息をついた。両手で包み込み、擦ろうとする。だが乾いた手で粘膜を擦ってもうまくいかない。

「如月、ほんとにいいって…」

 濡れてきたらもう角松にも我慢できなくなる。今のうちに止めさせようとするが、如月は困ったような恥ずかしそうな瞳でちらりと角松を見上げて首を振った。如月のこんな表情を見るのははじめてで、角松は余計煽られた。かといって如月の前で自慰行為に及ぶわけにもいかない。にっちもさっちもいかなくなった。

「……ン…っ」

 如月は口をもぐもぐさせると、溜めた唾液を手のひらにまぶした。滑りのよくなった手が角松を愛撫する。ひやりとした指先は、あっというまに熱いまでになった。

「あっ……く、…」

 つい声をあげてしまった角松に力づけられたのか、如月がまたキスをしてきた。今度はくちびるをくっつけるだけではなく、おずおずとだが、舌を入れてきた。びっくりしてつい顔を引いた角松に、せつなげな表情をして如月が言った。

「ん…。つば、ちょうらい…これれ、濡らすから…」

 そういう目的なのかと理解した角松は唾液を飲み込まないように気をつけた。如月の舌が唾液を攪拌し、自分の中へと持っていく。そして角松の屹立に顔を近づけてとろりと垂らしてきた。くちゅ、と淫靡な音がたち、興奮を煽っていく。

「は、あ…っ。如月…っ」

 裏側の血管の筋をぐりぐりと擦られて、角松が喘いだ。机に寄りかかった角松の前に如月が跪く。

「角松さん……」

 熱い息がかかり、角松はうっすらと目をあけた。如月の欲情に染まった瞳に自分の大きく勃起したそれが映っている。そう思うだけで快感が下へ降りていくのがわかった。
 しばらくためらっていた如月が、とうとう薄く口をあけて、角松を飲み込んだ。

「あ…っ?そ、んな…っ、きさ…らぎ…っ」

 まさかそんなことまでしてくれるとは思っていなかった角松は、やめさせようと如月の頭を掴んだ。ぶるぶると震えてしまいうまく引き剥がせない。

「んーんっ、んぅ…っ、やぁせて…っ」
「如月…っ」

 それを咥えられたまま喋られて、もどかしい快感が背筋を焼いていく。

「もう、ここえ、こえらいからぁ…っ」

 べろりと舌が側面を舐め、尖端を顎の上に擦り付ける。しだいに大胆になっていく如月に、角松ももう止めろとは言えなくなっていた。腰を震わせていまにも出てしまいそうだ。
 部屋の外の喧騒が遠くなる。ああそういえば文化祭でここは学校なのだったと角松は思った。もう如月の来ることのない生徒会室。これで最後。もうおしまい。せつなすぎる、最後の。思考が快感に攫われて何も考えられなくなる。

「あっ…、らぎ、もう、で…っ」

 如月の指がぽってりと重く膨らんだ双珠を揉みしだいた。急激にせりあがってきた快感に角松は押し流された。頭の中が真っ白になる。

「んーっ?、…ンッ、ごく…っ」

 いきなり口の中に放たれたものに、如月が鼻にかかった悲鳴をあげた。懸命に飲み下している。角松ははあはあと息をするだけで精一杯だった。如月が眉を寄せて残滓を綺麗に舐めとっているが、その気づかいにまでは頭が回らなかった。

「ふ、…はぁっ」

 ようやく口を解放して、如月が感じ入ったため息をはいた。飛び散った白濁が整った顔を汚している。角松はぼんやり見ていたが、のろのろと手を伸ばすとそれを拭ってやった。くすぐったそうに如月は頬をすりよせ、角松の手を舐めてそれも綺麗にしてくれた。

「あ…っ、飲んだ…のか?」
「ああ。お互いに制服だし…それにあんたはまだ文化祭で出番があるんだろう?」

 如月もさすがにぐったりとしていた。制服の女子中学生にあんなことをさせてしまった。強烈な快感を思い出すと同時に罪悪感に押しつぶされそうになる。

「そうだ…文化祭」

 我に返ると角松は血の気が引く思いだ。時間を確かめるともうすぐ昼になる。行かないと、と角松は起き上がろうとしたが、疲労と腰のだるさで動けなかった。如月は如月で解消されない欲求不満に苛まれているらしい。そっと手でスカートを押さえている。その仕草にまたどきどきしてしまいそうになり、角松はえいやっと起き上がった。

「如月…大丈夫か?」
「ああ。なんとか…」

 如月もよろめきながら立ち上がった。制服の乱れを直し、髪も手で整える。

「キスしてもいいか?」

 角松があらたまってたずねると、如月はうんとうなずいた。そっとくちびるを触れあわせるだけのキス。角松が吐き出したものの、生臭い匂いがした。如月にあんなことまでさせてしまった。角松は罪悪感と喜びに心をふるわせた。

「嬉しかった」

 そう言って、如月の体が離れていく。引きとめる手が力を失った。如月の眼の端に光るものを見つけた角松は胸を突かれ、その一瞬の隙をついて如月は窓から妖精のように出て行った。

「如月っ」

 ザッと枝葉が揺れる。3階の窓から見下ろす目に、走り出していく如月の影が消えていくのが見えた。



 話題の美少女と生徒会長のロマンス(いつのまにかロマンスにまでなっていた)を楽しみにしていた生徒たちは、しょんぼりと歩く白い学ランの角松に悲劇を感じ取り、一斉にがっかりした。一部の男子生徒だけはめげずにあの子は誰ですかと角松に訊いてきたが、睨まれるだけに終わった。草加だけはしつこくどういう関係か問い詰めてきたが、もう会えないんだと角松が言うと、それはよかったと勝ち誇った笑みを浮かべた。

 そうして、今年の文化祭が終わった。

 その夜、夕飯を食べながらぼんやりとニュースを眺めていた角松の目に、深刻そうなアナウンサーが驚愕の事件を伝えた。

『…幼稚園から短大まである私立の女子中学校で、教師の猥褻事件です』

 ハッとして画面に見入る。如月の名前は出てこなかったが、角松は如月だと直感した。土曜日の今日、学校に行っている生徒は角松たちのように行事があるか、部活動か、そして教師に呼び出されたかだ。部活動に熱心な学校なら文化祭がつまらないなんてことはないだろう。もしかしたら如月は予感していたのかもしれない。息を飲む角松の前で、ニュースは淡々と進む。

『去年の秋に自殺した女子中学生との関係も噂されており、教育委員会は学校からの調査を依頼されていました。警察では――』

 如月。
 どうしていきなりあんなことをしたのか、ほんの少しだけ角松にもわかった気がした。気がしただけで、本当のことは如月にしかわからないのだろう。けれど、嬉しかったと言っていた、その意味を。
 教師に脅迫されてされるより先に、好きな人と触れ合っておけば、守られると思ったのではないだろうか。
 如月。如月。どうすれば、もう一度如月に会えるだろう。角松は絶望的な気分でそう思った。





 3学期になると、3年生はとたんに暇だ。
 生徒総会では新生徒会長が選出され、角松は晴れてお役御免となった。受験も無事に終わり、生徒も教師も気が抜けたようになる。別れの予感にどことなく淋しい雰囲気が3年生の教室に広まっていた。
 桜の木はすっかり葉を落とし、春に向けて眠りについている。
 角松は桜の下に立ち、生徒会室の窓を見上げた。
 けっこう高い。こうして見上げるのはそういえばはじめてだった。幹は太いがざらついて堅く、うかつに登ったら怪我をしてしまいそうだった。角松はあたりに誰もいないことを確認し、登っていった。
 2階の近くまで来ると幹が角松に耐え切れずにしなる。下を見ると恐くなりそうなのでさっさと諦めて降りていった。何をしているんだかと自嘲する。如月が棲んでいるわけでもないのに。
 あれっきり、如月とは会っていない。
 角松が知っているのは如月克己という名前だけで、あとはどこに住んでいるのかも知らなかった。せつなさだけが募って、身動きもとれない。どうしたらいいのか、角松にはわからなかった。いつも如月だけに行動させてただ待っていた、ツケが回ってきたのだろう。
 ため息を吐き出すと、目の前が白く歪んだ。
 教室に戻った角松は、自分の机の上にちいさな箱が置かれているのを見つけた。

「………?」

 六角形の雪の結晶がデザインされた和紙に包まれている。一瞬どきりと心臓が跳ね上がった。まさか。
 急いで包みを剥がすと、梅の香りが広がった。梅の花を模った和菓子が3つ、入っていた。
 バッと顔をあげて教室を見回すが誰もいない。角松はちいさな箱を鞄に入れ、あわてて教室を出た。向かった先は桜の木だ。
 しかしそこには誰もいなかった。はあはあと荒い角松の呼吸だけが空気を白く染めている。如月、と呼びかけようとして声が掠れた。ごくんと喉を鳴らす。

「きさ、らぎ…?」

 返事はなかった。木の上かと見上げても誰もいない。そんな、と角松は泣きたくなってきた。会いに来てくれたのではなかったのか。
 そこまで考えて、ひやりとした。さっき自分は何について後悔した?ただ如月を待つだけではなく、自分から動けばよかったと思ったではないか。
 探そう。角松は決意を固めると、学校中を駆けずり回った。前生徒会長の奇行に居残っていた生徒たちは目を丸くしたが、彼の必死の表情に飲まれて言葉を失った。
 それでも如月はみつからない。まだ探していない場所がいくつかあった。職員室と校長室、そして生徒会室だ。
 生徒会は今何をしているだろうかと頭の片隅で考える。もうすぐ迫った卒業式で忙しくしているはずだった。おそらく生徒会長か副会長あたりは残業してるだろう。
 勢いよくドアをあけると案の定、その二人がいた。息を切らせた角松の登場に驚いている。

「会長?あ、いえ角松先輩。どうしたんですか?」
「悪いな、突然」

 ぜーはー言いながら角松は窓に歩み寄った。生徒会室は暖房が効いていて暖かく、冬だというのに一斉に汗が噴出してくる。
 角松が窓をあけた。寒い、という抗議の籠もった声が聞こえたが、そんなことはどうでもいい。

「…如月!!」
「はい」

 叫び声に、答える声があった。
 言ってはみたものの返事がかえってくるとは思わなかった角松は一瞬ぽかんとした。のろのろと下を見る。カーキ色のダッフルコートを着た、如月がそこに立っていた。二、三歩位置をずらし、角松を見つける。帽子をかぶっていなかった。短く切られた髪が、さらりと揺れた。ちいさく手を振ってきた。

「…如月!?」

 もう一度、確認の呼びかけをする。「はい」とたしかに返事がかえってきた。

「そこで待ってろ!!動くな!」

 角松は呆気にとられっぱなしの後輩に邪魔したなと言って、再び走り出していった。新生徒会長と新副会長はお互いに顔を見合わせ、二人して窓の外を覗き込む。しばらくするとドドドと地響きをあげそうな勢いで角松が走ってきた。桜の木の下で立っていた人物に、勢いのまま抱きつく。
 …愛だな。愛だ。3階の生徒会室の中でそんな会話があったことなど、もちろん角松は知らない。





「如月!!良かった!!」

 ぎゅうと抱きしめた体に如月を実感し、角松が叫んだ。如月は驚いたのかされるがままだ。首筋にさらさらした髪の感触があたり、くすぐったい。そんなことさえ嬉しかった。如月がここにいる。

「心配したんだ。…ニュースで見て、もしかしたら如月じゃないかって…」
「ああ、…あれか」

 たしかに俺だ。如月の言葉にはたと我に返る。
 角松は体を離して如月を見た。

「…如月?その声」
「女だと言った覚えはないぞ」

 それはあの日も聞いたことだった。

「もう「わたし」でいる必要がなくなったからな」
「まさか…男だったのか!?」

 如月はあっさりとうなずいた。黙っていれば如月は女で通用する容姿であるが、声をきけば正体がわかるほどになっている。つまりは声変わりをしたのだ。
 どういうことか説明を聞いたのは、角松の家でだった。

「ようするに、囮だ」
「…囮?」
「ニュースを聞いたのなら覚えているか?自殺した生徒がいただろう」
「ああ…」

 たしかにそんなことを言っていた。如月にばかり気をとられていたのでたいして聞いてはいなかったが、かわいそうにと母が言っていた。

「その生徒の親に頼まれて、潜入捜査をしていたんだ。うちの親があの学校の理事をやっている関係で、俺を潜り込ませた」

 彼女は妊娠していたらしい。それを苦にしての自殺だった。角松が眉を寄せる。
 もともと女学校だったせいで、男の教師はほとんど皆無だった学校に、あの教師がやってきたのが事のはじまりだった。事前の調査では犯罪歴も皆無だし、そもそも妻子もちでそんな趣味もない男だった。だが、相手はほとんど男に免疫のない女子生徒ばかりである。20代後半の男性はとても魅力的に映ったのだろう、教師はもてた。どちらかというと、もてはやされたのだ。

「勘違いしたんだろうな、調子にのって生徒をつまみぐいしはじめたんだ」
「つまみぐいって…」

 一人目がうまくいくと、当然次の子、となる。なにせ相手は3年で去っていく都合のいい遊び相手だ。思春期で性のことに興味がわいてくる年頃の子供である、その行為はうまくいった。生徒は妊娠しても、恐くて親には言えない。友達に相談することもできなかった。誰にもばれることなく堕胎させることで教師はすませてきた。

「ところがそのうちの一人は自殺してしまった」
「それが……」

 如月は忌々しそうな口調になった。

「そいつもさすがに恐くなったらしい、俺が転入したときはなりを潜めていた。だが親のほうも相手のわからない妊娠という不名誉は避けたいとそのことは公表されなかった。それで安心したのか、またぞろ悪い癖が顔をだしてきたというわけだ」

 簡単だった、と如月は言った。生徒たちの間では人気があったしそんなそぶりを見せる生徒もいた。だから如月はわざと思わせぶりな態度をその教師にしてみせ、気を惹いたところで「好きな人ができた」と言ってやったのだ。案の定、自分以外の男がもてたことが気に食わなかった教師はのってきた。如月の態度のせいもあったのだろうが、何度か誘いをかけてきたのだ。

「指導の名目で呼び出されたときは何をされるかピンときた。素直に誘いにのってやったところで御用だ」
「どうやったんだ?」
「生活指導室で二人きりになって押し倒されたところで、きんたまを蹴りつけてやった」
「…………」

 それはさぞかし痛快な図だったろう。見た目か弱い美少女の如月が、エロ教師をやっつけたのだ。股間を蹴り上げられて蹲る男を思い浮かべ、角松は大笑いした。

「一件落着、だな」
「ああ。期間限定の捜査だったから、けっこう焦った」
「期間限定?」
「いくらなんでも声変わりをしたら男だとばれてしまう。病弱という名目があったから体育の授業は見学だけだったが、どういうわけか『オスカル様』呼ばわりされてちやほやされたんだ」

 オスカル様。如月がどういう目で見られていたのか手に取るようにわかり、角松は同情してしまった。男だとばれてやしないか、ひやひやしていたことだろう。

「あの日、もう何もかも嫌になってぼんやり電車の窓を見ていたら、桜が綺麗だった」

 ふらり途中下車して歩いていたら、そこに中学校があったのだ。如月はいざなわれるように桜に近づいていった。まさか女子制服のまま木登りはできなかったので、次の日には私服で来た。
 そこで、角松を見つけたのだ。

「あなたは楽しそうだった。…羨ましかったよ。本当なら俺も普通に中学校に通っているはずだったのに」
「…如月」

 何度も通ううちにしだいに角松がせっぱつまってきているのが伝わってきた。桜が散っていくように精気を失っていく。見ているだけなのがつらくなり、如月はついに声をかけた。

「…文化祭の日。もうこれで終わりだと思っていたから、せめてあなたに言おうと思っていたんだ」
「男だって?」

 如月は首をふった。そっちではない。男であることくらいはわかっているだろうと思っていた。制服姿だったのは事情があったからだが、勘違いしてくれていたほうがいいかもしれないと思ったのはたしかだ。角松にはいい思い出になるだろう。

「…好きだと、言って。もう会うのはやめようと思っていた」
「………。じゃあ、なんで来たんだ」

 如月はそろりと手を伸ばしてきた。細い指先が角松の男らしく大きな、がっしりとした手を捕まえる。男の手だとわかっていても嫌悪感は湧いてこなかった。それどころか、ひやりとした感触にあの日のことを思い出し、どきりとする。
 払いのけられなかったことに如月は勇気を得た。

「忘れられなかった…。あの時のあなたの表情や声や、…アレ、を思い出すと、……」
「……!」

 この手が自分にしたことを体が思い出し、動悸が下肢に降りていく。やばいと手を引こうとしたが如月の手は離れず、結果、体ごと引っ張ることになった。

「あ」

 肩が触れただけでぴりっとした快感が背筋を通り抜けていった。欲情して潤んだ瞳がひたむきに自分を見つめている。あの口が。如月克己の綺麗な顔が自分の醜い部分にあり、桜色をしたくちびるがあの肉塊を咥えたのだ。
 如月が何か言いたげに口を薄く開いた。そこからちらりと艶めかしい舌が見え、そこで角松の思考は爆発した。
 如月を忘れられなかったのは角松も同じだ。生徒会室に入れば嫌でもそこで淫らな行為に及んだことを思い出した。あれから何回思い出して自慰行為をしたのかわからない。

「きさらぎ…」
「…ンッ」

 キスをする。如月がするりと舌を入れてきた。これから何をされるのか期待した体が反応する。
 あ、と如月が顔をあげ、角松のそこを見た。膨らみ始めたものを布地の上からそっと愛撫する。

「…感じやすいんだな」
「如月…っ」
「俺はたしかにあなたを騙していた。…けれど、嘘をついたことは一度もないんだ」
「…わかってる」

 本当のことを言えないもどかしさはどれだけ如月を苦しめただろう。如月だってまだ中学生なのだ。普通に学校へ行き普通に勉強をし普通に友達をつくり、そして普通に恋をしたかったに違いない。

「おまえは立派な詐欺師になれるぞ」
「…そんなことはないだろう」

 如月は不器用なのだ。だから嘘はつけない。嘘になるとわかれば黙ってしまう。たしかに角松はすっかり騙されていた。けれどそれに怒りを覚えない。目の前に如月がいる。あれだけ会いたいと思っていた相手がそこにいるというだけですべてを許せてしまうのは不思議だった。如月克己は不思議な人間だ。ただそこにいる、だけではもう満足できないけれど。

「嘘だよ」