1+1=3
親友とケンカした。理由は怒りが冷めてしまえば情けないほど些細なことで、今では互いに気まずさだけが残っていた。尾栗と菊池はちらちらと視線を交わし、謝るタイミングを図るが先に頭を下げるのはどちらにとっても癪で、仲直りできないままだった。
こんな時、もうひとりいてくれたらな。尾栗は思う。3人だったら2人がケンカをしても、もうひとりが仲裁にはいって仲直りも容易だっただろう。
この奇妙な違和感はどうやら菊池にもあるらしく、時折何かを言おうとして横を向くことがあった。そしてアレ?という顔をする。同意を求める相手は尾栗しかいないのに、2人の間にはまるで誰かがいるように。確かめたことはないが尾栗は確信していた。でなければなぜ菊池はふっと誰かを探し、誰もいないことに落胆するのだ。せつなげに、目を細めて。
あとひとり足りない。肝心なパーツが欠けている。そう感じていることを薄々わかっているから2人は多数の同級生のなかから互いを見つけ、選び出し、親友になったのだ。
一日が終わりようやく休憩のできる時間になると、尾栗は散歩へ出かけた。菊池が後を追いかけてくるのに気づいていたが無言でいつもの場所へと向かった。教官や生徒にも見つからない、隠れた喫煙所に尾栗が勝手にしている所だ。
もうひとりの親友がこんな時に何と言って仲裁するのか、まるで以前にも聞いたことがあるかのように思い浮かべることができた。
『なんだ、おまえらまたケンカしてるのか。ほんとに仲良いよな』
『康平と雅行ってそっくりだ。どっちもちょっと意地っ張り』
『俺?俺はもちろんおまえの味方だよ。まあ、雅行にも同じこと言うけどさ』
やわらかい笑い声。包み込むおひさまの笑顔。そんなふうに言われては仲直りするしかないではないか。子供のようにあやされた尾栗と菊池は吹き出すのをこらえながら謝るのだ。ゴメン、言いすぎだった、と。
「…康平」
物思いにふける尾栗に現実の声がかかる。菊池だ。尾栗は内ポケットに隠し持っていた煙草を咥え、彼に差し出した。
「吸う?」
「未成年だ。やめとけよ、バレたらうるさい」
「たまにしかやんないよ、俺だって」
確かに煙草の中身はあまり減っていない。菊池はしばらく悩んでいたが一本受け取った。ライターが伸びてきて火をつけた。
尾栗はすうっと深く吸い込んだが菊池は咳きこんだ。彼の呼吸が整うのを待って、尾栗が口火を切る。
「…こんなとこ、アイツが見たら何て言うかな」
「……アイツって…」
誰のことだ、と菊池は訊かなかった。やっぱりおまえもそうなんだなと言いたげにくちびるを噛む。震える手に持っていた煙草を咥えた。今度はうまくいった。
「そんなの、決まってる。『バラされたくなかったら晩飯のおかず一個よこせ』だろう。まったく人が良いんだか悪いんだか」
「絶対言うな、アイツ」
くっくっと肩を揺らして尾栗が笑った。腰を屈めているのはそうしていないと涙が出そうだからだ。誰なのか、どこにいるのかもわからない、どこにもいない誰か。
「…仲直りすっか」
「だな。アイツに免じて」
菊池はあのせつない目をしていた。ひとりぶん空けられた2人の距離。肩にかかるもうひとりの手のひらの感触や回された腕の重みが恋しかった。
どんなに計算してみても1+1は2にしかならない。足りないもうひとつの1。あとひとつあれば1+1+1になるのに。まるで仲の良い3人が、肩を組んでいるように。
どこにいるのかわからないのに期待することをやめられない。どうしてもできなかった。だって思ってしまうのだ。そこの角を曲がったら、あのドアを開けたら、この道を歩んでいけばいつかきっと会えるのではないか。差し伸べられる手。あたりまえにいる存在。康平、雅行、ほら行こう。やさしく背中を押して誘う、まんなかのひとりを。
「そろそろ行くか。部屋長に怒鳴られる」
「ああ」
靴底でもみ消した煙草を置き捨てられていた空き缶に入れ、2人は小走りになった。スピードを揃え、間隔をひとりぶん、あけて。